変貌

 忘年会という名のどんちゃん騒ぎに出席した雲雀さんは、吃驚するほどしおらしかった。ここ数ヶ月間長期出張で財団本部を離れていた私が知らぬ間に、替え玉を用意したのかと勘繰ってしまうほどの豹変ぶりだった。こういったお酒の場でハメを外して騒ぐ人という印象は元々無かったけれど、それにしたって口数が少なく、おとなしいのだ。
 財団の人間ばかりが集うわけではない群れの場で、犬猿の仲と称される六道骸氏がいつ顔を出すかもわからないこの場で、いっそ物憂げとも言える姿勢を貫いて、不快感や苛立ちを微塵も纏わせないのは異常だ。私よりもずっと雲雀さんをよく知っているであろう幹部の方々の顔色をこっそり窺ってみたけれど、彼らは彼らで愉快そうに飲み交わすばかり。時折ちらと視線を向け揶揄に似た光を浮かべていたことを思うに、何か事情はあるのかもしれない。とはいえ、それに私が首を突っ込むことではないだろう。
(……頼みますから、自制はして下さいよ)
 そうやって横目にグラスを傾けたのはつい、一時間ほど前のことだったように思う。

 ひょっとして、これは夢なのかもしれない。
 酒気をこれでもかと漂わせる雲雀さんを支えて(のしかかられて)なんとか部屋まで運ぼうと画策している現実が目の前にある。
 なぜ、わたしは、雲雀さんを抱えて、ずるずると、廊下を歩んでいるのだろうか。なぜ、わたしが。
 しかし自問は頭を巡る。
 そもそも私は、雲雀さんの部下であって部下ではない。風紀財団に所属している人間には違いないが、雲雀さんの右腕である草壁さんの部下。まだまだぺーぺーのひよっこで、トップである雲雀さんは雲の上におわす御仁であって然るべきなのだ。
 ならば、何故、私が、雲雀さんの、世話をしているのか。
 本来細やかな気配りがいるであろうこの役目は、草壁さんが請け負うというのがごく自然な流れである。しかしながら草壁さんはその立場故に宴の後始末をすることも役目として持っており、宴もたけなわとなった場を取り仕切るためにいよいよ忙しくなるのだ。
 そこで白羽の矢がたったのが私である。
 しかし女だからと言って、酔っ払いの介抱が得意なわけではない。しかもその酔っ払いは男で、上司で、風紀財団のトップ且つボンゴレファミリーの雲の守護者という立派な肩書を背負った、私など到底足元にも及ばないようなすごい人なのだ。これらの差異は災いにしかならない。壁際に迫り傍目から見れば言い寄られているようにしか見えない構図を、どう打破しこの人をあしらえばいいのか。あれこれと思考の迷路をさまよってばかりで、うまいこと糸口が見つからない。トップの身の心配も己の身の振り方も考えなければならないなんて、もしかすると長期出張の仕事より難しい事件ではないだろうか。
 そのようなことを考えながら、いよいよ壁と雲雀さんの間に挟まれかけた身を必死で持ち上げ、失礼は承知のままぺちぺちとその甲を叩いた。
「雲雀さん、しっかりしてください」
 とてもではないが頬を叩けはしない。声をかけると、雲雀さんは小さく頭を振り掠れた声を漏らした。
「…………だれ、きみ」
「私ですか? 私は風紀財団諜報部情報収集部門の──」
「……ん」
「……雲雀さん?」
「…………ん?」
 おそらく話を聞いていないだろうなと疑念を抱きつつ名を呼んでやると、伏せていた双眸が静かに私を見上げた。不遜とも言える意志の強そうな瞳は水気を帯びて緩み、冴えやかな印象を纏わせるすっとした輪郭はすっかり薔薇色に染まっていて、鬼の委員長の名が形無しだ。
(だれ、この人)
 なんだか面倒くさいことになったなと改めて感じ、大仰な溜息が零れた。今なら露骨に顔を歪めてしまっても、機嫌を損ねたこの男により自分の体面がどうにかなってしまうことはないだろう。そういう意味では面倒くさくないが、雲雀さんのようでいて雲雀さんのようでない、この男の扱いに関しては相当に骨が折れる。
「……ああ、だれかとおもえば」
「え?」
「そう、きみか……」
「えっ、え、あのっ」
 圧し掛かるように体重がかけられていただけだった。だというのに、ついに半ば倒れ込むように抱きしめられていた。
「んん」
 上司が、雲の上の存在が、寵愛を受けた愛猫のように擦り寄ってくるという奇妙な現実。布の隙間から触れ合っている肌が熱を放ち、切々と全身に伝わってきては戸惑いに鼓動が早まる。
(……なんだ、これ)
 耳元で囁かれた声に咄嗟に肩を竦める。ぞくりぞくりと背筋を上る言いようのない感覚に口元がむずむずと歪み、たまらず視線を逸らした。にもかかわらず、それをひょいと狗尾草を追うように雲雀さんの唇が首筋をなぞる。
(……な〜ん〜だ〜こ〜れ〜!)
 酒気の熱と恥じらいの熱に浮かされるばかりで、気を落ち着かせようと吸った息は危なげに胸を震わせる。自然、逃げるように浮いた腰はすぐさま壁にぶちあたって退路を失い、引くはずだった距離の分だけあべこべに距離が近づいた。
 刹那、唇に柔らかい感触。
「……は、」
「……」
「え、は?」
「…………ふふ」
 いたく御満悦そうに相好を崩した雲雀さんを前に、この件が明日目覚めた時記憶として残っていた時、果たして私はどうなるのだろうかと焦燥にかられた。口づけが一時の気の迷い、戯れだったとしても、そもそも愛玩動物のような仕草で甘えを見せた己自身をこの男が許すはずが無い。
 明日に見るのは鉄くさい血の道か、砂糖菓子のような甘ったるい日常か。何故だか泣きたい衝動に駆られ、ごまかすためにぎゅっと目を閉じた。


(101228)

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