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 くらくらするような青いにおいに慣れた頃、草むらが不自然にざわついた。少年の、蝙蝠の耳がわずかに動く。長くしゃがみ込んでいた身体は冷たく固まっている。もう動きださなければならない。そう気付きながらも、玲次郎は徐々に藍色に変わる空を見ていた。


 小さく溜め息をついて、玲次郎は見えない相手に話しかける。
「みちだろ?今は、出て来ないでくれないか」
 いつも背後にいるようで、いつのまにか隣にいる。いるはずのない場所にさえいる。ストーカーと呼んで差し支えないであろう友人を、玲次郎は思い浮かべた。頭の中では、前髪で左目を隠した小さな女の子がにやりと笑っている。付き纏いへの非難を込め語気を強めても、「みち」にとっては照れ隠しと解釈されてしまうだろう。それが恋する乙女の鈍感さなのか、いつものように何かを企んでいるのか、玲次郎にはわからない。
 漠然と、みちが現れるだろうと考えていた。

「……道?」
 草のこすれ合う音で、掻き消されてしまいそうな小さな声だ。浮き沈みのない平坦な声は、まだ玲次郎には届かない。
「……道は、ない」
 たしかに、目の前に道はない。草の壁で閉ざされた場所だ。声の主は背丈ほどある草を軽く手で払いのけて、玲次郎のほうへと向かっていく。その草の隙間を縫って、ゆっくりと進む白い影を玲次郎は捉えた。陽光を目指し高く伸びた葉や茎の間からは、茶色い枝のようなものが見え隠れしている。最後の草の壁を分けたときには、すでにその声の主を理解した。

 草の間から、白い鹿の少女が姿を現す。座ったままの玲次郎を、鹿乃はじっと見つめる。紅い瞳はぶれることがない。まるで強い引力が働いているかのように、玲次郎は目を離せずにいた。


 双眸はもっと奥の、自分を透かした先にある何かを見ているのだと、玲次郎は自身に言い聞かせる。それでも、鹿乃から向けられる視線に、玲次郎は淡い期待を抱いていた。彼女が哀れな自分を掬い上げてくれやしないか、と。
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