めぐりめぐる

 三軒隣に住む男が死んだ。
 入院先の病院でストレッチャーから約七十センチ下の床に転落し、頭を強く打った。これは医療施設側の過失だとし、近く、遺族は病院側と話し合いをするという。十九歳だった。

 日曜日の夕方、回覧板と共にまわってきた訃報は祖父の機嫌を悪くさせた。鯵の塩焼きも金平牛蒡も好物なのに箸をとめ、食事終わりにちょうど飲み切るはずだったお茶をごくごくと喉に流し、ガンッとしたたかに湯のみの底をテーブルに打ちつけたのだ。振動でびりびりと味噌汁が蠢いて、ああこれはひょっとするとじいちゃんの骨までびりびりしたんじゃないか、とか、もう歳なんだからすぐ骨折しかねないのに、とか、すると明日は我が身だな、などということを一瞬で考えながら、けれど訃報だけを耳にしたという風に痛ましい顔をして口に運び損ねた油揚げをそっと器に戻すと、オイッ、がふってきた。
「聞いたかナマエ」
「聞きました」
「また葬式か。参列するだけでもタダじゃねぇのに、アイツの葬式で。よりによってこんな時に」
「お店はどうするの?」
「閉めるわけにはいかない。頼めるか」
「頼めます」

 祖父が葬儀に出掛ける間、学生服のミョウジ屋の店番は私が勤めることになった。四代続くミョウジ屋は、明治の頃の織物問屋から三度名を変え今に至り、並盛町では老舗の洋服店として商店街にほど近い通りに店を構えている。
 向かいの家のユウくんも仲丁のミホコ叔母もネパールへ移住したミセス・ミゾグチも件の三軒隣に住む男も、皆がうちの洋服店で制服を仕立て学校へ通い、学業に励み部活動に打ちこみ恋に惑いと十人十色の青春時代を過ごしたという。
 天気の良い日は、椅子を引っ張り出した祖母が看板娘を務めていた。通学中の子ども達をやさしく見守り通勤中の大人からは和やかに見守られ、昔世話になったという近所の人や商店街の奥さんたちと井戸端会議。時に余所の家の子が祖母を訪ね、並盛に伝わる昔話や生活の知恵をせがみ、平和な並盛町のワンシーンを演出していたのだった。
 孫娘である私もその輪の中で、物心ついた時から随分可愛がられていた。惣菜屋の奥さんから甘く煮付けた豆を貰ったり、ナミモリマートのお父さんからアイスをもらったり、ドラッグストアのお姉さんに賞味期限の近い菓子をわけてもらったりエトセトラエトセトラ。

 いつでも笑みを絶やさない祖母は皆から愛され、皆がそうであるように、私も祖母のことが大好きだった。
 少し気難しいところのある祖父と違って、私が障子を破っても、あらあらナマエちゃんはげんきいっぱいねぇ。とやわらかなトーンで許してくれたし、おやつに甘い大学芋をたくさんこしらえてくれた。
 両親が飲酒運転の車に突っ込まれてからこっち、隣町から引っ越して並盛町に身を寄せたが、生意気盛りの見知らぬ小学生の輪に晒されても、校内ではいじめひとつ起きずすくすくと小学生・中学生時代を送ることが出来たのは祖母の庇護下にあったからだ。
 通学途中に建つ我がミョウジ屋はいつ誰がはじめたことかは知らないが「麦茶ババア」の家として小学生らに認知され、夏の暑い盛りの日は汗をかきかき「麦茶下さい」と上がり込む同級生がいたものだった。その「麦茶ババア」の孫娘が私であるということが知れるようになると、上がり込んだ同級生とそのままゲームに興じたりプールに出掛けたりと忙しく、今思い返してもあの頃はシルクの糸のように、一日一日がキラキラと輝いていた。

 ところが経営には濁りが見えた。
 ここ並盛町も日本全国を襲う少子高齢化の波には抗えず、実のところミョウジ屋は数年前から閑古鳥がギャアギャア鳴き喚いている。即ち明日のご飯が危ない。
 頼みの綱である祖母は昨年鬼籍に入り、あれほど賑やかだった店先はあっという間に世間から置いてけぼりにされ、がらんどうになってしまった。商店街にほど近いとはいえ、もともと一本奥にある道なのだ。向かいの惣菜屋だって祖母が亡くなる少し前に店を畳んでしまったし、苦し紛れに裾直しの看板を掲げてみたところで売上ゼロの日も珍しくなかった。孫のソックスを買いにと杖をつきつき来店していたお得意様もばったばったとお亡くなりになる昨今、ミョウジ屋の首の皮はガーゼ生地のようにぼろぼろに引き千切れそうであることは、祖父に聞くまでもなかった。
「バイトしようかな」
 と祖父に持ちかけてみたこともある。
 中学生までは祖父と祖母に恩義を抱く一方で無邪気に遊び呆けても進学の心配をしなくてもよかったが、祖母が亡くなり義務教育課程も終了した今、いつまでも骨と皮だけの祖父の脛をかじっているわけにはいかない。将来に確固たる夢目標があるわけではなかったが、お金はあるにこしたことがない。ファッション誌だってメイクだって気になるお年頃だものねー。
 なんておこがましい考えは見せまいと腹に仕舞ってタウンワークを手に取ったが、祖父の反応たるやゴンゴドウダンッと言わんばかりのもので、とてもじゃないが「アットホームな職場ですっ」との煽り文句と共に、ヴィジュアル系バンドで寡黙なギタリストを副業していそうな銀髪少年が、アットホームさゼロの面持でレジ打ちをしているコンビニ求人を見せることは出来なかった。
「子供が金の心配なんてするもんじゃない」
 なんにせよ、私が子供でいる限り祖父はそう言って話は終わりとばかりに新聞紙を広げる。そうは言っても心の底から安心して引き下がれないのは、
「うちには神様がいる」
 という独り言にもならない発語が殊更に不安を煽るからであった。

 翌日の月曜日、家事都合によりという理由で高校に休みの電話をいれ、喪服姿の祖父を見送った後ミシンの前で肘をついていた。
 ミシンの脇に設置された二十六インチの液晶テレビは、昼間でも薄暗くからからに乾いた店内の中で唯一デラックスなハイテク家電として祖父のお気に入りだが、ばっきゃろーどこにそんな金があったっていうんだいエエ? 焼け焦げた臭いを発するドライヤーをなんとかしてくれってんだ。アイロンだってあれば随分朝が楽なのによォー。
 とそんな不満は無心でミシンを踏みこむことによって解消するに限る。ガタタタタタタタタンッと小気味よい音を鳴らすミシンの調子は良好。お直し屋の看板を掲げる以前から裾直しのサービス用としてある足踏みミシンは、時たま異音を鳴らす日もあるがまだまだ現役。踏み込んだ時の微妙な音の差で、ネジが緩んでいるかいないかを判断出来る程度には手慣れている。

 まだ祖母が生きていた頃、手とり足とり指を縫ったりと一通りの使い方は教授された。いつかきっと役に立つわよ、と。
 私が座るすぐ傍でやさしい眼差しを向ける祖母を思うと、かなしみが胸に押し寄せてくる。
 そのかなしみは不安、というか心細さ、というか、いつかくるはずのいつかを祖母も母も見ることができないことへのかなしみで、もしかするとミョウジ屋を継ぐことを期待してのいつかだったのかもしれないだとか、それとも嫁入り前のたしなみとしてのことを言っていたのかもしれないだとかの苦しみ。それから、祖母が纏いながら焼かれていった、燻った白檀のような香りのかなしみだ。
 祖父は気難しい故にか口に出してこそ言わないけれど、今でも祖母を愛しているし、祖母を──アイツを恨んでいる。恨んでいた、恨んでいる。墓石に供えた花が枯れるのを見たことがないいし、毎朝仏壇に手をあわせる時だって永いこと目を瞑っている。そのまま死んでしまうんじゃないかというくらいに永いこと。
 祖父までいなくなってしまったら私はどうなるのだろう。家事全般の心得はあるものの、このご時世女子高生が一人で生きていくには容易ではない。葬式をあげる時の手順も遺品の片付けも、諸々の名義変更だとかもわからない。夜だってきっと怖くて、ヌラヌラとした柱時計が刻む音にも怯えてしまう。
 しかし今不安がっても仕方がないので、テレビから流れてくる料理レシピを右から左に流しながらハギレとハギレを無造作に繋ぎ合せていく。
「鶏肉二百五十グラム溶き卵ひとつ長ネギ四分の一油揚げ二枚みりん小さじ一杯醤油小さじ四分の一片栗粉小さじ二杯」
 油揚げを衣として使って挽肉を詰めるパトゥーンだなーこれは。爪楊枝でとじるとおじいちゃんが誤飲する可能性がなきにしもあらずだからパスタだなー。パスタ切れてたなー。

 そうやってかなしみを追いやっていると、ゴズンッと苦しげな音が響いたかと思ったら、ぱっと顔をあげた先で店先の引き戸を押し込んでいる人がいたものだから驚愕した。
 もしかするとあれはオキャクサマというヤツ? マジでココに何の用があるワケ? 駄菓子屋でも文房具屋でもナイっちゅーに。というのも来店した暫定・お客様がおそらくは私より年下の、中学生っぽい男の子だったからだ。そして制服。よくある黒いパンツに白シャツで、察したのは三軒隣の男のことだった。
 葬式だか通夜だかがどの程度進んでいるのかは知らないが、死んだ男の連れの弟、だとか、舎弟、だとかいう立場で香典をあげにきたはいいもの何らかの事情があって入れず立ち往生。困り果てたところを目についた衣料品店に逃げ込んでみたとか。なーんて可能性を考え、
「いらっしゃいませ」
 を心持ちやわらか、身に沁みるようにそっと、口に出して様子を窺うと、バキバキに分厚いポリエステルツイルみたいな雰囲気で黙ってこちらを見つめ、眉根を寄せたまま仰った。
「誰?」
 どちらさまでしょうか。私はミョウジ屋の店主の孫娘ナマエと申します。あなたさまこそどちらさまでおいででしょうか。もしかするとどこかが不自由なお客様で親御さんとはぐれた、という可能性がまたひとつ浮上したため努めて冷静に、ミョウジ屋の看板娘だった祖母をトレースした頬笑みを浮かべて葬式に参列した店主の代理を務めています等々ということをお伝えすると、納得したように「ああ」と発語して男の子は引き戸を閉めた。また苦しい音がした。
「頼んだ品を取りに来たんだけど」
「御頼みになった品、ですか」
「聞いてないの」
「申し訳ございません。御名前とどのような御品かだけ頂戴しても宜しいでしょうか」
「雲雀恭弥。学ラン」
「かしこまりました。確認してまいりますので少々お待ち下さいませ」
 御客様であることはここでハッキリとして、お客さん、ではなく御客様が正しいのだということも理解した。口調の幼さは貫録に繋がり、言葉のひとつひとつは意味ありげに聞こえた。世の中の酸いも甘いも知ったような手練た目をしていて、年下とも思えない。ヒエラルキーの上層に属しているのだろうとお見受けしたが、だからこそどうしてこんな、いつまでも過去の夢に縋るような潰れかけの店にいらっしゃるのかと不思議でならなかった。
 ここは速やかに御注文の品をお持ちし都市伝説的ブラックカードをピッとやってスマートに会計を済ませ「ジャッ、またくるよ」と立ち去る背中が見えなくなるまで恭しく御辞儀して御見送りするのが代理人としての務めだ。
 ところが御注文の品がどれでどこにあるのかがわからない。
「どうしよう」
 祖父は携帯電話なんか持っていないし、正しくお通夜モード全開な三軒隣の家まで訪ねていって客注品の在り処を聞くということは不調法過ぎる。かといって上客っぽい御客様をこのまま放置というのは危篤患者から繋がるコードを無造作に引っこ抜くのと等しい行為だ。死んじゃう。
 店舗と居住地の狭間に隠れるようにしてうんうん唸っていると、
「ねえ」
 と痺れを切らしたらしい御客様に真後ろから呼びかけられて脚気の如く身体が跳ね上がった。
「ひょひょひょひょひょ。如何いたしましたか」
「頼んだ品これなんだけど、勝手に持ってっていいの」
「は、そちら。なんで? あれ?」
 御客様の手には雲雀様と記された客注表と共に、ビニール袋にくるまれた学ランと思しき商品が掲げられていた。なんで、とかどうして、とか何時の間に、という気持ちで呆気にとられて御客様を見上げると、御客様はよく言えば落ち着きを払った、悪く言えば無愛想な顔を少しニヒルに歪めた。
「この店のことは僕のほうがよく心得ているようだね。ジイさんに言っておいてよ、もう少し代わりをしっかりさせろ。あとは引き戸の詰まりが相変わらずだって」

 そんなことが昼間にあったと帰宅した祖父に話すと、祖父はシワシワの双眸をカッと見開いて仰天し、どうして呼びにこなかったのか、粗相したのか、言われたことは本当にそれだけかというようなことを酷くキツイ並盛弁で捲し立てた。その勢いたるやそのまま肝機能を故障させ最悪死──をも予感させる程で、私としてはそこまで失礼に振舞っていないし言わなかった祖父も悪いんだしと自分を弁護したかったが、雷が落ちたことへのショックと昼間巡らせたかなしみが土砂降りの雨となって降り注いだようで、しばらくの間返事ひとつまともに出来なかった。
 祖父は白髪をピリピリと逆立たせ肩をいからせていたが、するとふと力が抜けたように眼光から鋭い光を消し、疲れ果てたように瞑目した。そうしてじっと、祖母の仏壇に向き合う時のように永いこと黙りこくっていたが、ゆるゆると瞼を開け疲れたように水を、と呟いた。その言葉が合図となって私は私でようやく四肢に力が戻り、慌てて台所で水をくんでくると、祖父に湯のみを差し出した。祖父はゆっくりと一口、噛みしめるように水を嚥下する。胡桃釦のような喉仏がこくりと落ち着いて、ようやくいつもの少し気難しい、父の面影がある祖父の顔に戻った。
「あれがうちの神様だ」
「はあ?」
「毎月一着。最近じゃ週に一度のペースで制服を買い替えにくる。いや、制服だけじゃねぇ。腕章だってうちが請け負っているし、でかいもんだと校章も。初代のよしみで着物を注文してくださる時もあるし、えらい御得意様、神様だ」
 ついにボケたんじゃ、と危惧したがどうもそうではなさそうだった。
 雲雀恭弥様。雲雀様の御一族はミョウジ屋が産声をあげる遥か以前からずっとうんと長く日本書紀までというのは言い過ぎだが、とにかくここ並盛に根付く名家で、雲雀家の後継ぎであらせられる恭弥様は齢十五の中学生ながら次代の並盛町を率いる尊い御方。下々の者よりも少々派手な御遊びを御好みになり、これまでに両手両足じゃ足りぬ程御召し物を買い替えに足を御運びになっているという。制服、腕章、校章、果てはプライベートで着用する着物まで。祖父とは度々ツー・カーのやり取りで御品物を御求めになるのだとか。
「ちょっと待って、うちって潰れかけなんじゃないの」
「何を言ってる。母屋のバリアフリー化だって考えてるんだぞ」
 だったらドライヤーを買い替えてくれ。という台詞は引き出しの浅いところに仕舞って、
「神様」
「神様だ」
 と互いの意識を刷り合わせるよう呟きあった。そうすれば天啓がおりてきた清らかな乙女のような気持ちで膝をついて祖父の言うことが信じられるのではないかと思った。しかし、
「うっそだぁ」
 ないな。立派な地位におられる方、ということは言葉を交わして察したがジダイノナミモリチョウヲヒキイルトウトイオカタとか、いまいち、ピンとこない。というかそんな話を聞いてしまうとあの時感じた高貴なオーラは、予見しなかったお客様の登場にパニックに陥った私が見た幻だったのではないかとも思ってしまう。実はただの生意気なガキだったりなーんて町長の息子ってわけでもないみたいだし知らんがな。
 あれだけ目を燃やして激昂したにも関わらず、祖父は虫を噛んだような顔でいる私に対して怒りもせず諭すように、オレも昔は若かった、みたいな様子で頷いた。無理もなかろうと。
「明日は並盛中学校に行くといい」
 そこに行けばわかるからと。

