04

 結論から言ってしまえば目を覚ましても江戸は江戸で、異星人は異星人だった。
 あれから七日。屁怒絽さんはあれから何も聞かず、ただ部屋で呆けている私を見守るようにして家に置いてくれた。甘んじて好意を受け入れたのは、どうしていいかわからず藁にも縋りたい気持ちだったからに違いないが、はじめ、喰われて死んでもいいかもしれない、という自棄があったことも確かだ。
 死んでしまえば夢から覚める。この不安も苦しみももう感じなくて済むようになる。ただしこの世界で死んでしまえば元の世界に帰れるかといえばそれはわからないし、積極的に試そうという勇気はない。屁怒絽さんが私を手にかけることもついぞなく、ただ此処でとつおいつ思案しても仕方がないと決心したのは今朝のことだ。
「人を探そうと思います」
 朝食の席、ほうれん草と油揚げの味噌汁を咀嚼し終えた後で切り出すと、向かいに座る屁怒絽さんがふいと顔をあげる気配がした。顔を直視して話す勇気は未だなく、正面、屁怒絽さんがいつも着用しているエプロンの首紐あたりを眺めながら続けた。
「かぶき町の公園で、はじめホームレス……のような方に介抱されたんです。私がどうやって公園にいたのか知っているかもしれないので、話を聞きたくて」
「なるほど。それはいい考えですね」
 屁怒絽さんの声色が高くなる。喜ばしい、という様子が聞いてとれた。
 この七日、荼吉尼族は鬼のような外見の種族であり恐ろしいことに代わりはないが、屁怒絽さんが温厚な性格であることがわかり、接し方については心得が出来てきた。
 屁怒絽さんは殺生を好まない。花屋を営む以上虫の被害には悩まされるだろうに、見たところ花の管理は手作業でというのが常だった。花屋の仕事について詳しくは知らないが、それはきっと大変な作業で、日々の仕入れや毎月の支払いも考えると、私の面倒を見る暇などないに決まっている。
 今もおそらくは、早朝のひと仕事を終え、わざわざ時間をあわせて朝食を用意したのだろう。青色のエプロンに土汚れが付着していることから気遣いが知れた。
「しかし探し人がホームレス……のような方だとして、特徴は? 僕でよければお手伝いさせて下さい」
「何から何までありがとうございます。特徴というと、サングラスをかけた髭の男……ということくらいしかわからないのですが」
 サングラスをとって、髭を剃ってしまえばもう仕舞いということだ。
「きっと見つかりますよ」
 そう言って探す前から消沈する私を励ます屁怒絽さんと、江戸の町へ繰り出したのはそれからすぐのことだった。
 七日ぶりの江戸の町は、空に船こそ浮かんでいるもののよく晴れて雲はない。気温も上々。情報番組お目覚めテレビでは、結野アナウンサーが過ごしやすい一日となるでしょうと告げていた。
 平日とはいえ、公園を訪れる人間は少なくないに違いない。
 そう思っていたのに、ところがどっこい江戸の町は想像していたよりも閑散としていた。というよりも、行く先行く先に溢れていた人々が蜘蛛の子を散らすように途端に減っていくのだった。
「江戸の町は歩きやすいでしょう、鳴海さん。いい天気ですし、歩いているだけでも気持ちが良いものですね」
「…………。ええ、ほんとうに」
 屁怒絽さんだ。原因は屁怒絽さんに違いなかった。
 江戸に住む人々の感性が私のそれと相違ないことに僅かな安心感を覚えながらも、しかしこれでは本末転倒。探し人がそのままの姿でいたとして、逃げ出してしまうのがオチだった。実際、公園に到着してから片っ端の人に「すみませんちょっといいですか」と屁怒絽さんは声を掛けたが、一人として「はいなんでしょうか」とにこやかに対応した試しがなかった。
 そして誰もいなくなった公園で虚しく佇んでいると、屁怒絽さんが申し訳なさそうに身体を小さくした。
「……すみません鳴海さん。僕はこの通り、この星の人間からしてみれば恐ろしい外見をしている。あなたが自然に振舞ってくれたから勘違いしてしまったようです。僕は力になれない」
「そんな、屁怒絽さんはよくして下さっています。私こそ面倒事に巻き込んでしまって申し訳ありません。こんな、その、つらい思いまでさせてしまって」
「いいんです、自分のことは自分でよくわかっています。深い理由があるのだろうと思い何も言いませんでしたが、本当は鳴海さんもさっさと出て行きたかったでしょう。もてなすのが楽しくて、お節介を焼いてしまいました」
「お節介だなんてそんな。私が我がままを言って」
「いえそんな、僕が勝手に」
