涙が出るほど月が綺麗






 生まれて初めて恋人という存在が出来て、俺は毎日、なんていうか物凄くテンパッている。何をどうしたらいいのかまるで分からないのだ。
 だったらせめて今まで通りの俺でいようと思うのだが、テンパッているせいでそれも難しい。挙句の果てにその恋人から「そんなところも可愛いけどな」とか言われたりするもんだから、もう、本当に…全力で無理なのである。

「夜、船尾で会おうぜ」

 昼下がり、甲板で日向ぼっこをしていた俺に、紅茶とシフォンケーキを運んできた恋人が耳打ちでそう告げてきた。説明不要だと思うが、俺は瞬時に耳を手で抑えてそいつの顔を睨んでやった。
「…や、やめろって、言ってんだろうが!」
「言われてねえよ」
恋人は悪戯な顔をして笑うだけだ。全くけしからん。反省の色がない。全く、ほんとに…。
「返事は」
サンジが、少し真剣な顔をして付け足した。…ううぐう…その顔やめろぉ…テンパるっつってんだろぉ…。
「…お、お、おす」
「よし」
俺の返事に満足し、煙草を一本取り出してサンジはその場から立ち上がった。
「夜、クソ楽しみにしてる。」

 …ああ。こいつみたいに、好きな気持ちをそのままの温度で、どうして自然に吐き出せないのかな。羨ましいなと純粋に思った。サンジは、俺を好きな自分の事もきっと好きなんだろう。
 …俺は、恥ずかしくて、嫌だよ。お前の事大好きだけど、お前の事を大好きな自分の事は、恥ずかしくて見ていられない。いつも目を背けて、時が過ぎるのをやり過ごしてしまう。
 お前みたいに真っ直ぐ言えたら。嬉しそうに笑えたら。想いが漏れ出すみたいにこの気持ちを届けられたら。本当に、いいのにな。だって俺はこんなに嬉しい。お前にも、この百分の一くらいでいいから「嬉しい」って、思ってもらいたいのにな。



 夜。
 晩飯の後の片づけをしているサンジの後姿を見ていたら「先に行って待ってろ」と言われたので、一人で今、俺は船尾にいる。
 真っ暗な一枚絵のど真ん中に、月がぽつんと浮かんでいる様を見ながらサンジを待った。程なくして、後ろから「よ」と声をかけられた。
「悪い、待ったか」
「いや」
サンジは上着を脱いでいた。ストライプのシャツの襟元が風に揺れているのを見ながら「かっこいいな」と、何だか急に、突拍子もなく、そんな事を思ってしまった。
「…そんな見惚れんなよ」
「っ!見惚れて、ねーっす、欠片も!」
勢い良く首を横に振ったら、サンジが「ひひ」と笑った。
「あけーぞ、ウソップ」
「んな、な、な、何が」
「顔が」
「そ、そ、そーかね!」
サンジはまた楽しそうに笑って、俺にグラスを差し出した。
「飲もうぜ」
俺が渡されたグラスの中身はオレンジ色で、サンジが自分で持っている方は水色だった。匂いを嗅ぐと、柑橘系のいい香りがした。
「…ジュースか?」
「酒。ま、それは少ししか入ってねーから、アルコール」
「ふうん」
「おら、グラス差し出せよ」
サンジに催促され、俺は言われるがままグラスを持った手を前方へ差し出した。
「乾杯」
「…お、おう」
返事をしてから思う。あーあ、いま「おう」じゃなくて、俺も「乾杯」って言えば良かった。

 飲んでみるとそれはほとんどオレンジジュースと同じで、言われないとアルコールが入っているかどうか分からなかった。…うまい。
 わざわざ作ってくれていたのだ、この時間の為に。だから「先に行って待ってろ」って言ったんだ。
 …あーあ、もう、やになるな本当。
「やっと二人になれたな」
サンジの、いつもより低い声に体がビシッと固まる。そのせいでこいつがいる左側に首を動かせなくなってしまった。
「こっち向けよ」
「……無理ですね、ちょっと」
「あ?」
「うまいな〜、これ」
そっぽを向いたままグラスを傾けたら、左側の人物が明らかに不機嫌になったのが手に取るようにわかった。
「おい鼻」
呼びかけに応じないでいると、サンジは遠慮なしにこちらの顔を覗き込んできた。
「せっかくの貴重な時間を、テメーは恥ずかしいだのなんだので無駄にする気か?」
恐ろしいほど的を得ているその言葉に、思わず「う」と声が漏れる。
「照れてるお前も悪くねえけどよ、俺だって必死こいて二人の時間作ってんだよ。恥ずかしがってねえでこっち向け」
「…」
サンジの「必死こいて」という言葉が、ああ、琴線に触れてしまった。ギギギと音が聞こえてきそうなほどゆっくりと、ぎこちなく、俺はサンジの方に顔をやった。
「…よし」
サンジは頷いて、それから少しだけ見つめ合ったけれど、今度は逆に目を逸らされてしまった。
「…いざ見つめ合ったら、どうしていいか分かんねえな」
照れを隠すように、グラスの中を飲み進め、その後咳払いをしてる。…ああ、なにそれ。いい加減にしろよアホ眉毛。…どうすんだ、大好きだ。油断したら何故だか泣きそうになってしまったので、慌てて唇を噛んだ。

「絵でも描いてたのか?」
「うん?」
「待ってる間」
サンジの質問に首を振ってから「月をな」と答えた。
「見てたんだ。ほら」
少しだけ上弦が欠けた月を指差して言った。
「…なんかさ、ポツーンって感じしてさ」
「そうか?」
「寂しくねえようにさ、俺見てるぞって思いながら、見てたんだ」
そう言うと、サンジは短く笑って「へえ」とだけ零した。
「星が出てねえから、なんか、一人ぼっちっぽいだろ」
同意を求めるが、サンジはいまいち要領を得ていない表情で「んー…」と言うだけだった。
「…わかんねえけど、好きだぜ」
「ん?」
「お前のそういうとこ」
 …ほらまた。なんの躊躇いもなく、息を吐くみたいに言えてしまうんだお前は。なんでだよ、ずりいよ。俺にも分けろよその能力。
 「俺も」の三文字も返せない自分に苛立って、グラスの中のオレンジを一気に飲み干した。

「お前には、今日の月は寂しそうに見えんのか?」
サンジの問いに頷いてから「あ、でも」と付け加えた。
「すげー綺麗だ」
「あ?」
「寂しそうだけど、今日の月は、なんか…涙が出るほど綺麗に見える」
感じたままに言葉を発してしまったけれど、いささか芸術的に言い過ぎたかもしれない。サンジくん、そういうの全然わかんねえもんなぁ〜。やだな、こっ恥ずかしい。引いてねえかなこいつ。
 ちらりと盗み見すると、サンジはじっと俺の顔を凝視していた。
「え、な、なんだねサンジくんよ」
「…お前、分かってて言ってる?」
「…はぁ?」
サンジの問いかけの意図が全く分からず首を傾げると数秒後に「っち」という舌打ちが聞こえた。
「…タチ悪ぃなあ、クソったれ」
「なんだよ、全然意味わかんねえぞ」
「キスさせろ」
「なん!?」
唐突過ぎて目玉が飛び出た。あともう少しで両方の眼球が足元に転がっているところだった。危ない。
「目つぶれ」
「な、な、な…急だな!!??」
「オメーが悪ぃよ、今のは」
サンジが俺の顎をぐいと掴んで顔を近づける。
 …なんだよ、何の説明もしないで、くそう、いい加減にしろよ。俺の気持ち置いてけぼりで、おいこら、ああ、馬鹿野郎…何にも悪態をつけないまま、唇はくっついてしまった。

「…」
「…ウソップ」
「な、なんだよもう」
「死んでもいいよ、俺」
サンジの台詞にギョッとして、慌てて「し、死ぬなよ!」と返したら、何がおかしいのか「だはは」と豪快に笑われてしまった。
「そうだな。死ねねーな。こんなクソ幸せな人生終わらせるなんて、勿体ねえな」
サンジの言葉にコクコクと頷く。そうだよもう。死ぬとか言うなよ。しかもそんな幸せそうな顔してよお。本気みてえじゃねえか。やめろよもう。

「…涙が出るほど月が綺麗だな、ウソップ」
「…俺の台詞、丸パクリじゃねえか…」
「おう。丸ごとお返ししてやるよ」

 さっきからいまいちトンチンカンなサンジの台詞が何だか妙だけど、まあいいか。酔っ払ってんだろうなこいつ。
 幸せそうな顔してっから、いいや。それだけ分かれば。



 …一回くらい「好きだ」って、言いてえんだけどなぁ…。





おわり






あとがき

みーこちゃんの誕生日に贈らせていただいたもの第二弾。
「月が綺麗」と「死んでもいい」、いつか使いたいなって思ってたので、ここで使えてよかった!
みーこちゃんのサンウソを読みパワーを貰い、そのパワーを振り絞ってみーこちゃんにサンウソを贈っている…みーこちゃんがいないと恐らく書けない…神…

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