09

 お前それでも人間か お前の母ちゃん××だ
 お前それでも人間か お前の母ちゃん××だ

 江戸の町を歩いていると、どこからかそんな歌声が聞こえてくる。若い娘の声のわりには奇天烈な歌詞だが、溌剌として楽しげな歌だった。曲調は耳慣れたJ−POPといった風だが、そういえばテレビで聞いたことがある気もする。そう、確かお通ちゃんといったか。画面越しにくるくる踊る彼女を見て「かわいらしい子ですね」と屁怒絽さんが言ったので、思わずぎょっとして目に焼き付けてしまったのだった。
 屁怒絽さんの家で送る居候生活には気苦労も多いが、人は環境に順応するものだ。拾われた当初は抜けがらのような有様を晒していたものの、最近では少々の稼ぎも見つけ、いくらかの生活費を納めるようになってからは恐縮し切る態度もマシになった。ついでに出来ることは手伝わせて下さいと申し出て、買い出しを頼まれるようになったのは私にとって喜ばしいことのひとつだ。あまりぼうっとしているとまた悪い考えが浮かびそうだから、少しでも役に立てたのだと、欲求を満たし気も紛れる仕事はあったほうがいい。
 いくらか思うところはあるが、江戸の町を歩くのは楽しかった。
 近未来と昔とが強烈に入り混じる異色の生活空間だが、双方が互いに特色を出し折り合いをつけようとする様を見ていると、明治維新、という言葉が浮かんだ。まあ、日本史は得意ではなかったし、近代化が急ピッチで進んだというイメージが先行してのことだけど、この光景はこの世界の何十年後かにキッチリ教科書として載るんだろうな、と考えると興味深い気持ちでいっぱいだ。醤油一本買いに行くにもきょろきょろとして、無機物のひとつひとつにまでしげしげと見入ってしまう。
 無機物というと、パトカーにも面白い発見があった。普通、車体の上でくるくるとパトランプが点滅しているものだが、こちらのパトカーは運転席側に「御用」の提灯がくくりつけられ、それが光るという寸法だ。走行中、何故か助手席側からバズーカが飛び出している光景については見ないふりをした。道行く江戸の人々もまた関わり合いになるまいとそそくさと歩きぬけていたから、間違った選択を犯したつもりはない。

「あれぇ、荼吉尼族のところのペットじゃないですかィ。さっきも一人で歩いてやしたが、家出でもしたとか」
 ところが一方が目を逸らしても一方は目を向けているもので、スーパーの調味料コーナーを物色していると件の警察に声を掛けられた。
「こんにちは。……ええと、沖田さん」
「うわ気持ちわりー。名乗った覚えねーのになァー」
 土方さんに連れられてはじめて万事屋に伺った時に充分察したつもりだったが、心構えが甘かったようだ。沖田総悟という人間は誰もがあたりまえに研鑽しているはずの円滑なコミュニケーション能力というものを有しておらず、言ってしまえば小学生男子のように狂ったところのある人間である。今この世界で一人の市民として生きている立場からすると、これが警察官だなんて、と早々に辞めていただきたいなと思うのだが、この人は警察は警察でもチンピラ警察二十四時の人なんだ、と新しく枠組みを設けると、こんな人もいるよね。って感じでどうにか受け入れ態勢が整った。
「すみません、土方さんの口から少々耳に入れたもので」
 そう申し訳なさそうな顔をつくって言うと、
「ところでそこ、空けてくれやせんか。こっちも買い出しに来たんでね」
 と何事もなかったかのように返されたので、調味料コーナーで雪崩が起きればいいのにな、と思いながらも一歩後ろの引いてコーナーを開けた。沖田さんは、タバスコの一本一本を熱心に見比べては、「……お、デスソース入荷してやがる」だの「手っとりばやくマヨネーズ型出ねぇかな」だのと怪しげな事をぶつぶつ言っていた。料理するのかな、とちょっとでも関心を持った自分の感性を心許なく思う程だった。
「おいポチ。お前んとこのご主人、花屋だろ。毒物は入荷しねぇのか」
「ポチじゃありませんし、店については何も知りません。……っていうか何に使うつもりなんですか、毒物」
「そりゃあ機密情報だ。一般人には教えらんねぇな」
 だったら物騒な話をそもそもふらないで欲しいので、誤ってデスソースの瓶が破裂して飛沫が目に入らないかな、と髑髏のパッケージを眺めていると、本来髑髏とは縁がなさそうな美少年然とした面で沖田さんが振り向いた。
「それであんた、件の人探しは片付いたんですかい」
 一瞬、言葉を失った。
 この男、警察官らしからぬ言動を繰り返している癖に、その辺りの気は回るのだろうか。それとも万事屋に余計なことを吹き込んだついでに覚えているだけなのだろうかと、つい勘ぐってしまいそうになった時、坂田さん、お登勢さん、屁怒絽さん達が見ず知らずの人間に随分親切にしてくれたことを思い出して、何もかも怪しむのは見当違いのことではないかと己を叱責した。
「はい。おかげさまで。土方さんには一度、挨拶に伺おうと思っているのですが」
「へぇ、それはいい心掛けで。なんだったら屯所まで送りましょうか。見回りは終わって戻るとこだったんで、ついでみたいなもんですが」
 これは思いがけない申し出だ。
 また言葉に詰まって幾度か瞬くと、
「礼は早いほうがいいんじゃないですかィ。土方さん、明日から出張で江戸を離れるらしいんで」
 と沖田さんが言った。
「そうなんですか?」
「何週間か何カ月か、その辺はわからねェ。……ま、手土産だったらその辺のマヨネーズを二、三本見繕えばいい安上がりな男なんで、気負う必要はありませんぜ」
「……そうなんですか」
 手土産。そう、手土産は重要だ。その手土産の案としてマヨネーズが挙げられるのは冗談みたいな話だが、手土産にマヨネーズを渡すという冗談を見たことは記憶に新しい。
「それじゃあ、挨拶だけでも」
「わかりやした。んじゃとりあえず買いものだけ済ませちまいますか」
 沖田さんは早口でそう言って、タバスコを手にレジまで歩いていった。私は言われた通り二、三本マヨネーズを籠に足して後を追いかけた。清算すると、「貸しなせェ」とたいした重さでもないのに沖田さんが荷物をもってくれたので、吃驚したけれど、ありがとうございますと言葉に甘えた。
 スーパーから屯所までの道程は地図や現代の新宿駅周辺を思い出しながら移動したが、思ったより近くにあった。かぶき町から外に出るのははじめてのことで、あまりにも遠くだったら帰ってこれないのではと心配になったが、それも杞憂だったようだ。車を降りてからも熱心に外を眺めていたせいか、この辺りに来るのははじめてなんですかい、と沖田に話しかけられ、現代の方も頭に浮かべていたせいか、ちょっと妙な気分になりながら、そうですね、と答えた。
「ま、場所はよく覚えておきなせい。人生何があるかわかりやせんから」
 それは逃げ込むのと放り込まれるのとどちらの意味で忠告されているのだろう。
 私には沖田さんという人間が、ちょっとよくわからない。ハッキリとした物言いをして悪戯好きの子供のようだが、人を気遣う態度もさらりと見せてくるものだから、どう受け止めたものかと考えあぐねている。その思考の隅に後ろめたさがいるのは、彼が警察であることへの誠実さに対する、稀人としての咎があるように思われた。先日キャサリンさんが何気なしに言った「不法入国者」という言葉が度々頭を掠めるのである。悪いことをしていないのにパトカーとすれ違うと姿勢を正してしまうような、あの感じ。今まさにパトカーに乗り警察組織を訪れているのだから、まったくおかしな話ではあるが。
「あれ、沖田隊長。戻ってたんですか」
 おっかなびっくり沖田さんの後ろについて屯所内を歩いていると、向かいから歩いてきた男に声を掛けられた。
「珍しいですね。こんないい天気なのにもう戻るなんて。土方さんが探してましたよ、いつものことですけど」
「山崎の癖に嘗めた口きくじゃねーか。つうか、その土方さんに客人だ。茶ァ淹れてこい」
「客人って……あ、この子! 公園にいた子じゃないですか」
 不意にこちらに注目が向いて、やや躊躇いがちに頭を下げた。
 公園とはかぶき町の公園、真撰組の人が知っていることとすると屁怒絽をつれての一件だと見当がついたが、目の前にいる男の人が誰だかはよくわからない。ふつうの男の人、という形容しかし難いのだ。中肉中背。垂れ目がちの二重瞼に小さな黒目。前髪も襟足もやや長くて、髪形は少しやぼったい。どこかで見た覚えがある気もするし、ないような気もする。どちらかといえば名前の方に聞き覚えがあり、ひょっとするとあの日、あの場で私の手を引いてくれた人なのではないかと記憶が結び付いてきた。
「先日は、お騒がせしました」
 そう言って覗き込むようにして見ると、そうそうこんな人だった、と記憶が確かなものになってくる。
「ああいえ、こちらこそ。……その後どうでしたか、人探しは」
「だからその報告を土方さんにしに来たっつってんだろ」
「なるほどそれで……あー、じゃあ待ってて下さい。土方さんにも声掛けてきますけど、客間でいいですよね?」
「そうしてくれィ」
 沖田さんがそう言うと、山崎と呼ばれた男は黙礼して廊下の向こうへ消えていった。
 今のやり取りを見る限り、沖田さんが上司のようだ。童顔ということを差し引いてもまだ若いのに、隊長とも呼ばれていたし、なんだかすごい人なんだ、と漠然と感嘆した気持ちが浮かぶのだった。すると不思議なことに、小一時間前までは憎たらしいと思っていた端々のことが気にならなくなる。尊大に見える態度も、様々なことが土台となった上でのことであり、一見物騒な行動も、職務を全うしてのことなんだ、なんて。
「そんじゃ、この部屋で待ってて下せえ。山崎のやつ一人だと心配なんで、俺は一旦席を外します」
 えっ、行っちゃうんですか。と声には出なかったが顔には出していたようだ。沖田さんは、
「そう不安がらんでも。土方さんは面は凶悪ですが、マヨネーズには目がないんで、先に与えとくと話がしやすいと思います。じゃ、頑張って下せえ」
 とアドバイスを添えて出ていった。口辺に皮肉な笑いを浮かべて。
 あれはどういう意味なんだろう。一人きりになった途端に不安や寂しさに似た感情が押し寄せて、スーパーで容易く状況に飲み込まれたことを少し後悔した。沖田さんの誘いがあったとはいえ、土方さん、急に押し掛けてしまって迷惑ではなかっただろうか。真撰組の組織図についてはよく知らないが、沖田さんと似たような隊服だったし、その他大勢に分類される隊士とは違う立場にいる方と思える。というか、手土産は本当にマヨネーズで間違いないのかな。沖田さんはああ言っていたけど、ちょっとよくわからない。
 そうやってマヨネーズのパッケージを眺めながら悶々としていると、閉じていた襖ががらりと開いた。
「すまん。待たせたな」
「あっ、お疲れさまです、土方さん」
 勤めていた頃の名残かついそんな挨拶が口から出てしまったが、果たしてこの場に適したものだったのだろうかと、一寸そわそわした気分になる。しかし土方さんはさして気にしたような表情の変化もなく、というか相変わらず堅苦しい仏頂面だったけれど声のトーンは悪いものではなかったので、まずはお礼をと改めて姿勢を正した。
「先日はありがとうございました。おかげさまで無事、探し人を見つけることが出来ました。近々御挨拶に伺おうと思っていたのですが、先ほど出先で沖田さんに会いまして……留守になさるとのことでしたので早めにと、御好意で屯所まで案内していただきました」
「留守?」
「え?」
「あ?」
「……」
「……いや、まぁ、探し人が見つかったってんならそりゃよかったな。それで、一体誰を探していたんだ?」
「……その、私が公園で酔いつぶれていたのを介抱して下さった方を探していて……。なにせ記憶がなかったものですから、一体どういう状況だったのかと不安になってしまって」
「なんだぁ? その理由は。酒の味を覚えたての餓鬼じゃあるまいし」
 呆れた、という様子がありありと伝わってきたので、「お恥ずかしい話です」と肩を縮こまらせた。説明し難い事情は伏せ弁解出来ないことを承知で口にしたが、よくしてくれた人に悪いイメージを植えてしまうのは本当に不本意だった。しかも、大金まで借りている。
「お金についてはまた後日、ご用意させて頂きます。それで、お礼とお詫び……と言っては難ですが、お好きだと伺ったのでこちらを御土産にと」
「土産……? おお、マヨネーズか! 悪いな気を使わせちまって。ちょうど飲みたいと思ってたところだ」
「……。いえ、こちらこそ、よくして頂いているので」
 土方さんは本当にマヨネーズで喜んだので、マヨネーズってのみものなんだ、と強く思うし、せかいってひろい、と強く思う。まあ、この世界の広さがどの程度のものかは知らないが、いわゆる宇宙人が往来を闊歩しているのだから、何があってもおかしくはないという気構えでいなければジェネレーションギャップに殺されまくる。
 沖田さんに感謝しようという気持ちになることで薄ら笑みを作り、マヨネーズを吸引しようとする土方さんをただ見守る。どこからか湧いてきては流れ去る物思いをただ眺めるしか出来ないこの感覚は、誰が悪いというわけでもないのにうら悲しさがあった。……いやマヨネーズ、おいしいけども。万能調味料ではあるけれど。
 と一言では筆舌し難い思いを、喜んでくれたならまぁいっか、で締め括ろうとしていると、マヨネーズを吸引した土方さんが急に顔色を変えた。顔はどす黒く変色して目をかっと見開き、抜き差しならない事情で追い詰められた切迫感、というものがありありと身に伝わってくる。ついには畳の上に伏して、唸り声をあげた。
「……て、てめぇええええ!! マヨネーズに何をいれやがっ」
「たいへんだー。土方コノヤローが毒を盛られたぞー」
 スパンッと清々しい音を立てて襖が開いた。沖田さんだった。何故か携帯電話を構えていた。一瞬何が起きたのかわからなかったが、混乱する私達を嘲るように、というか実際に堪え切れない嘲笑を飄々とした態度で隠しているものだから、沖田さんが何かしでかしたのだと薄々察しがついた。すると屯所に至るまでの記憶──マヨネーズを勧めたこと、荷物を持ってくれたこと、席を外したこと、留守と言った時の土方さんの反応の悪さ、デスソースを購入していたこと──が轟々を渦を巻いて頭を中を駆け巡ったのだった。沖田さんは「いやあ、いい面が撮れました」といい顔をして携帯電話をいじくっている。
「沖田さん、あなたまさか……」
「ああ、協力ありがとうごぜぇやす。いやー、大変だったなー。マヨネーズ型のデスソース作るの」
 なにその努力。
「総悟ォォォォオオオ!!!!」
 土方さんの怒号が天井を貫く。沖田さんは上機嫌だ。個人が何をしようと勝手だが果たしてここは本当に警察組織なのかと遠い目をしながら二人を眺めていると、どこからかまた、あの歌が聞こえてくるようだった。

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -