八月の煩悩

 炎熱地をやくとはまさにこの事であり、残暑厳しい今日この頃でございます。
 我が並盛中学校の夏期長期休暇は大きな問題もなく半ばを過ぎ、残すところ十日ほどとなりました。
 風紀委員会は相変わらず忙しく毎日を過ごしておりますが、私が当初危惧していた長期休暇中の委員会休みは心ばかりではありますがいただけるようになり、お盆の時期は連続で休暇をいただけるという大盤振る舞いを委員長は見せてくださいました。基本的に平風紀委員はローテーション制で休みをいただけるのですが、しかし私はその限りではありません。皆々様と比べると肉体的に貧弱で、喧嘩といえば兄弟喧嘩か親子喧嘩ほどしか縁のない私は、元々この漢ばかりの世界では特異な位置に属しているのです。応接室での事務処理、および平風紀委員と委員長の間を受け持つパイプ役を草壁くんとはまた違う格好で勤める私は、よく言えば代わりがいない存在です。そのため、委員会お仕事を休む日取りの実に九割は委員長の独断で決められました。
 なんたる横暴、まさに鬼畜の所業で生かしてはおけぬ。もしかすると、不自由な私の立場を憂いそう叫ぶ人もいるかもしれません。しかし、鬼のように恐ろしい委員長にも人の子の心はあります。私がいやになってしまわない程度に適度に休みが組み込まれ、やむを得ず激務となる頃には、飴と称し冷たくとろけるアイスを奢ってくれましたし、お昼にお寿司を食べさせてくれました。カラッとよく晴れた日にはバイクの後ろにまたがって、海まで連れて行ってくれたこともあります。仕事をするのではなく遊びに委員会に来ているようで申し訳ないような気もしなくはないのですが、すべては夏のせいということで済ますことにしましょう。
 さて、夏に楽しい思いをしたのはそれだけではありません。
 毎年恒例、全国の小中学生が時間を見計らって画面に張り付くアニメスペシャルおよびドラマスペシャルは、今年も変わらず私を楽しませてくれました。休暇前一番の問題であった「委員会が休めなくてリアルタイムで観れないし録画しようにもビデオデッキがイカれている」件については、委員長が進んで提案してくれた「録画、してあげてもいいけど」発言により無事解決しています。といっても、テレビに直接録画する派の委員長です。私が委員長宅に足を運ぶという手間は残りましたが、そこは文句を言わないのが礼儀というものです。
 はなやかな桃色をした百日紅が、風にゆられておおきく手を振った七月は末のこと。委員長のお宅にはじめて足を踏み入れたときの感動は、なかなか忘れることが出来ません。情緒溢れる日本家屋のお屋敷は、一般家庭で育った私には詳しいことはよくわかりませんが、とにもかくにも「すごい」ということだけはわかりました。よくある、田舎のおばあちゃんち、なんて庶民的なものではありません。バブルと共に弾けた、ひなびた温泉宿とも違うのです。よく手入れされた日本家屋には松や梅の木があり、涼しそうに昼顔の花がゆれている様子も見えました。じっくりと家の中を拝見させてもらうことも素敵なイベントですが、しかし私の目的はそれとは違います。
 CMカットを駆使したとしても番組を構成する時間は積もれば積もるほど長く、録画したすべての番組を観るにはちょっとした賢さが必要です。委員会の活動時間だとか、委員長の都合だとか、そういう煩わしいものをうまいことやりくりして得た時間は微々たるもの。自然、委員長宅で番組を観る際には綿密なタイムスケジュールを組んで挑むこととなりました。
「おじゃまします」
「……ああ」
 本日の仕事も滞りなく終わりました。休暇前よりもいくらか早くに学校を後にすることも、並んで委員長宅にお邪魔することも一連の流れとして生活の中に組み込まれています。夕暮れが近くなれば、葉の裏側だとか蜘蛛の巣の端っこだとか、ほんの少しの隙間から秋の気配が見え隠れするようになったとはいえ昼間はまだ暑いものです。黄色い強い日差しから逃げるようにして門をくぐり委員長の後につづいて玄関に入りこんで一言。革靴を並べ、振り返る頃には既に委員長は続く隣の間へ姿を消していますが、勝手知った風にずんずんと屋敷を進む私を咎める声はありません。
 いろいろと悪名高い委員長のお宅に足を踏み入れているのだから、もう少しかわいげのある行動がとれないものだろうかと思われてしまうかもしれませんが知ったこっちゃありません。慣れというものは恐ろしいものです。この短期間で何十回と繰り返し繰り返し通いつめていれば、虎の巣だろうが蛇穴だろうが我が家にも成り得ます───いえ、これは言い過ぎですが。
 さて、さてさて。今日は順当に午前中から放送されているアニメから観ることに致しましょう。  前回までに撮りためていたものは一気に観てしまいましたし、夏休みの日数を考えると残りは僅かでしょうか。昼間に放  送しているアニメは再放送のものばかりですが、視聴率が稼げるのでしょう、納得  のいくおもしろさがあります。夕方に放送していたときに観た覚えのあるものですが、何度観てもおもしろいものはおもしろいのです。スイッチはここで、と。他人様の家のテレビだというのに、操作方法は慣れたものです。そうそう、確か「……」今回は主人公が魔、
 ぶちり。
「あっ」
 目の前で何が起こったのかわからず、頭の中が一瞬、固まりました。ああ、目の前のテレビが消えたんだなと理解したと同時に操作方法を誤ったのかとも思いましたが、可能性としてはもう一方のほうが高いような気がします。
「……」
「……」
 夏だというのに、底冷えするような冷気が漂っているような気さえして、背筋をつうと冷たいものがはしります。
 もしかして、怒っているのかしら。心当たりを思い返しつつゆっくりと振り返ると、危惧していた通り、おもしろくなさそうな顔をいた委員長がリモコンを片手にこちらを睨みつけていました。一体、いつ部屋に戻っていたのでしょう。お邪魔して早々ひとり直行した私が、この部屋の主に「戻る」という表現をつかうこと自体妙な気もしますが。
「…………」
「…………」
 よこたわる沈黙に、自然と顔つきが神妙なものに変わっていることを自覚します。心臓の鼓動が速くなりながらも頭の隅はどこか冷静で、つらつらと叱責を受ける原因を探しています。暗黙の了解でここまで許してもらっていたのだろうかと思ってはいたものの、不遜な態度は叱責を喰らうには値する。シンプルに言えば調子に乗りすぎたのです。
 テレビを観るためだけにお邪魔しているという後ろめたさもあってそのまま相手の出方を窺う私に、委員長は僅かばかり奇妙に眉をひそめた後、口を開きました。
「呼んだんだけど」
 呼ばれていたそうです。頭の中がテレビ一色でまったく気がつきませんでした。
 想像していたものよりも怒りの度合いが低く、どちらかといえば緊張を孕んだ私の様子を怪しんでいる───その態度に、喰らったのは叱責ではなく肩すかしでした。気が抜けた拍子にため息がこぼれます。
「すみません、こちらに集中していて気がつきませんでした。何かありましたか?」
「……いや、別に」
「……?」
 テレビを消してまで呼んだからには別にってことはないでしょうが、委員長は不自然に言葉を濁らせて、腰を落としました。視線は窓の外に向けられ、疑問符を浮かべる私に気づいているはずなのに素知らぬ顔を決め込みます。
「………………テレビをつけても?」
「……好きにすれば」
 バチッ、と軽い電撃が生じるような音がして映像が流れだします。コミカルな音声が互いの耳に届いているというのに、魚の小骨がひっかかったような、どこか居心地の悪い空気はどんよりの室内に停滞してまったく内容が頭に入ってきません。心待ちにしていたアニメよりも委員長のほうが気になって気になって、ふと既視感を覚えました。
 ──はじめて委員長のお宅にお邪魔した時、建物への感動と共にもうひとつ、胸の内を大きく占める感情がありました。
 複雑に絡みあうそれを、明確な言葉で表現することは難しく、あえていうならば異性に対する恥じらいだとか、緊張だとか、そういうものが近いのかも知れません。相変わらず私と委員長は奇妙な距離を保ったまま恋人関係を続けているようですが(最近になってそれも疑わしいというか、なにもかも夢だったような気さえします)、上司と部下である以前に男と女。春めいた頭を持つ思春期ですから、娯楽への関心が強くとも当然異性への興味だってあります。男は狼という言葉もありますし、これをキッカケに何かがはじまってしまうような気がして、前日の夜は妙に目が冴えてしまったのを覚えています。しかし現実は実にあっさりと、淡白に物事は進みました。
 進むといっても、大人の階段をのぼるようなことではありません。あいさつもそこそこに当初の目的であるテレビ番組の視聴を淡々とこなし、次回の約束を取り付け帰宅する。夏季長期休暇がはじまって間もなく開始されたそれは、今日に至るまで色恋のイの字も見当たらぬまま終わりを迎えようとしているのです。
「…………」
