太陽の絵の具 2




 午後のティータイムではアップルティーとアップルパイを配った。
ナミさん用の紅茶で、最初に茶葉を使い、野郎共にはそれを使いまわして淹れた。(倹約家であると誉めてほしい)
ナミさんの為に切り取ったパイの上にはリンゴが3切れ、他の奴等には一切れになった。手が自然にそう動いた。贔屓などではない。
女性は大切に扱われるべき生き物なのだから仕方がないのである。

 大体の奴等に配り終えたが、ゾロとウソップが甲板に見当たらない。見渡すとみかん畑の間から間抜けな緑色が見えた。

 俺の手間を取らすんじゃねえとイライラしながら階段を登る。
寝ているであろうゾロの顔目掛けておぼんを投げてやろうかと腕を高く上げた後、眠るゾロの隣にもう一人、見当たらなかった人物がいるのを見つけた。

 上げた腕を下ろし黙ってそれを見た。ウソップがまた、昨日と同じようにスケッチブックを広げながら、大口を開けて寝ているゾロの隣で鉛筆を握り締めている。

 何をそんな、ゾロばかり描いては×をつけていたのかと気になったので様子を見る事にした。
あれか、美しさの欠片もないゴミのような造形を表すのは難しいという事か。

「…なんだあれ」
ウソップの様子を見ながら俺は首を傾げた。
ゾロとスケッチブックを交互に見ながら、手を動かしては消しゴムをかける。
俺の時はあんなに淀みなく動いていた右手が、今は見る影もない。
鉛筆がたどたどしく紙の上で動き、その三倍の速さで消しゴムをかける。
難しい顔をしながら、頭を悩ませながら、静かに紙と格闘しているようだった。

 丸描いてその中に顔を描いて仕上げに緑に塗っておけばそれで完成じゃねえか、と、俺は疑問に思った。絵を描く奴からしたら、そんなにゾロは描き辛い容姿をしているのだろうか。
 ゾロが殊更耳障りないびきをかいた。
俺は無性にそれを聞いてむかついたんだが(意味もなく蹴りを入れたくなってしまった)、隣にいるウソップは優しい顔で笑うだけだった。
…それは違和感を覚えるほど、優しい表情だった。

 恐る恐る、ウソップは左手を伸ばす。
ゆっくりと、ゾロの芝生みたいな髪の毛へ、指先を届けようとする。
ゾロの毛先に触れたウソップの指先は、そのままゆっくりと、本当にゆっくりと…「愛でる」という表現はこういう時に使うんだ、と思うような動作で、その髪を撫でた。

「……」

 俺はそのまま踵を返し、二人の紅茶とパイをおぼんに乗せたままキッチンへ戻った。
ダイニングテーブルにおぼんごと置き、煙草に火を点ける。

先ほど見た光景を思い出し、昨日のウソップの態度を照らし合わせてみたが…導き出した答えは「嘘だろ」と誰かに笑われてしまいそうなものだった。
 俺自身も「バカな」と笑いたいのだが、上手くできなかった。冗談として流せるような、笑えるような気持ちは、あの光景を見てからでは、持てなかった。
正直、今まで数々の女性と出会い、口説き、別れの度に悲しい涙を流させた罪な男である俺よりも、あの眼差しは威力が高いような気がした。
 多分、間違いじゃない。…多分じゃない。ウソップは。

「は〜あ」
だるそうな溜息を吐きながらキッチンの扉を開けたのは張本人であるウソップだった。
俺は驚き、煙草の煙を気管の変な部分へ流し込んでしまった。

「お、驚かしたか。わり」
「げぇっほ!…おお…」
俺に見られていた事など知る由もないコイツは、陽気に「水もらうぜ〜」と食器棚からコップを取り出した。
「…紅茶あるから、こっち飲め」
テーブルの上を指差しうながした。ウソップは「あ!おやつ!」と喜んで飛びついた。

「わりいな、探してくれたのか」
「…いや、まあ、うん」
紅茶を早々に飲み干し、ガツガツとアップルパイを平らげていく様子を見ながら「本当にさっきのウソップと同一人物か?」と疑った。
 まじまじとウソップを見ていたら「なんだよ」と返されたので「溜息ついて、どうしたのかと思って」と慌てて返した。
「ああ…カヤに返事出すの、時間かかってるから。やっぱ全員分描こうと思ったら大変だな」
「ふうん」
 主に「ゾロ」だろ?と聞き返すような事は出来なかった。
何となく、それを俺の口から言ったら、こいつは怒るんじゃなくて泣くんじゃないかな、と思ってしまった。