 翌日、学校が終わると同時に並月堂で生クリームどら焼きを五つ買い、その足でてくてくと並盛中学校へ向かった。
 祖父の言いつけを守る必要は必ずしもなかったが、この機を逃すと当分の間、雲雀様の正体や祖父の健康状態への猜疑心、からの後に直面するであろう自分自身の身の置き方。それからドライヤーの買い替えについて頭を悩ませ続けなければならない。それは嫌だった。
 なんてことはちくりとも表に出さず、三年ぶりに並盛中学校の門をくぐる。
 緑たなびく並盛の 大なく小なく並がいい
 そんなで出だしからはじまる校歌の通り、並盛中学校はどこにでもある中学校だった。偏差値は全国平均をキープし、時たま野球部が県大会出場おめでとうの弾幕をはり、春先になると思いだしたように不審者について警告され、誰も居ないはずのトイレからの物音がする七不思議染みた噂がある。校則はほどほどに守り、進んでいると称される子は時に年上の恋人と校門でやり取りをしていた。
 私とて当時は物珍しく見ていたものだが、通りで見掛ければなんてことない並盛高校の制服もここで見掛ければ目で追ってしまうのだろう。まだ校内に残っていた生徒の視線は糸のように絡み合い、無遠慮に私を射抜いていった。オールド・ガールとしての高揚と部外者としての気おくれが綯い交ぜになり、変な顔をしてしまいそうになる。
 かつて我がもの顔で歩いた正門までの道のり、部活棟、色彩の匂い立つ花壇、イチョウの木の下。どこもかしこも三年という月日が経つとすっかり余所の家のようで、どこかで見たはずの調度ひとつひとつに在る味がくすぐったいとでもいうのかな。私のものを探したくて、事務室に寄るのは後にしてくるり足先を変え、皆で昼食をよく食べた校舎裏へ向かった。

 ところが向かった先には、ウジューヌ・ドラクロワ作の民衆を導く自由の女神、革命の切迫感や凄惨さを踏み越えながらも自由と博愛と平等を手にする女性と率いられた民衆の絵画のような、構図のような、死屍累々を踏みつける学ラン姿の男の子と彼の傍に控える大勢の──いや、数えたところで二人だけなんだけど、世紀末のジャブ程度は乗り越えられそうな男達がいた。ここは本当に並盛中学校なのだろうか。第一制服、ブレザーだったのに。
 不安だったのでここは見なかったことにしようとそっと踵を返そうとしたのだが、
「なんだ貴様は」
 と男の一人が声を荒げた。普通だったらただの女子高生が貴様呼ばわりされることはないため空耳ということでいいのだが、物騒な場面で物騒な男に面と向かって告げられているのだから空耳に出来ない。仕方がないのでこれこれこういうものでこういう用事で来ましたと身を明かそうとしたのだが、それよりも先に、咆哮した男がくぐもった呻きをあげ泡をふいて倒れた。なんでそうなったのかまったくわからなかった。
 しばらくの間瞬きをすることも忘れ硬直していると、
「報告は済んだなら、いつまでも群れてないでさっさと持ち場に戻れよ」
 と、ぼっこぼこになった男達を踏みつけていた男の子が強い調子で言いつけた。その台詞を聞くや否や、ガンをとばした後は顔を真っ青にするだけだった男は倒れた男を引っ張り上げ、脱兎のごとく校舎裏から去っていった。なんということだろうか。後に残ったのは私と屍と恐ろしげな男の子が一人。身構えていたが、男の子は男達が去って行った方角を忌々しそうに見つめ、しばらくの間こちらを振り向きもしなかった。
 ラッキー。それならさっさとこの場を立ち去ってしまえばいいのだがそう出来なかったのは、男の子の横顔が並盛町にいるにしちゃちょっとおかしいんじゃないかと思うくらいに美しかったからだ。少年らしい黒髪から覗く切れ長の目に、少し赤みのさした鼻、滑らかな顎の曲線。化粧を施した女形の役者を彷彿するようで、血の臭いのする凄惨な場にこういう人がいると、不思議なくらいに目を引き付け虜にするものだった。まあ、場所を変えたらそうでもなかったという可能性はさておき。

 ここにきてようやく私は学ランの男の子が昨日の雲雀様だと気がついた。同時に祖父の言葉の意味を僅かに察し、雲雀様も私が私だと気付いたように、歳相当の幼さをもってきょとんと首を傾げなさった。
「何か用?」
「昨日は大変な失礼を致しましたので、お詫びの品をと思いまして」
 祓い給へ清め給へ。と祝詞を唱える巫女のように厳かな気持ちで並月堂の袋を差し出せば「苦しゅうない面をあげい」と仰ってくれるのではないかと思ったのだが、
「御丁寧にどうも」
 と雲雀様は存外普通の挨拶を返して品物を御受取りになった。そしてふと視線を空にあげ思い出したように「ああ」と頷き、ひょいっと軽やかに屍の上から地面に降り立った。ヒキガエルが潰れたような音がして顔を顰めた。
「差し出がましいようですが、大丈夫なのですか?」
「大丈夫なのかって、これ? 救急車は呼ぶから大丈夫」
「警察は」
「なんで?」
「なんで?」
「それより、頼もうと思ってたものがあるんだった。注文票をそのまま渡したいんだけど、構わない?」
「承ります」
「そう。じゃーついてきてよ」
 先ほどまで、我が学び舎は僅か三年の間に随分な終末を迎えてしまったものだと嘆いたものだが、改めて校内を歩いてみるとなんてことはない、少し余所の家のような、けれど立派に普通に中学校をしている並盛中学校に変わりなかった。それじゃああの光景はやはり夢だったのかしら? と瞼を擦るが目の前には学ランを風に靡かせ歩く雲雀様がいるし、雲雀様が歩く道には平服する世紀末風学ラン姿の男達と慄く生徒がいるものだからこれは現実。どこからかサイレンが近づいてくるのも現実。ドライヤーのことなんていいからって、来なければよかったかなー。
 そんな考えが徐々に人の気がなくなってきた廊下に差し掛かって、遮光カーテンの分厚さをもって胸を覆い始める。火の気もないのに辺りは薄赤く、廊下のところどころは墨を落としたように暗い。一体どこへ連れられてしまうのだろうといよいよ帰りたい気持ちでそわそわしてくると、雲雀様はひとつの部屋の前で足を止めノックもせずに中に入って行った。応接室だった。なんで応接室なんかに? 応接室といえば来客用の部屋で校長先生があれこれ対応する場所だし、入室するにしたって恭しくノックして、掃除で数回入ったことがある程度のものだろう。一生徒と小娘一人、まさかこんなところで話をするとは思えないしただ単に所用があったのかと入室を控えていると、不遜に消えていった雲雀様の声が中から聞こえてきた。
「入って」
 入るのか。私は慌てて扉に駆けよって、
「失礼します」
 と少々声をひそめて続いた。ひょっとすると雲雀様の他に校長先生だか教頭先生だかがいて、「ふぁっふぁっふぁ、よく来たね」と裕福な体を揺らし目的不明なまま待ち構えているのかもしれないと思ったからだ。
 ところがどっこい中には雲雀様以外誰も居ないし、その雲雀様は室内の一際重厚なデスクで勝手知ったる風に書類を漁っている。見渡してみれば、応接室内は記憶にあるそれと幾分か変わって見えた。並盛中学校の価値を示すトロフィーや盾は棚の中に美しく並べられているし、校歌は額縁に入れ飾られている。ソファは上等で観葉植物は瑞々しい。ひとつひとつはなんてことはない応接室の調度品なのだが、違う。違うなー。応接室といえば校内の中でも校長室以上にお高くとまった部屋だというのに、親しみというか、粗雑な気配というか、竜巻のような性急さで糸が巻かれていく時の流れと比例した人の営みを感じるのだ。なんで? と訝っていると、雲雀様が声を上げた。
「あった。これ、うちの注文票。支払いはいつも通り月末に一括。仕上がったら連絡してよ」
「承りました」
 見覚えのある形式の注文票の受け渡しが済んだ後、そのままデスクに備え付けられたチェアに腰かける雲雀様を見て、私はこの部屋が私物化していることも祖父の言っていたこともはっきりしっかり理解した。
 ヒバリサマハジダイノナミモリチョウヲヒキイルトウトイオカタ。なるほど、そうなのかもしれない。三年の間に、ひょっとするとそれ以前から、祖父が生まれる遥か以前から事は起きていたのだろうか。私達がのうのうと暮らしていく生活の傍らで、最大のフィクサーとして其処に在る雲雀様の御一族。ミョウジ屋が縋るように、末法の世に射しこむ一筋の光として。なむなむ。
 壮大な影の歴史も難しいこともわからないが、雲雀様が飯のタネであることは間違いない。注文票にチラと目を落とした先に羅列していた数字は、到底一介の中学生が支払えるものではなかった。注文票の角と角をきっちり揃えて懐に入れ気持ちの良い商売人としての振舞いをすると、雲雀様はしっとりとした双眸でこちらを見つめていた。首を傾げると、
「似てるね」
 と仰った。
「目元と耳の形が特に」
「祖母を御存じなのですか?」
 誰にと名指しで言われたわけではないのに、そのパーツは唯一人を導き出す。自分ではわからないものの、祖母が亡くなった折に駆け付けた親族が口を揃えて面影を見たというのだから、その通りなのだろう。
 雲雀様は代々ミョウジ屋を贔屓になさっているようだし、ここはなめらかな笑いのひとつも浮かべてやり過せばいいのだが、改めて人からそんなことを言われると、かなしみがまた胸の中に浮かんでくる。そのかなしみは涙に錆びついていて、ちょっとやそっとのことじゃ表には出てこない。けれど先日三軒隣の男が死んだ。祖父が葬式に出掛けた。死んだ人間は生きている者の心を巣食い度々苦しみを与える。

