砂のお城の主様

 文庫を捲る手を止め、首をゆっくりと回した。活字に満たされていた世界は途端に鮮やかな色───例えば梢の焦茶色だとか若緑色だとか、頭上いっぱいに広がる茜に染まりかけた空の色、点在する遊具の濃緋色に蒲公英色───が次々と視界に叩き込まれ、くらくらとした。しかしおそらくそれは津波のように攻めよせた色の群のせいだけではなく、日増しに温度を増す気温の役割も大きいのだろう。
 夏休みはすぐそこまで迫っている。差し当たって、学の不備やそれに伴って生じる問題は心配に及ばない。ああどこか遊びにいきたいなぁと呟くけれどもここで賛同する誰かがいるわけもなく、期待もしていなかった私は凝りをほぐすようにしてベンチから腰を上げ、すっかり立ちあがっている頃には既に今日の夕飯のメニューはなんだろうかと考え込んでいた。
 ふと、視界の端にうつりこんだ利休茶色の砂場に動くものがあった。よくよく見てみればそれは白色のシャツに濃紺色をした短いパンツスーツのようなものを着た童子で、彼は一人ぺたぺたと蹲って砂遊びをしているようだった。(砂に汚れているとはいえ)身に付けたものの品ある格好からして見るからに育ちがよさそうだが、きょろきょろと辺りを見渡しても友人兄弟はおろか両親祖父母すら見当たらない。探し方が悪いのだろか、(それもどうかと思うが)ほんの少しの間だけ席を外しているだけかと気になって、心配半分好奇心半分に待ってみたものの一向に状況は変わらない。
(……う〜ん、どうしたものか)
 刻々と暮れ青藍にすらうっすら帯びようとしているのに、童子を迎えに来るものも童子が気にする素振りもない。夕飯時もいいところだというのに、小学生にあがるかあがらないかもわからない童子をこのままにしておくのは人として、社会としてまずい。
 特別正義感が高いわけでもないが知らないふりをして帰宅し、翌日朝刊の記事を見ては後味が悪いと、公園の出入り口に向いていた足を砂場へ向き直した。
 さくさくと音を立てて人工芝を踏み、今まさに砂の城を完成させた童子にやんわりと話しかける。
「ぼく、すごいねぇ。ひとりでここまでつくっちゃうなんて」
 腰を落とし、目線は童子と同じ高さに。声色は教育テレビのうたのおねえさん顔負けの親しみやすさを意識したというのに、童子の反応は限りなく薄かった。そういえばこの子はひとりでいるし、ひとみしりなシャイな子なのかもしれない。そのような考えに至り、気を取り直して再度声を掛ける。
「お城には名前がついてるのかな?」
 無言。
「誰が住んでるのかなぁ」
 無言。
「おとうさんとおかあさんにも見せてあげたいね。一緒に来てないの?」
 無言。
 童子は誰もそこにいないかのように、無言をつらぬいている。いい加減つらいものがあり、こめかみに指をあてた。
 誰にでも幼い頃はあって、私も幼稚園保育園時分、多少なりとも警戒心を持ち合わせていたはずだ。得体の知れないものに警戒するのは当たり前のことで、しかも一人でいる時となれば答えは決まっている。聊か目の前の童子にはその傾向が強いようだが、それを理由に放っておくのはやはり・・・中途半端に話しかけてしまった手前、引くに引けなくなったということもある。
 まずは己への警戒心を緩ませよう。
「私は七誌夢子っていうんだけ……あれ」
名を告げている最中、童子はすっくと立ち上がってぱんぱんと砂の付着した服をはらい、プラスチック製の赤いスコップを片手にすたすたと砂場を出、そのまま夕暮れの公園を去って行った。
(かわいくないなあの子)
 童子の名誉を保証するために言うのであれば、容姿は子役にスカウトされるのではないかと思うほど抜群に愛らしかった。白くぷにぷにとした身体は抱きしめたくなるものだし、珊瑚色にうっすら染まる頬と膝小僧はつつきたくなってしまう。少しつり上がった舛花色の瑞々しい瞳は子狐のようで、さらりとした濡羽色の髪は無条件に指をとおしたい。それだけに、惜しい。いやこれだけ恵まれた容姿をし、将来美少年に育つことが約束されているのだから欠陥として、あるいは自己防衛としてのあの無愛想も甚だしい態度だったのかもしれない。
 まあ、なんだか四つ五つほどだろうに既に浮世離れしていて住む世界が異なっているようだったし、二度と関わることもないだろう。
 私は、そこでようやく童子に話しかけた時から見送るまでの間、ずっと屈折していた足を伸ばしついでにひとつ伸びをした。深呼吸した空気の中に、どこかの家で玉ねぎを甘く炒めるかおりがする。ああ今日はカレーでもいいな。


(110225)

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