まどろみの処方箋

 秋の暮れは悉く木枯らしに抱かれからからに乾いていた。
 高い空も、淡い漣のような雲も、街路樹も、道も、人も、心さえも乾いている。
 喉は砂を撒き散らしたようで、こんこんと咳をするたびに酷く痛む。気だるさが覆いかぶさってくる感覚に苛まれながら寝がえりを打ち、衣擦れの後に残るのがごうごうと啼く外の気配だけというのが無性に切なかった。

 このまま、死んでしまうような気がする。
 息をしている。咳き込めば喉が痛く痛覚は存命だ。しかし熱に浮かされた意識は朦朧とし、現と夢の間を彷徨っている。
 それが、今際の際のようであった。このまま熱があがり続けて沸騰するようにして絶えるのか、あるいは急速に冷えてそのまま凍るようにして逝くのか。孤独の底でもがくことも出来ずからからに乾いていく。
 死んでしまったらどうなるのだろう。天国はあるのか。地獄はあるのか。来世はあって輪廻するのか。それとも無となったことすら自覚出来ないほどの無が口を開けて待っているのか。
 ──お前の人生が戯れに過ぎなかったら、死はお前にとって真剣事だろう。だが、お前が真剣に生きたのなら、死はお前にとって一つの戯れであろう。
 そう言ったのはクレッチマンだった。
 死が戯れなんて、後者はまるで彼らのようだ、と思う。昔からの姿をよく知っているのに、その魂を理解することが出来ない。どうして彼らはあれほどまでに懸命にこの世を生きているのだろう。どうすれば、その覚悟が生まれるというのか。
 彼らと私は決定的に違う。ひょっとすると人間じゃないのかもしれないなどと考えて、自嘲してふいにした。アホみたいだ。これでも、お姉さん面して深く関わってきたつもりだった。それが、非凡と凡人の壁にガラガラと音を立てて崩壊していく。
「あ〜あ……」
 息を吐く。無性に泣けてきた。身体が弱ると心まで弱ってしまう。考えたってどうにもならないことであるし、そもそもただの風邪と診断されただけなのに、いつまでも仄暗い考えを巡らすなんて馬鹿の極みだ。
 泣きながら笑って、ころりと頬に雫がつたう。涙は、乾ききった肌にぴりりと痛んだ。きっと酷い顔をしているのだと思って瞼を閉じる。

「酷い顔ですね」
 ふっ、と見上げた双眸の先に呆れたような顔があった。白い肌に、赤と青の瞳。さらり、と良夜の如き紺碧色の髪が揺れる。
「……骸くん?」
「ええ、骸です。どうも、御元気でしたか?」
 冗談みたくわざとらしく笑った後、形の良い顎に手を添え来客は溜息を零した。
「近くまで来たので寄ってみました。……鍵、開いてましたよ。寝込んでいるにしたってそこまで無防備とは」
「あ、私、お茶を……」
「病人に構われるほど堕落していません。それに、お茶なら勝手に頂きました」
「……あ、そう」
 起き上がりかけた上半身を、再びベッドに沈ませた。ぬるい体温に顔を顰め、それからこんこん、と咳が出た。喉に転がった砂に煩い目尻からまた雫が零れ、妙な声が出た。今声を出したら確実に皺くちゃのおばあさんのようになっているのは間違いなく、眉根を寄せて口を噤んだ。
 骸はじっとこちらを見つめている。長い睫毛をぼうっと見返していた。と、ふいに指先が頬を掠めた。くすぐったさに僅かに身じろぎしてしまうと、幼子でも見ているかのようにふと骸の目元が緩んだ。
「ずっと、泣いていたんですか?」
 雫を攫った骸の指先は薄い唇に触れ、赤い舌がじわりとなぞる。柳眉を潜め、塩辛い、とぼやいた。
「身体が弱ったくらいで泣くなんて、この先辛いでしょう」
「……そうかもね」
「このくらいのことでなぜ泣くのか、僕には理解出来ません」
「そうだねぇ。泣くようなことじゃないってわかってるのに」
 こんなことで死にはしないのに、と呟きを殺し何度目かわからない溜息を零した。
「……そういえば、女性というのは泣いてから感情を後付けするイキモノだと聞いたことがありますね」
「そうなのかな」
「さぁ? 生憎経験がないので。……僕が男だってこと、ご存じないんですか?」
 低く喉の奥で笑う声と共に、冷たい掌が今度は額に触れ、髪を撫でた。うっとりと瞼を閉じて深く息を吐く。燃えるような熱は、気づけば静かに溶けて消えていってしまいそうだ。
 瞼を開ける。見上げると、揺れる炎に似た瞳があたたかく細められていた。心が凪いでいく様を穏やかに募らせる。
「……骸くんも泣くのかな。不思議な子だよね。ひょっとすると恭弥さんより大人びていて、少なくとも私より大人だ」
「僕は年下ですよ」
「それはそうだけど、疑わしい。子どもっぽくない」
「……。辛いオヤツだと泣きます」
 冗談だか本気なんだかわからない台詞に、自然と唇が緩むのを抑えきれず布団を被った。追いかけるように、笑わないで下さいと真面目に言葉が降ってくるものだからついに耐えきれずふきだし、どうしようもなく笑みが溢れてしょうがなかった。
「ああ、だめだ、今日は涙腺がおかしい」
「まだ笑いますか、あなたは」
「ごめん、でも、だって」
「……まぁいいでしょう。一応病人なんですから、咎めるのはこのくらいにしておいてあげますから、さっさと寝なさい」
 はぁい、と間のびた幼い返事をすると、ぽんぽんと頭を叩くように撫でて骸が笑う。
 ああ私は、この生が幸せだ。つい先ほどまであれほど死が怖いと胸が締め付けられていたというのに、単純なこと極まりない。
 欠伸をした。いつの間にか心地よくなった体温が睡魔を誘い、窓の外を吹きすさぶ風は子守唄を歌う。もう一度小さく欠伸をして、そっと瞼を下ろし見る夢は薄い光に包まれているのだろう。囁く声色は霧となって鼓膜に溶ける。
「……おやすみなさい。いい夢を」


「……」
 その日、雲雀恭弥だけが最後まで不機嫌なままだった。馴染みの女が寝込んでいるのが気に入らない。様子を見に来て一番に目にしたのが、己しか使っていないはずのマグカップというのも気にいらない。明らかに誰か使った痕跡のままシンクにおいてあるなど、穢されたような気がして腹が立って仕方が無かった。
「起きてよ、ねぇ。叩き起こすよ」
 呟いた言葉に女は何も言わず、すやすやと安らかな寝息を立てていた。頬はまだ熱っぽい。問い詰めたいことは山ほどあるが、本当に叩き起こして体調が悪化したら面倒だと理由づけて、殺した気持ちをそのままにどっかとベッドの脇に座りこんだ。
 女の寝顔を眺める。反応はない。睨みつけても口元に幸せな笑みさえ浮かべていて、余計に腹が立った。行き場の無い衝動を布団に押し付けると、埋めた鼻先に女の匂いが香る。上目で見たすぐ先に、緊張感の無い横顔。
 への字にして吐いた言葉も、唇も、未だ行き場は無い。


(110901)

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