おうさまを敬いなさい

 少し先の玉のようにも見える人影を静かに見つめる。いつか見た時よりもずっとのとのととしたどこか危なげない足取りで揺れるそれは、一応のところ真っ直ぐに砂場を目指しているようだった。おお歩いてる歩いてる、今日もひとりか。
 時刻は昼を回ったところで十分に日は高い。昼飯時だからと皆家に引っ込んではいるが、こうして私のように定期的に公園を抜け歩く人間がいるのならそう危ないこともないだろう。さて今日は何の本を借りようかしらと緩慢な動きで首を斜めにひとつ。
「あっ」
 ふいにこちらを向いた童子の視線。思いがけず目がかちあいコンマ数秒思考がとまり、相変わらず可愛い顔をしているなぁと感心しかけた次の瞬間、視界から童子の姿がブレた。
「あっ、ああー……」
 ずしゃっと音がした。童子が石畳を敷き詰めた道の上に伏せっていた。辺りにはぶつかるようなものは何もなく、しいて言えばよそ見をした隙に足元がおろそかになり、タイルの端に突っかかって転んだという状況に見えた。童子はしばし硬直した後、ゆるゆると上体を起こし膝をついたまままた動かない。ああ泣くぞ泣くぞ、今に泣くぞ。しかしこれは私にも責任があるのだろうか。
 童子がよそ見をし、石畳をキスをする前にあの目にうつしたのは私だろう。このようなことは言ってしまうとキリがなくなるが、私がこのタイミングで通りかからなければ転ばずに済んだのかな、という可能性を思うとなにやらいたたまれない。
 一体誰が無責任なのか。今回も今回とて周囲に保護責任者の姿が見えず、玉の肌についた傷を手当してやるのも私しかいないのではなかろうか。そう危惧し、焦って童子に駆け寄った。
「大丈夫? 痛かったね」
 相変わらず無言である。童子は俯いていた。そしてそのまま泣きも叫びも呻きすら発さずにすっくと立ち上がった。気丈だ。しかし無茶だ。表情は流石に苦悶を浮かべ、膝は痛々しい紅の筋が走り真白な靴下を染めていく。
「無理しないほうが……」
 言っても無駄だった。童子は気を奮い立たせるように唇を噛み、自らの足で水場まで向かって言ったのだ。なんという見上げた根性だろう。産み育てた親の顔が見てみたい。などと感心しつつも心配なものは心配で、いくらか足を引きずる童子の後に、いつ転ぶかまた転ばぬかとはらはらしながら、生き場なく腕を宙にぶらつかせ付き歩いた。
「ねぇ、ね。大丈夫? もっとゆっくり歩きな、また転んじゃうよ」
 ぴたり。すると唐突に、今まで懸命に足を動かしていたというのに止まるものだから、今度はこちらがこの小さな体に突っかかって巻き込みながら転んでしまうのではないかと冷や汗をかいた。
「あっぶな……ああ驚いた」
「ちょっとそこの」
「えっ、あ、私?」
「ほかにだれがいるの」
 初めて耳にした童子の声は舌っ足らずなくせにそれに似合わぬ大人びた口調を用い、なんてませた子どもなのだという感想を植え付け、育ちがよさそうな、という見解を殊更に強めた。けれど、表情は子どもじみている。頬をふくらませるように唇をとがらせ、目にめいっぱい力をいれてすごんでいるような顔ったらない。
「なにわらってるの。かみころされたいの」
「かみころす」
 流行りアニメの台詞か何かだろうか。聞きなれない造語に首をかしげると、童子はきゅうっと目を細めた。ぜんぜん怖くないな、なんだかしらないけどいっそう不機嫌にさせてしまったようだけど。
「……かみころす!」
 気持ちが伝わってしまったのかいい加減堪忍袋の緒が切れたのかは定かではない。童子はふんっと意気込んで脛をめがけて蹴りつけてきた。
「いたっ!」
 がんっと子どもならではの容赦ない蹴り。勝負にはならないが子どもの力って意外とあるもので、そう何度も喰らい続けては痣くらい出来ると少し距離を置こうとした。そして気に入らないことがあっても急に人を蹴るものではないと、少しだけ、ほんの少しだけ沸いた怒りを乗せて嗜めようとしたところ、童子は膝を抱え蹲っていた。えっと。
「……あの、大丈夫?」
 窺うと、今まさに零れんとしている水を孕んだふたつの瞳が、キッと上目に私を見上げる。ああ無茶をするから。もしかして傷を負ったほうの足で蹴り上げたんじゃないだろうな、軸足にしていたとしても痛いことはわかりきっているけれど。
 童子は痛みを隠すように今度は俯いて肩を強張らせ、それきり銅像のように動かなくなった。昼食を終えたのか、公園にはちらほらと人影が現れ始めている。チリリンと通り過ぎた、自転車に跨ったおじさんは興味深げにこの様子を見ていた。……なにやらいじめっこにでもなった気分だ。腹の中で溜息をつき、膝を曲げ童子に語りかけた。
「手当てしよう。ね? 早くしないと治るのが遅くなって遊べなくなっちゃうから」
「……」
「ほら、どうしたんだろうなぁってみんな見に来てるよ」
「……」
 そこでようやく、すっ、と少しだけ童子が上向いた。相変わらず瞳はうるんでいてどれだけ痩せ我慢する気なのだろうと感服したが、余計な表情をしてしまわないうちにひとつ笑んでやる。童子はふんと鼻をつき、のたまった。
「どうしてもてあてしたいの」
「……。うん、どうしても。おねがいっ」
 ぱんっと手をあわせてうさんくさい演技だなぁと内心思いながらもリアクションすると、思考はまだ単純なのか、童子はしかたがなさそうに「好きにすれば」とそっぽを向いた。まったく可愛くないことで。

「私もよく転んで怪我をするんだよね」
「ふぅん、どじだね」
「ははは」
「おおきいいきものはせわずきなのかい」
「おおき……ああ、うん、好きかもしれないね」
「それならぼくのぶかにしてもいい」
「ははははは」


(110225)

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