「豆っ子じゃねぇか」 藤次郎は呼びかけた男を見た。 「豆っ子って言うな」と一応言ってみせる。 小十郎は首を傾げた。 「何だ、随分と威勢がねぇな」 「気が立ってんだ。悪いがお前の相手をするつもりはねえ」 「こんな夜にガキが街をウロウロするもんじゃねぇぞ」 「だからガキ扱いすんなよ」 「お前は背が足りないし軟弱そうに細い。顔は女のようだ。十六歳だろうと何だろうと子供に見えるから子供だ」 「ちょっと年上だからって威張んな。背なんてこれから伸びる。つーか、ついてくんな」 「歩く方向が一緒なだけだ。お前についていってるわけじゃねぇ」 藤次郎は立ち止まる。 腕を組んで小十郎を見ると言った。 「小十郎、お前はどっちに向かってんだ?」 小十郎は少し戸惑って右の道の方向を指差した。 「じゃあオレは逆の方向だからこれでな」 藤次郎はそう言って小十郎が指差した方向とは逆に進み出す。 しばらく無言で歩いていたが、我慢ならずに藤次郎は振り返った。 「お前、向こうに用があるんだろ!?なんでこっちに来るんだよ!?」 「気が変わっただけだ」 しれっと言われて藤次郎は眉を寄せて言った。 「ふん。商団の行首なんてものは随分暇なんだな。オレなんかをつけまわす程に」 「街を見回って情報を集めているだけだ。ガキの後をついて歩き回るほど酔狂じゃねぇ」 「そうかい。それじゃあ頑張って情報とやらを集めてくれ」 「おい、どこへ行く」 「博打」 短く言うと藤次郎は鉄火場に入って行ってしまった。 「……鉄火場にも何か情報があるかもしれねぇな」 小十郎は呟いて藤次郎の後に入って行った。 半刻ほど経っただろう。 もともと険しかった顔をさらにしかめて藤次郎が鉄火場を出ようとした時である。 「その顔じゃスられたな?」 「お前!ここで何してんだ!?」 「鉄火場にいるんだ。賭博に決まっているじゃねぇか」 藤次郎は不機嫌な顔のまま聞いた。 「……で?」 「何だ?」 「勝ったのかよ?」 「まぁ、いい小遣い稼ぎにはなったな」 「チッ、運のい奴だ。金は持ってんだろ。それ以上稼いでどうするんだ」 「運で勝ったわけじゃねぇ」 「博打に運がなくてどうやって勝つんだよ」 「イカサマだ」 「イカサ…っっ!!」 小十郎は慌てて藤次郎の口を手で押さえた。 ムームーいう藤次郎に小十郎は耳元で話す。 「大きな声を出すんじゃねぇ」 手を放してやると、藤次郎は小十郎に突っかかる。 「お前、それは卑怯だろ!」 「俺がイカサマしたわけじゃねぇ」 「何だと?」 「ほら、親の手元をよく見てみろ……今!」 「何が何だか分からねえよ…」 「今細工をした」 「マジか?」 じっと藤次郎は親を見るがイカサマの瞬間を見ることはできなかった。 「お前何で分かるんだ?」 「目が早いから」 「全然見えねえ」 「よく見てれば分かるようになる」 「ふーん…。ん?」 「見えたか?」 「いや、手の動きが少し不自然だった」 「それだけ見えればあと少しだ。まぁ鉄火場に儲けが出るようになっているものだ。運だけで勝てるもんじゃねぇ」 「…Shit!!ドブに金を捨てたようなもんじゃねえか」 「イカサマを見抜くのも勝負のうちだ。ガキが賭博など早い」 「だからガキって言うな!」 小十郎が微笑む。 「やっと元気が出たようだ。そうやって怒ってる方がまだお前らしい」 「……人を怒らせて楽しいか?」 「お前を怒らせるのは、まあ、楽しいかもしれねぇな」 小十郎が笑うので藤次郎はため息を大きく吐いた。 そして二人は鉄火場を後にする。 「さ、そろそろ戻ってはどうだ」 「戻りたくねえんだよ、あんなところ」 「なぜだ?」 「下品な男が群がるところなんて、戻りたくねえ」 「なるほど」 「…お前も政宗に逢いに行きたいんだよな?下品と言われて腹が立たないのか?」 「男を買いに来たわけじゃねぇからな、彼の演奏を聴きたかっただけだ」 藤次郎は少し前を向いて考えてみた。 そして小十郎に向かって尋ねた。 「じゃあ、政宗の気持ちを込めた演奏と、政宗と夜を共にするのを選ぶなら、どっちだ?」 「演奏だ。選ぶこともない」 「美しいと言われる男なのに?好みじゃねえの?」 「俺が惹かれたのは彼の演奏だ。初めて逢った時の音は素晴らしかった。何かを求めているが、それを見つけられぬ、そういった切なさに溢れ出て、あんな演奏そうそうできるものじゃねぇ。