脳直ガールは玉砕





クソみたいな男に捨てられた。3つ年上の、大学生の男だった。
友達と街で遊んでたら声をかけられて、それから連絡先を交換して、あっという間に付き合うことになった。顔はまあかっこよかった。優しかったし話も面白かったし、付き合っていくうちにどんどん好きになって毎日ハッピー最高って感じだった。
でもある日突然「別れよ」ってメールが来て目玉が飛び出た。「は?」って送ったら「ホンカノにバレちゃった」って一文と、困った顔をして「ごめんね?」って謝ってるウサギのスタンプが送られてきた。いやいやいやいやいやいや。お前彼女いたのかよ。私が浮気相手側なのかよ聞いてねーわ。ありえねーわ。「メールじゃ無理ツラ貸せ」と送り返したら「こわwww」って返ってきて、その後は何度メールを送っても既読がつかなくなった。つまるところブロックされた。
ふざけんなよ、私お前に処女捧げちまったじゃねーか。こんな男にバージンあげたっつったら親が泣くわ。マジないわ。ホントないわ。一番ないのは結構本気で好きだったから今悲しくて死にそうになってる自分がいることだわ。
そのメールのやり取りを学校の正面玄関のドア付近でやったもんだから、その後しばらくその場でしゃがみこんでこの世の終わりかってくらい泣いてたんだけど、通りがかるほとんどの人が私に声をかけることなく素通りしていったし、なんならコソコソ話しながら笑ってる奴らもいてマジでクソかよと思った。
てかほんとないわ。ブロックされたらもう1つも連絡を取る手段がない。家も苗字も学校も知らない。振り返って考えてみるとやばい。私なんにも知らないじゃん。なんにも知らない奴のことこんなに好きになって、処女まで捧げて、こんな簡単に捨てられて、めちゃくちゃバカじゃん。やばくね?やばい。
素通りしていく人たちの足元を、涙でグラグラ揺れる視界越しにボーッと見つめる。あーもう無理。立ち直るのに3ヶ月はかかる。死ぬほど泣いてんのに、涙はずっとドバドバ流れ続ける。ちょっと干からびて死ぬんじゃないのコレ。

その時だった。男子が一人立ち止まってスポーツタオルを差し出してきた。
タオルから手、手から腕へと辿るようにして見上げると、隣のクラスの七尾太一がそこには立っていた。
七尾。「モテてーモテてー」ばっかり言ってる赤い髪をした男。特に話したことはないし興味もない。見た目もそんなタイプじゃない。でもここでこうやって泣き始めて多分20分くらい経ってるんだけど足を止めてくれた人は七尾が初めてだった。なんだ、いい奴なのか。モテてーモテてーうるさいけど。
「……ありがと」
タオルを受け取って目元に当てる。涙を拭き取ってからタオルを見てみたらアイライナーとマスカラの跡がクッキリついていて「あ、やべ」と思った。
「だ、大丈夫ッスか」
「大丈夫に見えんのかよお前はこれが」
鼻をすすって七尾の質問に答えると「…うん…えっと…」と、弱腰な声が返ってきた。言葉遣いが最強に悪いところが私の短所だ。それに加えて思ったことをすぐ口に出してしまう。反省した。
「ごめん私、言葉汚いのよ。全然悪気ないんだけど」
「…うッス」
泣きすぎて恐らくほぼスッピン状態になっているだろうな、嫌だな、もっかい化粧してから帰ろうかな。てか借りたタオルが一瞬でありえないほど汚れた。洗って返さなきゃ。
「これ洗って返すわ。ありがと」
「あ、うん。…いや、いいッスよ!そのまま使ってくださいッス」
てかこいつの、この「ッスッス」って語尾なに?どこの体育会系だよ。泣きすぎてうまいこと働かない脳みそで、七尾の口調をぼんやり追いかけた。
「…あの…三田サン、一人で帰れるッスか…?」
男子に苗字をさんづけで呼ばれたのメチャクチャ久し振りだな。クラスで喋る奴らは全員「三田テメー」って苗字にテメーつけて呼んでくるからな。てか、なに。もしかしてこいつメッチャいい奴じゃない?超心配してくれてんじゃん。え、なんか株メッチャ上がってんだけど今。うなぎのぼりなんだけど。
「…帰れる。ありがと」
ボロッボロの顔を見られるのはちょっと嫌だったけど、俯いてるままなのはもっと嫌だったから七尾を見上げてお礼を言った。そしたら七尾は「そっか」って言って笑った。
「タオル、ホントにだいじょぶッスからね!また明日ね、三田サン」
そう言って七尾は私に手を振りその場を後にした。残された私は「は?」と呟く。なに今の言い方。なに今の顔。優しいしかっこいいし、なんなの。七尾のイメージがだいぶ変わった。なんか涙止まった。
涙と化粧でグシャグシャになったタオルを見つめる。洗って返してあげよう、明日。

