類似品を知っている

 堪えるようにぎゅっと閉じていた目蓋を開ければ、目の前にすらりとした脚があった。ふるふると震えながら視線をあげれば、鷹のような目で見下ろす恭弥さんがいる。
「気は済んだかい?」
「………………ハイ、だいぶ……」
「次にくだらない冗談を言ったら腹の中身ぶちまけさせるよ」
「………………ハイ、承知しております……」
 雲雀なんて愛らしい苗字をしている癖に雲雀らしいところなんて見たことが無い。恭弥さんは鷹だ。鷲だ。猛禽類だ。
 日頃の扱いがあんまりにもアレなものだったから、ちょっとだけ、ほんのちょっと試すつもりで冗談を言って、それが嘘だと告げた瞬間腹パンだなんてどうかしている。今回は私が悪いとはいえ、真面目に、しばらく立てない。
(あ〜……なんか、デジャヴ)
 恭弥さんから殴る蹴るの暴行を加えられることははじめてでない。
 むしろ不本意ながら慣れたものであるが、なんやかんやで手加減はしてくれているから痛みを引き摺ることはそうなかった。しかし、この嘔吐感はなかなかに久しぶりだ。堪え切れている分、あの時のほうがよっぽど酷かったのだろうけど。

 忘れもしない二年前の冬。
 ところは恭弥さん御用達の、雰囲気のすこぶる良いこじんまりとしたレストランだった。
 クリスマスムードの漂う店内にジャズが流れる中、留守がちな恭弥さんにだらだらと近況を話し、料理に舌鼓を打ち、時折軽めのワインを挟む。
 気分はとてもよかった。
 料理のおいしさはもとより、その日は一度も恭弥さんに叱られていなかったのだ。いつも何かと突っついてくるのに今日は黙って頷くばかりで、珍しいこともあるものだ、と気にはとめていた。けれどデザートが運ばれて来た途端頭の隅の隅の方へ追いやられ、宝石を閉じ込めたようなジュレをヒューゥ喉越し最高だぜー!とアルコールの入ったテンションのまま噛まずに飲みこんでみたが最後。
 黙りこくっていた恭弥さんが「あ」と短く声をあげ、きょとんとした顔を返す私を見つめるなり席を立った。ここに来て何かしたかとうろたえる私。目の前に立ち、腕を引いて起立を促す恭弥さん。次の瞬間私の腹部にシュゥゥゥーッ!!俺のターン!リバースカード発動!嘔吐!様々な幻想をぶち壊し婚約指輪を召喚!「……僕と結婚して」目も耳を疑いターンエンド!

「…………」
 つくづくあれは酷かった。
 なんだか酸っぱい臭いのする指輪を薬指に、あれほど酷いプロポーズを受けた人など、万人に一人もいやしないのではないか。
 しかし酷いのはそれに留まらない。
 前後不覚のまま婚姻届にサインをし、役所に提出してくると残し出て行ったと思えば、そのまま恭弥さんは姿をくらませてしまったのだ。
 すわ結婚詐欺か、しかし金品など何もない。
 混乱する私の前に次に現れたのは草壁さんで、着の身着のままどこぞの地下施設へ連行されそのまま一年が過ぎた。
 外に出ることは許されないながらも、ただ居るだけで衣食住は保証された快適な生活。ほんのり危惧した人体実験やら臓器売買の影が襲うこともなかった。草壁さんが用意してくれるご飯はおいしく、地下のくせに四季折々の花が咲く庭園は眺めるだけでも楽しい。
 そうして、立派なニートが一人出来あがった頃、ふらりと恭弥さんが帰って来て今に至る。直前になって話を聞き、慌てて着飾って出迎えた時の開口一番の台詞は確か……──その服趣味悪い──そう、それだ。よく覚えてる。一年ぶりに逢う妻に対しふざけんなである。

 結婚したからといって、恭弥さんからの扱いが変わったわけではない。一年のブランクの後、ほとんど毎日顔をあわせているのだから叱られる回数が飛躍的に上昇したくらいである。
 結婚とは何か。幸せな花嫁さんとはどこへ行ったのか。幼い頃に誰もが思いを馳せる夢などとうに置き去りにして虐げられる日々は続く。
「…………恭弥さんは何故私に結婚を申し込んだのか……」
 そもそもそこがわからなかったのだ。恭弥さんが私に、結婚に何を求めているのかわからない。自分で言うのも難だけれど、恭弥さんほどの見目と権力と財力があれば引く手数多だ。中身はともかく。
 じわじわと痛みがひいてゆく中でころりと零した言葉を耳にしてか、恭弥さんがす、としゃがみ込んだ。双眸を覗きこむようにしてじっとこちらを見つめてくるものだから、つい困惑し視線を泳がせてしまう。
「夏々子」
 薄い唇が私を呼ぶ。改まって名を呼ばれると、逃げるというわけにもいかなくなってしまう。そもそも呟いたのは私なのだから言い逃げするのも情けない話だが、あの疑問に答えが返ってくることを怖いと思う自分がいる。
 だって、一年も放っておかれたのだ。実は結婚を申し込んだ直後にいやになって自分探しの旅へ出た、などと言われたら万年穀潰しなだけに流石に立ち直れない。
 気づけば呪うように畳の少し荒れたところを睨みつけていた。心がおもたくなって、思わず溜息が口から飛び出した。聞くか、聞かまいか。思いあぐね、意を決しようやく上げた視線の先の恭弥さんは、びっくりするほどやさしい顔で笑っていた。
「いいかい、夏々子」
「……はい」
 こんな顔で笑う恭弥さんを見るの、滅多にない。
 瞬きするのも忘れて魅入っていると、唄うように恭弥さんは続けた。
「結婚というのはね、夏々子。僕が幸せになるための手段でしかないんだよ」
「…………“僕”が?」
「僕が」
「……私は?」
「知らない」
 きみをしあわせにする。いっしょにしあわせになろう。あなたとならふこうになってもかまわない。
 どこかで聞いたことのあるような台詞がくるくると頭を巡り片っ端から場外へ放り出されていった。
「……」
 腑に落ちない理由ではある。
「…………」
 どうであれ、しかし私と結婚することで恭弥さんが幸せになれると言ったのだと思えば、気分が上向き、つい顔が綻ぶのだから自分は本当に馬鹿な人間だ。
「……ふ、ふふ」
 笑ってしまうなんて、本当に、本当に馬鹿でどうしようもない。
 からかわれようが罵られようが殴られようが蹴飛ばされようが理想の花嫁さんに程遠かろうが、恭弥さんが私を求めてくれるならそれで嬉しいのだと思ってしまう。それが私の幸せなどと言っても差し支えないなんてとんだ自己犠牲精神だが、恭弥さんのこういう、微笑んだ顔を前にするとほとほと私はこの人に弱いのだと思い知らされる。
 そうだ、先ほどのあの顔。ボディブローを受ける要因となったあの言葉を告げた時に、恭弥さんが浮かべた顔といったらなかった。
 本当にささいな出来心で妊娠したかも、と告げた時、滅多なことでは動じないその瞳が見開かれた。引き結ばれた唇がゆるやかに咲かんとした。恭弥さんが今も私を求めてくれているのだと、言葉よりも深く深くその様が語り、たまらなく胸が空く思いだった。くだらない冗談を言った罪悪は勿論ある。でもそれ以上に溢れるものがとまらない。
「何が可笑しいの」
「え、へっ、わ、笑ってました?」
「……」
「ふ、あの……変な冗談言ってごめんなさいと思いまして」
「顔と台詞が一致してない」
「ふ、ぐっ」
 拳骨を喰らった。これも恭弥さんの幸せのためと思えば痛く……ないわけがない。

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