手袋を探しに

 手袋を紛失したのがそもそもの発端だ。
 去年友人とおそろいで買った、ノルディック柄の手袋。赤色がみるからにあたたかそうで、お気に入りだったものだから毎日つけて登校していた。
 登校したらカバンに仕舞って、下校時になったらまた取り出してつけて帰る。それだけなのにどうして無くなるというのか。何か取りだした時、引っかけて落としてしまったのだろうか。自分の不注意なだけに、なんだか裏切ってしまうような気がしてもやもやとする。
 そういうわけで徐々に暗くなってゆく教室内をぐるぐると探し、それでも見つからなかったものだから廊下や昇降口の周りもぐるぐると探し回った。けれど見つからない。
「おっかしいなー……」
 これは落とし物コーナーにでも届けられたか、あるいは最悪ポイされてしまったか。後者であれば色々と絶望的であるが前者であればまだ望みはある。最後に職員室前に寄って、担当の先生に話してから帰ろう。帰りは袖をめいっぱい引っ張って帰ろう。いい加減下校時刻が迫ってきていることだし。しかしほんと、どこに落としたんだろう。
 ぶつくさ言いながら踵を返し職員室への階段をとんとんとのぼっていると、上の方から誰かが降りてくる気配がした。友人でも先輩でもなければなんでもない風にやり過ごすのがいつものことだけれど、ふと視界の端に入った黒に緊張が走った。
 ──……風紀委員。
「……ん?」
 とん、と爪先が踊り場に落ちてふわりと肩に羽織った学ランが揺れる。
「ああ、君か」
 少し艶のある静かな声に、ぱっと表情筋が持ち上がった。
 雲雀さんだ!
「こんにちは雲雀さんっ」
「うん、こんにちは。今日も元気そうだね」
「はい。そこには自信があるんです」
「そうだね。愚問だったよ」
 挨拶すると、綺麗に微笑んで返してくれる雲雀さんにちょっとだけドキドキとしてしまう。
 雲雀さんはすてきな人だ。
 群れているヤツは咬み殺すとか群れていなくても気に障れば咬み殺すとか入院患者相手にも遊び半分に咬み殺すとか不穏な噂(いくらか真実であると知っている)があるとはいえ、心に芯を持って自分の脚で立っていて、なんだかんだでみんなに慕われている頼れる人。おまけに見た目も格好いい。
 同じ学校に通い時折擦れ違いもしていたけれど、最初雲雀さんは私にとってフィクションの人間だった。テレビの中の芸能人のような、決して手の届かない住む世界の違う人。
 でも、現実は違った。雲雀さんは路傍の石のような私にも目を留めて話しかけてくれたのだ。
 健康だけが取り柄と言っても過言ではない私に、小学校から続く無遅刻無欠席を褒めてくれた雲雀さん。はじめて声を掛けられた時にそこを持ちあげられたら、怖い気持ちなんて全部吹っ飛んでいってしまう。
 雲雀さんはすてきな人。
 この人が頂点に立つ学校で勉学に励むことが出来るなんて、私はとても幸せな女生徒に違いない。
 私が犬だったら耳を伏せ、ぱたぱたと尾を振っていたに違いないその様に雲雀さんはいっそう笑みを深める。だから私もうれしくてだらしなく笑うと、不意に雲雀さんが手を伸ばした。
「えっ?」
 と、おもむろに右手を取られる。
「え、え……っ?」
 予告なしのスキンシップに盛大に戸惑いバカみたいな声しか出せずにいる私の顔は、おそらく真っ赤だ。時折冷たい風が吹き抜ける階段で、だというのに頬が熱い。しかし振り払えずされるがままに慌てていると、掴まれた右手がいっそう熱を帯びた。しかもごわごわする。ごわごわ?
「あ……あっ、手袋!」
「探してるんじゃないかと思ってね」
 指先を包む赤色の毛玉。小一時間探しても見当たらなったそれを、雲雀さんが持っている。しかもちゃんと、一対そのままで。
「わ、ありがとうございます雲雀さん」
 うっかり落としてしまったのを、拾ってくれたのだろう。毎朝つけてたからちゃんと覚えてて、わざわざ探してくれたのだ。
 気恥ずかしさとうれしさに胸があたためながら、もう片方も受け取っていそいそとつける。確かめるようにぐっぱーをして……。
「……?」
 ふと違和感を覚え、手を面にしたり裏にしたりと動かしながら手袋を眺める。
 何か違う。赤色のノルディック柄の手袋。友人と色違いで買った手袋に違いない。しかし妙にしっくりこない。
 縋るように上を見る。相変わらず雲雀さんは口元を緩めていた。視界の端に手元の赤に似た赤色を見た気がして、ちょっと視線を戻す。赤色だ。私の持つ手袋と同じ色に同じ柄。つまりこの場に、手袋は二対ある。
 え、おそろい?
「え、と」
 実は雲雀さんも同じものを持っていたとか。いや、雲雀さんには小さいだろう。それになんとなく、なんとなーく雲雀さんが持っている手袋のほうに既視感を覚える。ちょっとくたびれたように糸が出てる様子だとか、ピリングだとかにやっぱり見覚えがある。
 何か言いたげな様子を察したのか、雲雀さんが思いだしたように言う。
「ああ、ちょっと確認しておきたくて借りてたんだ」
「あ、そうですか……そう、え? 借りて? 確認?」
「そっち、新しいほうね」
「あたらし……はい」
 そうか違和感を覚えるわけだ。なんてったって新品なんだから。
 納得したところで改めて両手を飾る手袋を眺める。鮮やかな赤色で心なしか鹿なのかトナカイなのかわからないイキモノもうれしそうだ。
「それで、古いほうはどうするんですか?」
「とっておこうと思って」
「そうなんですか」
 使い古しを雲雀さんに渡すだなんて悪い気がし……いや、いやいやいやいやいや。おかしいだろ。
「……ひば、ひばりさん」
「どうしたの」
 どうしたのじゃない。手袋を買いに行ったの子狐がいつの間にかごんぎつねにすりかわってしまったような精神的ダメージをクリティカルヒットで受けているというのに雲雀さんはかわいらしく首を傾げるだけだ。わけがわからないよ。
「珍しく顔色が悪いね」
 何か変なものでも食べたの、と真顔で聞いてくる雲雀さんに力無く首を振る。
 これは、なんだ。この現実は一体何なんだ。雲雀さんがそんな、あんなすてきな人が人のカバンを漁って物を盗ったあげく新品と交換して直に渡したあげく古いほうは貰うなどとトチ狂ったことを言うはずがない。だいたい、私が耳にした事実は最後のほうだけだ。新品の手袋を雲雀さんがくれて、古いほうを雲雀さんがとっておく、と。それだけだ。
 そう、きっとあれだ、見回り中か何かに落ちていた私の手袋を拾って、ちょっと寒かったから試しにつけてみて、そんな時に風紀指導という名の狩りをして返り血が手袋についちゃったとかそんなんだ。そうに決まっている。
「て」
「て?」
「……手袋あったかいですね」
 そういえばよく小学校から無遅刻無欠席だったというマイナーな話を知っていたな、とほんのり背筋に冷たいものが走るのを感じながら、私は現実に蓋をした。


(111201)(141217 改稿)

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