 祖母が死んだ日のことだった。いつもの通り店先に座ってにこにこと通りを眺めていた祖母は、私が学校から帰宅した時も同じようにしていた。もうすぐ雨が降るから家の中に入ってね。そう一声掛けて食事の支度に移り、その後ご飯がすっかり炊きあがっても祖母が家の中にいないことに気がついた。おかしいな、と表に出ると雨に打たれながら祖母が倒れて、顔面は蒼白。土に汚れることも厭わず抱き起こし何度も何度も何度も何度も呼び掛けたって意識は遠いところにあり、目を覚ます気配はなかった。すっかり動転して救急車を呼ぶことも忘れてしまった私は縋るものを探して辺りを見渡し、道の先──三軒隣の塀から覗く目がじっとこちらを見つめていることに気がついた。死んだ──当時はまだ生きていて、十八歳になる男だった。傘をさしていた。見つめるだけで動かなかった。たすけて、と声に出ていたかどうかはわからない。祖父や救急隊がいつ来たのかもなにもかもわからない。ただしっかりと刻まれているのは、水を含んだ祖母の冷たさと重み、後悔の念。それから見殺しにされたという深く苦々しい怒りと敵意だった。
 結局のところそれは唯の私の意見に過ぎなかった。男が祖母に手をかけた証拠があるわけではないし、ただ見ていただけだ。そしてそれすらも精神状態が危うかった私の目を通してであれば気のせいで片付けられてしまう。祖母は心臓発作で死んだと処理され、何があっても不思議はない歳でお前は悪くないのだと参列者からは慰められた。おばあさまによく似ている。こんな孫娘を得られて幸せ者だっただろうとも。
 でも、そんなことはわからない。

 西日の色が抜ける薄暗い中、応接室に佇む影が罰を受けているようにも見える。雲雀様は何も言わず、何を考えているのかもわからない胸が痛くなるような静けさでこちらを見つめるだけだった。時折目を細めて、在りし日の祖母の姿を探すように。
 逃れるように視線を逸らすと、
「僕は人が群れているのを見ると虫唾が走る」
 と仰った。突然の話題転換に耳を澄ませていると、雲雀様は続いて語った。
「君の店はいつも人だかりが出来ていたから、幼いころからその前を通る時は、いつも腹の底に力を入れて挑まなければならなかった。だけど、君のおばあさんを訪ねる時──僕は彼女の語る民話に興味があった。その時ばかりは不思議と人波がひいていた。今思うにそれは家の者だったり、君の祖父や祖母、近所の人間の配慮だったのかな。そういうわけで僕は、あの立てつけの悪い引き戸に寄りかかって何度も話を聞いたものだよ。夏の暑い日なんかには麦茶を片手に、並盛山の守り神とか、新田の祭りだとか。その話の中で民話とは関係のない孫娘が登場することがよくあったんだけど、まー単刀直入に言えば君だね。君、こっちに越してきたんだってね。継ぐつもりはあるの、店を」
「わかりません。わかりませんが、祖父も老い先短いし残されたものは受け継ぎたい気持ちはあります」
「風紀委員会に所属する者は並中の旧服を着用するようにって僕は決めたけど、旧服を快く扱ってくれる店って君のとこ以外にないんだよね。僕が卒業した後のことはどうするかって話は別として、僕はこの町が好きだから、その歴史に寄り添ってきた店を支援するのはやぶさかではない」
「恐縮です」
「これは僕の都合として言っただけだけど。随分可愛がられてたよ、君は」

 ヨーグルト味が好きなんだろう。と並月堂の生クリームどら焼きをひとつ放り投げられて帰路につくと、辺りはとっぷりと日が暮れていた。やや酸味のある爽やかなクリームに舌鼓を打ちながら空を見上げると、黒い空にスパンコールでも張ったように明るい月が小さく光り、星が瞬いていた。
 あの空のどこに両親がいて、どこに祖母がいるのだろう。
 両親を失い祖父母の元に身を寄せると、祖母と軒先に出てこうして空を眺めたものだった。祖母は皺だらけの手で私の肩を抱いて、やさしく語りかけるのだ。ナマエちゃん、おとうさんもおかあさんも、かみさまと一緒に見守ってくれているのよ、と。それは本当のことで、ナマエちゃんがいい子でいればご褒美をくれるし、そうでなければ罰をあたえるわ、と。

 果たして罰を与えたのは誰で、罰を与えられたのは誰だったのか。

 三軒隣に住んでいたあの男は、祖母が亡くなって一月もしないうちに大怪我をして入院した。身体の節々を殴打され、もう一人で起き上がることも叶わない程に。元々家にこもりがちで、そうでなければ歓楽街へ足を運び悪い友人と夜が更けるまで遊んでいたという男のこと、何があっても不思議ではなかったと、近所の人たちは憐れみと好奇で囁き合った。祖父は事の次第を聞き顔を歪めたが、自業自得だと鼻を鳴らし不機嫌な面持でそれきり沈黙した。もうこの話は終わりだという風に、見もしないワイドショー番組をつけてまで。
 祖父がこれほど無礼な態度を取るのには理由があった。というのもまだ私が越してきて間もない頃、思い出せないほどくだらない理由で男にいじめられたことがあったからだ。学校でいじめがあったわけではなく加害者は男一人。私は私で心配かけまいと黙っていたものだから、それは祖母に繕ってもらったワンピースを裂かれるまで露呈しなかった。祖父が怒るのは尤もだが、驚いて涙さえ引っ込んだのは、祖母が苛烈に顔相を変え杖を振り回し男の家へ怒鳴りこんだことだった。見兼ねた祖父が仲裁に入り私はすっかり怯え、怒鳴りこまれた男は呆然と泣き出しそうになっていた。その後男の両親が謝罪に菓子折を持ち、菓子を頬張る私を見て祖母はいつものやさしい祖母に戻ったが、男はそうではなかったのだろう。きっと両親にこってり絞られ、辱められたことへの屈辱を胸に蓄えて生きていた。
 私はそのように思う。祖母の死の元凶は私にあるのではないかとかなしみで蹲りたくなるし、アイツもいない今、二人分の死が暗欝と圧し掛かって時折身動きがとれなくなる。遠い空の中に光を探し、誰か、と助けを乞いたくなる。かみさま、と呟く。いい子でいるからどうか助けて下さいと。
 けれども祈るだけでは許されない。偶像への祈りでご飯は食べることが出来るのは聖職者だけで、祈りすら放棄し思うままに生きることが出来るのは雲雀様だけだ。私はミョウジ屋の孫娘で商売人なのだから、お客様に愛情を持って接し信頼を得て、可愛がってもらわなければならない。祖母が皆にしたように。祖父が雲雀様にしているように。

 そう、確か、雲雀様は「神様」なのだ。


(140619)

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