本丸の風紀を乱すヤツは咬み殺すよ

 雲雀恭弥は、幼い頃から一人でいることを好んだ。
 「○○ちゃんといっしょじゃなきゃいや」と駄々をこねる四歳児には白んだ目を向け、どちらかといえば水槽を分けなければ死ぬベタに親近感を覚える性質だった。「みんなで仲良くお昼寝しましょう」の時間は寝不足になるものでしかなく、遠足も、せっかく狭い園を抜けたのになぜ子鴨のように歩かねばいけないのかとぶすくれていた。

 十年あまり前、小学生の時。昼休みに行われた抜き打ちの避難訓練で、雲雀はばったりと校庭に倒れることがあった。一人で過ごせる貴重な時間を非常ベルで叩き起こされ、集団行動を強いられた上、炎天下の校庭で長ったらしい校長の話を聞く羽目になったものだから、ぐるぐる目を回したのだ。倒れた自分に慌てて群がる人・人・人を見て、ぶつぶつと発疹が起き、とうとう死ぬかと幼心に思った。
 そういうわけで、雲雀は齢六歳にして心因性の蕁麻疹もちと診断された。
 以来雲雀の通う並盛小学校では、校長先生のお話イコール三十秒CMと認識が広まったことはさておき──並盛町でちょっとした権力を有する雲雀の家の恭弥くんは、病気を理由に授業中であろうが学校行事であろうが、好きな時に好きにふらふらする生活を黙認された。

 中学生になっていくらか体も丈夫になり、またちょっとした権力もよりよく行使出来るようになると、雲雀は自由を謳歌するようになった。風紀委員長という肩書きで並盛町を自分の好きに仕切り、中学校の応接室には居心地の良い巣を作った。校則違反者、遅刻常習犯、眠りを妨げる者に、目につくところで群れた草食動物。頭といわず顔といわず、感情の赴くままに乱打して伏せる四肢を踏みつけた。そのなんと胸がスカッとすることか。雲雀はその嗜虐的な行いを楽しいものと思っていたし、楽しむ雲雀をとめられるものは、誰もいなかった。
 殺し屋の赤ん坊が姿を現してからは、雲雀の周りはちょっとばかり騒がしくなる。他校からちょっかいをかけられたり、イタリアから暗殺集団が乗り込んできたり、未来へ飛ばされたりと、およそ普通の中学生らしからぬイベントも多々こなした。この頃になると、雲雀の暴力を受け止められる者がちらほら現れた。雲雀としても壊れないサンドバッグは好ましく、何かの折に共闘という形で群れもした。久しぶりに蕁麻疹を起こしたが、死ぬほどではなかった。

 雲雀は群れるのを嫌う。もっとも何に対してもというわけではなく、許容の範囲が広がるのを自覚していた。雲雀の癇癪が極まっていた頃は飼育小屋の鶏の群れにさえどうしようもない苛立ちを覚えたものだが、今では──少なくとも鳥類については、十匹二十匹といわず数百匹に囲まれようと、発疹のひとつも起こさずすやすや熟睡出来るまでになった。
 ならばその群れが、無機物であり、神様であったなら。
 奇天烈な中学生生活を送る雲雀も、その問いは想像すらしたことがなかった。



 ──並盛山は冬支度をはじめているのに、夏の匂いがした。雲雀はジワジワ蝉の鳴く坂を上り、本丸御殿に向かって黙々と歩く。顔を上げると、先のほうで海原のように波立てる瓦屋根がちらと覗く。瓦ばかりであった屋根から懸魚が見え、漆喰塗の壁が見え、松林から降り注ぐ光の五月雨を抜ける頃、邸を囲う櫛形塀と玄関の境の辺りに少年がぽつり立っているのが見えた。年の頃は雲雀よりも年下の、小学生といったところか。軍服に外套を纏い、ちょっと見いいところの子息のようだった。
「主君!」
 少年──前田藤四郎は雲雀を目にするや否や、飼い主を待ちわびる犬の目で駆けてきた。
「お戻りになられたのですね。お早いお帰り、嬉しく思います」
「うん」軽く相槌をうつだけの雲雀。肩に引っかけた学ランが風に靡くのを、追いかけるように前田の外套が続く。
「まずはご不在中の出来事を報告致します。江戸は加役方人足寄場に送っていた遠征部隊が戻りました。彼の地より玉鋼五十、研石二百五十を取得。成果は上々です。帰還時に五虎退が疲労状態にありましたが、主君が戻るまでの間に休息を済ませてあります」
「鍛刀をしていたね。あれはどうなった?」
「万事滞りなく。今は、主君の霊力を待ちわびております」
「そう」暑さに生返事だった雲雀の声が、微かに弾む。「今度のは強いかな」
「出現時間は三時間でしたから、打刀か太刀のいずれかでしょう。どなた様が来ても、きっと戦力になりますよ」
「それは楽しみだ」