 屁怒絽さんの頭頂部に咲く一輪の花が、感情を糧としたかのように心なしかしおれて見える。これも荼吉尼族の特徴なのか屁怒絽さんが花屋故のトレードマークなのかは知らないが、異形の巨体が縮こまって頭を垂れる様というのは、どうしてか可愛──可笑──微笑ま──奇妙な光景として映り、恐怖や不安とは違う別の感情がうまれてくる。
 おそるおそる、幹のように太い腕に手を寄せた。ざらりとして硬質な皮膚は人間のそれとはまるで違うが、微かにあたたかい。
「鳴海さん……」
 屁怒絽さんはそう呟いて、こちらを見つめた。駄目だった。正面から見据えた赤い視線は構えて迎え撃ったとて想像より遥かに恐ろしくすぐに目を逸らした。動悸が激しい。冷や汗も出る。最悪の場合、触れられたことに腹を立てた屁怒絽さんの牙によって噛み殺される、といったことが想定され、意識がすうっと上の方へ引っ張られるのを感じた。勝手なのは私だ。赤なのか黒なのか判別出来なくなってきた目に見つめられていると、自分の白状さを、僅かに卑しむことが出来た。

「えー、犯人に告ぐ犯人に告ぐ。人質を解放してすみやかに投降せよ」
 だからそんな台詞が聞こえてきた時、冷や水を浴びせられたように意識が戻り幾らか冷静を取り戻せた。
 気が付くと辺りには規制線が張られ、軍服に似た揃いの衣装を纏った男達が距離を保ってこちらの様子を窺っていた。そう遠くない距離でパトランプの赤い光が、ちかちかと点滅している。
 幾らか状況を察した私に対し、屁怒絽さんは「何かあったんでしょうか、物騒ですねぇ」とどこか物憂げに呟いている。どう考えても私が人質、屁怒絽さんが犯人といったシチュエーションだった。もう帰りたかった。
「お疲れ様です真撰組のみなさん。一体どうしたんです?」
 そうやって屁怒絽さんが近づくと、堪え切れなかった悲鳴が細く空気を震わせ、私はといえばなんとも言えない心境のまま、屁怒絽さんの後ろ姿とへっぴり腰の真撰組を見守る他なかった。
 屁怒絽さんの話を聞く限りでは、真撰組は江戸の治安を守る警察組織のひとつで、廃刀令後も帯刀を許された武装集団ということだ。攘夷志士の捕縛や将軍の護衛などを職務としているらしいが、これはテレビから聞いた話、問題行動も多くチンピラ警察二十四時と称されることもあるらしい。
 これは、思ったよりも大事になってしまうのではないだろうか。
「──あの」
 言葉をどう繋げばいいのかわからない。声を出したはいいが行き場失った音を空中に投げだして挙げかけた手を彷徨わせていると、音もなく近づいた手が素早く腕を引き、私を庇うように男の背中が立ち塞がった。「人間だ」と、一も二もなく感慨深く思ってしまったのは、この七日間、屁怒絽さんと暮らしていたためだろう。
「娘さん、大丈夫だった? 俺達が来たからにはもう安心して。すぐに家に帰してあげるからね」
 呆けている私を安心させるように、男は人のよさそうな顔で微笑んだ。年齢は、そうさな、二十歳前後といったところか。美醜について問われると、よくわからない。良くも悪くも人間らしい顔立ちで、サングラスも髭もないものだから、仮にこの男が探し人だったとして、どう人に伝えていいか迷ってしまう、そんな男だった。
 私が本当に人質で江戸の住民であれば、この行動だけでも男に惚れてしまったかもしれない。しかし生憎と人質ではないし、そもそもここにない家にどう帰してくれるのだという性根の悪いぼやきが浮かび、どうしたものかな、と曖昧に笑った。男はちょっとの間訝しげに眉を潜めたが、「山崎」と続いて聞こえてきた声に顔を上げた。
「人質を保護したか。よくやった」
「土方さん! 容疑者は荼吉尼族ですがどうしますか──っていうかあの荼吉尼族、万屋の隣の花屋みたいですけど」
「ああ? ってオイまじか。どういうことだ総悟」
「さあ、俺は地域住民から通報を受けただけなんで。まぁ、ついに化けの皮が剥がれたってところですかィ。相変わらず若い娘のひとりやふたり、バリバリ喰ってる面じゃないですか」
「面の印象については否定しねぇ」
 土方と呼ばれた男が煙草をふかす傍らで、総悟と呼ばれた方は平然とした顔で大筒を……あれはバズーカと呼ぶものだろうか。物騒なものを背負い、標準を屁怒絽さんに合わせるようにして構えた。そんなことをして大丈夫なの、警察ってそんな戦車に使うような武器を簡単に持ち出していいものなの、っていうか化けの皮が剥がれたって、ひょっとするとで屁怒絽さんにはそういった疑惑があったの。
 と明日は我が身の惨事を想像して身震いすると、もう大丈夫だからと落ち着かすように、山崎さんが肩を抱いてそっと現場から私を遠ざけようとした。いや、いや、駄目だ。少なくともこの今の屁怒絽さんは濡れ衣で、バズーカをぶっ放される罪を犯していない。
