ご褒美は金ののべぼう

 事の始まりは本日の日中、今日こそはさっさと図書館に行くぞと公園を通り抜けようとした時に遡る。そう長くない期間に二度関わりをもった童子を、特に用は無くともつい探してしまうのは仕方が無いことで、私は歩きながら砂場のほうを気にしたり、水場のほうに目を向けた。しかし童子の姿はなく、ああ今日は家でのんびりでもしているのかしらと憶測を立てていると、背後からしたたたたっと猫が走るような音がして振り向いた。
「うおぇっ」
 どんっ! と勢いよく鳩尾に突っ込んできた小さな影。目を白黒させてやや吐き気のこみあげた口元を押さえつつ見下ろすと、黒くてまあるい頭ひとつ。前髪の隙間から覗いたのはいつか涙をためていた子狐のような瞳で、今日は(も)なにやら不満そうに眉間に皺がよっていた。
 今日は一体なんですか、と名を呼ぼうとして気がついた。そういえば私、この子の名前を知らない。童子はボディブローをかました体を離し、不遜な態度で呼びつけた。
「おおきいいきもの、きみはいったいいつまでねているきなの。もうこんなじかんじゃないか」
「ああごめんね」
 約束を交わした覚えはないなと思い起こしつつ相手をする。理不尽にも責め立て一方的に拗ねている人間を相手にするのはつらいものがあるが、相手はまだこんなに小さな子ども。ぷりぷりと怒っている様を見るのは少しばかりおもしろい。
「ね。そういえば名前、なんていうんだっけ」
「きくにんげんからなのるものでしょ」
「ははははは。……七誌夢子だよ」
「ヒバリキョウヤ」
「ヒバリ?」
 どこかで聞いた名前。いや、春を告げる鳥や故人の名という意味ではなく記憶に残っている名前だった。ヒバリ、雲雀か。雲雀というのは確か、並盛の町に古くから根付く名家の苗字じゃなかっただろうか。雲雀という苗字自体珍しく何よりここは並盛町だし、まさか。いや、でもどうして名家の御子息がこんなところで一人遊び、しがない町娘にえばりくさっているのか。雲雀の家については私も詳しいことは知らないが、敵にまわすと三代にわたって並盛の地を踏めなくなるだとか、一家根絶やしお家断絶だとか、眉唾ものの噂もある。この目の前の童子一人にどれだけの価値があるのだろう。考えるだけで薄ら寒くなってきた。……面倒なことになったらどうしよう。既に名は知られている。
「それで、おおきいいきものはなにしてるの」
「は? え?」
「ぼくのはなしをきいてなかったの?」
「いたたたたっ! たたっ、ごめん、反省してるから足、足ぐりぐりしないで」
「おおきいいきものはてがかかるね。どうせろくでもないじかんのつかいかた、してるんだろう」
「……ははは」
「ぼくのぶかが、どういうせいかつをしてるのかチェックしないとね。かていほーもんするよ」
「は、は?」
 そうこうして、色々と言いたいことはあるはずなのに、年上の余裕でやんわりとかわすことも出来ず茶菓子などを振舞うはめになった。リビングのソファに飲み込まれるように座り、ストローをくわえカルピスをちまちまと喉に流してゆく童子。その下で、盆を抱きしめ床に正座している私。
(……なんというか)
 わざわざ床に座れと指示した辺り、この童子は相当に相当で。もしかしたら違うのではという気持ちがあるにせよ、やっぱり庶民は高貴な方相手では自然と畏まってしまう生き物ではなかろうかと。
(……しかしこれ、家にあげちゃって大丈夫だったのかな。拉致監禁で訴えられたらどうしようか)
 事が事になればこの床に額を擦りつけて許しを請う未来が待っているのだと想像しては憂鬱になり、腎臓は二つで足りるのかしら、などという馬鹿な考えも脳裏にチラついた。問題の童子の機嫌は、今はいい。それは救いで、こんなあばら家でも興味があるのならどんどん眺めて下さいなと自虐的に溜息をついた。・・・いやいや一縷の望みにはかけたいけど。あの雲雀の家の子じゃなければいいなって思うけど!
「おおきいいきもののいえはちいさいな」
「……そう?」
「ちいさいね。ぼくのいえのくらぐらいだ」
「蔵……」
「しようにんのひとりもいないなんて、へんないえだよ」
「使用人……」
 この一見ませた、聡明で麗しく次代の王を思わせる尊大な物言いの童子が、価値観がこの歳にして狂いに狂いきっているであろう童子が、雲雀の家の恭弥くんであることはほぼ確定した。がくりとうなだれて顔を伏せた私に、降ってくるのは鷹の視線。せいぜいウズラ程度の私では捕食され喰われてしまうのも時間の問題じゃなかろうか。夜逃げの準備をしたほうがいいのだろうか。なんにせよ、先立つものとして必要なのはお金。一にも二にもお金。蓄えた富こそあれば地球の裏側までいけるのだからああそういえばまだろくに人生を楽しんでいないじゃないか、私。
「だいじょうぶ」
「え?」
「ペンちょうだい。かくものと」
「……はぁ」
 今度は一体なんなんだと訝しみながら、とりあえずその辺りにおいてあったメモ用紙を渡す。庶民らしく裏地は広告。童子は物珍しげにしげしげと眺めてから、「みちゃだめ」と、隠すようにぐりぐりとペンを走らはじめた。ああこういった日常の一コマだけで想い出が構成されるなら平和的で実にいいのに。と、まもなく童子は顔を上げついとテーブル板に紙を滑らせて私を見据えた。……なになに? けい……けい、や? くしょ?

「……」
「こんなちいさないえにすむくらいだ。ひびたべていくのでせーいっぱいにちがいない」
「え、いや」
「かりにもぼくのぶかが、コンキュウしてるなんておもいたくないからね」
「……」
「おおきないきもの、きみとせいしきにけいやくをむすぶよ。ぼくにつくすたいかをはらおう」
 それは本末転倒だ。誰か私の声を、斟酌して気づかう童子に届かせてはくれないか。


(110226)

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