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 周りの風景や音が全て消え去ってしまう。鹿乃さんのそばにいると、そんな感覚に襲われる。鹿乃さんはその自然世界を愛し、それらと生きるひとだというのに。


「か、鹿乃さん」
 声をかけたら、今この瞬間が終わる。当たり前のことが、いつも怖い。鹿乃さんがふいに消えてしまうことを、俺は知っている。
 意を決して、言葉を続ける。
「どうして、ここに?」
 その問いに答える前に、鹿乃さんは上を向いてしまった。視線が俺の頭の上を越え、真上に向けられる。ものの数秒で、俺に向けられた視線は外れたようだ。
 真上には、代わり映えしない藍色の空が広がっているだろう。悔しさを感じつつも、夜空を見上げる。

「綺麗だ……」
 空には、雲間から出たばかりの青白い月が浮かんでいた。星の見えない空に浮かぶ、丸い月は大きな宝石のようだ。
 自然に出た感想に、鹿乃さんは柔らかな微笑みで応える。月に劣らぬほどに、美しく見える。鹿乃さんは小さな光の粒を纏っているような人だ。いつも、きらきらと輝いている。夜は尚更、際立っている。
「鹿乃さんも、うわぁ……」
 少しでも月が近くに見えるように、あわよくば鹿乃さんに近付けるようにと、勢いよく立ち上がろうとしたのが間違いだった。脚が痺れていたらしく、立ち上がることができない。尻餅をつくかたちで、また地面に引き戻された。自分を支えるために、とっさに大地についた手はとても冷たい。
 鹿乃さんが目を丸くして、驚いている。冷え切った足腰を呪い、この世から消えてしまいたい。次に生まれ変わるならば、鹿乃さんの蝶々がよい。おもわず、来世に全てを賭ける。
「これは、その、」
 必死に弁解を試みるも、上手く言葉が出てこない。顔がかっと熱くなる。この熱が脚に及ばないことが憎い。脚をさすっても、まだ立ち上がることができない。
「ああ、もう駄目だ」
 鹿乃さんに笑われる。冷たい態度を望んだはずの自分はもういない。情けない姿を見せる気概など、元から持ち合わせていないのだ。

 俺の混乱など知る由もなく、鹿乃さんは俺を見下ろしている。そして、急に納得したように頷いた。
「……うん」
 あろうことか、鹿乃さんは俺の隣に腰を下ろした。
 草むらの中に、二つの穴がぽっかりと空いたようだった。
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