スフの心中

 赤塚の水路を街道沿いに歩いて坂をのぼると、フランス窓をあつらえた紫屋根の西洋館が見えます。大きさは家族三人も住めばよろしいという小さなものですが、長いこと場末の長屋に暮らしていた田舎娘からしてみれば、剥げかけたペンキも赤錆が斑に浮かぶ鉄の柵も、インクを落としたように点々と咲く外来種の鮮やかな花々も、遠い異国を覗き込むようでずいぶん魅力的です。
 これで混色の少女など住んでいればさぞ絵になるものですが、西洋館には男の先生が一人きりで住んでいました。
 まだ三十にも満たない若い先生で、皆は"一松先生"と呼んでいました。

 春先に、男やもめの先生がいると世話焼きの叔母から話をもらい、一松先生のところに奉公に出たのは二十を過ぎた頃でした。
 尋常小学校を卒業して十二、十三で嫁にいく娘もいるというのに、私ときたら結婚の経験はないし、悪い男につかまって処女ではありませんでした。婚前交渉により純潔な子が生まれないという話はまことしやかに流布し、なぜ処女を要求されるかといえば、婦人は一度でもその肉体に男性の影響を受ければ、純潔だった血液が混濁するというのです。
 先の薮入りでもらうお小言が少なくなってきたことをみるに、両親も私の嫁入りほとんど諦めているようでした。それなのに花嫁修業としての意味合いが強い女中を、今になって推されるのもキナ臭い話です。
 鬼が出るか蛇が出るか。向かった先には風変わりな先生がいたもので、なるほど、と得心しました。

 一松先生は洒落た西洋館に住んでいるくせに、ご自分の衣服は綿木綿のそっけない着物を交互に二着お召しになるばかりで、絹織物や毛織物の高価なものはいつまででも箪笥の奥にしまい込んでいます。
 ケチかといえばそうでもなく、蛇口の水を出しっぱなしにすることは度々ありましたし、野良猫が庭に入り込むと魚河岸から取り寄せたヒラメだのタイだのを惜しげもなくあたえて、ご自身が口にするものはといえば魚の干物。お食事を用意するためのお金は十分頂いていたので、たまにはカレーライスやオムライスなどもいかがですかとお聞きすると、「美食家なんて派手なものになったってしょうがない」と鼻で笑いました。
 また日頃の暮らしぶりに関しても、昼過ぎにのそのそ起きてきてぼさぼさ頭のままふらりと出掛け、日が変わってもお帰りになりませんでした。また、夜二十時になったらお不浄以外に部屋を出てはいけないと決め、「もしそれ以降に僕が帰っても飯を温めになどくるな」と釘を刺しました。ひとつ屋根の下に住んでいるというのに顔をあわせることは滅多なく、いたらいたでずっと部屋に閉じこもる先生は、時折「今日は一日遊んできて」と小遣いを渡して女中を家から追い出す。そういう方でした。

 先生のところで女中奉公にあがる前は、カフェーでお給仕をしていた癖があるのでしょうか。小遣いをいただくとよろこんで東京の街に繰り出したことは、ご主人様の言いつけ、ということで知らん顔してください。

 クラッチバックを小脇に抱え、背筋を伸ばしてカツカツとヒールを鳴らし歩く洋装の婦人とはいきませんでしたが、先生に追い出されることが週に一度も続いたため、気分だけはモダンガールに新宿だの銀座だのを出歩くことも多くなりました。
 大帝都東京とくれば見渡す限り人、人、人。黒光りする自動車に自転車の小波が続き、チンチン電車が行ったり来たりと玩具箱のように賑やかなものでした。その中から"コレ"に間違いないとおはじきを一枚取り出すのは難しいことに違いありませんが、そういう場に出ると、どうしてか先生の面差しを視界に捉えたと勘違いしてしまったものです。
 後々考えれば、それは世にも珍しい六つ子であった先生のいずれか、と見当をつけることも出来ましたが、先生は余計なことを喋りませんでしたし、双生児だって珍しいのにわかるはずがありません。なにより、その勘違いはパーッとめくった紙の中から一単語を目に留めるくらい一寸のことでしたから、気のせいかと数歩も歩けば忘れてしまうほど些細なものでした。