「でも、もう今回は手紙出しちゃおうかな。また次の時に残りの奴等描いて」
ゾロ以外は描き終えているくせに、ばれないよう「奴等」と複数いるように言ったウソップが、分かりやすくて…。思うけど、コイツ嘘下手だよなあ。

「ご馳走様!旨かった。たまには洗うか」
ウソップは席を立ち自分が空にした食器をシンクへ運んだ。
俺は「いいよ」と遮り「こっち、ゾロに持ってってやれよ」と、キッチンのちょうど真上に位置するみかん畑を顎で示しながら続けた。

 …気を利かそうとか、俺見てたぞ、とか、そういう意味は全くなかった。
ただ「折角一緒にいたんだから」という意味は込めて言った………いや、言ってしまった。

 ウソップは目を丸くして固まる。俺も自分の大失態に固まる。
どうしよう。

「ははは」
沈黙があまりに重かったので何となく笑ってみた。しかしウソップは固まったまま何も発しない。
俺の笑い声は換気扇から外へと逃げていってしまった。

「…」
数秒後、ウソップは俯いたまま後ずさった。
そのまま後ろを見ずに下がり続けるもんだから、テーブルに尻が当たり「いて」と言った。

「…」

 なんと言えばこの空気を変えられるだろうか。
ええと、ええと…平静を装いながらも脳内で慌てふためいていたら、煙草の灰がいつのまにか自分の足元に落ちていた。「あ、灰が」と呟いて靴を見下ろしたが、灰を払うような動作ができなかった。
体が全く動かなかったのである。

「…見てたんだな」
ウソップが小さく、しかしはっきりとそれだけ言ったので「見てない」と咄嗟に返した。
しかしこの返答も大失態であった。

「何を」
聞き返され、俺は何も答えられなくなってしまった。

「……ご、ごめん」
どうしていいか分からず謝ったが、それが一番最悪の言葉だったらしい。
ウソップは顔を上げる事なく、キッチンから出ようとドアに手をかけた。

 咄嗟に、何故だかは分からないが、ここで行かせたら取り返しが付かなくなる気がして、兎に角止めなきゃ駄目だと強く思った。

「待て」
昨夜と同じようにウソップの腕を掴んだ。…微かに震えているのが伝わった。

「離せよ」
「…なんか、離したら駄目だと、思うんだけど、俺は」
「離せよ!」

俺の手を振り解こうと、反対の手で乱暴に俺の腕を掴むが、かなしいかなウソップの力では少しも俺の腕は解けない。

「離せ!眉毛!クソ野郎!」
「クソとは何だてめぇ…」
力一杯ウソップの腕を握り締めたら「いだい!すみません!いたいです!」と、打って変わって謝られた。

「…落ち着けよ。離すから」
「…」
「逃げんなよ?離すからな?」
ゆっくりと腕の力を緩め、ウソップから手を離した。
どうやら逃げる気はなくなったらしい。ドアの取っ手に手をかけるのをやめていた。

「…よし、オーケーオーケー。そのままな。もう一杯茶淹れてやるから」
再び逃げないようウソップをイスに座らせ湯を沸かした。
先ほどの己の大失態を呪いながら、新しく茶葉を取り出す。クソ旨い茶を淹れてやろう。落ち着いて貰う為にも。

「…見てたんだろ」
もう一度聞かれたので、今度は正直に答えた。
「ああ、見たよ。寝てるマリモの隣でお前が絵描いてんのを」

「他にも見ただろ」
「…他ってなんだよ」
尋ね返すとウソップは「だって…見たから、お前、動揺してるんだろ」と鋭いところをついてきた。

 誤魔化そうとするとボロが出るし、というか俺が動揺してるというのが何だか癪だったのでありのまま伝えた。
「あー見たよ。お前がマリモの芝生撫でてんのも」

 振り向くと、ウソップは顔を真っ赤にして俺を見ていた。初めて見る、表情だった。
「…キモチワルイと、思ってんだろ」
ウソップは赤い顔を下に向け、「はは」と自嘲気味に笑った。
ちょうど湯が沸いたので、俺はウソップが空にしたカップに紅茶を注いだ。それを目の前に差し出すが、ウソップは顔を上げようとしない。

