110505 パーティー会場にて

 黄金を孕んで揺れる液体は、気泡をそのままにとかしこんだ冷たいガラスのようだった。りんごのテイストだとか蜜のようなニュアンスだとか、いくら言葉を飾り立てても酒は酒でしかなく、苦く、呑みにくい飲み物でしかない。こんなものより、自動販売機で売っている120円のジュースのほうがよっぽど美味しいのに思いながら眺めるのは、姦しい絵画。光の陰影に立体的に咲き誇る名花も上品なドレスを纏う異国の女性たちも、華やかなパーティーに実によく似合うが額縁を隔てた世界でしかない。芸術を理解できない頭では、家に帰ってさっさと漫画でも読みふけりたいところだと溜息のひとつもつきたくなる。
「ドンの主催するパーティーとなると、やはり規模が違うわね」
「住む世界は同じでも、格が違うもの」
 赤ワインを片手に、同色のルージュを唇にのせた女性たちが談笑している。
「それでも、肝心の主役が、ね」
「開いたのは内外への体裁のためでしょう? ドンの顔を立てるためにも、顔出しくらいすればいいのに」
 女性たちは、きらめく髪をなびかせて目の前を通り過ぎる。香水の入り混じった独特の残り香にくらりと頭が揺れて、やりすごすようにぎゅっと目を閉じた。
「壁に耳あり障子に目あり。彼女たちの国には、こういう諺が伝わっていないようだね」
 ひとりごとのように呟かれた低い男の声に、右手を見る。強烈な光の届く中央部から逸れた壁際、出入り口に近い、四つ角の隅のほうに居座っている招待客が自分以外にもいることに、そこではじめて気がついた。黒スーツにサングラス。目の色を窺い知ることは出来ないものの、髪や肌の色、なにより言葉から日本人であることは察しがついた。
 男はグラスさえ手に持たず、腕を組んで会場をただ眺めている。
「……何か飲み物を?」
「いらない」
 初対面相手に吐く台詞ではないな、と少々面食らいつつ、そうですか、と適当に相槌を打ち誤魔化すようにグラスを傾けた。
「……壁に耳あり障子に目ありって、あなたも日本人なんですね」
「珍しくもないだろう。僕らの世界で名をはせている日本人の数は、一人二人じゃ済まされない」
「ええ。……今回のパーティーも、主役は日本の方のようですし」
「ようですし、ね」
 反芻し、男はうつむく。ややあって、再び顔をあげた。
「自分のために開かれたパーティーだというのに、顔すら見せないなんて随分とふざけてるって、君も思うだろう。どんな組織であれ、上の顔を立てずにおけばメリットにならない。そんな状況が許されるのなら、ボスがよほどのマヌケってことだ」
 先に自分が言った言葉をうそぶくように言葉を重ねる様子に、習い性になった曖昧な笑みを浮かべた。
「まあボスがどうであれ、芯がよほど強くなければこんな真似は出来ないでしょうね。イエスマンばかりのワンマン企業が長続きするとは思えません」
「ワオ。マフィアが言う台詞には思えないな」
「ボンゴレには門外顧問がいるでしょう。それに、雲の守護者は独自の財団を組織していますし」
 日本人気質とでもいうのだろうか。曖昧に言葉を濁してどちらも批判せず、差し障りなく話してしまうのは。この男に関して言えば、姿かたちだけで言動は一風変わっているようだけど、と悠然とたたずむ姿を横目にふと思う。
「君はどこにいってもうまく生きていけそうだね。小動物らしい身の丈にあった生き方だ」
 小動物って柄でもないですよ、とつっこもうとしたがやめた。
「それにしても、随分と退屈そうだけどよく来たね。急な代理かい?」
「体裁だけのパートナーは挨拶回りに夢中。プレゼントにと用意したとっておきのワインは後日送るという話ですし、私は数合わせでおとなしくしてればそれでいいって。……こういう場は苦手なので、さっさとお暇したいのが本音です」
「それには同意するよ」
 言って、聞いて、少しだけ笑ってしまった。人目を気にしておとなしい発言を繰り返していたというのに、異国の地の見知らぬ日本人に気を許している自分がいる。男は最初から最後まで、声のボリュームを最大限にあげながら喋ったって涼しい顔をしていそうだという印象には、危機感どころか同族に対する敬意に似たものを抱いてしまうほどだ。
「さて。じゃ、さっさと済ませてしまおうかな」
 男は壁際から体を起こすと、サングラスを胸ポケットに差しこんだ。切れ長の涼しげな目元でこちらを流し見る顔には覚えがある。見間違うはずもない。今日の誕生パーティーの主役だからと、今朝方渡された資料に載っていたボンゴレの雲の守護者。
「そうだ、上司に伝えておいて。僕は日本酒しか飲まないし、贈り物は姦しい人間に持ってこさせるな、って」
 返事も待たず、颯爽とパーティー会場の中央部に向かう足取りに淀みは無い。彼が歩き、その姿を見止めるたび、お喋りに夢中だった人々は息をのみ波がひくように静まり返ってゆく。
 ──お誕生日、おめでとうございます。
 聞こえるはずもない声にならないメッセージに顔だけで振り返った彼は、意地悪く笑った。


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