 その日も、起き抜けに先生はふらりと出掛けてしまいました。
 日増しに夏が近づく中、昼から外気温が三度高くなるという暑い日で、着物を襷掛けに庭で草取りをしていた私は、汗をかきかきふうふういっていました。
外からみればこんなにも目立つ西洋館だというのに先生の家に来客は少なく、来たとしても出入りの御用聞きが決まった時間にというところでしたので、一休みする間、私はすっかり気を抜いて木陰で休んでいました。
 流れる雲など眺めながら、今晩の献立は何にしようかしらと考えます。先生は夕飯がいるんだかいらないんだか言わずに出ていってしまうので、張り合いがなくていけません。どんなに遅く帰っても主人らしく「おい、ナマエさん」と女中部屋の戸を叩いてくれたっていいのに、ご自分でちゃんちゃんと作り置きを温めあんまにも呼ばず寝てしまうものですから、私としても野良猫を奉公するような気さえするのです。

 溜め息をつき、滴る汗を拭いさあもうひとふんばり。そんな時です、「あ、なんだいるじゃーん」と軽い口ぶりで洋装の先生がひょっこり庭先に顔を出したのは。
 私はもう独り言が漏れたのかとびっくりしてしまって、「あら、せんせ、お帰りですか」とドキドキしながら応えたのですが、洋装の先生は一瞬きょとんと目をまるくした後、熱で蝋が溶けたようにでろりと相好を崩し、先生にあるまじき顔でこう言いました。
「いいねぇ“せんせ”って響き。俺おそ松。“一松先生”のお兄ちゃんね」

 おそ松さんは一松先生の六つ子の兄で、区内の生家に両親と三人で暮らしているそうです。結婚はしておらずほとんど遊び人みたいな生活をしていて、しかし生家住まいだからか長男だからと、一松先生を含む余所の御兄弟はおそ松さんのところに定期的に顔をだし、世間話だの愚痴だのを溢して帰っていくそうです。
 その証拠にというか、おそ松さんは二言目にはこう言いました。
「一松が雇った女中さんて君でしょ? 名前は確か、ナマエちゃん! いいねぇ、可愛いね〜。でも男に騙されて借金のあるワケありで、処女でもないから結婚しそうにないと。そりゃはみ出しものだ。まあ、よかったと思うよ奉公先がここで。だって一松もおかしいもん」
 くっ、と息をのみました。まさか出会って早々に男性にこんなことを指摘されるとは思ってもみなかったのです。

 数年前、田舎から奉公に出た私は六十になる学者の先生のところに身を置いていたのですが、学者先生は一年も経たないうちに結核にかかり長野の療養所へ入所してしまいました。結核は国民病とも呼ばれる死病でした。打つ手なく命を落とす者は少なくなく、結核からカリエスを患い、背中に無数の穴が飽き、酷い臭気と耐え難い激痛の中、膿にまみれて最期を迎えたものもいたそうです。
 結核の恐ろしいところはそればかりでなく、身内に患者が出ると、取り巻く視線は途端厳しいものになります。それは奉公を勤めていた者も例外でなく、仕える主人を失った私は深川の長屋に移り住み、そこで東郷という男と知り合ったのです。
 東郷はウィンドウ・ペンのスーツの四十がらみの男で、はじめこそ都会のこなれた紳士として田舎娘にやさしく声をかけてきました。
 なにせ不安だったものですから私ときたら身も心も一息にまとめあげられてしまって、金を無心するようになった東郷のいい餌になりました。そのうち借金に首がまわらなくなり、明日食べることも危うくなってきました。東郷にも見切りをつけられ、亀戸の私娼窟に売り払われてしまうというところをからがら逃げてきて、しばらく新宿裏街のカフェーでひっそり働いていました。
 田舎に帰ろうか、しかしこんなキズモノでは嫁のアテはあるまいし、どうしようか。
 そんな風に悩んでいたところ、ある日「一松先生のところはどうか」と誘いがきたのです。

 私は渋い顔をしました。
 おそ松さんは、なんといえばいいのでしょう。出入りの御用聞きにカフェーの客、電車で隣り合った男性がじわりと発する男の匂いを隠しもせず漂わせ、汗ばむ首筋に触れてこようとするものですから、思わずぴしゃりと叩いてやりました。
「よくご存知なんですね」
 睨み付けると、悪い手をぷらぷらさせて痛そうに見せつけていたおそ松さんは、にやりとまた口角をあげました。
「一松からよく相談を受けるからね」
「相談?」
 思いがけない言葉に目を瞬かせました。
 おそ松さんは悪戯が成功した子供のように鼻の下をこすり、やはり、先生とは違う人間なのだな、と思いました。
「アイツはね、いつまで経っても女性関係にうぶなんだ。女を雇ったけどどうすればいいかって、すぐとんできたよ」
「うぶって、でも」
 男やもめ。私はそう聞いて先生のところにきたのです。つまり奥様がいたということで、それでうぶとはどうしたことでしょう。
 おそ松さんは勿体ぶるように声をひそめました。
「逃げられたんだよ」
「逃げられた?」
「そう。シンガポールに。まだ婚約段階の時に、一松が社交場にパートナーを連れていく機会があってね。そこであちらのお偉いさんに見初められて、とんとん拍子に高跳びだ。……いやあ、あの時の一松は悲惨だったね。婚約者の願い通りに西洋館買ったのに、いざ住んでみれば一人きりだ。そりゃないさょ。軒下の白い木に縄を引っ掛けて、いつぶらぶら揺れてるか心配してよく見にきたもんだよ。大変だったなぁ」
「まあ、それは」
 知らなかった。
 おそ松さんがお話をしてくれなければ、いつ知ったか見当もつきません。なにぶんこちらは先生の好物も知らないのです。聞かなければいつか、奔放な先生に業を煮やして蜂の巣をつついてしまうことがあったかもしれません。
「まあアイツも、少しは立ち直ったってことだ。でも裏切られるのが怖いから、一松なりに気を使ってるみたいだよ。女中相手におかしくないかってチョロ松……ああ、三男のことね。は言うけど、女中だって主人の命を護ることがある。二・二六では、襲撃された主人を押し入れに匿って正座し、毅然とした態度で動かなかったそうじゃないか。女の子にそういう危ないことさせるのはどうなのってトド松……あー、末弟ね。は言ってたけど、泣かせる話だって次男のカラ松は言ってたし、五男の十四松は一松兄さん殺されんの!? って言ってた」
「はあ」
 犬は三日飼えば三年恩を忘れぬと言いたいのでしょう。曖昧に頷くと、おそ松さんは、うんうん頷いてまた口を開きました。
 おそ松さんのお話は長過ぎるところがあって、それはいかにも社交的な彼の長所であるようですが、このお話で先生に同情と親しみを覚えてしまった私には疲れてしまうものでした。
「ねえナマエちゃん。スフのドレスを着た婦人が火達磨になったという事故を知ってる?」
「スフというと、人絹の」
「そうそう。木綿よサヨウナラ、我にスフありの、あのスフね。……大戦争の前にスフは姿を消したけど、今は改良されてまた市場に出てるよね。俺、あれ好きだなー。スベスベってして、ちょっとしっとりしてんの。女の子の肌みたいに」
「でも、スフは水に弱いですよ。すぐに破れてしまいますし」
「や、俺思うんだけどさ。世の中適材適所だよねほんと」
 おそ松さんは腕を組み、西洋館を仰ぎました。
「一松は弱いんだよ。スフみたいだ。今はね、改良されてまた市場に出てる段階。女中泣かせの生地なんていうけど、俺らなんかよりよほど君のほうがスフの扱いに長けてるでしょ。一松の様子を見るに今は落ち着いているみたいだし、一回お礼言っとかないとなって思ってて」
 白いペンキが陽光に照らされて水面のように眩しく光っていました。そろそろ夏の着物を出す頃です。先生もいい加減、麻の着物のひとつも仕立ててサッパリしてはいかがだろかと思いました。
 女中というのはある種の頭のよさが必要で、機微に触れて動かねばなりません。
 先生に、申し上げてみようかなと思いました。三越でうんといい着物を仕立てて、背筋を伸ばして朝から散歩など出掛けられてはいかがかと。
「ありがとうね、一松のところに来てくれて」
 おそ松さんが歯を見せて笑いました。
 私は深々頭を下げて、
「精一杯お世話させていただきます」
 と言いました。

 おそ松さんは満足げなご様子でしたが、ふと雨の匂いを嗅いだような顔をして、「……ただまあ、スフを改良したのが誰かってので、変わってくるんだよなぁ」とぼそぼそ言いました。不思議に首を傾げましたが、「ま、それはいいか。なんとかなるって」とまたけろりとするものですから、こちらとしても、まあ、いいのかしら。というところで、ほほ笑んで返しました。
 一松先生の家は人の出入りは少ないですが、猫が毎日入り込むので掃除が大変です。こちらの気も知らず爪を立てるものですから、カーテンはすっかり襤褸になりソファーの足は虎柄に剥げてしまうのです。でもそれは、猫を可愛がる先生からしてみれば油の染みた鍋のように愛着のあるもので、目を三角にしてこちらが怒るのは機微が足りないことです。
 おそ松さんは借りた金を返しにきたのだと思い出したように拾円を寄越し、「それじゃ、まったねー」とまた軽い調子で坂を下っていきました。

 階段下の、お勝手に便のいい三畳の女中部屋。そこが私の城でした。北側に窓があり、室内には押し入れがあるだけで、廊下との境は引き込み戸だけで鍵はありません。
 誰一人家族と呼べる者がいない環境に身を置く女中は、男性の性道徳が極めて寛容である中、弄ばれるのは日常茶飯事に聞く話です。立場を取り払ってしまえば若い盛りの男と女でしかない我々でしたが、先生の家で奉公をするようになってからただの一度も、寝入りばなにミシ、ミシいう音で目を覚ますことはありませんでした。

 おそ松さんの話を聞くに、先生は純情で、傷つきやすい乙女のようでした。
 てっきり先生に避けられているとばかり思っていたのですが、話を聞いた前と後では気分が変わってくるもの。「夜二十時以降に部屋を出てはいけない」と言われていたのも、気兼ねない自由時間をもたせてやろうという心遣いだったのではと、その夜はいつもより目がさえてなかなか寝付けませんでした。
 寝付けない理由のひとつに、拾円を預かっているということもありました。私の月給は拾八円でしたから、月の半分が手元にあるというのは非常に落ち着かず、今日こそ先生は早く帰ってこないかしらとギリギリまで表に立って坂の下を見下ろすなどしていましたが、そう期待通りにいくこともなく、布団に潜り込んで二、三時間ばかり経ちました。
 
 うとうとと舟をこいでいると、ニャア、とどこからともなく猫の鳴く声がしました。はっとして身を起こすと、引き戸の隙間から薄い光が差し込み、先生の帰宅を告げていました。
 平時であれば「ああ、お帰りになったんだな」と明日の起床時刻を確認して再び眠りにつくところでしたが、拾円のこともあり、しばし悩んだ後、私はそろそろ寝床を這い出て羽織を引っかけました。

 先生のお部屋は、二階をあがってすぐの八畳間にありました。先生はお部屋にまで猫を連れ込むものですから、階段をあがって掃除をするのは毎日のことでしたが、夜にお声を掛けにいくのははじめてのことです。
 マホガニー材の手すりに掌を滑らせてゆっくりと階段をあがり、先生のお部屋の前で拾円を胸に抱いたまま、なんとお声を掛けようと躊躇っていると、ニャア、と猫の鳴き声が扉越しに聞こえ、続いて先生のくぐもった呻き声が長く耳に届いたのです。
 こんな夜更けだから、ひょっとしてお酒を召して気分を悪くしているのかもしれない。猫がいたところで介抱の手伝いにはなりません。私は思い切って口を開きました。
「先生、お帰りになったのですか。お加減が悪いのですか」
 するとぴたりと呻き声が止みました。
 代わりに猫が先ほどよりもずっと近いところで鳴き、扉の向こうからカリカリとひっかく音が聞こえました。間もなく、ガチャリ、と金属がまわる音がして、猫がするりと部屋から飛び出してきました。部屋に顔を向けてすぐ目に入ってくるベッドの上には、先生が腰かけていました。
「先生……」
 呼びかけて、アッと思いました。
 先生は局部を露出し、耽っていたのです。いつもの据わった目――やや潤んではいますが――をこちらに向け、しばし呆けたように固まった後、思い出したように右手を動かしはじめました。
「どうしたの」
 どうしたのときたものです。
 そうなってはこちらとしては危急が差し迫っているという態度をとるのはおかしなものかと思いもして、やっぱりこれもおかしなことですが、いつものように取り澄まして用件を伝えました。
「昼間に御生家のお兄様がいらっしゃって、拾円を預かっているんです。先生がお顔を見せるまでお待ちしようと思っていたのですが、なにしろ拾円ですから、とても持っていられなくって」
「……ああ、そう、おそ松兄さんか珍しい。大方博打に大勝して、ついでにアンタの顔を拝んでやろうという成り行きか。わかった。確認するからちょっと待ってくれ」
 先生は上反りを極端に撫でまわして体をびくつかせると、息を吐いて手繰り寄せたガーゼで吐液を拭いました。それから緩慢な動きで腰を上げ、乱れた着物の襟をなんとなく正してこちらまで歩いてきました。
「拾円ってそれ?」
 頷いて渡すとその場でお金を数えはじめましたが、先生の体からは特有のものが沈丁花のように濃く香っていました。
 先生は納得してお金を戸棚に仕舞うと、ベッドの上にまた腰を下ろして溜息をつきました。長い長い、魂が抜け出てしまいそうな溜息でした。
 それから「ナマエさん」と呼びかけられました。
「薬棚にカルモチンがあったでしょ。水と一緒にあれを持ってきてくれ」
「どうなさるおつもりですか?」
「今から一瓶飲みきって死ぬ」
 先生は極端です。

「僕、猫がいないとイけないんだよね」
 死にたがる先生をどうにか宥め、あたためた牛乳に蜂蜜を溶いたものを渡すと、先生はそれをちびちび啜りました。
 昼間おそ松さんが来ていたことで察したのか、観念したように――否、開き直ってぼそぼそ呟きました。
「婚約していた娘に捨てられたんだよ。色白の、田舎にいれば五歳くらいで芸者屋に買われていきそうな器量よしの娘だった。性格はこれはまた猫らしく気まぐれなものでね、西洋館に住みたいというから、籍を入れる前にでもとすぐこの家を買った。喜んでたよ。ただね、猫ってのは家につくもんだ。居心地のいい家が他所にあれば、簡単にそっちに行っちまう。僕は飼い主といえるような男ではなかったし、陰気だし、情なんて爪の先ほどもわかなかったんだろう。しばらくして、海の向こうから結婚したって便りが届いたよ。もう死のうと思ったね。彼女が特別感激したポーチのところで首吊って、タイル張りの床に糞尿垂れ流して死んでやろうとしたよ。でもそん時はもう、猫が出入りしてたんだ。ああ、本物の猫ね。本物の猫にしてみれば居心地のいい家は外国にないみたいだし、毎日くるし、甘えた声で擦り寄ってくるし、なんとなく世話しているうちにしばらく生きてみようかという気になってたんだけど、縁談の話がきたって生身の女にはぴくりとも反応しなくなっちゃったんだ。まあ、生身での経験もないけど。でも溜まるもんは溜まって具合は悪いし、どうしようかと思って猫撫でてたら、あのやわい皮膚と体温に反応してしまってね。……ああ、蔑んでいいよ。自分でもおかしいと思うから。で、まあそんな体質になっちゃったし、でもずっとそうはいられないこともわかってるから、まずは女中でも雇ってみたらどうかっておそ松兄さんに言われたんだよ。女中ならはずみで手をつけたって御咎めなし。しかもキズモノなら、互いにこじれることもないでしょってね。……引いた? ヒヒッ、まあそうだろうね」
 先生は白くなった上唇を拭いました。

 その目は言葉にした通り、いかにも蔑んで下さいと暗く濁っていましたが、事が事ですし男性の性事情に女が、ましてや女中が口出しすることなど出来ず、「そんなことおっしゃらないで下さい」と言うよりほかにありませんでした。
「先生。先生がそうした経緯でも私を置いて下さったこと、私はうれしく思っています。先生の問題については思案に余ってしまいますが、もう少し、女中を使うことをお考え下さい。いつ御帰宅なされたって、夕餉を温めることは致しますから」
 一松先生はきゅっと口を噤み、目を丸くしてこちらを見つめました。
 そのままうんともすんとも言わないものですから私も尻の座りが悪くなってしまって、「先生はおうちにちっともいらっしゃらないので、張り合いがありません。生きているんだか死んでいるんだかわかりませんもの」と冗談っぽく言ってみたのですが、俄かに顔を赤電話みたくぱっと染めて「そ、そう」と、なにやら忙しなく膝を抱えました。「は? 何これ夢?」とぶつぶつ言っています。
「この西洋館にしろ先生の風変わりな様子にしろ、私からしてみれば、はじめから夢みたいなものでした」
「夢……」
 先生は眠たげに溶けっぱなしの瞳でちらちら私を見上げました。
「アンタと俺は違うでしょ。アンタは田舎育ちで少し蓮っ葉な女、俺は都会で生産されたただのゴミ。アンタが時勢にあわせて銀座なり新宿なりを歩く間、俺はこそこそしてんだよ。わかるか」
「……先生、私、お兄さんに適材適所と言われました」
「は?」
「適材適所。ゴミかどうかは知りませんが、先生はスフだそうです。私は女中だから、うまくしてくれるだろうと。そんなことをおっしゃっていました」
 先生は目を伏せ、思案するようにとん、とん、と爪先を叩き、唇を舐めました。
「……じゃ、じゃあ次、アンタの着物貸してくれる」
「着物ですか」
 脈絡のない言葉に首を傾げると「帯でも、なんなら襷紐でもいいけど」と続けます。
「俺だって一応男だし、スフなんて生白い女みたいな喩え、されてるわけにはいかないから。せめて綿ぐらいにはなりたいし、だから、て、手伝ってもらいたいんだけど」
 先生は感じ入った様子でした。

 なるほど、世話焼きの叔母はこれを見越して話をつけ、両親も小言を抑えたのでしょうか。
 それにしたって、まあ、詐欺にあった心地がしなくもありません。改良されたとてスフはいつまでも絹にはなれませんし、男に騙されて借金を作った私の性質も、そう変わりはしないのでしょう。


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