夢見がちマイガール

 みどりの髪は陽の光に晒され淡く輪を浮かばせ、縁側から吹きこむ風にさらさらと揺れている。白くふっくらとした肌は触れるとふにゃりと柔らかく、まるでマシュマロのようだと思う。薄く色づいた頬をいくらかつついて、膝に乗せた頭をそっと撫でると、ぴくりと微かに睫毛が動く。起きるのかと思い手を引っ込めて様子を見るも、むずむずと口元を動かしてからまたすやすやと寝息を立てはじめた。
 随分と使い古された言葉だけれど、天使、というのはこういう様子を言うんじゃないだろうか。
 もう一度撫でてやろうと指先を滑らし、ふと、吹きさらしの廊下の先で、静かに足を運ばせ近付く気配を感じ顔をあげた。
「ああ、そこにいたんですか」
 哲だ。中学の時から変わらないリーゼント頭を揺らして、真っ直ぐにこちらに来る。
 僕に話しかけているというのに視線は膝の一点に集中していて、安堵したような、困ったような不思議な笑みを浮かべている。
 穏やかに流れていた時に僅かな狂いが生じ、眉根を寄せると膝で眠る娘がふっと瞼を開けてぱちぱちと瞬いた。ああ、ああ、と思いつつ眺めると、ぼんやりとうつろう視線はじぃと正面に広がる世界を見上げ、ふにゃふにゃと薄い花びらみたいな唇を動かす。
「きょうしゃん」
「うん。おはよう、ナマエ」
 応えて額を撫でてやると、ナマエはくすぐったそうに相好を崩す。つられて口元に笑みが浮かぶのを禁じ得なくて、そのままにまた二度三度と掌を動かす。ナマエはもみじみたいな小さな掌をいっぱいに伸ばして、逃れようとじたばたとする。
 抑え込むのはそれこそ赤子の手を捻るほどに簡単だけれど、そよ風のような圧力に負けて手をどけると、動き回った勢いに任せてころりとナマエの手鞠のような頭が床板に落ちた。ごつん、と音がして「ああっ」と焦ったように哲が声をあげる。ややあって、むくりとナマエが起き上がった。
「とーと、ナマエ、あたまぶった」
「……ああ、ぶったな。大丈夫か?」
「だいじょうぶ」
「そうか、いい子だ」
 伸びた無骨な手を避けることなどせず、むしろ擦り寄るように目を細めて甘えるナマエに唇をへの字に結ばずにはいられない。本気で嫌がっていたわけではないと知っているのに、僕の手は逃げようとしたのに、とつまらないものを感じてしまう。
「僕だって生まれた時から一緒にいるのに」
「いや、はは……まぁ父親ですからね」
「似てない」
「ナマエは母親似ですからね。ああ、そういえばこの間なんか……」
 でれっとだらしなく顔を崩し愛妻の惚気をしはじめる哲に、藪蛇だったと舌打ちをしたくなる。 うるさいと一言言って殴りとばしてやればこのお喋りは当然口を塞ぐが、ナマエがいる手前あまり乱暴なことをして心象を悪くしたくない。
 なにせナマエは、“とーと”が好きだ。おそらく母親よりも好きなのがコレ。
 何が面白いのか、ナマエは惚気る哲の顎の凹凸を小さな指先でなぞって遊んでいる。
「ねぇナマエ」
「なーに?」
「とーとは好きかい?」
「とーと、いちばんすき!」
「そう。でもね、とーとは奥さんのほうが好きなんだって」
 ナマエがぐにゃりと顔を歪ませ、恭さんッと焦ったように哲が叫ぶ。
 うるさいな事実だろ、と一瞥してまたナマエに視線を戻すと、未だ不安げに眉を寄せていて何故か嬉しくなってしまった。すると唇が持ち上がって自然と笑みを作るものだから、自分の性根は本当によく曲がっている。
「それにね、いいかいナマエ。とーととずっと一緒にいることは出来ないんだよ」
「なっ!何を言っているんですか恭さん!」
「だってそうだろう。娘というのはいつか嫁に行くものだし」
 世間一般でよく見掛ける父娘のやりとりをしれっと答えると、糞真面目な哲は糞真面目に受け止めて言葉を詰まらせる。ナマエは捨てられる仔犬のような目で哲を見上げた。
「とーとバイバイしちゃうの?」
「いやっ、それは・・・」
「バイバイしちゃうね」
「だ、だから、恭さん!!」
「……きょうしゃんもバイバイ?」
「僕?」
 哲ばかり見上げていた双眸が曇りがちのまま僕に移り、少しばかり面喰らった。刹那、小さな笑みを浮かべる。哲の膝に乗っていたナマエを掬いあげて向きあうようにこの膝に降ろし、視線を合わす。この幼い娘を占めるいくつかになっているのだと思うと、心に沸き立つものを感じる。
「……。ねぇ、とーとはかーかと一緒にいてバイバイしてないでしょ」
「うん」
「それはね、かーかがとーとのお嫁さんになったからなんだよ」
「およめしゃんになればバイバイしない?」
「そう。でも、ナマエはとーとのお嫁さんにはなれないよ。もうかーかがいるからね」
「じゃあきょうしゃんのおよめしゃんになる」
「そうだね。いい子だ」
「ちょ、恭さんッ!!」
「僕は何も間違ったことを教えてるわけじゃないよ。娘のように可愛がっている子がどこの馬の骨ともわからないヤツのモノになるなんて、面白くないからね」
「娘のように可愛がっている子、しかも三歳児を嫁に貰うだなんて言わないで下さい・・・!」
「つれないね、“お義父さん”」
 哲は真っ赤になったり青冷めたりと忙しい。ナマエはおよめさんおよめさんと暢気に唄い笑った。まるで飯事のようだ、と僕も微かに笑う。
 膝に乗せた娘の紅葉のような手が指先に絡む。澄んだ双眸が真っ直ぐに自分を見上げている。桜色の唇が再び夢の唄を囁けば、込み上げるものがあるほど満たされていくのを確かに感じた。ああ僕もたいがい単純なのだろう。絹のような髪をひと束すくって唇をひとつ。

 可愛い子。君をどこにもやりたくない。


(111001)

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -