05

 ややこしくなるからという土方さんの言に従って一度屁怒絽さんと別れ、公園から帰路についたそのままの足で「万事屋銀ちゃん」へ案内された。なんと屁怒絽さんの店から徒歩一分に満たなかった。
 件の施設は屁怒絽さんが営む花屋の隣、スナックお登勢の二階に位置し、看板さえ取ってしまえば変哲のないアパートの一室といった様相をしている。外に備え付けられた木製の手すりには布団が干してあり、看板の文字からは「屋銀ちゃん」だけが読み取れた。なんだかなー、大丈夫かなー。早くもぞんざいな印象を受けるが、この国の警察組織が紹介した施設だ。こうみえて実はハイスペックな機材が中に積み込まれていてドアを開けたら床という床に配線がギッシリ。「やあ、政府の犬クン。例の例のアレ、アレな感じに仕上げたけど、OK? 例のアレは例のアレな感じに頼む」とアレな感じなったりするのだろうか。わけのわからない言葉を投げかけられたりはしないだろうか。謎かけを問われても気のきいた言葉を返せる自信はないのだけど、どうしたらいいのだろう。
 とそんなことをちくとも顔に出さずおとなしくしていると、土方さんは確認するようにチラとこちらを流し見てから、万事屋のチャイムを押した。すると内側から確かに物音がしたが、待てども待てども扉は開かず、更に二度三度と押しても返答はなかった。
「オイ、何居留守使ってんだ客が来てんだぞ。開けろコラ」
 土方さんが無遠慮に扉を蹴りつけはじめる。すると内側からまたバタバタと物音がして、公園だの化物だのやばいだのペットだのという単語が聞えよがしに耳に届いたのだった。
 本当に大丈夫なの? という気持ちで土方さんを盗み見ると、土方さんはひとつ咳払いをして、
「……あー、あーあ、せっかくの手土産も無駄になっちまったな。腐っちまっても仕方がねぇ、今日は帰るか」
 と言った。途端、大げさな音を立てて扉が開き、驚くほど簡単に家主が顔を出したのだった。
「なんだ多串くんじゃないの急に来るなんて聞いてないよ〜! さぁさ! あがってあがって!」
「やったネ銀ちゃん!二日ぶりのご飯アル!!」
 ぎんちゃん。
 鴇色の髪を団子状に結った中国人然とした少女が呼び掛けたこの白髪の男が、万事屋銀ちゃんの代表者なのだろうか。
 ふざけているのか本気なのかはわからないが、どちらにせよ少々変わった人という印象を受けた。年は、そう、同い年というよりも少し上と見える。気崩した着流しから見える体つきはしっかりとしていてスポーツでもやっていそうだが、なんとなく眠たげな目をしていた。それにしても目を引くのは頭で、ふわふわと手触りのよさそうな白髪には既視感があった。
 昔、母の生家で暮らしていた頃のことだ。テレビもゲームもないものだから暇を持て余しがちで、そんな時手慰みに撫でていた飼い犬のシロがあんな毛並みをしていたのだった。
 土産を渡すなり我先に群がり「なんでマヨネーズ!?」と叫ぶ大人一人と少女を尻目に、勝手知ったる風に上がり込む土方さんの後ろを、なんでマヨネーズ? と思いながらそっとついて歩く。
 万事屋は一時頭を過った想像よりも遥かに生活感に溢れていて、玄関を抜けてすぐに勝手場があり、向かいには洗面所があった。玄関から正面にあたる部屋は二十畳はある板張りの洋室で、テーブルを中央にソファが二台、奥には重厚な机が一台あり、壁面には等間隔に吊り下がった提灯と「糖分」と書かれた額が飾られていた。敷き詰められた配線こそないがこれはこれで妙である。
「ちょっとォ!? 手土産がマヨネーズってどういうことだよ! ババアの中元でももっとマシなもの贈ってくるよ!?」
「油にもハムの代わりにもなり得る存在、それがマヨネーズだ。てか聞こえたぞ、化物だの公園だのペットだの。何を知ってんだ」
「いやあ、実はついさっき沖田さんから連絡がありまして」
 気がつくと室内にはもう一人男の子がいた。少年らしい髪型に眼鏡、キッチリとした袴姿で、先の二人と比べると穏やかで素朴な印象を受ける。ここでは日常茶飯事なのか、少年は騒ぎ立てる二人を苦笑して眺めるに留めて話を続けた。
「近々隣の花屋が飼ってるペットが訪ねてくるから気を付けろって話だったんですけど、土方さんこそ何か知っていますか?」
「総悟のヤツ……早々に逃げたと思ったらまた余計なことを」
 話から沖田さんとは先程のバズーカ、総悟さんのことと見当をつけた。この様子では土方は度々沖田さんに手を焼いていることが窺える。
 土方は溜め息をつきながらこちらを見た。するとちらちらと様子を窺っていた眼鏡の少年も話をやめたから、ここが紹介しどころなのだろうと姿勢を正した。
「鳴海秋乃です。一週間ほど前から隣の屁怒絽さんのところでお世話になっています」
「……は? ってことはペットって……えっ、えええええェェ!?!?」
 少年はあらん限りの声を出し、両の目を見開いてこちらを凝視した。酷く奇態なものを見たといった感じなので、なんとなく気恥ずかしくなって、少しだけ視線を反らして室内の調度品を眺めた。こけしのような、円柱型の妙な置物が棚に飾られていた。絶妙なセンスの品だったため、地方土産か何かだろうかと思案した。
「おいおいおい、話が違うじゃねーか。俺は三角様みたいなのがくると思ったよ? それかネメシスみたいな」
「私はイャンクックかケチャワチャがいいと思ったネ。定春とどっちが強いかなーって」
「いやいやいや、それは可愛い系じゃん? ペットは飼い主に似るっていうし、もっと怖〜いクリーチャーじゃないと」
「どんなペットだよってかまずペットという情報が間違ってんだよ!!」
 総悟さんさえ余計なことを言わなければここまでややこしい紹介にはならなかったのだろうかと薄ら思いながら、視線を浴びているので曖昧に笑う。さすがにクリーチャー呼ばわりはいただけなかった。
「しっかし、まさかペットがこれとはね。……何? お姉さんもしかしてドМなの? おとなしそうな顔して異種姦ものとはまたマニアッ」
「少しは人の話を聞け、テメェは!!」
 強い口調で土方さんがたしなめても、白髪の男は「まあ、まあ」と雑に返し、興味深そうな顔をしてこちらを眺めている。その目は死んだ魚のようだった。しかしただ濁っているのではなく、奥のほうには人を焚きつけ誑かすような不思議な色が見える。眺め返しているとまた郷愁にかられ、寂しさを覚えたので目を伏せた。
「ふーん……鳴海秋乃、ね」
 応えるように小さく頷く。思い出の中のシロに触れたがる手は、密かに擦り合わせてやり過ごしながら。
「それで? 屁怒絽サンとこでお世話になっている子が、どうしてわざわざ真選組の副長さんに連れられてうちに来たの」
「……今朝、かぶき町の公園で化物が女を人質にとって暴れてるっていう通報が入ってな。駆けつけてみたところ勘違いだったわけだが、アレを続けられると紛らわしいんで連れてきた。なんでも人探しをしているらしい」
「人探しだァ? 警察の癖に仕事をこっちに捨てるってか」
 白髪の男が顔を歪めた。土方さんは「畑違いなだけだ」と前置いて、懐から茶封筒を取りだしてテーブルに投げ置いた。そこそこの音がし一同の視線がいっせいに茶封筒に集まった。
「依頼だ万事屋。この女の面倒事、手伝ってやれ」
 素早く封筒を取った白髪の男がそうっと中身を改めると、紙幣が見えた。何枚あるのか、肖像が何であるのかはわからない。ただ白髪の男の表情の変化を見るに、金額は少なくないように思えた。
「え……いいんですか土方さん、こんなに!?」
「よーし神楽! 久しぶりの飯だパフェ食いにいくぞ!!」
「キャッホォオウ!!私ハンバーグも食べたいアル!」
「てめーらちゃんと仕事しろよ。片付けないとぶっ殺すからな」
 パフェだハンバーグだと狂喜する彼らを眺めながらしばらく考えて、土方さんが身銭を切って万事屋に見知らぬ他人の依頼をしたことはわかったが、気がかりはひとつしかなかった。
「あの、土方……さん? これは」
「うちがかけた迷惑料と思ってくれていい。ついでに着替えも買っておけ。今日のごたごたで埃を被っただろ」
 余所事の顔で煙草に火をつけた土方さんに、ふいに屁怒絽さんの言葉が蘇った。──いやぁ、いいところですよここは。危険が多いのは確かですが、みなさんあたたかくて親切だ。
 うれしい、と思った。同じくらい戸惑いがあり、恥ずかしさもあった。
 私は二十数年間過不足無い現代に生きてきて、ホームレスを目にしたところで明日は我が身と思いもせず、施しを受ける想像など本気でしたことがなかった。平均的な現代人だったのである。なのに今は、取り繕っても困窮を隠しきれずにいるのだ。少なくともこの、土方という男の同情を買う程には。
「……ありがとうございます、必ずお返しします 」
「律儀なヤツだな、アンタも」
 紫煙がゆらり舞い上がる。煙草は嗜好品だ。年々税率が高くなるものだから、懐に余裕がなければ惜しげもなく吸えやしない。

 恩を返せる日は、いつか訪れるのだろうか。
 訪れるまでここにいるのだろうか。
 ここにいざるをえないのだろうか。

 先について考えると、果てのない夜の山林をひたすらに歩かされているような感覚に捕らわれる。空を見上げても枝々が網をはりとてもその色はわからない。わからないが、月だけは見えるのだ。

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