ホラ吹きに告ぐ








三月最後の夜。
今夜の仕込みには自然と熱がこもった。明日、俺の料理をたらふく食って幸せそうに笑う顔が見られるなら、と思うといくらでも頑張れてしまう。
あと数十分で日付が変わろうとしていた。そうしたらカレンダーは一枚捲られ、四月が始まる。その最初の日が、奴の誕生日である。

刻んでいた薬味を容器に入れて冷蔵庫にしまった。タタキにすると旨い魚を仕入れてあるのでその魚と共に使う予定だ。
あいつの喜ぶ顔を想像しながら調理器具を洗った。
無限大の胃袋を持つクソゴムに全部食われてしまわないように、いつも以上に気張って給仕をやらねえとな。一番食ってもらいたいのは、主役である長ッ鼻なのだ。

台所を一通り片付けてテーブルに座った。一服したら着替えて歯を磨いて寝よう。
そう思っていたのに何故だか急に睡魔に襲われて、こんな事はとても珍しいが俺は一本を吸い終えるのも待てずに突っ伏して眠ってしまった。
眠りに落ちる寸前に「火元は消さねえと」と思って灰皿に煙草を押し当てる。俺が意識を保っていられたのはそこまでだった。

ふと、自分が見たことのない場所を歩いている事に気づく。辺りは薄ぼんやりと暗く、足元にはただひたすら砂利道が続いているだけだった。
見渡しても何もない。特に疑問もなく歩み続ける俺の足が砂利を踏み、小石が擦れる音だけが鳴る。

どうして俺は疑うことなく前へ進んでいるのかわからない(進んでいるの方向が前かどうかも知らねえが)。ただ分かる事は、これは「そういう夢」なんだという事だった。
夢の内容を覚えている事すら滅多にないというのに、明晰夢を見るなんてクソ珍しい。
胸ポケットの中にはいつものように煙草とマッチが入っていた。安心した。これさえありゃあ、まあ大抵の事はやり過ごせる。
俺は煙草に火を点けながらザクザクと歩き進めた。恐怖や嫌悪感はまるでない。それは「そういう類の夢」ではないのだ。説明出来ねえのに分かるってのも不思議なもんだな。

煙草を三本ほど消費したところで、前方に何かが見えてきた事に気付いた。どうやら家だ。ごく普通の、いや少し手狭で古びた感じの、こじんまりとした家がある。
俺はそのまま歩き進め、何のためらいもなくその家の扉を開けた。普通ならまずノックぐらいするもんなんだが、そうする必要がねえ事も何故か分かるのだ。

家の中は薄暗く、小さな窓からの外光だけがその部屋をほんのりと照らしていた。今俺が歩いてきた世界は暗いのに、窓から注ぐ外の光は明るい。
部屋の奥にはベッドが一つ。そのベッドの上には誰もいない。…いないのに、少年が一人、膝を抱えながらずっとベッドを見ていた。背を向けているから俺の事は気付いていないのかもしれない。
何か見えねえもんが見えちまってるのかと思った。頭にバンダナを巻いた少年は、本当に飽きもせずずっとベッドを眺めているのだ。

「何を見てんだ」
少年の後ろに立ち、俺はその背中に短い言葉をかけた。少年はびっくりした顔でこちらを振り返る。
ああ、後ろ姿に既視感があると思ったら、なんだお前かよ、ウソップ。
少年の姿をしたウソップは聞き慣れたいつもの声より少し高いトーンで「だ、誰だお前」と言った。

「ん?おおクソガキ俺の名を知らねえのか。人生損してんな」
バンダナの上に手を置く。布越しに触る髪の毛の感触は馴染みがあった。
「俺はサンジだ。しっかり覚えとけよクソッ鼻」
笑うと「クソッ鼻って失礼な奴だな!なんだお前!」と噛みつかれてしまった。
「海賊…じゃないよな、そんなスーツ着て。…やらしい店で働いてる人?」
小さいウソップは素っ頓狂な事を抜かした。数年後には同じ船の上で海賊をやるというのに。…やらしい店ってなんだよ。

「…煙草吸っていいか」
夢の中だが念のため確認をした。するとウソップは急に冷めた顔をして小さく笑った後「いいよ、別に」と言った。
「…もう、母さんの咳を聞く事もねぇし」
また、ウソップはベッドの上に視線を戻す。その一連の流れで何となく分かった。
ベッドの上にはきっとずっと長いこと、こいつの母親がいたのだろう。そして今はきっと、もう。

