七月の憂悶

 涼しげな風鈴の音が耳を楽しませ、ひまわりが競うように背を伸ばし目を楽しませる今日この頃でございます。
 我が並盛中学校では、夏季長期休暇を目前に控えた学生が浮き足立って日々を過ごすようになり、教師をはじめ私が所属する風紀委員会でも、長期休暇の模範的な学生の過ごし方をマニュアル化し、それが破られた時の指導方法を再確認しあう日々が続いています。
 相変わらず私は委員会の仕事に追われ、再放送のドラマはおろかアニメ、六時からはじめる教育テレビすらリアルタイムで観ることが出来ません。リビングに設置してある年季の入ったビデオデッキはついにイカれ、録画・再生すらままならなくなってしまいました。
 悶々とした心を抱え、学業や業務にあたるというのはたいへんな苦行となります。だというのに今日も今日とて委員長は七時近くまで私を拘束するのですから、まったくもって言語道断な話です。空がまだ明るいからといって、中学生を拘束するものではありません。常々思うのですが、あの人は、風紀委員会は本当に自分たちが義務教育課程の人間であることを自覚しているのでしょうか。
 さて、我が国の日本国憲法第28条により、労働基本権のひとつとして保障されるものに同盟罷業というものがあります。これは労働者による争議行為の一種であり、労働法の争議権の行使として雇用側・あるいは使用者の行動などに対して、被雇用側が労働を行わないで抗議することであります。ストライキ、と言ったほうが馴染みのある事柄かもしれません。
 そして、このストを無視して働くことはスト破りと呼ばれ、ストライキ参加者からは忌まれると同時に、労働組合の団結を乱したものとして除名・罰金・始末書提出命令などの統制処分の対象となることがあります。
 並盛中学風紀委員会という風紀委員会による風紀委員長のための組織が、これをすることに当てはまるかどうかは定かではありません。しかし、はじけるような夏を目前にこのまま黙って過ごすわけにはいかないのです。
 私たちが何もアクションを起こさなければ、委員長は何食わぬ顔で長期休暇全てを委員会の仕事で埋めてしまうに違いありません。そのような鬼畜の所業を、中学生が負うことなど人道的にあってはならないのです。
「というわけで草壁くん、署名にご協力お願いします」
「…………」
 ボードに用紙を挟み、ボールペンをずいと差し出しながら告げると、草壁くんはびっくりしたように意外と愛らしい木の実のような瞳を瞬かせた後、困ったように眉を潜めました。風紀委員会によるストライキについて懇々と語っている最中も同じような顔をしていたことですし、彼の中では相当にこの問題は難しいことであるようです。
 それもそのはず。草壁くんは風紀委員長の腹心である副委員長なのです。常日頃から委員長が正義であると掲げている草壁くんに、このようなことをするのは心苦しいと私も思っています。
 しかしながら、ここであえての草壁くん。草壁くんさえ取り込んで署名させてしまえば、彼の下に従う、私と同列の平風紀委員も次々と署名に協力してくれるに違いありません。彼らだって人間なのです。いくら雲雀恭弥という男に憧れや尊敬、畏怖の念を抱いていたとしても、思春期なのです。硬派ぶっているものの、内心では女の子との色恋に淡い想いを抱いている男の子であることに変わりないのです。
 これは、私だけの戦いではありません。風紀委員会による風紀委員のための、心をリフレッシュさせてより効率的に仕事を行うための乗り越えねばならない山なのです。
 というようなことも署名を差し出す前に草壁くんに言ったはずなのですが、もしかすると聞こえていなかったのでしょうか。ああだのううだの、明瞭な言語を発せずに唸る草壁くんに私も眉を潜めました。
 私は、諭すように語り掛けます。このままでいいのか、と。
「草壁くんの気持ちはよくわかります。風紀委員……いえ、委員長のために日々尽力している草壁くんのことですから、このペンは剣よりも重いものですよね」
「いや、まあ、なんとなくニュアンスはあってるが……しかしな夢川」
「しかし、物事には休息というものが必要です。旧約聖書でも、神は六日で天地創造をし七日目は休んだというじゃないですか。休みは必要です」
「いや、休みが必要というのは俺もわかる。しかしな夢川、委員長だって休みは」
「そりゃ委員長は委員長ですから、好きなときに休みはとれます。草壁くんだって知っているでしょう?委員長、毎日昼寝を欠かさないじゃないですか。私たちが昼寝をして呼び出しに遅れたら問答無用で怒るというのに」
「……いや、まあ、それはそうだが。委員長は俺たちよりもずっと激務で」
「あの人はなんだかんだで仕事が趣味というところがあるじゃないですか。私は違います。仕事は仕事、オフはオフでキッチリ取りたいんです。草壁くんはどうなんですか?」
「……いや、俺は委員長を第一に動いているからな」
「………………やっぱりそこに行き着きますか」
 はあ、と重なって溜息が出ました。
 草壁くんは相変わらず困っているようですが、私だって困っています。草壁くんがどうしてここまで委員長を崇拝しているのかわからないぶん、理解できないことにもまた悶々としてしまいます。委員長がすごい人だということは私にもわかりますが、それでも自分の時間を犠牲にしてまで、全て捧げてしまおうとは思いません。草壁くんはドMなんでしょうか。私がドSというわけではありませんが、これでは相容れません。
 差し出したままだったボードを胸に抱くと、もう一度溜息が出ます。
 ……ああ、私はこのまま身を引くしないのでしょうか。草壁くんの協力が得られないとなると、私が立たされる位置はより崖に近くなってゆきます。日本海よりも太平洋が見たいものです。
 いくら吼えても届きそうもない声に鬱々としていると、のそりと背後に何かが立ちました。草壁くんの顔色が見る間に悪くなってゆきます。もしやと振り返るとやはり。
「何してるの」
 じっとりと湿度のある視線を向けそこにいたのは、紛れもなく委員長です。噂をすれば影だなんて、先人はぞくりとする言葉を残したものだなぁと思いつつ頭を下げます。上下関係は大切です。
「お疲れ様です、委員長」
「おっ、お疲れ様です!」
 草壁くんの声がどもりがちです。彼が私に遅れを取るだなんて、珍しいこともあったものです。
 床に向かって伸びるリーゼントを横目で眺めながら頭を上げると、むっつりと顔を歪ませた委員長が、冷たくそれを見下ろしていました。いつの間にやら手には彼の獲物であるトンファー。このまま振り下ろしては草壁くん自慢の黒髪に突き刺さってしまいそうです。
 委員長は、草壁くんを眺める私を見止めると、つうと鋭い目を更に細め、責めるように私を睨みつけました。
 これには萎縮してしまいます。
 私は相変わらず雲雀恭弥という人間の恋人という位置についていましたが、関係は深いものではありません。暴力を振るわれるようなこともありませんが、特別甘やかされているという自覚も事実もないので、凶器を目の前に怒りを向けられてしまえば神経だって擦り減ってしまうものです。
 反射的に目をそらしてしまい、まずい、と即座に思いました。本能と理性がなかなかかみ合ってくれません。後ろめたいことがあるのだと判断した猛禽類は、すぐさま弱者の喉元に喰ってかかります。
「もう一度聞くよ。何をしていたの」
 クエスチョンマークなどついていません。お願いではなく、命令です。
 未だ署名はひとつも集まっていませんし、草壁くんを論破出来なかったことが圧し掛かり、委員長を言いくるめるなど私には不可能だと頭の中で誰かが嘲笑っています。
 いけないことだと思いつつも顔を伏せて沈黙していると、草壁くんが短く上擦った声をあげました。つられて見ると、私を睨みつけていた委員長が草壁くんを睨んでいるではありませんか。この場にいた以上、共犯と思われているのかもしれません。
「副委員長、どういうこと」
「こ、これはその……」
 エマージェンシー、エマージェンシー。
 これはいけません。委員長が草壁くんのことを役職名で言うときは、大変怒っていることを示すのだと平風紀委員の間では常識の話です。
