少年は進化する

 踊るように風を切り裂き、鱗の煌めきを陽に晒す。物騒なものを小さな両手に握りしめ、ドウと音を立てて倒れ伏した少年を見下ろす、ランドセルを背負ったままの主の姿。それを目に捉えた瞬間、体の力が抜けていくような錯覚を覚えた。護身程度なら彼の人の身分を考えればむしろ推奨すべきだなと無理やり納得させていたけれど、頭のどこかではこんな光景を目にする日が来るのだと予想はしていた。とはいえ、流れる血と呻く声、冷めた目の主を現実に目の当たりにすると少なからずショックはあるもので。
 指先から滑り落ちた鞄が地に触れる音を耳にしたのか、主がふいにこちらを向いた。今まさに一人の少年を打ちのめし、凶器を握り締めたままだというのに涼しい顔をして。
「ん、なんだ。おおきいいきものも帰って来たのかい」
 なんともない風な口調に溜息が零れる。主は血痕の付着したトンファーを軽く振って状態を黙視し、踵を返してランドセルを縁側にどさり。その隣にひょいと腰かけ、手入れをしはじめた。問題の少年は石畳の上に未だ伏したまま。はっとして、制服が汚れるのも構わず駆け寄った。
「ちょっと、ねぇ大丈夫? 意識はある?」
「ぅ……」
「あああんまり動かないで! ええと……ええと」
 頭を動かしていいのか、うつぶせにするのか、止血はどこが正しいのかと情報が交差し埒があかない。いっそ救急車を呼ぶべきかいや主の判断を仰いだほうがいいのかとすがるように顔をあげれば、いつも通りのしかめ面をした主が口を開く。
「救急車なら呼んであるよ」
「えっ!?」
「ソレが余計なことをしたから、呼んだ。そのあとすぐに殴った」
「殴っ……いや余計なことって……」
 少年、草壁哲矢という名の男児は、雲雀の家に仕える家族がいるらしく時折目にしていた。体格がよく、落ち着いた顔立ちと態度も相まって貫禄のある子だなぁと思っていただけに、こうして華奢な(見た目は)主に打ちのめされている姿を見るといやに哀しい。
 哀しさを覚えるのはそれだけが理由ではない。この男児は度々主の世話を焼こうと、いや主の前に立つ不動な盾であろうという高い意識を持って幼いながらに雲雀の家に仕えていたのだ。金銭と保身目当てのどこぞの人間とは違い、責任や使命感で動いていた男児がこのようなことになっているのは酷く痛ましい。主のわがままに振り回されても文句ひとつ言わないなんてすごいなぁなどと、仲間意識を抱いているだけに輪をかけて胸が痛んだ。
「オレは……だいじょうぶ、です」
「あっ」
「ワオ」
 両手に力を込め、ゆっくりと起き上がる男児の姿に驚きと感嘆の声が零れた。面白そうに唇の端を持ち上げる主の悪い顔ったらない。
「起きあがれないと思ってたのに、意外だな」
「……このぐらいは、耐えなければ、恭さんをおまもりすることは、できません」
「バカはキライだって、伝わらなかったのかな」
 もう笑っていない。冷たさしかない非情な色をした双眸が、じっと満身創痍の男児を睨みつけている。大方、草壁少年が主をまもらねばと体を張ったことをいらぬ世話だと拳で一掃したのだろう。容赦なく叩きのめした草壁少年がこうして立ちあがったことに少なからず感嘆しているようだが、草壁少年がひくか主が折れぬ限りは今度こそとどめの一発が来る。
 どこか儚げな容姿はそのままに、日に日に逞しく育ち牙を奮う主に意見するのは骨が折れる。もう長い付き合いになるけれど、相変わらずの様子に、ああまたか、と、呆れる半面はらはらと肝を冷やす。年長者として何か言おうと口を開き、閉じ、開き、言葉を選びながらもせめて体を割り込ませようと足をずり動かした刹那。
「無知ないきものが生きのこるには、かしこくなるか死ぬしかない。そうだろう?」
 ボーイソプラノ。あどけなさの残る顔で恐ろしいことをのたまう主。縁側から降りて威風堂々と立ち上がり、軽いメンテナンスを終えた凶器を再び構えている。たいてい、ここまでされると主の意にそぐわない行動をした子どもらは怯え惑い許しを請う。後日親が烈火のごとく怒りくるって乗り込まず、場合によっては頭を下げに来るのだから雲雀の家の影響力が知れる。
 いやしかしここで傷を負った男児を見捨てては事あるごとに後悔の念に襲われることは必至で、いつか喰らったよりも手痛くボディーブローを喰らうことも覚悟して今度こそしっかりと足を踏み出した。ふらつく草壁少年を支えてやれば、錆びた臭いが鼻腔を掠め眉根が寄る。赤筋が幾線も走る頬は土にも汚れ、しかし驚いたように見開かれた目の色はくすまない。最近の小学生、いやあの人の周りだからこうなのかと呆然とする。ごまかすために一度大きく溜息を零して、ぎゅっと目を閉じた。そうして再び開き、傷の具合に目を凝らす。
「無理しないで、哲矢くん。痛いでしょ?」
「え、あ、いえ、本当にこのくらいは」
「……ちょっと、おおきいいきものは口出ししないでくれる」
「座って休もうよ。もうすぐ救急車来るからね」
「……」
「じゃあこっちに……、って痛!」
「なまいき」
 ガツンと火花を散らした脳天に手をそえて振り向くと、今まさに振り下ろしたであろう右手のトンファーを胸元にまで抱え、もう一方は風を切らせて旋回し威嚇する主の姿。怯み、ぎゅっと力を込めた腕の中には肩を支える草壁少年がいて、いくらなんでも私が見捨てるわけにはいくまいと小さな勇気を奮い立たせた。嗜めようと唇を動かせば、声になる前に草壁少年が身を乗り出し。
「……先ほどの一発、ききました。耐えなければおまもりすることができない、それは今でも思っています」
「ふぅん、まだかみころされたいんだ」
「いいえ。オレがまちがっていたこともよく理解しました」
「……へぇ」
「恭さんは生き物としての性能がちがう。まもられるのではなくまもる側の人間で、まもるものは途方もなく、もっと大きくて……。オレはそれを、出来る限りおてつだいしたいんです。一生ついていきます恭さん!」
「え……いや、本気なの!?」
「もちろんです」
 殴りとばされて感銘を受けるなんて、一体どこの世界だと呆気にとられたうちに、今度こそするりと腕をすり抜けてその足で立つ。主は不機嫌そうな顔を少しだけ引っ込めて、見定めるようにじろりと草壁少年を眺め、一言。
「……すこしは骨があるようだけど、使えない部下はかみころす」
「はい!!」
「えええ……」
 まもらねば、と思う存在は砂のようにするすると掌をすり抜けて途方もない塊になってしまう。小生意気そう、でまだ済んだ主の不敵な笑みは危うい色をチラつかせ、凄艶なものと化すのだろう。ごっこ遊びはいつから遊びじゃなくなるのか、既に遊びではないのかと、あの夏に踏み入れた世界に何かしらの念を抱いても既に引き下がれず。


(110314)

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