焦げ付かんばかりの酒気が喧騒を覆う中で、場違いな子どもの歓声が聞こえた気がした。白と黒のハッキリとしたコントラストに黒糖の綿あめのような頭部。見止めると、すぐに興味は失せてまた杯の中身を空にした。
 泣き喚く声を鬱陶しいと思わないほど、頭がまわらずぼうと麻痺している。一人で晩酌しているでもなしに飲み過ぎてしまったことに今更気付き、眉根を寄せた。
 はたから見れば煩いガキの出現に機嫌を損ねただけにしか見えないだろう。そうであるから、組織のドンだというのに、沢田綱吉は顔を真っ青にさせてひたすら子を追いかけていた。しかし小柄な子どもは軽快に場をとびまわり、右へ左へ好き放題。或る者は怒鳴り、或る者は笑い、或る者は・・・手を伸ばし目元をやわらげている。
 黒い塊に関してはボールが転がっているくらいの認識だった。問題はそれを抱いたほっそりとした手の方で、ちらちらと横目に眺めながらまた杯を満たす。明日の朝悪夢に魘されることは明白で、そうであるならもう、飲まずにはいられなかった。
 地に足がついていないように不安定で、同じ台詞ばかりが四六時中頭を巡っている。この状況をどうすればいいのか。こんなことははじめてだからと持て余し、気晴らしに酒に頼ってみてもあまり役には立っていない。
 これはようするに逃避なのだろうか。強者であると自他共に認めこれまで生きてきたというのに、血の一滴も流れないようなこんなことで逃避などどうかしている。やっぱり、おかしい。この感情は間違っている。守護者の使命なんて糞喰らえだが、何事にも縛られない孤高の浮雲であることが本来の姿であり、
「おとなしいと思ったら自棄酒ですか?」
「…………何の話」
 マフィアの集まりなど知りませんと言っていたその口が酒臭い。
 こちらはこちらで出来あがっているのか、頬を染めてクフクフ笑いながらグラス片手に近付いてきた男をギロリと睨みつけると、六道骸はわざとらしく肩をすくめた。芝居がかったその様子にまたイラついて忍ばせた獲物に手を掛けると、まあまあ、などと唇の端を持ち上げて宥めに掛かってくる。
「少々飲み過ぎじゃありませんか? 飲み過ぎると毒ですよ」
「余計な御世話だし、飲んでいるのは君も同じだ」
「君ほどじゃありません。まぁ、そもそも今日はそういう気分ではない。彼女もいることですし、おさめてはどうですか」
「彼女?」
「彼女は彼女ですよ」
 視線を辿る先に子をあやす女がいる。ほぼ狂乱といって差し支えない場だというのに、身なりをしゃんとさせて、酒よりももっと香りに品のある、茶の匂いが漂ってきそうだった。視線に気づいたのか、ふと女がこちらに目をうつす──つい、逸らしてしまった。制御出来ない自身の行動が腹立たしいし、逸らした先で六道骸が含み笑いをしていることも輪を掛けて腹立たしい。
「これはなんとも、初々しいことで」
「何が。気持ち悪いこと言わないでくれる」
「おたふくかぜに水ぼうそう、かかったことは?」
「は?」
「どちらも子どもの頃にかかっておかないと後が大変という病です。今僕はその最たるものを目撃しました」
 でもまさか君がねぇ、と隠す気もなしに女に視線をとばし、まんまと目が合えばにこりと笑んで気を惹かせる。子をあやし終えたのか、手持ち無沙汰になった女が不思議がって寄って来たものの、一体自分はどんな顔をしていればいいのか。誤魔化すように酒を煽ってじっとなにも無い空を睨みつけていると、ふわりふわり漂うやわらかな匂いが一層濃くなったような気がした。
「どうしたんですか、二人してこっちを見て。何かついてます?」
「……」
「いえ、今日もお綺麗だなと思いまして」
「またそんな御世辞ばっかり。雲雀さんもいるのに、そんな話をしてるなんて、ねぇ?」
 女の気配を感じながら、しかし僕が動くことは許されていなかった。どうして、名が出ただけで身体が強張ってしまうのだろう。
 例えば女の声に毒性があって、対象物の名を呼べば頭から爪先、果ては脳味噌の中まで好きに出来るとしたら納得がいく。ようはまな板の上のコイだ。必死に抗い睨みつけても、相手はびくともせず笑うのだろう。
「……僕は」
 自分を殺そうとしている女が憎くて、しかしどうしようもない毒に犯されるからとまともに目を合わせることも出来ず、吐き捨てるように呟いた。
「僕は、あなたみたいな人は嫌いだ」
「あら」
「おやおや」
 きょとんとした声色を揃わせて、なにかしたかしら、と女は暢気に呟いている。
「知らない。嫌い」
 言って飲みこむ酒がやけに熱くて、目頭まで燃えてしまいそうだった。先ほどからじわじわと身体の奥から競り上がってくる熱も鬱陶しい。振り払いたくても振り払えない熱に燃え尽きて、いつか自分が無くなってしまうのではないかと錯覚さえしだす。これが幻覚で、胸に擽っているのが幻想であればどれほどいいだろう。それならばまだ心得はある。しかし日増しに悪化の一途を辿る症状に為すすべなく、ただ現実を思い知らされてしまう。
 六道骸が堪えかねたように噴き出した。視線で射殺せるなら今すぐ殺してやるのにと目を向ければ、その先に目をぱちぱちさせてる女までいたものだから、唇を噛んでまた酒を手に取った。六道骸はまだ笑っている。飲み過ぎですよ、と女の声がして、気を掛けるくらいなら死ねばいいのにと杯に浮かぶ己をじっと睨みつけた。


(120405)

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