 何も落ち度が無い人間を貶めるほど人として腐ってはいませんので、私は慌てて間に割ってはいりました。殴られるのはもちろん嫌ですが、どこかで手加減してくれるのではという甘い考えがあります。そして何より、ここで草壁くんが殴られるのを見るのは非常に目覚めが悪いのです。
「違うんです委員長、誤解なんです!」
「誤解?誤解されるようなことをしていたって自覚はあるんだ」
「それは……、そうだとしても、草壁く、副委員長に非はありません」
 草壁くんが顔を真っ青にしながら、割って入った私を庇うように前へ出ました。ちょうど、私と委員長と草壁くんと、三角形を組むようなかたちになります。お互いの顔が良く見える光景で、委員長がますます眉間に皺を寄せている様がよく見えました。
「委員長、誤解です!違うんです!ただ夢川とは仕事の話をしていただけなので!」
「えっ……草壁くん……」
 どうして誤解だと言いつつも仕事の話だと言い切ってしまうのでしょう。これでは私がストライキを起こし休みを得ようと署名運動をしていたことを進んでバラしているようなものじゃありませんか。
 私が言った誤解は、草壁くんが関係ないということを示すためのもの。なにやら草壁くんとすれ違っていることを感じ、不安に顔が歪みます。
 委員長はそんな私と草壁くんとを見比べて───最終的に、草壁くんに標的を絞ってしまいました。氷のように冷たい視線のまま、灼熱のように強い怒りが瞳の奥に宿っていることを感じます。
「──咬み殺す」
 草壁くんが、後生大事に加えていた草の葉がぽろり、木目の廊下に落ちました。
 それっきり、それっきりです。

 応接室の外では、ジワジワと蝉の鳴く声がします。空調は相変わらず効いていて快適に過ごせる空間だというのに、私の心は酷く落ち込んでいました。
 結局私は悪いところなど何も無かった草壁くんを傷つけてしまい、草壁くんを殴り飛ばした委員長には胸に抱いていたボードの存在に気づかれ、事の顛末を一から十まで気づかれてしまったのです。
 申し訳なさと気まずさで胸がいっぱいな私と、どういうわけか複雑そうな顔をしている委員長。委員長から発せられていた怒りの気配が急に、すっかり顔を潜めていることは良いことですが、やはりいたたまれません。
 草壁くんへの救急車の手配を自らなさった委員長は、応接室に私を招き再度今回のことを確認しだしました。
 私が休みを欲しがっていること。草壁くんに賛同を求めるために署名を持ちかけたこと。草壁くんが断ったこと。そこに委員長が居合わせたこと。お互いが妙な食い違いをしながら庇い誤解だと言い合ったこと。
 間違いなどなく、私は全てに頷きました。委員長はそんな私に対し罰を与えるわけでもなく、切なげに瞳を伏せました。
 こんな弱弱しい委員長の顔、はじめて目にしました。これに近いものなら、そう、いつかの雨の日にも見ましたが、ここまでハッキリと私の胸を打つものではなかったはずです。
 なんだかとてもとても悪いことをしてしまった気分になって、「申し訳ありませんでした」と心を込めて謝罪の言葉を口にしました。しかし委員長は、沈黙したままです。そのままいくらかカチコチと時計の針が進み、ようやっと委員長が口を開きました。
「……君はそんなに嫌だったの?」
「…………そんなことは」
 言葉に詰まります。仕事人間の委員長のこと、ここで素直に肯定し、仕事が嫌いだというのは地雷に違いありません。それに、この仕事がものすごく嫌というわけでもないので、明確な返事をすることが出来ませんでした。
 曖昧な返答に、委員長は気持ちを切り替えたかのようにキッと鋭い視線を向けます。
「嫌なら嫌だとハッキリ言えばいい。同情で付き合われるのが一番不愉快だ」
「同情?そんな、同情だなんてことは」
「じゃあ何だって言うの」
「私はただ単に……その、他にも楽しみがありまして……」
「…………」
「…………」
「…………楽しみ?」
「はい。その……ドラマスペシャルとか」
「…………ドラマスペシャル」
「…………アニメスペシャルとか……」
「…………アニメ」
 恥ずかしい。羞恥です。
 私はまだ中学生なのですから、堂々とアニメやドラマを楽しみに生きていると言っても微笑ましい光景として許される範囲に浸かっているはずなのです。しかしながら、ここまで委員長に信じられない、というような顔をされると穴に埋まって引きこもってしまいたくなります。
 顔に熱が集まるのを感じながらおずおずと委員長を見やると、彼は脱力したように、ぎぃっとスプリングを響かせてソファーに背を埋めました。溜息が聞こえます。相当に呆れられてしまったようです。失態です。
 委員長はそのまま天井を仰ぎ、ぽつりと、独り言のように呟きました。
「……、僕はてっきり」
「…………」
「…………。いや、君、録画すればいいじゃないか」
「録画ですか?」
 てっきり、の続きは気になりましたが話を振られたため、頭の中は質問の答えにシフトします。
「それが、録画は出来ないんです。ビデオデッキが壊れているもので」
「テレビから直接っていうのはどうなの」
「うちのテレビはそこまでハイテクじゃないんです。ですから、他に見ようが無くて……」
 だからここまでしたんです。と続けると、委員長は何やらかわいそうなものでも見るかのような目でこちらを見つめてきました。かわいそうなのは事実なのでそのまま何も言わず黙っていると、ふと、黒よりも藍鼠だとか、灰色に近い目の色が変わりました。
 言いたいけれど、言いたくない。言いたくないというか、簡単には言えない。そのような想いが行き来していたのではないかと思います。
 委員長はなんでもないことのように、「じゃあ」と言葉を紡ぎました。
「録画、してあげてもいいけど」
「えっ!」
 驚きと喜色を孕んだ声が、待ちきれないとばかりに勝手に飛び出していきました。その声を拾う間もなく委員長は、私の顔を見てふっと口元に笑みを浮かべます。してやったりとでもいうか、なんというか、どや顔というのはこういうものを言うのでしょうか。写メに撮ってコメントをつけてみたいものです。
 もちろんそのようなことを一瞬でも考えたと言わぬまま、私は更に委員長に喰いつきます。
「いいんですか?甘えてしまっても」
「別に。事前に言ってくれるのなら、さほど手間ではないからね」
「……ありがとうございます!」
 お父さん、お母さん、私はいい上司を持ちました。本来の目的であった休み取得には至りませんでしたが、私の趣味はこの人に守られたようです。
「それじゃああの、今度媒体持ってきますね!DVDでいいですよね」
「生憎、それは出来ないんだ」
「……えっ?」
 DVD!DVD!頭の中はそれでいっぱいだったというのに、ずがん、と脳天目掛けて何かが落っこちてきたような気がします。DVDは出来ないというと──
「……えっと、じゃあ、ビデオテープ持ってきます。まだ何本か入ってないのがあるので」
「それも出来ない」
「なっ」
「僕はテレビに直接録画する派でね。君が直接来てくれないと見れないけど」
 どうする?
 そう続けた委員長の言葉に、戸惑いが生まれたのは事実です。だってそんな、今の今までお邪魔したことの無い相手の家に行くだなんて、ちょっとばかり悩みが生じてしまうに決まってます。しかも相手はキレやすいと評判の上司。そして異性。そして───……そうだ、恋人だった。お飾りだけの存在と言っても差し支えないほどこれまで何もなかったので、時々意識しないと忘れてしまいそうになります。
 そうして一度意識してしまうと、一時的にでも気になって気になって仕方がなくなってしまうのが困りものです。録画をしてもいいとの提案には即答で返したというのに、思うように言葉が出てきません。
 思春期の頭というのは本当に厄介なものです。お家にお邪魔するというだけであれやこれやと想像力が働き、いらないことまで考えてしまいます。一体全体、私の顔は今どんなことになっているのでしょう。委員長の機嫌がすこぶる良いということだけはわかります。見ればわかります。見られていることがどうにも我慢なりません。本当に、まったく、今日は暑い日です。空調は効いているのでしょうか。


(100623)

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