少年A少年B少女C

 並盛神社は宵のうちから人に溢れ、カランコロンと下駄を鳴らしてそぞろ歩く浴衣の娘が列をなす。所々にぼんやりと提灯がぶら下がり、四方からは芳しい香りが鼻をくすぐる。祭りムードに染まる境内の中で一角、ひのきの陰の暗い場所に陣を構えた並盛中学校風紀委員会は、学生服に揃いの腕章をつけた厳めしい男らで物々しい空気を漂わせていた。

 そこに、統一された色彩からはみ出た小さな背中がひとつ。パイプ椅子にシャンと腰掛けていた。白地に薄紫の朝顔が咲く浴衣姿は清楚で、このような男衆に囲まれていることも相まって余計に可憐に見える。風紀委員会に属している少女が、この集団にいるという光景自体は珍しくない。しかし今は、なんだかじっと見てはいけない気がして草壁は視線を逸らし、溜息をついた。

 溜息の原因は、少女の機嫌が下降しているというのも理由のひとつといっても差し支えない。通常の委員会業務とは異なり、夏祭りにかこつけてショバ代を回収し、治安の乱れやすいこの場を抑制するという今回の活動。皆で示し合わせて、この少女だけに活動内容を知らせず、ついでに自宅待機を伝えていた。

 書類の整理やこまごまとした業務を日頃こなしている少女に今回出番はなく、必要ないというのが委員長である雲雀の見解だった。だとしても、言葉のままにとらえれば自宅待機の必要はない。自覚しているのかそうでないかはともかく、雲雀の真意が別のところにあることを察して何食わぬ顔で待機を直接伝えたのは自分だが、まさか指示を破って少女が祭りに繰り出してくるとは思わなかった。委員長が席を外している今、せめてお戻りになるまでは自分が見ていなければならないが、仲間はずれにされたと思っている少女相手にどう対応すればいいのかと、草壁はこめかみに手をあてた。

 委員長命令とはいえ騙してしまったような後ろめたさに、少女にわたがしやら林檎飴やらを買い与えてみたものの、食べるだけ食べて機嫌は未だなおらない。ぼふぼふとわたがしをむさぼってそっぽを向いている。
「……いい加減機嫌を直せ、ミョウジ。お前を風紀委員の一員と認めていないわけじゃないんだ」
「じゃあどうして今日、活動があるって伝えてくれなかったんですか」
「今回はお前の仕事がないと、委員長が判断したからだ」
「私は使えないってことですか?」
「そういうわけじゃない。お前こそ、なぜ指示を破って外出したんだ」
「友達が教えてくれたんです。なんか風紀委員いるけどアンタいないねって」
「それで、遊びに来たのか? 浴衣まで着て」
「浴衣はずっと着てました。今日がお祭りって知っていたから、せめて気分だけでもと」
「……それはすまなかったな」
 情報規制など出来ない。何らかのルートを通って、風紀委員会が此処で活動していることが少女の耳に届くことは充分に予測していた。だというのに、雲雀がそれを見落としていたのは、どこかで耳に届くことを期待していたのではないかとふと思い、万が一にでも口から漏れてはならぬと首を振った。
「理由を」
「?」
「理由を教えて下さい。私、未だにわからないんです。風紀委員として役に立ってるのか、どうかって」
 綿菓子に口元が隠れ、もともとの体制と身長差も相まって頭垂れる少女の表情をうかがい知ることは出来ない。もう幾度も目の当たりにしてきただろうに、自分が雲雀に殴りとばされるたびに痛ましそうに顔を顰め、隠れて手当をしながら瞳を潤ませる感受性の豊かさが枷になっている。

 暴力を行使する風紀委員としては不合格。とはいえ、役に立っているか否かといえば間違いなく精神衛生上前者だというのに、有り難いと思う気持ちを素直に伝えることは難しい。おそらくは最も少女を必要としている気難しい風紀委員長に至っては、哀しいことに最高難易度だ。

 慣れぬことは言いたくないが、ナーバスな少女を雲雀に見せてはまた面倒なことになるかもしれない。溜息とともに唇を開き、空を見上げて言葉を探した。
「あー、お前を心配してのことだ」
「心配?」
「こういう場では、面白半分に喧嘩をふっかけてくる輩もいるだろう。我々の中に女子が一人いれば、それは狙って下さいと言っているも同じだ。……一応言っておくが、足手まといという意味ではない。適材適所という言葉は知っているな? お前にはいつも、なんというか……ああ、助かっている」
 出来るだけ平静を装ったつもりの声色は揺れて、耳に熱が集中していくのが嫌というほどわかる。居心地が悪くなって頭を垂れ、首の後ろをかいて誤魔化す。
「……助かっています、か?」
「……助かっている」
「……心配してくれたんですか?」
「……まあ、まあな」
「……そうですか」
「そうだ」
 ふうう、と長く息を吐いて未だ拭えぬこそばゆさにほとほと参りながらも、視線を感じてそっと目を落とせば少女がジッとこちらを見ていた。はにかむ様を捉えて、ああ見てはならぬものを見てしまった、と再びがくりと首を落とすと、時同じくガタッと音を立てて立ち上がる少女。