「ちょ、ちょっと待って下さい。誤解なんです。私はただ人探しを手伝っていただいただけで」
「人探しだぁ?」
 土方さんがそう反芻して目を細めた。涼しげで整った顔立ちではあるが、眼光が鋭いせいか、強い口調で返されると屁怒絽さんとは違った恐怖心で委縮してしまう。すると様子を見ていた総悟さんが、これ見よがしに溜息をついた。
「あーあ、土方さんの面が凶悪犯みたいだからって女が怯えてるじゃありませんか。皮剥ぐぞ土方ー。お前の皮を剥いだところでマヨネーズしか出てこないけどなー」
「黙れ総悟。……あー、一応聞くが、アンタらはどういった関係で?」
「……居候と、家主さんといえばいいのでしょうか。私がしばらく、お世話になっているのですが……」
「居候と家主? ……どういう事情かは知らないが、紛らわしいったらねぇな」
 すみません、と謝ると、謝らなくていいと首を振り、土方さんは無線機に向けて何事かを呟いた。するとあれほど仰々しかった包囲網は途端になくなり、あとは物々しさの残り香が漂う公園に私たちだけとなった。
 なんとも目まぐるしい。
 この七日、テレビと僅かな町歩きで得た情報から、江戸はあらゆるものが混在した異色の生活空間であると認識したが、いざ目と鼻の先で物語が形成されても勢いについていけないものだ。外枠で眺めている気持ちだけが強くなる。
 とそんなことを考えていも、人にはぼうっとしているだけに見えよう。総悟さんはこちらの脳が悪いとでもいうように目を細め、顔を覗きこんできた。色素の薄い髪の下、赤褐色の大きな瞳に、少しくたびれたシャツを着た女の姿が映る。そういえば着替えもないんだった。
「ようするにあんた、あの化物のペットってことでしょう? 散歩は結構。だが、散歩の度に公園を貸し切られるのは困りまさァ。それに首輪も鎖もついてないじゃありませんか。これじゃあ人質と誘拐犯に見られてもおかしくねーや」
「首輪と鎖がついてたら余計ややこしくなるだろーが」
 物騒な人達という印象を通り越して変な人達だな、という印象が強くなった頃、屁怒絽さんがこちらに向かって歩いてきた。途端、空気が緊張を孕む。事件ではなかったとて、町の人々同様に警察にとっても、荼吉尼族は恐ろしいものとして捉えられているようだ。
「やあ鳴海さん、いつの間にこんなところに。真撰組の皆さんとお話をしていたんですか? 僕も話をしようとしたんですが、皆さん逃げるように……」
「ま、まあ僕達にも色々と仕事がありますからね。今のはそのー……ミーティングですよ。屯所を出てからも定期的に顔をあわせて士気を高めようと実践しているんです、ハイ」
「なんだそうだったんですか。お邪魔してしまってすみません。だからこんなに人がいなかったんですね」
 屁怒絽さんは素直だ。土方さんが取り繕うように並べ立てた嘘にも、尤もらしく頷いて聞いている。それから閃いたという風に手を叩き、
「そうだ、せっかく警察の方がいらっしゃるんです。この人探し、この方々にお任せするのはいかがでしょう」
 と邪気しか漂わないような顔で無邪気に提案するのだった。これは名案ではないかと僅かに期待したものだが、肝心の警察は山崎さんまでも顔を強張らせ、総悟さんに至っては既に姿なく逃走をはかったように見えた。ちょっと、きたならしいと思う。
「い、いや、悪いが僕達は特殊警察真選組でしてね。犯罪者ならいざしれず、一般人の捜索は管轄外というか」
「そこをなんとかお願い出来ませんかねぇ。僕達、こんなに困ってるんですよ」
 ただ話をするだけでもつらいものがあるのに、あの顔で迫られる恐怖というのは計り知れない。
 見ていられなくなってきて、「屁怒絽さん」と制した。振り向くのにあわせて、さりげなく視線を逸らす術に長けてきたのは、我ながらこれもきたならしいことだ。
「いいんです、今日はもう帰りましょう。私もすぐに見つかるとは思っていません。屁怒絽さんには負担を掛けてしまいますが、この方達の仕事を邪魔してまで私の我がままを通すのは違うと思いますので……」
 なんでもないことなのだというように、出来るだけ笑いながら言った。屁怒絽さんは沈黙し、土方さんは「あー」だの「うー」だのばつわるげに頭を掻いた。
 いささか驚いたのは、冷血なのか腰が低いのかわからなかった土方さんが、それでも面倒を見ようとしてくれたことだ。
「……ただの人探しってんなら、まだアテはあるだろうが」

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -