今日は最後の日 2





 自分の為の夜食なんざ10分もあれば出来る。
適当に冷蔵庫から具材を取り出して、余っていた白米でおにぎりを数個こしらえた。
フライパンを握る気力も残っていない。
眠気覚ましのコーヒーを一杯淹れて、おにぎりとの相性など特に考えず無造作にトレイの上に置いた。



 既に甲板には誰もいなかった。
今頃チョッパーは偶然手に入れた時間を費やして薬の調合とやらを頑張っているだろう。
女性部屋からは光が漏れている。ナミさんは航海日誌でも書いているだろうか。
ウソップは…寝ててくれたら有難いけど、まあ寝てねえだろうな。
納得いかないまま、ハンモックに横たわり俺に腹を立てている頃かもしれない。

 暗い気持ちでマストへ向かうはしごを登った。
この見張りの時間中に明日の覚悟を決めておかねえと、まるで意味がねえ。
やだなあ…何で星空見ながら振られる覚悟をしなくちゃいけねえのかなあ。

「…2箱で足りるかな…」
頂上にたどり着き、早速一本目の煙草に火をつける。
見事な夜空に思い切り煙を吹きかけてやった。

 多分、というか絶対俺は、明日になろうが明後日になろうが、決心を決められる事はない。
「終わり」を先延ばしにする行為になんか、何の意味もない。

 望みはなくても許してもらえる片思いと、諦めなきゃいけない片思いじゃ、心の持ちようはこんなに違う。
俺が怖いのはただ一つだけだ。
お前を諦める自信ってのが、全く持てねえ。

 諦められないと素直に言ったら、ウソップは困った顔をしてこう言うだけに決まってる。「じゃあしょうがないよな」って。
そして距離を置くんだろう、らそれとなく余所余所しくなるのだ。
心からの笑った顔を見せたりは、もう二度としてくれない。
それは紛れもなく、俺の為に。俺を思って。…そういう奴なんだ。
知ってるよ、そういうところも好きになったんだから。

「…クソ余計なお世話…」

 適当な気持ちでこさえたおにぎりはやっぱり適当な味だった。不味くも旨くもない。無性に悲しくなった。
一つ目のおにぎりを完食し、よく噛まないままコーヒーで流し込んだ。
梅干しとカフェインが混ざり合って気分が悪くなる前に、全てを煙草で強引に誤魔化す。

 煙を目で追いかけながら、今あいつはどんな思いでいるだろうと思った。
優しいあいつの事だから、今日俺に言おうと思っていた台詞を何度も心の中で練習したに違いない。勇気が必要だったに決まってる。
…もしかしたら俺以上に、躊躇ったのかもしれねえな。

 ふんぎりがつかない俺を、情けない奴だと呆れてもしかしたら少し、いやかなり、腹を立てているかもしれない。

 キッチンで盛大にグラスを割って指を切った時、あいつが俺の手を握ってくれた事を思い出す。

 「嫌いになんかならねえ」
そう言ったウソップの声も、握られた手の温度も、こんなにちゃんと覚えているのに。
終わりは、来る。絶対来るんだ。

 風もないのに、マストが「キシ」と小さく音を立てた。
特に気にせず煙草の火を消して珈琲を口に運んだ。
メリー号も随分傷だらけだからなあ。そりゃいたるところから軋む音がして当然だ。
体を張って航海を続けてくれるメリーの体をマストから見渡し、補強の跡だらけである事を改めて再確認した。

「…愛されてんじゃねえか、にゃろう…」

そのほとんどは、一人の男の手によって築かれたものだ。
今に始まった事ではない。ずっと見てきた事なのにな。

 メリーに妬いてしまうくらいお前に惚れてるのに、どうしてお前の好きな人は、俺じゃないんだろう。

 もう一度、マストが軋んだ音を立てた。
でもどうもおかしい。今度は一定のリズムで音がするのだ。
風は吹いていない。他の場所から物音なんて聞こえてこない。
まるで誰かが此処へ登ってくるような音の鳴り方だった。

 まさか、と思うのと同時に、その声は素っ頓狂に響いた。



「ウソップ輪ゴーーーム!」



 両腕が、俺に向かって輪ゴムを発射しようとしている。
俺はその様子をしっかりと見つめ、一体何が始まるのだろうと冷静に考えた。

「…輪ゴーム」
「…」
技名を告げる二度目の声が弱弱しく聞こえる。
両腕は何度かゴムをビンと伸ばし直して、その存在を俺に必死に伝え続けていた。

「………」

 数秒の沈黙の後、ゴムを限界まで伸ばしていた両手はいったん引っ込み、その後、のそっと茶色の見慣れたバンダナが姿を現した。

 まるで、いたたまれないですと顔面に書いてあるようなウソップが呟いた。
「…びびる振りくらいしろ。俺が不憫だろ…」



 狭い空間の中隣に座る男は、わざとらしく咳払いをしている。
目が合わない理由は簡単だ。俺がウソップを、一度も見れないままだからだ。

 沈黙の中、俺はどのタイミングで次の煙草に火を点けようかと、そればかり考えていた。
身動き一つ取るのも何かの切欠になってしまいそうで、この体はびくとも動かない。情けなくて落ち込む。
そういうのも全部ウソップにはばれているんだろうかと考えると、余計に凹む。

「…おにぎり」
ウソップが呟いた。
その声に一瞬だけ、自分の肩が上がるのが分かった。
ウソップはそれに気付かない様子で「食っていいか?腹減っちまって…」と続けた。
気付かない振りをしてくれただけかもしれない。俺はまた落ち込む。

「…おう」
俺の短い返事の後、ウソップはおにぎりを一つ手に取り「いただきます」と言った。
お前に食わせる事になるなら、もっとちゃんと夜食を作っておくんだった。
後悔ばっかりが体を駆け巡って何かもう、力が入らねえよ。

 そっと、ウソップを盗み見た。
目の前の飯を見つめながら食い進めるウソップに安堵した。…目が合わなくて良かった。
 こんな距離でもうすぐ終わりが来るのかと思うと、泣きそうになる。

逃げて、催促されて、先延ばしにして。そしたらこんな所まで追いかけられて。
一体どこまで俺は幻滅されてるんだろうな。
悲しみは腹の下の方から喉元を通り過ぎ、口から吐き出す時に笑いに変わってしまった。
臆病な筈のお前がきっと何度も、腹をくくったんだ。もう、逃げ道はねえな。

 最後の一口をよく噛んでから飲み込んだ後、ウソップは「サンジ」と、はっきり俺の名前を呼んだ。
その瞬間、今度はしっかり体が震えた。
何が悲しくて、最後にこんな醜態を好きな奴に見せなきゃいけないのだろう。

「一個、お前に嘘吐いてる事あるから、それをまず訂正させてくれ」

ウソップが俺を真っ直ぐ見つめる。
どんな嘘を吐かれていたのかは見当もつかない。
でもその視線の強さで本当に、この横恋慕は終わりを迎えるんだという事が分かった。

「…なんだよ」
今声に出した言葉は、普段どおりの声で言えていたんだろうか。
もう俺には分からない。

 ウソップは一度瞬きをした後、ゆっくり息を吸い込んで言った。

「昨日のは…ゾロじゃねえから」

ウソップの言葉を噛み砕こうと努力してみるものの、昨日のどの場面に対しての「ゾロじゃない」のかが咄嗟には理解できず、思わず「は?」と返してしまった。

ウソップは続ける。
「昨日、倉庫でお前に、その…手伝ってもらった時だよ!お、俺が考えてたのは、ゾロの事じゃねえから!」

「…」

 考えた。
それは俺に気を遣って出た嘘なのか、それとも本当にゾロじゃなくて、どっかで出会った俺の知らないレディーなのか…。
思考を巡らせてから、それはあんまり大した事柄でもねえよな?と思い直す。
だって問題なのは、俺を好きじゃないこいつに、あんな事をしてしまったという部分だから。
そんな小さなボタンの掛け違いを訂正する為に、ウソップはここまで来たのだろうか。
…変だ。理解に苦しむ。