 広い本丸の廊下を進み、いくつかの角を曲がる。一段下がった場所に構える鍛刀場は通常のそれよりもずっと簡易な造りをしていて、人の代わりに式がいる。刀を打つために必要ないくらかの素材を式に与え、その他諸々の工程を経て鍛刀された刀に霊力を注ぐのが雲雀の仕事だ。
 式から刀を受け取り、丁度、匣兵器に死ぬ気の炎──雲雀によればムカつき──を注ぎ込むイメージで、力を込める。すると指先を伝い柄が熱を持ち、音にならない鳥の鳴き声のようなものが頭に響く。視界が明滅する。急所を殴打されたように内部が軋み、雲雀はやや顔を顰める。明滅。目が眩み意識が飛びかける隙を狙うよう、ふいに掌に掴んでいた柄の感覚が消え失せる。明滅。「……」──そこになかった何者かの気配に応じて目を開く。
 雲雀の目の前に、男がいる。
「──俺は同田貫正国」
 戦国時代を思わせる、黒い質素な鎧姿。罅割れた赤い兜を脇に抱き、眉間と左頬に走る傷の隙間から、獣のような目が覗く。
「俺たちは武器なんだから、強いのでいいんだよ。質実剛健ってやつ? ……あー。で、あんたが俺の主か?」
「そうなるね」雲雀は、好奇心に満ちた目付きで同田貫を窺う。同じ土を踏む生物のような物懐かしさがそこにあった。「同田貫正国。いわゆる剛刀と呼ばれる質素な造りの刀。天覧兜割りで見事十二間筋の兜に切り込みを入れた──だっけ?」
「間違いないねえが、あんたも見栄えを気にする性質か? 悪いが、俺は敵を叩き斬ることしか脳がない」
「そういうのは僕も好きなんだ。尤も──」雲雀が同田貫の懐に入り込む。「!」凄まじい打撃音。鉄と刀とが擦れる音。僅かな殺気を察知して咄嗟に刀を抜いた同田貫は、間一髪で攻撃を受け止めながら肝を冷やした。「いいね」口角をあげる雲雀。
「おいおい、随分な挨拶じゃねえか。あんた本当に俺の主か?」同田貫は腕に力を入れながら雲雀を睨みつける。前田藤四郎が何か叫んでいるが、聞こえない。同田貫には雲雀が遊んでいるように見えたが、顕現早々折られてしまわない保証はどこにもなかったし、隙をついて打ち倒してしまうのは”まずい”と本能的に悟っていた。前田が何度目かの叫び声をあげる。
「主君、同田貫殿! どうか武器をお納めください! どちらも傷つけばただでは済みません!」
同田貫も前田も刀剣男士。刀剣男士とは、審神者より生み出された付喪神。末席に連なるとはいえ神は神。人よりも上の存在にあたるが、”親”となる審神者をその刃で傷つけると位が落ちてしまう。
「わかってるよ」雲雀があっさりと武器――トンファーを引き、同田貫は警戒しながらも刀を鞘に納めた。
「……あんた、何なんだ?」
「何って、審神者だよ」雲雀の声は飄々と、どこか白々しい。あの僅かな間、獲物を見つけた獣のようにギラついた衝動は、ふいと不機嫌な顔にすっかり潜んでしまっていた。「……ここじゃ満足に君たちを咬み殺すことも出来ないんだよね」
「はあ?」
 カミコロスとやらが戦闘行為だと咀嚼して──それはそうだろう、と同田貫は思う。同田貫は雲雀を、審神者なる者とはとても思えない。



 今より一月ほど前、少年漫画の登場人物らしい厄介事が雲雀の元を訪れた。
 二二○五年の”時の政府”の使いとして現れたこんのすけと名乗る狐は、雲雀に「審神者になって欲しい」というのだ。
 こんのすけ曰く、審神者とは、眠っている物の想いや心を目覚めさせて自ら戦う力を与え、それを振るわせる技を持つ者のこと。審神者は刀剣より生み出された付喪神・刀剣男士を各時代に送り込み、歴史改変を企てる時間遡行軍と闘いを繰り広げることが役目であるのだという。
「時間遡行軍?」耳慣れない単語に、雲雀は首を傾げる。
「歴史改変主義者とも呼びます。親殺しのタイムパラドックスはご存じでしょうか。過去に戻って親を殺せば、子である自分はどうなるのか」
「ひとつには何らかの事象が働いて殺せない。ひとつには子である自分は消えてなくなる」
「はい。我々は後者だと考えています。そのために、例えば──本能寺で焼け死ぬはずの織田信長を救おうとする者がいれば、これを排除する。こうして、歴史を正しい方向に導いているのです」
「まるでSF映画だね」しかし雲雀は、似た事象に心当たりがあった。「君の言葉を借りるなら、僕は十年後の世界で白蘭を倒し歴史改変を行った。刀剣男士とやらが送り込まれて、僕を倒しにくるのならわかるけど……逆っていうのは変だね」たとえ未来が崩壊したままだとしても、と雲雀。
「申し訳ありません、雲雀様。おっしゃっていることがわかりかねます」
「ふうん?」

 雲雀にとっては数ヶ月前であり、十年後の未来であった出来事。
 雲雀はある日、ひょんなことから未来へ飛ばされ、十年後の世界で新世界の創造主となることをもくろむ白蘭と対峙した。あらゆるパラレルワールドに干渉する力を得た白蘭は私利私欲の限りを尽くし、戦闘は熾烈さを極めたが、紆余曲折を経てこれを倒すことに成功した。そして白蘭を倒したことにより、白蘭が得たマーレリングで引き起こされた出来事は全て、全パラレルワールドのあらゆる過去に遡り抹消されたのだという。しかしその未来の記憶は、未来でその闘いに関わったごく一部の人間にしか知らされていない。
 西暦二二○五年の時の政府がいかなるものかわからないが、たった二百年では、時空の法則を無視した「奇跡」を起こすトゥリニセッテの御技に干渉する術はないらしい。

 わざわざ話すのも面倒に思った雲雀は沈黙し、それを了承と心得てこんのすけは続ける。
「審神者は誰にでも務まるものではありません。第一に必要であるのは、刀剣男士を生み出す霊力──。雲雀様は、この霊力が殊の外強い。故に、過去に訪れてまでこうしてお願いに参りました」
「それって、君達が歴史改変を行ったと捉えられない?」
「狭義で言えば違いありませんが、ご心配には及びません。誤差の範囲内として我々は計算しております」
「まぁいいや。……ようは戦えっていうんだろう?」
 審神者業も歴史改変も、雲雀にはどうでもいい。魚が水中で息をして鳥が空を飛ぶように、戦いは雲雀にとって生きることだった。殺し屋の赤ん坊が目の前に現れてからというもの、嫌なことも楽しいことも目まぐるしく過ぎていったが、戦闘に対する欲は一向に萎えず今日まである。”間”があくと雲雀は衝動を持て余し、退屈した。仕組まれたことか否か──なんにせよ今はその絶好のタイミングにある。

「ところで、もうひとつ気になっていたことがあるんだけど」
「はい、なんでしょうか」
「二百年後の狐は喋るのかい?」


 時の政府から支給された狐型動物ロボットにデータを送り、鍛刀の仕事にひとまず区切りをつける。顕現したばかりで本丸の勝手を知らぬ同田貫には、適当な刀剣男士を案内役に任せてきた。
 長い廊下を引き返し、またいくつか別の角を曲がりながら、雲雀は本丸に構えた自室を目指す。道中、同田貫の戦闘力を数値化した情報に目を通すと、改めて雲雀は口惜しい気持ちに溜息が出る。
「過去へ遡ることが出来るのは刀剣男士のみ、ね。審神者の僕は留守番ばかりで、退屈しのぎをしようとしても、君らは僕を斬れば堕ちるとか。……聞いてないよ」
「お役に立てず、申し訳ありません。しかし、刀剣男士を相手に手合わせをしようという審神者は珍しいと聞きます」
「つまらないヤツばかりなんだね、審神者って」と雲雀。
「ですから、主君が珍しいのです」と前田。
「ふーん」
 渡り廊下を歩く二人。生返事をする雲雀の視界に、炎天下の日本庭園が見えた。十年後の地下アジトでも採用されていたホログラムは、二百年後には湿度、気温、僅かな風をも再現して四季を表わすことに成功しているらしい。戦場に出陣出来ないことを知った雲雀が暴力に訴え、ノイズを走らせた箇所は、晴れやかなひまわりが咲いている。
 審神者をする見返りとして、雲雀は時の政府に対し「狭義に歴史改変する範囲内での支援」を要求した。今や雲雀にとって審神者とは財団を立ち上げるための小遣い稼ぎといったところだが、悪徳商法に引っかかった気持ちはどうも拭えない。どうでもいいことに関しては死ぬ程どうでもいいが、まるで雲雀自身が戦えるという触れ込みであったのに、蓋を開けてみれば唯一の目的が果たせないのだ。これが憤らずにいられようか。近侍として置いている前田籐四郎は眉を潜めるが、顕現した刀剣男士の味見くらい大目に見ていいだろうにと雲雀は思う。

 雲雀が纏う空気がピリピリと痛んでくるのを、前田は一歩後ろから察知して反射的に身を縮ませた。雲雀は気難しいが、近侍を勤め傍に控える時間が増えると、そういった”空気”から落雷の兆候を見極められるようになる。
 前田は同田貫と同じく、鍛刀によって雲雀の手から生み出された短刀だ。
 刀剣男士は短刀・脇差・打刀・太刀・大太刀・薙刀・槍と大きく七つに分かれ、短刀が現世に顕現した姿はその名の通り幼い。短刀は身軽で偵察や夜戦には強いが、一撃の重さが太刀や大太刀とは比較にならないほど軽く、見た目のイメージも相まってどうも近侍に任命されにくい。前田は短刀が占める籐四郎の中でも末席に座す刀で、刀としての大きな武勲もないため、自身の分霊──他の審神者の元で顕現した前田籐四郎──の様子を見ても、「そうであろう」ということを自覚していた。

 それだけに、顕現してすぐに雲雀の元で近侍をしはじめた自分が誇らしく──ある刀を、哀れにも思う。
 打刀であり、審神者がはじめて手にする初期刀。自身よりもよほど優れた武勲を持つ加州清光。
 雲雀としては、風紀委員長としての自分を補佐した草壁を基準に選んだ結果だが──あの日の、親に置いていかれた子供のような目をした加州。その表情を思うと、前田は首を真綿で締め付けられたように息苦しくなる。

 雲雀の自室が近い。広さの割に雲雀に合わせて比較的静かな本丸も、ここまで来ると辺境の別邸という佇まいになる。だからそのような場所に、雲雀と、近侍の前田以外の気配があるのは稀なことだ。
「主!」
 雲雀を待ち構えていたように姿を現した加州清光。笑顔で迎えるのはいいが、よりにもよってこんな時に、と前田は頭を抱えた。
「加州清光」憤りを引き摺る雲雀の声色は、微かに低い。
「お帰り主! ねぇ、これどうかな、楽焼の湯飲み。まっさらな黒楽なんだけど、光の加減で赤くも見えない?……なーんか、主みたいだなって思って──」能天気な加州。前田は一歩二歩、雲雀から距離を取る。
「……加洲清光」雲雀の声は低い。
後ろ手に、トンファーらしき鈍い光が見えた。前田はもう嫌な予感しかしない。「──っ主君、実は政府から急ぎの……」
「僕の湯飲みをどこにやった?」
「実はうっかり……──ッいだァ!?」
「……」遅かった。目を細め、恐る恐る加州を窺う前田。

 雲雀の自室から離れた本丸の一角。庭に面した板敷きの廊下で背中を曲げ、加州清光は縮こまっていた。そこに、通りすがりの大和守安定が侮蔑の眼差しを向ける。「……何やってんの?」
「あー……なーんで俺、すぐに主を怒らせちゃうんだろう」
「お前が馬鹿だからだろ。これだって、何が主みたいだな〜だよ。黒に赤って、お前じゃん」
「あ、わかる? っていうかよく知ってるー……」
「聞いてないけど、お前がその湯呑もってにやにやしてたから想像はつく。そういうところがうざがられるんじゃないの。うちの主、ただでさえ気性が激しいんだから。特にお前みたいなヤツに」
 大和守安定は加州清光と同じく打刀であり、刀剣男士としての生を受ける前は、沖田総司を主とし共に使われた。そういう基盤があってこその毒突き・罵倒であるが、加州の反応はといえば暖簾に腕押し。不審に思って見れば、数百歳のいい歳をして涙など浮かべていた。
「うっわ、ブス面。何? 泣いてるの?」
「うるさい! だって俺、可愛いだろ? 着物には気を使ってるし、爪だってちゃんと塗ってる。俺は主の初期刀なのに、でも、なんで、可愛くしないと、捨てられる……」
 めそめそする加州に、大和守は心底面倒臭そうな顔をする。

 加州は、殊の外愛されたいという欲求が強い。刀工・加州金沢住長兵衛藤原清光に打刀として打たれた場所は非人小屋であり、貧しい生まれであった加州は、「オシャレをすれば可愛がられる」とその身を一杯に着飾ることを願った。その欲求は深紅のマニキュアにピアス、ピンヒールブーツと、およそ「沖田くんの刀」とは思えない姿形をもって表現され、また、刀としての最期を破棄という形で終えた加州は、その身が汚れることは捨てられることだと酷く恐れた。
 大和守からしてみれば、杞憂だ妄言だと切り捨てたい。大体、うちの審神者は雲雀だ。強いか強くないか、群れるか群れないか。あるいは、ムカつくかムカつかないかで物事を判断しているような人物だ。今の加州を見れば、ムカつく且つうざいに分類されることは予想がつく。
「……あーあ、これじゃ新入りのほうがよっぽど主に気に入られるな。見た目を気にせず強さだけを求めてるヤツのが、うちの主は好きと見える。お前はそうやって練度不足で畑当番に回されて、服の汚れだけ気にして生きていればいい」
 吐き捨てると、加州は薄く笑う。荒んだ笑み。大和守は気分が悪くなって、「うるさい」と雲雀に注意を受けることも構わずドスドス廊下を歩いた。
 加州に限らず刀剣男士達は皆、多かれ少なかれ愛されたいという欲求を抱えている。「沖田くん」の影響を強く受けて顕現した大和守も例外ではなく、だからこの本丸にいる限り、加州のような不安は影のように付きまとっている。
 主は、いつか僕らを捨てるのだろうか。
 大和守は思う。しかし考えないようにする。自分の抱く不安は全て加州一人の妄想だと罵倒を押し付け、すんとしていれば、薄情な自分を嫌いになれた。



 本丸に浮かぶ太陽がすっかり西に傾くと、雲雀は審神者業を切り上げて自室を出る。書類が溜まっているのを集中して片付けたくて、前田には下がらせていた。しかし今はどうにも喉が渇く。「ねえ──」前田、と呼び掛けようとして、雲雀はふと近くにある気配が前田のものではないと気付いた。
 腰を上げて障子戸に向かい、音を立ててこれを開く。スパン、と存外いい音を立てて開いた戸の先にはびくりと肩を揺らす加州の姿があり、手に持つ盆には見慣れた湯呑が置かれていた。表情はいかにも恐縮している色が浮かび、おおよそ雲雀には加洲の用向きが知れたところだった。
「あ、あるじ」
「……」
「あの、そろそろ終わるかな〜って思って、お茶淹れてきたんだけど…」
「……湯呑、割ったんじゃなかったの?」
「割ってないよ。うっかり──……うっかり、その時は洗い忘れてたな〜って、思い出しただけ」
「そう」
 雲雀の声は静かで、感情が読みとり辛い。加州は、また余計なことをしてしまったのだろうかと不安になった。新入りの同田貫は雲雀のように強いか強くないかで判断する性質らしいというのが、殊更不安を駆り立てた。
 元々、初期刀である加州をあっさり切り捨てて近侍に前田を任命したこともショックだったのだ。刀剣男士になった頃は、新しい主のためにとせっせと人の体を生かして近侍の仕事につとめたが、刀としての最期がそうさせるのか、見離される恐怖が日々募っているのを感じてはいた。近侍を下げられてからは加速度的にそれは増し、いくら大和守に忠告を受けようと、媚びるように窺わずにはいられなかった。
「主は──」俺のことが嫌い? そう問いかけようとしたが、雲雀の視線が己の一点を向き、凝視していることに、加州は息をのみ込んだ。「えーと、主?」
「傷がある」一点を見詰めたままの雲雀。
「……あ、さっきの」視線を追いかけ額にあることに気付くと、加州は殴打されたことを思い出した。雲雀に。雲雀に殴打されたのだ。これで雲雀の目ときたら「うざくて脆いなんて死にたいの?」と問いかけているように冷たいので、加州は、庭のホログラムが冬であれば凍え死ぬのではないかと思って回れ右をした。
「どこに行くの」飛んでくる雲雀の声。
「だって、どこって」速やかに人目につかない所へ引っ込みたい加洲。
「傷があるって言ったの、聞こえなかったの。手入れをするからさっさと刀に戻りなよ」
 加洲の目が微かに丸くなった。「主は俺が嫌いだから、手入れなんてしてくれないと思った」
 加洲としては嫌味を言ったつもりはなく、むしろ感嘆の溜息と共に出た純粋な言葉だったが、雲雀の耳には濁って聞こえたらしい。気を遣ったつもりもなかったが何となく腹が立って、雲雀は「そうだよ」と仁王立ちに腕を組み見下すように鼻を鳴らした。
「嫌いだ。刀だか付喪神だか知らないけど、僕が振るえないんじゃ君らは等しく人間だしね」
「……主、変わってるよなー」どこぞに行ってしまいたいという気持ちはどこへやら、加洲は感心しきりだ。「俺らを人間と断定する審神者なんて、主くらいなものでしょ」
「他の審神者がどう考えているのかなんてどーでもいいよ。君らは人間と同じように食うし、眠るし、話すし、群れる。元が刀だけあって個々の力が一定以上あるのは好ましいけど、それだけだ」
 刀剣男士の中には国宝級の刀までいるのに、まるっとひっくるめて「それだけ」らしい。そうだとするならば、前田藤四郎といわず同田貫正国といわず、今後どのような刀を雲雀が手に入れたところでまるっとひっくるめての「それだけ」だ。加洲はおかして笑い出しそうになった。加洲がいくら悩んだところで元来の根は変わらないが、雲雀も雲雀であるのなら、加洲を捨ててしまう程の「特別」は現れない気がした。
「…………俺、主が主でよかったかも」
「は?」
「ううん。なんでもなーい」
「…………あんまり暇じゃないんだから、さっさとはじめるよ」
 雲雀に促され、自室に足を踏み入れる。本丸の中でも一際雲雀の霊力が濃い場所は、雲雀に顕現された刀剣男士達にとって布団の中のような居心地の良さがある。軽傷重傷問わず、手入れをするなら手入れ部屋に向かい、式の手で傷を癒すのが通例だが、雲雀はたまに自らの意志で手ずから手入れを行う。
 手入れの道具を揃えて座す雲雀に、向かい合いようにして加洲が立つ。目を閉じ、水流に体を預けるように四肢の力を抜くと、指先から人の感覚が失せてくる──ただの加洲清光に戻る。

 深紅の艶やかな鞘に黒の装飾。鍔に彫られた猪目は縁起が良く、福を招く。

 雲雀が初期刀として加洲を選んだのはまったくの気まぐれだ。こんのすけから指し示された五振の刀のうち、黒に赤の配色が血生臭く見えて少しばかり親しみを感じた──それだけの理由。顕現した時は、自己紹介をはじめる加洲の爪を風紀委員長らしく見咎めて「並盛中では校則違反だ」と顔をしかめた。狐型ロボットでしかないはずのこんのすけも含め、空気が固まるのを感じた。

 今となっては加洲の爪も、それもひっくるめて刀となる毛皮のようなものと心得たが、保健室から持ち出した除光液を差し出した時の加洲の顔は未だに忘れられない。ぎょっと目を見開き口をひきつらせる様は、どこから見ても神様には見えなかった。
 雲雀は、加洲清光を持ち上げる。懐紙をくわえる前にふと独りごちる。
「刀は僕の専門ではないけど、手入れをするのは嫌いじゃない。君らの敵がどんなだったか想像するのは──ここでは数少ない、娯楽になる」
 尤も、今回の傷は雲雀の手によるものだが。

 雲雀が加洲を捨てるとすれば、全ての刀剣をひっくるめてだ。加洲清光の主は、そういう性質だった。

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