芸術だ。天から授かった才能……まさに天賦の才だ」 藤次郎は信じられないという顔をしてたので、小十郎は不思議な顔をした。 「何だ、何かおかしな事を言ったか?」 「え?…あ…いや、あいつの三味線にそんな風に言える男がいるんなんて思わなかった…」 小十郎は笑い言った。 「客はそんなにひどいか?」 「ひどい。演奏なんて聞いちゃいねえよ。皆があいつの体見当だ。都一というわれる政宗をどうやって堕とすか、そんな事しか考えてねえ。はじめは気持ちを込めて一生懸命弾いてたさ。でも誰も音に乗せた想いに気づかねえ。馬鹿らしくなってやめたんだ」 「そうか、その頃に会っていれば素直に彼の演奏を聴けたんだな。惜しいものだ。しかし豆っ子」 「なんだよ」 「お前は随分政宗を慕っているのだな、惚れているのか?」 「惚れるわけねえだろ」 「美しいとは思わないのか?」 「思わないね、気取った絹の服を着て、傲慢な態度でツンとしてるだけじゃねえか」 「ひどい言い草だ」 小十郎は笑う。 「なあ」 「何だ?」 「勝ったんだろ?博打」 「ああ」 「酒でも飲ませろよ」 「さて、どうしようか」 「ケチケチすんなって。な?」 「豆っ子のくせにたかるつもりか」 「いいじゃねえかよ。大金持ちなんだろ?酒の一杯や二杯」 「一杯や二杯で済むのか?」 「……酒の十杯や二十杯」 「随分増えたな」 「どうせあぶく銭じゃねえか、ほら政宗にも小十郎はいい人だって伝えておくから」 「俺は善人じゃねぇ、それにお前を懐柔しても関係ないんじゃなかったか?」 「関係ある。すっげえある」 「いい加減なもんだ」 小十郎は声をあげて笑った。 「で、でっけえ!!」 「お前の声の方が大きい」 「すげえな、さすが都一の大行首様の屋敷だ。武家の屋敷でもこんなに大きいのは見たことないぜ」 二人は屋敷に入った。 「これいくつ建っているんだ?」 「十三だ。まぁ仕事場も兼ねてだからな」 用事があるので酒が飲みたいなら屋敷に来いと言われ藤次郎はついてきたのだ。 「はー……豪華だ。そういえば小十郎、嫁さんは?」 「いねぇな」 「もったいねえ」 「もったいないとは何だ」 小十郎は笑う。 部屋に通し小十郎は用事を済ましたら戻る、と藤次郎を一人残していった。 ここは小十郎の私室らしい。 しばらくじっとしていたが、それに飽きた藤次郎は部屋をうろうろし始めた。 素晴らしく高価で品の良い調度品、有名な絵師が描いた美人図。 それに… 「笛?」 藤次郎は台に置かれた笛に近づいた。 手に取ってよく見ると「潮風」と小さく彫られている。 藤次郎は驚いた。こんなところでお目にかかれるとは…。 ことりと、笛を元に戻す。 「金にものを言わせて手に入れたのか…?」 「金にものを言わせたとはひどいな」 「うわ!!?」 振り返ると小十郎が下働きに酒器を持たせて立っていた。 「きゅ、急に後ろに立つなよ!」 「俺の屋敷でどこに立とうと俺の勝手だ」 小十郎は下働きに酒や肴を用意させると座った。 「さ、ご希望の酒だ……何をそわそわしている」 「いや、その……」 「飲みたかったんだろ?」 「そうなんだが……小十郎あれ吹けるのか?」 「あれ?」 「潮風」 「潮風を知っているのか?」 こくこくと藤次郎は頷いた。 「随分興味があるのだな」 「吹けるのか?」 「吹けもしない笛を部屋に置くと思うか?」 「吹いてくれ!」 小十郎が驚く。 「ただ酒だけじゃなく演奏までさせる気か」 「少しだけでいいから。と、いうか何故楽器を扱えること黙ってたんだよ。政宗が知れば喜んで三味線を聞かせただろうに」 「彼は楽器を扱える人間を好むのか?」 「そりゃそうだろう、楽器を弾ける者は楽器を弾ける者を特別に思うもんだ」 「だが都一の名手と言われる三味線弾きに俺の演奏など聞かせられねぇ」 小十郎は苦笑する。 「じゃあ、オレに聞かせろよ。政宗に小十郎の笛の音は良かったと伝えてやるから」 「ダメだ」 残念そうに藤次郎はうつむく。 「笛だけで演奏する気になれねぇ。何か弦楽器か打楽器があれば吹いてやるんだが」 それを聞くとパッと顔を輝かせて藤次郎は言った。 「ここに楽器はあるのか?」 「あるが?」 「オレ、弾ける!だから聞かせてくれ」 「三味線か?」 藤次郎はハッとして言った。 「鼓でもいいだろ?」 「楽器は一通り置いてある」 「じゃあ、聞かせてくれるんだな!?」 「分かったから、まずは飲め」 気づけば自分が飲むのを待っていてくれてた小十郎が杯を持って待っていた。 「あ、どうも、いただきます」 二、三杯飲んだが、藤次郎がチラチラと笛を見るので、小十郎は笑ってしまった。 「落ち着きのないやつだ」 小十郎はパンパンと手を叩くと下働きを呼んで鼓を用意させた。 藤次郎は目を輝かせた。 「葉響だ!」 小十郎がまた驚く。 「よく見ただけでわかったな」 「花形の飾りで分からないはずがねえ!」 「下働きが大した知識だ」 「あ……ああ。Let me think……政宗に色々教わったしな」 「彼の三味線は何を?」 「名はないさ、いい三味線ではあるけれど」 「豊緑という三味線がうちにある」 「マジか!?」 「嘘をついてどうする。そうか、ならば政宗に豊緑を贈ろうか。あの腕があるのに名器がないとはもったいない」 待ちきれなくなった藤次郎はぽんと小鼓を鳴らした。 「いい音だ…」 たて調べで強弱をつけると続けて音を鳴らした。 小十郎は驚いた目で藤次郎を見る。 「いい腕だ」 小十郎は立ち上がり笛を持つと、藤次郎と向かい合って座る。 小十郎が吹き口に唇を寄せた。 柔らかい澄んだ笛音が力強い小鼓の音と共鳴する。 藤次郎は酔ったような顔つきで演奏を続けた。 月が二人の音を包み込む気さえした。 やがて曲が終わった。 笛音が波が引くように消えた。 「藤次郎?」 「……え?」 「何を泣いている」 藤次郎は自分が泣いているのを初めて気づいたように左手を顔に当てた。 「……いい演奏だった。潮風の音から小十郎の気持ちが伝わった」 「お褒めにあずかり光栄だな。だがお前の鼓の腕には負ける」 「腕の良し悪しは関係ねえ。想いを音に乗せてそれを相手に伝えられるかどうかだ」 「俺の想いが伝わったのか?」 「孤独」 「何?」 「孤独だと感じた。だからそれが悲しかった」 「……」 小十郎はバツが悪そうに笛を元の位置に戻した。 藤次郎も立ち上がり小十郎の隣に立つ。 「なぁ、寂しいのか?」 「どうだろう」 「はぐらかすなよ」 「己でも分からねぇ」 「どうしてだ?」 「俺の笛の音から孤独を感じたならば、そうなのかもしれねぇが、そう言った感情が己でも分からねぇ」 「それは悲しいことだ」 「そうだろうか?」 「自分をごまかすのに自分を見失ってしまったんだ」 「分からねぇ」 「分かるようにならなきゃ。お前は機械じゃねえんだ。見失ったままじゃ辛くなる」 「辛いのかどうかも分からねぇ」 「それは嘘だ。いや、そうじゃねえな。感じないだけで心は傷ついてる、きっと」 「なら、助けてくれるか?」 「……助けてやりてえよ」 小十郎はぎゅっと藤次郎を抱きしめた。 藤次郎は目を見開いて身をすくませた。 抱擁を無理やりといて藤次郎は真っ赤な顔を俯かせた。 「帰る」 藤次郎は背を向けて帰ろうとする。 「待て」 小十郎は藤次郎の手をとって止めた。 「放せよ」 「助けてくれるのでは?」 腕を引き、後ろから藤次郎を抱きしめる。 「これが助けになるのか?」 「さあ…。だが分かることはお前いるとな、楽しい」 「からかいやすかっただけだろ」 「いつも元気いっぱいで、威勢のいい悪態がポンポン出るのが楽しくてな。豆っ子がフラフラ出歩いてないか何度か用もないのに街を歩いた」 「なんだよ、やっぱり暇人じゃねえか。政宗の事聞きたかっただけだろ?」 「まぁ、それもあるが、少なくとも今こうしているのが居心地がいい。こんな風に思うのは初めてだ。きっとお前のそばにいれば見失ったものも、また見つかるかもしれねぇ」 「知らねえよ。そんな事」 しばらく二人は体を寄せていたが、藤次郎がそっと小十郎の手をどけた。 「ただ酒の分はこれで十分だろ。オレは帰るぜ」 「藤次郎」 「政宗、きっと会って演奏をしてくれるぜ、じゃあな小十郎、酒ごちそうさん」 藤次郎は小十郎が止める声を背に屋敷から飛び出した。 その様子を二階から見てた小十郎は、政宗のいなくなった部屋でつぶやいた。 「これが寂しいという感じなんだろうか?」 感じた初めての感情に小十郎は戸惑った。 続 ■次へ ■おしながきに戻る ■異世界設定小説に戻る |