 疑問符を浮かべる俺に気付いたのだろう。ウソップは更に付け足した。
「…あのな、だから…えっとさサンジ君。俺が今好きなのはさ…」

 ウソップの言いかけた言葉にはっと気付かされた。
ああそうか、それを言いに来たってんなら、合点がいく。

「お前…今、違う奴に惚れてんのか…」

俺の問いに、ウソップは顔を赤らめながら、確かに頷いてみせた。

 ああそうか。全く律儀な野郎である。
自分を好きだと言ってくれている奴には、それをちゃんと言わなければ、と、思ったのだろう。己の最新恋愛情報を、明確に。
…ははは。…聞きたくねえよそんなの。

「で、でな?…俺が今好きなのは…」
「あー待った!待って!待ってくれ!全然違う角度から強烈なパンチ喰らった気分だ」
「や、あの…」
「待てって!クソ野郎が俺の気持ちも考えろよ!」
「…」

頭がグラリと傾きそうになったので、片手で支えた。
振られるにしたって、お前、そりゃねえよ。
ここら辺に来るだろうと予想していた攻撃が、全然見当違いの場所にヒットしたような衝撃だ。防御がまるで追いつかない。

「なんなんだよお前…んなくだらねえ義務感で俺を更に追い込む気か、鬼か。悪魔か」
「いや義務っていうかお前勘違いしてっから…」
「勘違いもクソもあるか!またお前の口から恋のお相手の名前を新しく聞かされんのかよ。まっぴらだよバァカ!」
「あの、だから…」
「…なんだよもう…なにか?「お前が今好きな奴」ってのを聞いたら俺はお前を諦められるとでも言うのか、ああ!?」

 予期していなかった展開に思わず本音が漏れる。
ひとしきり本音を撒き散らしてから、乱暴に煙草に火を点けた。思い切り吸ったもんだから、フィルターはぐんぐん短くなった。

「…サンジが俺を諦めるっつうなら、俺はちゃんとそれを受け入れる。だから大丈夫だ」
全然意味の分からない返しが来た。
イライラしながら更に強い力で煙を吸い込む。至上最高速のスピードで一本を消費した。

「あのな…この船の上に、いるんだ」
「聞きたくねえっつってんだろクソ野郎…」
「すげえ短気でさ。怒るとメチャクチャ怖いけど、馬鹿みたいに優しくて」
「今すぐその口閉じろ。オロすぞ」
「口も悪くてさ…でも女の前だと鼻の下すぐ伸ばしやがる。あれ見るといつも腹立つんだよな俺」
「………」
「あと煙草吸いすぎだ。老後が心配だぜ俺ぁ」
「…何、言ってんのお前…」
「あ、それから臆病だな俺が言うのもなんだけど。今日なんてさあ、朝から晩まで俺様から逃げまくってさあ!何想像したんだか知らねえけどな!ほんっと困った奴だよ…」

「…なあ」

 さっきから震えているその手を、握った。
ウソップの冷えた指先に少しビックリして、恐る恐る、俯いたその顔を覗きこむ。

…どうして。
俺にトドメを刺しに来たのは、お前の筈なのに。

「…」

 タチの悪い冗談だろ、と言いたかったのに、代わりに俺の口から出てきた言葉は「泣くなよ」の四文字だった。

「っ…な、泣いてねえ」
「泣いてる」

「…〜!だってサンジが!全然分かんねえ馬鹿だから!馬鹿のくせに逃げっから!!逃げられたら、そりゃ…俺だって、悲しいに決まってんじゃねえか!!!」

「…ウソッ、プ」

「昨日だって、その前だってなあ!ゾロじゃねえんだよ!関係ねえんだよあいつは!毎度毎度勘違いしやがって!!全部てめえに決まってんだろ分かれよバーカ!!!」

「………」
自分の唾を飲み込む音が、やけに大きく聞こえた気がして、慌ててかぶりを振った。

 …だってそんな、夢みたいな話が、あるわけねえ。

 一生抱えていく横恋慕だろうなと覚悟した。神様がいない事だって何度も思い知った。
届かない思いなんて、あって然るべきだと、何度も何度も、自分に言い聞かせてきたのに。

「…あれ?」
「何だよ馬鹿コック!」
ウソップの暴言にも、今は腹など立たない。っていうかそんな余裕ない。
「……?あの…あれ?お、俺の事好きって意味に…聞こえた、かも、しれない…」

 突然、強い力で両手を握られた。握りつぶされたという表現の方がしっくりくるかもしれない。
 さっきまで震えていたのはウソップの手だった筈なのに、今は逆だ。

 恐る恐る、目を動かす。
指先から辿って、腕へ、肩へ、そしてウソップの顔へと視線を進める。
こんな時くらいちゃんと、しっかりこの目で見たいのに、あろう事か視界は歪んで、滲んで、ろくすっぽ見えねえときた。
ああもう絶対垂れてくんなよ畜生。

 ウソップはそんな俺には構う様子もなく、両方の手の力を緩めないまま、告げた。



「…おう、そうだよ。分かったかクソ鈍ちんコック!!!」



 ゆっくり、手を握り返す。
まだ夢かもしれないと思っている自分がいる。だから、こんなに確かな感触に、俺は若干びびってる。

「ウソップ」
「なんだよ」

「…好きだ」
「…おう、俺もだ」

「大好きだ」
「俺も」

「………死ぬ、俺」

 意識がぶっ飛びそうになる寸前、ウソップが笑った。
「会話になってねえぞ」と俺につっこむウソップを見て、ああそうだよ、その笑顔が一番好きなんだと、心底思う。



 抱き締めた。
すっぽり収まる華奢な体を、離すもんかとガキみたいな事を考えながら。
数秒後、俺の背中に回ったウソップの腕の温もりを感じて、ああやっぱり死ぬかもと思った。
…死ぬならせめて、その前に一回くらいは。

 ウソップの鼻先と自分のをくっつける。
少し首を傾げて見つめるその先に、笑っちまうくらい真っ赤になった顔があった。
…俺も人の事言えねえだろうから、それは言わないでおこう。

 少しずつ顔を近づける。
背中に回っている腕に力がこもるのが分かった。
相当な力で閉じられているだろう瞼に、そっと唇を当てた。
その瞬間にばちっと目を開けたウソップが「うおぉ…」と驚いてみせるので、俺はもう、愛しいとか切ないとか色んな感情がごった返しになって、つい「クソっ鼻」と悪態をついてしまった。

 むっとした表情だって可愛い。クソ可愛い。
 なあ分かってねえだろ?お前の腕が俺の背中に回ってるって事が、俺にとっては奇跡みたいにすげえ事だってさ。

 それから、キスをした。
意識が半分飛びかけてるから、感覚がよく分かんなくて、思わずもう一回。
ウソップがまた目を固く瞑っている様子が可愛くて、更にもう一回。

「………うおお…俺も死にそう」

湯気が立ってんじゃねえかと疑うくらい体温を上げたウソップが、そんな事を呟きやがるから。



 もう一度抱き締めて、また滲む視界に呆れながら、でももういいやと諦めて…。
一生分の幸せを使い果たしてしまったとしても、いい。瞳を閉じてひたすらこの瞬間を自分の全てに刻み付ける。

 耳元で小さく、でも確かに聞こえた「好きだ」の声を、一番近くで聞けた奇跡を、俺は絶対忘れない。

 何があっても、一生忘れない。











 ………。



 今日で終わるなんて、全然思ってなかったからさあ。

クソ困るぜ、俺にも心の準備ってもんが必要なわけよ。
分かってんのか?いいや分かってねえな。

 てめえときたら、毎回毎回俺の平穏な日常を予告もなくぶっ壊していきやがる。
明日からどうしろっつうんだよ。気持ちが全く追いついていかねえよ。
おい聞いてんのかクソっ鼻。



 明日から、こんな幸せをさあ。
 周りにどう隠してけっていうわけ?言ってみろこら。








終わり







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