「煙草ってうまいの?」
ベッドを見つめたまま小さなウソップが尋ねてきた。
「ん、ああ…そうだな、どうだろうな」
「なんだそれ、全然分かんねえ」
舌打ちと共に吐き捨てる。少し驚いた。小さなウソップは意外と生意気である。
「…親父も吸ってた」
「そうか」
「もう何年も会ってないけどな」
「そうか」
素っ気ない返事をしているのはわざとだ。
小さな背中が懸命に泣くのを堪えているような気がして、けれどそれに俺が気付いてしまうのはきっと…いけないから。知らない振りを貫いた。

「明日からもう、俺は一人で生きていかなきゃいけないから」
小さなウソップは、膝に顔を埋めて言う。
「全部一人でするんだ。何でも出来るようになる。掃除も洗濯も料理も全部全部、自分でやる。寂しくなんかねえよ。俺は海賊の息子だからな。真っ暗な夜も、嵐の日も、クリスマスも正月も誕生日だって、全然、一人でだって平気だ」
そこまで言って、ウソップは振り返り笑った。そうやって誰かに宣言する事で、今にも崩れそうな心を支えているんだろう。
こんなに小さなうちから嘘を吐いて、きっと何個も何個も嘘を重ねて、お前は強くなったんだな。自分を守る為に泣くのを堪え、無理矢理笑って、強がる事にも慣れてしまって。

…これは俺の夢だから、本当のお前はこんな台詞吐かなかったかもしれない。俺が勝手に作り上げた、全部何の意味もない虚構かもしれない。
けれどもし万が一、何かしらの理由で、乱暴に一言でまとめるがこれが「奇跡」みたいな出来事なんだとして、ウソップの本当の過去の切れ端に今、触れているんだとしたら。
柄じゃねえかもしれねえが、この小さな背中を抱き締めてやんなきゃよ、いけねえよな。どうしても。

煙草の火を消して小さなウソップを後ろから抱き締めた。癖の強い黒髪からは、嗅ぎ慣れたこいつの香りがする。
「な、なにすんだっ」
ウソップの抗議はシカトした。代わりに腕の力を強めると「ぐえ」と苦しそうに唸る声が聞こえた。苦しめ苦しめ。俺に嘘を吐きやがった罰だコラ。
「おうこらウソップ」
「…うぐ、何で俺様の名前を…」
「嘘つきなテメーに良い事を教えてやる。一回しか言わねえから忘れんじゃねえぞクソガキ」
「クソガキって言うなグルグル眉毛!」
腕の中で抵抗されるがこれも無視だ。全くクソ可愛い力の弱さである。

「お前が晴れて海賊になった時、俺はお前と同じ船の上にいる。今から何年か後にはなるけどな、絶対に俺とお前はもう一度出会うからその時を楽しみにしてろよ。掃除も洗濯もお前は一人でなんかやらない。バカな船長が仕事を増やすし寝てばっかりで使えねえ剣豪が邪魔な所で昼寝してっから、一人の方がマシだってお前は呆れながら笑うんだ。ちなみに料理は俺に任せとけ。世界で一番美味い飯を毎日必ずお前の胃袋におさめてやる。キノコも残さず食えよ。そしたら最高に手の込んだ魚料理も作ってやる。夜は全員クソ狭い部屋で雑魚寝だよ。嵐の夜も奴らのイビキのせいで風の音すら聞こえねえ。クリスマスや正月は毎日がクソ忙しいから気付いたら過ぎちまってるな。でも安心しろ、四月一日は毎年バカでかいケーキを作ってやる。お前の好物をたらふく作って、仲間全員でお前を祝うからな」
目を瞑りながら、一つも取り零さないように伝える。夢でもしっかりと感じるウソップの体温を腕の中でしっかり守った。
この小さな体に、寂しさを知る心に、きちんと届きますようにと願う。俺はいつからこんなに、子供に弱くなったんだろう。

背中が震えているのを見て胸が痛んだ。随分と声を押し殺すのが上手なんだな。ずっとそうやって泣いてきたんだろ?…ばかだな。
「…な、なんだそりゃ、そんな下手くそなホラ話誰も信じねえぞ」
ウソップの涙が俺の手にポタポタと落ちるが、俺は気づかない振りをして「信じる信じないは好きにしろ。どっちにしたってそうなる運命なのは変わんねえからな」と笑って返した。
するとウソップが、俺の腕を弱々しく、そっとその手で掴んだ。
「………サ、サンジ…」
「おう」
「俺も、少しは…ほんとに少しだけ、一人が寂しい時もある、と言えば、ある…から」
「おう」
「……今のホラ話を聞いて…っ…ちょっとだけ元気が出たぞ………」
「おう、そりゃなによりだ」
「……っ…サンジ…」
「おう」
「…しっ…信じてもいい………?」
ウソップの涙が床に落ちていくのを、肩越しに見た。
「…おう、信じてくれよ」
更に力を込めて抱きしめたが、ウソップはもう苦しそうな声を上げることはない。ただ、殺しきれなかった嗚咽が時折漏れていくだけだった。

小さな体で、どれだけ寂しさを隠してきたのか。どれだけ歯を食いしばったのか。俺には知る由もない。見当もつかない。
遠慮がちに俺の腕を掴むその手に胸が軋んだ。目一杯掴んでいいのに。なんなら鼻水くらいつけてくれたって構わねえのにさ。…ばかだな。

どれくらいそうしていたか、気づくとウソップの呼吸は整っていて、涙が止まったのだと分かった。
「……よしっ、準備は整ったな!」
小さなウソップは目元をゴシゴシと乱暴に拭った。
「…準備?」
「俺様には毎日やってる日課があるんだ!それをやりにいく!」
ウソップの体から腕を離すと、小さな体は跳ねるように立ち上がった。
目元は少し赤いけれど、その表情はとても晴れやかだ。子供らしい、キラキラした笑顔だった。
「変な眉毛のサンジ。ありがとう」
「おう。変な眉毛は余計だけどな」
笑い返すと、小さなウソップは玄関へ向かい元気に扉を開けた。
「じゃあな!」
ウソップは手を振って外の世界へ駆けてゆく。
ふうと一息ついて新しい煙草に火を点けようとしたその時に、扉がもう一度開いた。
隙間から、またウソップが顔だけを覗かせている。忘れ物でもしたんだろうか。
「…間違えた」
「あ?」
ウソップはニカッと笑って
「またな!」
と言った。

そして外から「海賊が来たぞー!」と、少年の声が高らかに響いた。日課というのはこれの事なのだろうか。…クソ謎だ。
続く「変な眉毛の海賊だぞー!」という台詞に「おい」とその場でつっこんでから、今度こそ俺は煙草に火をつけた。

目を瞑りこの煙草の煙を吐けば、多分この夢は終わるだろう。根拠はないが何故だか分かる。
そして目一杯煙を吸う。
どうかまた会う時までの日々の中、あいつが悲しい嘘を吐く回数が一つでも減りますように。
願って、目を瞑りながら煙を吐いた。

そしてゆっくりと目を開ける。
思った通り俺はダイニングテーブルに突っ伏していた。変な姿勢のまま眠りについたから首が少し痛い。
左右に倒して関節を鳴らしていたら、扉の向こうからノックの音と共に「何か飲み物くれ〜」という眠たそうな声が聞こえた。偶然にしてはよく出来ている。声の主はウソップだった。
そのままウソップは自分で扉を開け、目をこすりながら「無性に喉が渇いちまって」と付け加えた。
「…すっかり大きくなったな」
思わず零れた俺の言葉に、ウソップが「はぁ?」と訝しげな表情をしてみせた。
「いや、何でもねえ。アイスティーでいいか」
「頼むわ、いや〜不思議だな何でこんな喉渇くんだろ」
ウソップの言葉を聞き流しながら時計に目をやる。まるで示し合わせたかのようだ。時計の短針と長針は今ちょうど「12」の上で重なるところだった。

「今年はダントツで俺が一番だな」
「ん?」
「誕生日おめでとう、ウソップ」
アイスティーの入ったグラスと共にその言葉を贈る。ウソップは目を少し見開いてから時計を見て「おお〜」と嬉しそうにおどけた。
「はは、律儀な奴だな!ありがとう」
そう言って笑うウソップの笑顔は、悲しみや寂しさをいくつも乗り越えてきたんだと分かる精悍な顔立ちだった。
純粋に、かっこいいと思った。いい顔で笑うじゃねえか、こんにゃろう。

膝を抱えてうずくまる少年の姿を思い出す。
あの夢を見れたのは、俺だからだと自惚れた事を考えてもいいだろうか。お前に会いたくてさ。抱きしめに行きたくて、誰も知らないその涙を、俺だけは見てやりたくて。どうしても。
俺だからお前に会いに行けたんだと、そんな事を考えてもいいかな。いいよな。少年の体温を思い出しながら、胸の中で問いかけた。

「いや〜サンジ君のご馳走が楽しみだな〜」
そう言っていきおいよくアイスティーを飲み干すウソップに「おう、クソ期待しとけよ、本日の主役様」と笑って返した。

少年。
その後、謎の日課は毎日続けてるか?今度は「変な眉毛」じゃなくて「素敵なコック」と付け加えろよ。泣きたい時は声あげて泣けよ。掃除も洗濯も器用にこなさなくていい。料理の腕もあまり上げてくれるな。俺と出会う未来が控えてるんだからよ。それから一人で平気になんてならなくていい。どうしても辛い時には、また会いに行ってやるからさ。今度はグチャグチャの泣き顔しっかり拝んでやるよ。そしてまた、ホラ話みてえな本当の話、聞かせてやるよ。必ず。

少年。
誕生日おめでとう。また会おう。









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