「飲めよ。さっきよりうめえから」
「…答えろよちゃんと。気遣ってねえで!」
俯いたままウソップが怒鳴る。俺は暫く考えた後、ウソップの向かい側のイスに腰掛け、「あのさ」と言った。

「俺さあ、ここに来る前も海上生活だったろ」
ウソップがゆっくりと頭を上げる。俺を睨みながら「それがなんだよ」と言った。

「いっぱいいたよ。周り」
「…何の話だ」
「お前は陸で生まれ育ったからあんまりねえのかな。…だからさ、男同士で、恋愛してるヤローが、ゴロゴロいたよって」
「…そ、そうなの?」
俺は頷く。取り繕う為の嘘ではなかった。本当に、両手の指が埋まるくらいには、遭遇した事があった。

 詳しく言えば、バラティエのキッチンでではなくホール側で。
家族連れや恋人、また他にも友人であろう組み合わせの客に混じって、ちょくちょく男同士で来る客がいるのを知っていた。

肩を組みながら入店するほどオープンな者もいたしさり気なく後ろ手で手を繋いでいる者もいた。
 なかにはパティにしつこく迫る屈強な野郎もいた。
パティはかわいそうな程冷たくあしらうのだが、男はめげない。めげないというよりそのやり取りがしたいが為に足繁くバラティエに通っていたんじゃないだろうか。

俺が気付いていないだけで本当はもっと、そういう奴等がいたのかもしれない。
 別段、嫌悪感もないのが正直なところである。まあただ俺は女の方がいいけどなあ、と疑問に思っていた程度だ。
小さい頃から知っていた事もあって、嫌悪を感じる前に「普通」に捉えてしまっていた。
でもそれで良かったんだと今になって思う。

「おう。だから、きもちわるいとかねえから。気にすんなよ」
「…」
拍子抜けしたような、間抜けな顔になったウソップは「…そうなの?」ともう一度同じ事を言った。

「お、俺…自分でも、キモチワルイって、思ってたよ…」
「それはお前…可哀想だろ。いくら何でも。お前がさ」

笑うと、ウソップは俺のその台詞を合図に、ぼろぼろと泣き出した。
「なんだ…俺、誰かにばれたら…船降ろされるって思ってた…」
「そんなわけねえだろバカ」
「…普通じゃねえって…引かれて…笑われて…っ」
「…」

 …どんだけ一人で悩んでたんだろう。嘘が下手なんて、何で思ったんだろう。
ずっと隠してきたんだな。こんな狭い空間で、たった一人で…誰にも気付かれないで。
 自分自身にも嫌われた気持ちを、ずっと抱えて、それでも平気なふりして、笑ってきたんだな。すげえな。本当に、凄い。

「よ、良かった、サンジありがとう…」
テーブルにはウソップの涙が作った水玉模様がポツポツと増えていった。
何故だろう、心臓が、握りつぶされたように苦しくなった。

「…何もしてねえよ、俺は」
「…っ…」
声殺して泣くなよ、と言おうとしたが、やめた。
きっとこうやって何度も、影で一人泣いてきたのだろう。それを微塵も知らなかった俺が「泣くなよ」なんて言うのは、きっと違う。
何も言わないまま、俺は自分にも紅茶を淹れようと立ち上がった。

「ゾ、ゾロには言わないで!」
立ち上がる俺のシャツの袖を掴み、ウソップは懇願の表情を浮かべた。

「…茶、淹れようと思って、立っただけだから」
「あ、なんだ…ごめん…」
ウソップは「たはは」と笑いながら袖を掴む手を離した。また俯いてしまった。
…疑心暗鬼になっているその様子があまりに可哀想で、テーブル越しに身を乗り出してウソップの頭にポンと掌を置いた。
ウソップがゾロの頭を撫でていたのを思い出し、あんな風に優しく撫でられるなんて、どれ程こいつはゾロが好きなんだろうと思った。
あんな風に今、俺ができれば、少しは元気になるかな、とも。

「辛かったな。頑張ったな。すげえよお前。俺が女だったら惚れてるぜ」
言いながら頭を撫でると、ウソップはやっと笑った。とても久しぶりに笑った顔を見た気がする。それだけいつも、こいつは俺達の前で笑顔を絶やさなかったんだな、と気付かされた。くそ、いい男じゃねえか。