翌日、帰りのホームルームの後、洗濯して綺麗になったタオルを持って七尾のクラスに向かった。入り口の所から「七尾いる!?」と呼んだらこちらを振り向く何人かの中に七尾はいた。
「三田サン!どうしたんスか」
「やっぱ返すわ、あざした」
適当にどっかの服屋の袋に入れてきたタオルをその袋ごと七尾に手渡す。七尾は受け取ってから「よかったのに。ありがとう」と言った。
「うわ、いい匂いするッス。…うわ〜…なんか、女子からプレゼント貰っちゃったみたいな感じするッス…」
「は?」
何言ってんだこいつと思いながらその顔を伺うと、なんか知らないけど頬をほのかに染めてる。どういうことだよ、それ自分のタオルだろうが。
「女の子の匂いするッス!…う、うわ〜…!」
「いや◯◯の柔軟剤の匂いだから。なに言ってんだお前」
いつものように思ったままを言葉にすると、七尾は「あはは!」と笑った。別に面白いこと言ったつもりないんだけどこっちは。
「三田サンが学校来てて安心したッス。昨日、あんまり泣いてたからちょっと心配したッス」
はぁ?だから優しいかよ。そんな心配されたらちょっと嬉しいだろうが。
「あんた優しいね」
「ん?」
「…止まって、声かけてくれたのあんただけだった。昨日はどうも」
七尾は「全然ッスよ!」と笑う。は?なんだその笑顔。眩しくて無理。
用は済んだけどこのまま帰るのがなんだか名残惜しくて、そんなことを思ってる自分に気づいて「マジか」と思った。いやいやいやいやいや。ないないないない。昨日の今日でそれはさすがにない。
「…あ!やべえ!もう帰んなきゃ、今日の稽古16時からだった!」
七尾が何かを思い出した様子で慌て出す。教室の前の壁にかけられた時計を見上げ、七尾は「間に合うかな」と心配そうに呟いた。
「稽古ってなに?」
「あ、俺っち実は劇団に所属してて!今度公演やるんスよー!それの稽古ッス!」
「は?マジで?」
なんだそれ超初耳なんだけど。七尾が?劇団?公演?
「あはは、マジッス!」
「お芝居?お前が?マジ?」
「うん!今度の公演は任侠モノでね、主演の人、超カッコいいッスよ!三田サンも良かったら見に来てくださいッス〜」
七尾のそれは完全に営業トークみたいな軽い口調だった。でも私は七尾がお芝居をしてるところがカケラも想像出来なくて、どうしてもそれを見てみたいという衝動に駆られて、ソッコーで「行くわ」と返した。
七尾は「えっ」と驚いて瞬きをした。
「…あの、え?マジで?」
「なんだよ行ったら悪いのかよ」
「いや、悪くないッス!嬉しいッス!え、でもチケット◯千円するッスけど…」
「いーよ、払えるよそんくらい。行くわ。いつ?」
私の即答にたじろぎながら、七尾は「えと…」と言って頭をかいた。
「◯日から◯日まで、◯時と◯時、やってるんスけど…」
「じゃあ◯日の◯時のやつ行くわ。チケットどうやったら買えんの」
「あ、俺いま持ってるッス、えっと」
七尾が自分の席にかかっていたリュックを持ってきて、私の前でガサゴソと中身を漁る。映画のチケットのようなものを取り出して、七尾は私にそれを手渡す。そこには「新生秋組第三回公演・流れ者銀二」と書かれていた。
「わーすげえ。マジじゃん」
「…三田サン、ほんとにいいの?ほんとに◯千円するッスけど…」
「払う払う。いま財布持ってるから待って。…はい」
言われた金額をそのまま裸で渡すと、あっけにとられたような顔をして七尾は「どうも…」と言った。
「…こんなチケットの売れ方初めてッス」
「ふーん。てかマジじゃん七尾の名前ここに書いてある、やべー」
お芝居なんて初めて見る。人生初の観劇チケットを手にした私は、なくさないようにそれを財布の中にしまった。
「ねえこれさ、泣けるやつ?」
「え、どうだろ…いや、泣ける話ではない、と思うッスけど」
「ふーん。ならいいけど」
泣ける話だと困る。何故なら私はそういう類のものでありえないほど泣いてしまうからだ。この前テレビで、飼ってたペットが天国に行くっていうVTR観てクソほど泣いた。泣きすぎて頭痛がしたのをそういえば思い出した。
「じゃあ楽しみにしてるわ、稽古がんばって」
七尾にそう言って私はその場を後にした。
ほんとに楽しみだ。舞台の上の七尾はどんな感じなんだろう。


数週間後その日は来た。
思っていたよりずっと広い劇場と舞台に何故か緊張して、私はいつもよりはるかにいい姿勢で席に着いていた。てか待ってよ満員じゃん。やばいじゃん。七尾こんなたくさんの人の前でお芝居やんの?
劇場が暗転する。幕が上がった。ドキドキしながら私は舞台の上に注目した。
ちょっと待って、いた。七尾がいる。初っ端からいる。なんか目つき悪い金髪のイケメンの人と、目つき悪いかっこいい人が話している。七尾は目つき悪い金髪のイケメンの人の隣に座って話を聞いてる。なんか派手なシャツ着てる。丸いサングラスかけてる。チンピラみたいな格好だなと思ったらほんとにチンピラの役だった。その後の話の流れで、七尾は主演の目つき悪い金髪のイケメンの子分っていう役なんだとわかった。
七尾は学校にいる時と全然違った。服装が違うからだけじゃない。お芝居をしてる七尾は七尾じゃなくてその役にしか見えなかったし、他の人もみんなその役にしか見えなかった。あと茂木って役の人が超イケメンでビビった。
私は話にどんどん引き込まれる。
児島が物語の佳境あたりで、背中を向ける兄貴に言う。
「俺を置いていくなんて、水くせえじゃねえか、兄貴!」
そうだよマジ水くせえよ。置いていくなよ風間。一緒に行けよ風間。
「死にに行くのに、腰ぎんちゃく連れてくバカがどこにいる」
マジ腰ぎんちゃくとか。ひどいよ風間。児島はあんたのこといつも誰より慕ってんのに。
「俺ァ、昔兄貴に助けられてから、恩を返すまでは地獄の果てまでついていくって決めてんだ」
マジ忠義だよ児島。マジかっこいいよ、マジ仁義。
それから興誠会の野郎の部屋で、児島が風間を庇って倒れた。マジ無理。思わず息を飲んで私は両手で口元を抑えた。
「…は、は、兄貴、これで、借りた分に足りるかい…まだ、足りねえかな……」
児島がそれだけ言い残して目を閉じた。嘘でしょマジ無理なんだけど。待って、やめて。児島目覚まして。風間が児島の名前を呼ぶのと一緒に、私も心の中で児島の名前を叫んだ。
そして児島の安否がわからないまま風間はもう一度、興誠会の野郎の所へ乗り込む。横田って奴マジでなんなの。この外道。血も涙もない鬼かテメー。
「あっしの龍が鳴くんですよ。てめぇみてぇな野郎を見ると、食い殺してやりてぇってな!」
風間が横田に吠えた。いいぞ、やれ!やってやれマジで!私は拳を握りながら舞台にかじりついていた。
風間のかっこいい殺陣を見ながら、私はドバドバ泣いていた。マジ無理。兄貴と児島の絆メッチャ泣ける。児島を、龍田組を助けて。お願い風間。びしゃびしゃになったハンドタオル片手に、祈るように舞台を見つめた。
最後、風間は児島と連れ添って(児島生きてたマジ良かった)龍田組を後にした。残された謙と茂木が龍田組のこれからに決意を新たにし、幕はそこで下ろされた。
ああ、泣いた。泣きすぎた。頭痛い。首から上の温度が上がってるのが分かる。しこたま泣くといつもこうなるんだ。つーか泣ける話じゃないって言ってたじゃねーかどういうことだよ。止まらない涙をハンドタオルで拭いながら(てかもうびしゃびしゃ過ぎてほとんど拭えないから意味ないんだけど)、私は七尾に「嘘つくなや」と怒りを覚えていた。

会場が明るくなる。客席へ向かって頭を下げる五人を見てから私は退路へと進んだ。
帰り、駅構内のトイレで化粧を直しながら思う。
七尾マジで別人だった。てか無理メッチャかっこよかった。お芝居が好きなんだろうな、楽しいんだろうなって見ててすぐわかった。好きなこと一生懸命やってる人はやっぱりかっこいい。モテてーモテてーって思ってんならもっと学校でお芝居してる自分のことアピールすればいいのに。あいつバカだな。
ずっと前に、廊下に座り込んだ男子何人かがカードゲーム真剣にやってて、その中に七尾がいたのを思い出した。ぶっちゃけ小学生かよと思った。モテるわけねーだろと思った。「ふっ。聖白龍を召喚するッス!」とドヤ顔で言ってた七尾。いや龍を召喚してもモテねーから。それでかっこいいと思う女子いねーから。
…でも今は本気でモテられたら困るから、お芝居してることそんなアピールしてもらわなくていーわ。てかかっこいいのバレたら困るから、逆に黙っててほしいわ。

てか無理。え、マジどうしよう。
なんか私、七尾のこと好きになってる。
気づいてしまうと心はいつも快速電車みたいに加速する。好きだ。七尾のこと好き。どうしよう言いたい。今すぐにでも言いたい。よし明日言おう。


「七尾いる!?」
この前と同じように、帰りのホームルームの後七尾のいる教室へ向かった。入り口でその名前を呼ぶと、顔をこちらに向ける人の中に、やっぱり七尾はいた。
「三田サン!」
七尾が教室の奥の方からこっちへ向かって走ってくる。歩いて、じゃなくて走ってきてくれたところになんか無性に嬉しくなって、そういうとこマジ無理と思った。
「昨日、来てくれてたッスよね!?嬉しかった〜!ありがとうッス!」
七尾はほんとに嬉しそうに笑った。その顔をじっと見つめ、こいつこんな顔してたっけなと思った。
なんかかっこよくない?普通にイケメンじゃない?はー無理無理。好きだわ。
「てかそのことも含めてちょっと話したいんだけど。来てよ」
「?」
「今日は稽古は?あんの?帰り急いでる?」
「今日は夜稽古しかないからダイジョブッス!」
「ふーん、じゃあ来て」
七尾の返答を待たずに私は背を向けて廊下を進んだ。ちらっと振り返ると、わけわかんないぞって顔で首を傾げながらそれでも七尾は私の後を付いて来てくれていた。
体育館に行く途中の渡り廊下が、この時間は人があんまいないから、あそこに行こう。私はズンズン歩いた。

