おまえの嗚咽がみれたなら

(まだやってたのか、この番組)
 保育園幼稚園に通っていた時分、夢中になってテレビにかじりついた子ども向け番組から、やわらかく簡略的な絵の雰囲気にそぐわない野太い男の声が聞こえる。コーナーのひとつとして設けられたそれは『がっこうのかいだん』というヤツで、子ども向けのホラー番組といって差し支えない。昔はこれにトラウマを覚えるほどの恐怖感を抱いていたのかと思うと情けないような微笑ましいような微妙な気持ちになるが、少なくとも今この番組を、食い入るように見つめている童子の姿から浮かぶのは前者だ。言葉は無く、ただ黙々と、時間が経つにつれ前のめりになってゆく様からは普段の傍若無人さなど欠片も感じられない。普段からこの主が、これぐらいしおらしければどれほど楽だっただろう。いや、手が掛からないというならはじめから私にお鉢が回ることなどなかったか。
 もしもの話など考えていたってしかたがないなぁと我に返ったあたりで、ちょうどコーナーも終わったらしくとぼけた顔したキャラクターが飛んだり跳ねたりしていた。座り込んだまま主が何もアクションを起こさないものだから、同じくぼうっと飛んだり跳ねたりを眺めながら時間を潰す。
「……ねえ、おおきいいきもの」
「うん?」
 何か用があるのだろうと首を傾げてみても、ふるふると首を振って素知らぬ顔をする主の様子を、ややあってからちらりと横目で見る。何やらおとなしく、神妙だ。
(ははぁ、これはもしや怖がっているとか?)
 へーぇふーぅんそーなんだぁー。と本当は心の中でにやにやと笑みを浮かべてしまいたいが仮面で隠し、私もまた知らんぷり。こちらを気にするようではあっても隠したがるのは、こういう場合であれば単純に愛くるしい。時間外労働にはなるけれど、いじらしく服の裾をちょんとひき添い寝をしてとせがむのなら、可愛い可愛い主様の頼みを聞くのだってやぶさかでない。
 一体いつねだってくるのかと、いっそ心を弾ませて待った就寝時刻。さあそろそろ私は帰りますよ、とお布団をかぶせて告げたその瞬間、考え通りにちょんと裾を掴んでむくりと上体を起こした主の様子に、噴き出してしまうのをなんとか堪えるのはたいそう苦労した。いやいやまったく可愛いことで。なんでしょう? と澄まして尋ねたその問いに、ねむたそうに欠伸を零す主。いやこの時点で、おや? なんだかおかしいかもしれない。と考えを掠めはしたものの。
「なにかきたときこまるから、おおきいいきものはあっちね」
「えっ?」
「あっち。ふすまのむこうで、ばんをしてて」
「ばっ、番?」
 そうだよ、とこしこし目を擦る主に、口の端が引きつるのを確かに感じた。番って、番? 見張りとかそういう? ここで?
「それじゃあおやすみ。ぼくがおきたときいなかったら、かみころすからね」
「ええっ? いやいやいや……ちょっと恭弥さん!」
「うるさいな。ざんぎょーてあてならだしてあげるから、しっかりはたらけ」
 残業手当の言葉にくっと言葉を飲み込んだ私は、別に、そんな、煩悩に溢れているわけではない、と信じたい。ただ酸いも甘いも知らないからそれを知るためにはお金が必要で……いや別に言いわけなんてこの布団被った耳には届かないけど! 別にいいけど!

 何かに呼ばれた気がして、ゆっくりと瞼を開けた。鈍く痛む首はひたすらに重く、慣らすように揉んでやるといくらか楽になった気がした。耳鳴りのように聞こえるは蚯蚓か。庭に面した板敷の廊下(あるいは縁側というのか)から眺める庭園は冴えたようにどこか青く、漂う蚊取り線香の煙とまとわりつくような湿気さえ除けば、夏ということを忘れてしまいそうだ。
 一体、今は何時だろう。よくよく耳を澄ませば遠くのほうであれこれと生活音のようなものが聞こえるし、日を跨いではいないのだろうか。童子の就寝時間はとかく早いもので、主に至っては少なくとも九時には夢の中だ。番らしく少しは様子を見てやろうかとそっと尻を浮かすと、ちょうど、ガララと木戸を押しあけて眠たげなまなこで顔をのぞかせた主を見つけた。あくびもせずに私を見止め、徐々に笑みを深いものしていく。そうして、はじめて金平糖を口に含んだみたく楽しげな声をだした。
「おおきいいきものはバカだね」
「馬鹿?」
「ほんとうにオバケがくるとおもったの? あんなのつくりばなしだよ」
「えええええ……」
 そんな展開ってアリですかと眉間に皺を寄せると、主はムカ・・・いえ、意地悪く続けた。
「ぼくはまだねる。それで、おおきいいきものはどうするの? まだオバケがこわいの」
「いや、まだっていうか」
「おおきいいきものはおおきいくせに、よわむしだな」
「……いやいやいや」
 明らかに違う解釈をしているであろうに、どこからどう突っ込んでムカ・・・胸やけに似たものを吐き出せばいいのやらと考えあぐねていると、ふいと主は手を伸ばし、指先を掴んだ。
「オバケがこわいのなら、ぼくのよこでねたら」
「横? 横って」
「もちろんタタミのうえだよ」
「ですよねー」
 主の布団は子ども用のそれにしては大きく、女一人に子ども一人であれば並んで横になることは出来る。とはいえこの あ る じ さ ま が じょ ちゅ う 風情と布団を同じくするなど無い。まず無い。私はここらでふるふると首を振った。
「……いや、布団で寝たいんで私……恭弥さんが大丈夫なら、今からでも家に帰りますよ」
「ダメだよ。こんなじかんにふじょしがであるくなんて、ゴンゴドーダンだよ」
「ふじょ、いやでもそう遠くないですし」
「それに、おおきいいきもののいえにはオバケがでるよ。ちいさいから」
「は?」
「オバケがでるよ、あんなちいさいいえじゃ」
「いや出ません。帰る、帰ります」
「オバケがでるっていってるでしょ!」
「ええ〜……」
「わかった?」
「……いや、でもさっき恭弥さん言ったでしょ。あんなのはつくりばなしだって」
「いってない」
「言いました」
「じょちゅーがむぼうびなぼくをおいてあんみんするなんて、ゆるされるとおもってるの?」
「えええ……」
 わけのわからない理論を相手にするのはほとほと疲れ果てる。いい加減眠たくなってきたのは事実だし、こんなことで残業手当が出ないのも、最悪雲雀の家に目の敵にされてしまっては目も当てられない。溜息を零すと、指を掴んだままの主がぎゅうぎゅうとそれをひき、むすっとしつつ急かし始める。……はいはいはいはい。
「ぼくはねるから、おおきいいきものはよこでねながら、ちゃんとばんをしてるんだよ。いいね」
「……わかった、わかりましたよ。番をさせていただきます」
「ん。きみはそうやって、ぼくのいうことをすなおにきいてればいいの」
 まったくなんて主だ。強いんだか弱いんだかよくわからない腕の力に流されるまま、のてのてと寝室に入って小さく欠伸を零した。どれほど焦れようとも従おうとも、この睡魔には勝てない。夢の世界に逃げてしまうことは、小さな悪魔の抵抗となるのか否か。願わくば前者であればいいとぼやきつつ、瞼を下ろした。


(110301)

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