「お前が女だったら何かやだな」
「どう考えても絶世の美女だろうが。クソっ鼻」
乱暴に頭をガシガシと撫で回すと今度は本当に、楽しそうに笑ってくれた。

「怒鳴って、ごめん」
「いいよ。俺も黙って見て悪かった」
ぬるくなった紅茶を飲み、ウソップは「うまい」と言った。
料理をして感謝をされた事は勿論何度もあるが、そういえば「うまい」と言ってくれた回数は、圧倒的にウソップが多かったと思い出す。
改めてこいつが「いい奴なんだ」と気付いた。
…俺が女だったら…というより、こいつが女だったら、惚れてたかもな、と頭のどこかで考える俺がいた。

「すげえ元気出た!ありがとな、サンジ」
「だから何もしてねえって」
ウソップの頭から手をどかし、俺は再び湯を沸かす準備をした。
あまりに健気なウソップを見ていて何だか胸が苦しくなってきたので、慌てて。

「それ、持ってってやれば?マリモに」
改めて、おぼんの上に乗ったものを指差したがウソップは首を横に振る。

「カヤへの手紙の、続き書いてくる」
いつものように明るい顔でそう言ったウソップは、キッチンを出ようと席を立った。
「紅茶ご馳走様。うまかった。」
「おう」

 扉を開け外に出ようとするウソップを、今度は本当に、呼び止める理由なんて一つもない筈なのに、俺はまたその腕を掴んだ。

「?なんだ」
明るい表情のままそう言われ「自分でも分からない」と言うわけにもいかず、俺は咄嗟に言葉を考える。

「…また泣きたくなったら、俺のところに来い」

言ってから、女性に言うような台詞だと気付いた。更に慌てて「なんてな!」と付け足す。
ウソップはきょとんとした顔で俺を見た後、今度は声を出して笑った。
「あっはっは!キザ〜!」
自分でも何を言ってるんだろう、頭がおかしくなったんじゃないかと思い、赤くなった顔に気付かれないようウソップの背中を軽く蹴った。

「おら行け!俺がいい男だって手紙に書いてこい!便箋30枚くらい使ってな!!」
ツッコまれたくて言ったのに、ウソップは頷いた。
「分かったよ」と言ったその笑顔は、なんていうか…なんていうか。

 ウソップが出ていった後、ヤカンが音を立てたので、そういえば湯を沸かしていたんだと思い出す。煙草に火を点けて紅茶を注いだ。

「…レディーにも言った事ねえわ…」
先ほどの自分の台詞を思い出し、キッチンで一人、赤面してしまった。




 翌日、ウソップは他の誰よりも早く起きキッチンに参上した。

「おはよう!」
元気に挨拶され、何事かと俺は首を傾げる。

「…飯ならまだだぞ」
「ちげえよ!手紙書けたからさ、今日出すんだ」
「あー、そう…」

 ウソップのテンションの高さのわけを知り、俺は欠伸をしながら止めていた手を動かした。ボウルの中のサラダの材料をトングで混ぜ合わせる。
昨日の事もあってか、ややウソップの顔が見づらい。

「よっしゃ、手紙出してこよ」
鼻歌を歌いながら郵便鳥出張センターのダイヤルを回す。その様子を横目で見ながら、俺は昨日のウソップの涙を思い出していた。

泣くほど想われてるなんて、クソ羨ましい話だよなあ、あの緑…。
そして数秒後、今自分が考えていた思考を慌てて消す。
羨ましいとは何だ。意味がわからん。

「よし受付もできたし…甲板出とくな俺」
嬉しそうに扉の取っ手に手をかける。今にも甲板に向かって飛び出しそうな勢いだ。

「…テンション高すぎねえか。手紙が書けただけなのに」
二回目の欠伸をしながらウソップに尋ねたが、その返答は全く予想していないものだった。

「そりゃ、避難できる場所ができたからな!!」
「…あ?」

「泣きたくなったら行ける場所があるんだもん、頼るぜ〜!」

その言葉とその笑顔のセットに、俺はボウルをかき混ぜていた手を止める。

 甲板へ飛び出したウソップの姿を窓越しに見て「…んー?」と、俺は自分自身の胸に尋ねた。

 今日は天気がいい。太陽が水面をキラキラと照らしている。
そしてウソップの黒髪が、その光に反射して、やたら眩しくて…んー?

「…あれ?…」

 何故だ。何故鼓動が速くなるんだ俺の心臓よ。
 太陽の下で楽しそうに海を見つめるウソップを窓越しに見ながら、ウソップが言っていた太陽の色の話を思い出した。



 今、俺の目に映るお前は…うん、あれだ。…難しいわ。




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