ほどなくして目的地に到着した。遠くで運動部の掛け声と吹奏楽部の楽器の音がする。
木の陰で半身だけ陰を落とした七尾が目の前に立ってる。七尾は緊張している様子だった。肩に力が入ってて、垂直に下された両腕はガチガチに固まっている。キョロキョロと辺りを見渡す目は全然私の方を向かない。
「……う、うおおぉ」
七尾が小さく意味不明に唸るので「なんだよ」と聞いたら、顔を赤くしながら答えた。
「…こ、告られるみたいなシチュエーションで、なんか…うおぉ…。いや、あの、ごめんッス、先週読んだスキップの漫画ん中に、今とおんなじような場面があって!」
両手の指を胸の前でソワソワと絡ませながら、七尾は一人で喋っていた。私はそれを話半分に聞いていた。ちなみに「スキップ」って言うのは週刊少年誌のことだ。うちの兄貴も読んでいて廊下にスキップのタワーが12棟くらいある。クソ邪魔だ。
「いや!違うんス!こういうシチュエーションに慣れてないだけで!三田サンに告られるとか、そういうことを期待してテンパってるわけじゃな」
「あのさ好きなんだけど」
七尾の話が長くなりそうだったので我慢できずぶった切った。七尾は目をパチクリさせている。
「七尾が好きなんだけど」
なんか聞こえなかったっぽいからもう一回。さすがに今のは聞こえたと思うんだけど。
「………お…?」
七尾は自分のことを指差している。「お?」というのは「おれ?」という意味なんだろうか。「了解」のこと「りょ」って言うもんな。それと同じか。
「そうそう。七尾」
七尾の顔に人差し指を向けて頷く。すると七尾は今までにないくらい顔をブワッと真っ赤にさせて、なんなら髪の毛も逆立ったんじゃないのと思うくらい全身で驚いた。
「え!?な、なん…なんで!?」
「いやなんでじゃねーよ。超かっこいいんだけど」
「!!??」
「あと優しくてやばい」
「!?!?」
「好き」
思ったことを思ったまま言葉にするのは難しいってよく聞くけど、私は生きてて一度も思ったことがない。お前マジで脳直だよなって友達に笑われたこともある。きっと、普通の人にはあるストッパーみたいなものが私にはないんだろう。脳みそと口が直結してる感じは、自分でもする。これのせいで嫌な思いしたり、それの百倍くらい人に嫌な思いさせたりってことが、今までいっぱいあった。でも、良かったことだってある。
好きって思ったらそのまま「好き」って言える自分のことが、私は結構好きだ。

「………」
七尾は真っ赤な顔のまま動かない。私は黙って返事を待った。
「……俺」
「うん」
「……ごめんなさい、付き合ってる人が、いる」
ゆっくり俯きながら七尾は言った。マジか振られた。ぶっちゃけ6割くらいいけるかもと思ってた。
「別れる予定とかないの」
「えっ、な、ないッス」
「ほんとはそんな好きじゃないとかもない?」
「な、ないッス」
「付け入る隙ない?ちょっとも?」
「………」
七尾は眉尻を下げて、でもはっきり「うん」と頷いた。…だめかぁー。
「おっけ、わかった」
七尾のこと知っていったらもっと好きになっちゃいそうだから、今日、今から、この瞬間から、無駄に絡みに行くのはやめよう。快速電車みたいなこの気持ちを、無理やり上りから下りに変えなくちゃいけない。下りは各停かもしれないし、下手したら運休かもしれないけど。
諦める算段を立てるのは全然面白くなくて、乾いたため息が口から漏れた。
「…ごめん三田サン」
「別に謝られる筋合いないけど」
私がそう言うと七尾は少し驚いてみせてから、小さく笑った。
「…どんな人?」
「ん?」
「付き合ってる人」
「…え、えぇと…」
「できたらベタ褒めしながら教えて。諦めやすくなるから」
私がそう言うと七尾は変な顔をした。
「…三田サンって変わってるッス」
「うん、自分で思ったことはないけどちょいちょい言われる」
「あはは、だって普通そんな事言わないッスもん」
だからその顔で笑うんじゃねえ。好きだっつってんだろ。
「…えっとね、優しくて可愛くて、かっこよくて…最高に完璧な人ッス」
恋人のことを語る七尾は太陽みたいに眩しかった。いいなあ、七尾の恋人はこの笑顔、いっつも独り占めしてるってことでしょ?…いいなあ。
「うん」
続きを催促するように頷くと、七尾は他にどんな形容詞があるか思い浮かべるようにして、斜め上を見上げた。
「あと料理が超美味しくて」
「マジか」
「裁縫も得意で」
「すげえ」
「…一番すごいとこは、俺っちのこと、いいも悪いも全部好きでいてくれるとこッス。たぶん、世界に一人しかいないと思う」
今のセリフに、完全ノックアウトだった。だって七尾が世界に一人しかいないって言うんなら、きっとそうなんだ。そういうのをなんて言うかって、あれじゃん。運命ってさ、言うじゃん。
「…容赦ねーな」
「えっ、う、ご、ごめんなさい」
「ううん」
七尾がバッサリ斬ってくれた傷口は綺麗だ。治った時きっと、跡が残らないんだろうなって思う。そうゆう風に斬ってくれてありがとうって、私思ってるからさ。謝んなくていいよ。…いや今はそりゃメチャクチャ痛いけど。
「どんな見た目?美人系?可愛い系?写メないの」
私が太刀打ちできないような容姿なんだろうなと思いながら尋ねると、七尾は「んん〜…」と真剣に悩みだした。は?例えようもない美女ってことかよ。
「…美人…ん〜…いや、可愛い……ん〜…」
「芸能人で言うとだれ?てか写メないの?」
「…芸能人……えぇ〜…そうだな…」
「ねえもういいから写メないの?良かったら見してよ」
「しゃ、写メは!だめッス!」
七尾が勢いよく首を横に振る。恋人から止められてるんだろうか。
「…あっそ。じゃあいいや。気になるけど諦める」
乗り出していた身を引いて素直に言うことを聞いたら、七尾はちょっとの沈黙の後ポソリと言った。
「…三田サン、もう見てるよ」
「は?」
見てる?すでに?嘘でしょマジか。どいつだ。
「え、何組?」
七尾は「違う違う」と言って手を顔の前でハタハタ振った。
「学校じゃないッス」
「は?じゃあなんだよ」
「…これ以上は言えないッス」
「はぁ?気になるじゃん無理。教えて」
詰め寄ると七尾は心底困った顔をした。
「…えと………。…いや!やっぱ無理ッス!だめッス!言えないッス!」
「あぁ?お前いま一瞬言おうかなって思っただろ」
七尾は思い切り首を横に振りながら「思ってない思ってない!」と言った。首を振ることで起きる風が私の髪をふわりと揺らす。どんだけ勢いよく振ってんだよ首の骨痛めるぞお前。
「いいじゃん教えてって。なんで?人に教えちゃだめって言われてんの?」
「…言われてはないッスけど…」
「じゃあいいじゃん。言っとくけど言い出したのあんただから。このまま言わないで帰るとかマジないから」
「…う…」
「気になって夜も眠れない。絶対睡眠不足になる。テスト近いのに困る。誰。教えて」
「………」
畳み掛けるように繰り出される私の言葉に、七尾はかなり押されていた。呻くように小さく「う」と言ったあと、頭を抱えて何かを考え始めた。
「………三田サン…」
「なに」
「……誰にも言わないッスか…」
なんだそりゃ。逆に誰に言うと思ってんだ。
「誰かに言って、私になんか得があんのかよ」
「誰にも言わないッスか」
「…」
初めて強い口調で返された。ほんとに真剣な顔だ。ここに来たばっかりの時は全然目を合わせようとしなかったくせに、今度は私が射抜かれるようにじっと見つめられた。
…七尾の目、キレイだな。そんなこと思ってる場合じゃないのに、七尾の目の色を、例えるならなんだろう、何かに例えたいなと思いながら見つめ返した。………いやもうやめとこ、これ以上見つめ合ってたら普通に無理。
「誰にも言わない」
一文字ずつはっきり丁寧に言うと、七尾は「…うん」と小さく頷いて、たっぷり時間を使って黙り込んでから、言った。
「公演で、横田やってた人ッス」
…横田。お芝居のことを思い返す。え、横田って、あの極悪非道の超外道の鬼?
「あんな悪い奴と付き合ってんの!?やばくない!?!?弱み握られてんの!?!?」
しこたま驚いて大声で聞いたら「違う違う!」と慌てて否定された。
「あれはああいう役柄だっただけだから!臣クンは横田みたいな人じゃないッス!!」
七尾の言葉に正気を取り戻した。そうか、そうだった。あれはみんな役なんだった。七尾以外の人のことは舞台の上でしか見てないから、役のままのイメージで考えていた。
「おみくんって言うんだ」
「…あ…う、うッス。そうッス」
「はーびっくりした…ヤクザと付き合ってんのかと思った…はー…」
「……」
七尾が、また変な顔をしている。え、なに。また変なこと言ったか?私。
「…驚いたのそこだけ…?」
ちょっとごめん七尾の言ってる意味がわかんない。「なにが?」と聞き返したら、もっと変な顔をされてしまった。
「…いや、だって…男だから…」
「あっ、ほんとだマジだ。男じゃん!マジか!」
言われてから気付いて私はさっきと同じように驚いたんだけど、七尾にはなんかそれが相当おかしかったらしい。「あはは!」って、結構本気でガッツリ笑われた。は?なんなんだよ急に。
「はぁ〜…三田サンってホント変わってるッス」
「知らねえよ、そんな笑われるようなこと言った覚えねーわ」
「ふふっ…。は〜…変なの…」
目尻の涙を手で擦って、七尾は勝手にひと段落ついたように息を吐いた。(涙出るほど笑われるとかマジなんなの、心外)
「……おみくんが好きなの?」
横田の顔を思い出しながら聞く。私にとってはおみくんって言うよりやっぱり横田だから横田のイメージしかないんだけど、だからかなり納得がいかないんだけど、七尾はさっき「世界で一人」って言ったからきっとそうなんだろう。本当に納得いかないんだけど。
「うん」
七尾が照れながら、でも幸せがダダ漏れの顔して笑った。
「メッチャ好きなの?」
「うん」
「…世界に一人なの?」
「うん」
くそ、横田め。おみくんがどんな人か分かんないからお前に恨みを募らせるしかない。横田テメエ。ちくしょう。
「………わかった」
私は俯いて頷いた。…いいなぁ横田。七尾の隣にいれていいなぁ。好きって思われて、世界に一人って思ってもらえて…いいなぁ。
「…あのさ」
俯いたままポツリと切り出すと、七尾が「ん?」と優しく訊ね返した。…あー、だめだ。今の「ん?」の声で、視界が滲んできちゃった。
「…図々しいんだけど、最後に、握手して」
片手を差し出して、歯を食いしばる。やだやだやだ、ここで泣くのはやだ。こらえろマジで。笑って握手したいんだよ私は。泣くな。泣くなってば。
「…どこが図々しいんスか」
そうして優しい声の後に、私の手は七尾の手に包まれた。思ってたより七尾の指は細くて華奢だ。知らなかったことを1つ知って、私はドキドキした。
「………あざす」
「…うん」
結局涙を食い止められなくて、俯いた顔はあげられなかった。手を離してから数秒、七尾がまた「うおおぉ…」と小さく唸る。だからなんなんだよ。唸るなや。
涙を袖で適当に拭き取ってゆっくり顔を上げると、七尾が自分の手の匂いをクンクン嗅いでいた。
「…お、女の子の匂いする…!」
「いや◯◯のハンドクリームの匂いだから」
七尾はそれでもしつこく嗅いで「うわぁ…」と感嘆の声をあげていた。いや、うわぁじゃねえよ。そんな嗅ぐなや。犬か。
「…七尾さあ」
「ん?」
「お芝居してる時、かっこよかったよ」
「ま、マジッスか!」
「うん。またいつか観に行くわ」
七尾は心底嬉しそうな顔で笑って「ありがとう」と言った。…ああ、好きだなぁその顔。どんだけ経ったら諦められるかなぁ。

「…じゃあ、話終わったから行くわ。付き合ってくれてどうも」
「…はいッス」
七尾に軽く頭を下げて踵を返す。
遠くで運動部の「ファイオー」と「いちに」が交互に聞こえる。夕焼けが目にしみると思ったのは生まれて初めてだった。
最後の最後にチラッと振り返ってみたら、まるでなんかの部活の後輩みたいに七尾が頭を下げるから、おかしくて思わず笑った。

私もさぁ、いつか「世界に一人だけ」って思う人見つけるからさ。
その時は握手じゃなくて、拳を軽くぶつけて笑ってほしいよ、七尾。








あとがき



こんなにも楽しく波に乗るように書けた話は久々なのですが、同時にどれほどまでに読者受けしない内容だよとも思いました。すごいなんか、こう…清々しいほど受けないだろうなこれ…と思います(笑)
一人称で書くのがやっぱり一番好きで、特にモブ視点の一人称は、公式を確認したりとかキャラの解釈を見直したりとかの作業が全然必要ないのでとても楽だなと思います。まさに脳直です。
太一くんは、みんなからほんわり愛される感じじゃなくて、少数から針のように愛される気質なんじゃないかなと思っています(臣クンもそのうちの一人)。でも私が太一くん大好きだから、私の描く世界の生きとし生けるものはみんな太一くんを好きになってしまう…。こういう話をあと100本は書けそうです。
それにしても苦情が来そうなくらい振り切れたお話だな!いやはや、でもいいのだ!書きたかったから!
書いてて楽しかった〜^^




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