 ……いえ、少し語弊があるようです。見当たらぬまま終わりを迎えようとしている。では、まるでこの瞬間、このすぐ先に色恋の入り口が見えているかのようではありませんか。朴念仁の委員長に、そのようなものを見出すほうがおかしいのです。やっぱりきっと何か粗相をしてしまっただとか、手土産も持たずにお邪魔した私に密かに不満を募らせていたのではないでしょうか。そう、それです。そうに違いありません。
「委員長!」
 居住まいを正し、向きなおります。少しばかり不思議そうに、いぶかしそうに、何かを期待しているかのような視線を向けられます。
 録画したものを観たいという気持ち以前に、私はこの問題を早いとこ片づけてしまいたかったのです。頭の中で考えをまとめた後、口を開き───
「申し訳ありません、委員長」
 と、まずひとつ深々と頭を下げました。顔をあげた先にいた委員長は、虚を突かれたと言わんばかりの表現をしています。そんなに驚くようなことでもないだろうかと思いつつ、続けて言葉を紡ぎます。
「我がもの顔で居座ってしまって、すみません。つい夢中になってしまって周囲が見えなくなり、失礼をしていたかもしれません。申し訳ありません」
「は?」
 委員長は、ますますわけがわからない、何を言っているんだこいつは。とでも言うような目でこちらを見ています。
「……とにかく、そういうことですので」
「……いや、どういうことなの」
「……」
「……」
 ──そう、それです。そうに違いありません。言い聞かせるように紡いだ言葉も、発した本人が言う相手との力量に差があれば言いくるめることなど出来ない。少し考えればわかることですが、言わずにいることのほうがこわいのだと本能が告げ、行動したというのにいよいよどう対処したものかわからなくなってきました。
「……、」
「委員長!」
 言葉が紡がれる前に、遮るようにして声を出し立ち上がりました。
「やっぱり申し訳ないので、今日はお暇します」
「は?」
「ではまた明日、学校で」
 一礼した後にくるりと身を翻そうとすると、手首を掴まれ身体ごとぐんと後ろに引かれるような感覚が身を襲いました。実際、そうなっていたのです。後方に倒れかけた私は引き留め張本人である委員長に寄りかかるようにして身を保ち、ひとつ、ふたつと目を瞬かせます。遅れて、背筋にまた雫がつたいました。
「夢川?」
「……はい」
「妙なものでも食べたのかい」
「…………いえ」
 ゼロ距離で囁かれる声は私の身をあんじているものだというのに、このあたたかな拘束からいかにして自然に逃れるか算段をたてる思考に嫌気と焦りを覚えます。馬鹿というのは私のような女のことを言うのでしょう。
「だったらどうしたっていうの。様子が妙だけど」
「いえ、別に……」
 この返答はまるでさっきの委員長のようです。
 互いが互いの行動に違和感を感じているというのに、それでも深く突っ込まないのはそれこそ暗黙の了解・以心伝心というやつで、根っこのところは同じことを考えているのではないでしょうか。
 その考えに至ると更に私はこわくなってしまって、全身の筋肉がいっそうかたくなるのを感じました。気配に鋭い委員長のことです。私の身体が強張ったことを察しているのか、それでもぎゅっ、と掴む手に力がこめられました。緊張が解ける隙なんて微塵もありません。
「夢川」
「……はい」
「別に、取って喰いはしないから」
「はい。あの、なんか、すみません」
「謝られても困るんだけど」
「す、すみません」
 ふ、と解けた拘束にゆるゆると血が巡ってくるのを感じます。ほう、と禁じ得ず出たため息にしまったと口元を覆うも、時既に遅くバツが悪そうに委員長を見やる私に困ったような視線が向けられました。
 今更にもほどがある。
 何度となく通った巣だというのに、ふとした拍子に野性味を感じ取ってしまうと不意におそろしくなるなんて、ずいぶんと都合のいい話だとはわかっています。都合のいいところだけおいしくかじっておいて、いざ風向きが変わると適当にそれらしい理由をつけて自分自身を正当化し、逃走を試みるなんて小賢しいやり口は褒められたものじゃありません。
 しかしそれでも、こわい。
 恋愛なんてまともにしたことがなく、いくら一応は告白を受けた側で場合によっては立場が上と思うような位置にいたとしても、力で叶うような相手じゃないのだ。ここから先は未知の領域であることもおそろしい。
 忘れるなかれ夢川日名子。猛禽類の巣に挑むことに保険は効かないのだと。


(100824)

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