恋し乞う

「冷たいね」
 爪をなぞって、指の付け根に指の腹を這わせ、祈るように重なり合う骨ばった他人の手。凍え失われた指先の感覚を代わりに確かめるよう、まじまじと触れる手つきはかなしくなるほどやさしい。
 交わり合ってぬるくなる体温に顔を顰め、もぞもぞとマフラーに口元を埋めると雲雀さんがふと視線をあげた。薄暗い室内に浮かぶ双眸は黒く濡れ艶めかしい。きゅ、と目を細めて見つめられると居た堪れなくなってつい視線を逸らしてしまう。
 そっと首に巻いたマフラーを解かれた。されるがままに突っ立っていると、襟ぐりに差しこまれた手はするりと重いコートを床に落とす。
「急に呼び出して悪かったね」
「……イエ」
「寒かった?」
「……少し」
「おいで」
 口にしてすぐに抱き寄せられればおいでも何も無いなぁ、などと頭の隅で考えながら身軽になった身体を預けた。肩口に押し付けるようになった鼻先を淡く錆びた香りが擽る。くっと息が詰まって、溜息と共に瞼を閉じた。
 いつまで経っても慣れない。近すぎる感触も、それに伴い隅々まで煮え立つ熱の耳鳴りも、事をするためだけに作られたいかがわしい部屋の雰囲気も、受け入れがたく切ない胸の苦しみも。
「ミョウジ」
 呼ばれてふと上体を離され、表皮だけが冷たい頬にそっと掌が触れた。抱きしめられる以上に強張って、何か訴えたい事があるのは明白だと察しているに違いないのに、知らんふりして雲雀さんはいつも唇を近づける。いつも。黙りこんで触れるだけのそれを確かに傷つきながらも良しとして受け入れていた、けれど。
 少しずつ近づく唇の距離に今日こそはと腹を括って直前で声をあげた。
「私のこと好きなんですか?」
 ぴくり、と微かに頬に添えた指先が動いて、閉じかけた瞼は憮然と開かれた。
「私のことを好きだというなら、どうしてこんなこと出来るんですか」
「君の言っている意味がわからない」
 顔を離し、雲雀さんは言葉の意味を探る様に眉根を寄せた。視線は真っ直ぐに続く言葉を待っている。やんわりと絡んだままの片腕も引き離し一歩後ろへ退くと、顔を顰める。それでも顰めるだけで無理に引き戻さないあたり話を聞く気があるようで、馬鹿みたいなところで誠実だなと少しだけ虚しさを覚えた。
 抱きしめて触れるだけのキスをする。そのためだけに雲雀さんは近場のホテルに時折私を呼び出して、帰した後は別の人を抱いている。いつか告げた、好きな人を大切にするべきという言葉をこれで体現しているというのなら愚かな話で、本当になにも、わかっていない。とはいえこの馬鹿げた行動に付き合って傷ついて、苦しい思いをしているのだから私も同類に違いないのだ。放っておけばいいのに、感情を殺して冷めた目でみてやればいいのに、捨てきることが出来ないし捨てる気もおそらくは無い。
「……。だいたい、私のどこがいいんですか」
 投げやりな声に雲雀さんは睫毛を数度瞬かせ、思案するようにそれを伏せた。呼吸のたびに微かに揺れ、形の良い顎に添えた指は緩くリズムを取り始める。
 そこまで考えこまないと出てこないなんて本当にこの人私が好きなのだろうか、と一抹の不安を抱き、不安を抱くことがまた自分自身の気持ちがどちらに傾いているかを示しているようで、このやりとりが茶番だと知る。
「さあ?」
 小さく呟かれた声と共にリズムが途切れた。……ワカラナイんですか、と心の中で反芻した言葉が静かに滲み、残るは仄暗い虚ろ。一方で、ふっ、と伏せられていた双眸が瞳の奥の奥を射抜くよう、どこまでも真摯にこちらを見据えている。
「理由をつけてひとつひとつあげていっても、この気持ちと同等になるとは思えない」
「……」
「どうしたら君が分かってくれるかな」

 どうしたらあなたは分かってくれるだろう。

「……。雲雀さんの」
「……僕の?」
「無神経なところ、嫌いです。私のことを好きなら、他の女の人と、そういうこと……しないで欲しいって、思います」
「嫌いなのに?」
「雲雀さんが嫌いじゃないんです」
「じゃあ、好きだというの?」
「や、」
「……」
「あの…………」
 今でこそほだされているというのに、これを越えては頭から爪の先まで喰われてしまう。伝わって欲しくて伝わって欲しくない言葉はついぞ紡げず頭垂れた。その言葉が何なのか、己ですら未だわからぬというのに。
「ごめんね」
「え?」
「君のためだと思って線を引いていたけど、君にもわからないんじゃ意味がない。今から約束を破るから、先に謝っておくよ」
 どれほどのことがどのような解釈で伝わったのか、あるいは伝わらなかったのか。
 おもむろに手を掴まれたかと思えば視界は転がり、沈む身体に覆いかぶさるよう、切ない顔をした人が檻をつくる。逃げられないと思うのは物理的なものだけじゃない。後は喰われるばかりだというのに憎らしく思うことも出来ず、なんてずるい人なんだと胸が高鳴って待ち望んですらいた。
「僕が君に抱いてる好意も、君が僕に抱く嫌悪に成りきれない好意も。だから考えずに身体の奥で受け入れてよ。それから好きか嫌いか、選んで」
 微かな熱が唇を掠める。力無く開いた手に細い手が重なり、そっとその手を握った。厭うぬるさはそこになくただただ熱く、静かに溶けていく。


(110929)

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