「……やっぱり草壁さんは優しいんですね!」
「うおっ!?」
不覚にも心臓が跳ね、顔を上げた途端に頭頂部付近にべとりと感じた違和感はきもちのわるいもので。何が起きたのかと把握するよりも早く、喜色だった少女の顔は一気に青冷めた。
「あああすみませんすみません!」
「は? な、なんだ一体」
「怒らないでください。いやその、わたあめが、その……」
「……」
「あっダメです汚れちゃいます!」
 自慢のリーゼントにそっと指先を伸ばすと慌てたような声で静止がかかり、それでも構わず触れると、ポマードとは違う粘着性の感触。離し、鼻の前まで持ってくると、微かに漂う甘い香り。視線を狼狽する少女の手元まで持っていき、割り箸だけ確認すればもう後の説明はいらない。
「ほんっとうに申し訳ありません!」
「……いや、気にするな」
「拭きます!すぐに拭きます! あ、あ、あ〜……ハンカチハンカチ」
「いいからお前は座って──……ッ!?」
 甘い。わたあめとは違う、蓮の花にも似た瑞々しい香りがふわりと立ち上り、草壁は内心息をのんだ。おそらく目の前の少女自身気づいていないだろうが、これほど懐に近い場所に少女が迫ったことなんて今までにない。日本男児であれば誰もが目で追ってしまうような、非日常的な格好ということも今は毒でしかなかった。
 はっ、と我にかえると。
「あ、……あああすまんミョウジ! 無事か!?」
 ぽかんと口を開けて尻もちをつく少女と、伸びた己の腕がふたつ。目をぱちぱちと瞬かせる少女の手を急いでひいて立ちあがらせると、まじまじ見つめる双眸の中に情けない顔の男がひとり。
「す、すまん。驚いてつい」
「……いえ。私こそすみません、驚かせて」
「いや、だからと言って突き飛ばしたなど」
「あっ」
「ど、どうした」
「草壁さんの手って大きいんですね」
「ッ!?」
 いつまでも何をしているんだ草壁哲矢! と頭の中でのた打ち回る己を拳でぶん殴り、熱湯を浴びせられたように茹る顔の熱はどうにかして暗闇にまぎれてしまえばいいと心底願った。素知らぬふりをするわけでも笑い飛ばすでもなく、少女が梅の花のようにほころばせた顔をするものだからいやに感情の波がおさまらず、

「………………何してんの?」
 唸るように呟く声を耳にした刹那、沸騰した血液は驚くほど急速に冷めた。ナイフの如く鋭利な冷たい気配に息をのんで、背筋にじっとりと浮かぶ冷えた汗に草壁は身震いした。これほど顕著に身の危険を感じたのは、いつ以来だろう。いくらか場慣れしている自分でも、正直な話走って逃げだしたくなるのだから少女にとっては途方もない恐怖だ。本能的に己の陰に隠れた小動物をつまみだすわけにもいかず、かといってこのままでは、と悪循環がぐるぐると巡る。

 雲雀は、気配をどんどん鋭くさせて男と少女とを見比べた。つい先ほど気に入らない輩を黙らせたばかりでいくらか気分がよかったものの、原因不明の苛立ちが心を満たし、手始めに目の前の間抜けな様子の男を殴り飛ばしてやりたくなった。仕込んだトンファーの感触を確かめて、脚を踏み出す。男は覚悟したかのようにぐっと唇を締め、小動物のように怯えていた浴衣の少女もまた、何かを決意したかのように身を乗り出した。
「申し訳ありません委員長! お仕事の邪魔をして本当に、本当に申し訳ありません!」
「……で、何をしに来たっていうの」
「私にも何か出来ることはないか、と……」
「へぇ、その格好で? 機動力もなければ腕章もないのに、笑わせる」
「……申し訳ありません」
「委員長、ミョウジにはよく言って聞かせましたので……」
「副委員長は黙ってなよ」
「……はっ、失礼しました」
 少女は己を庇う男を胸をつかれる思いで見上げ、その少女の様子を視界に留めて雲雀は言葉にしがたい不快感に眉をひそめる。少女と雲雀に挟まれて、草壁はどうしようもなくやるせない溜息を零した。


(100316)

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