クズどもに捧ぐバラッド






 俺はクズだ。叶えたい夢も手に入れたいものもなく、ただのうのうと生きてる。人の命を殺めてなお、こうして息をしてる。死んだ目で金を稼ぎ、死んだ目でその金を振り込んで、死んだ目でただひたすらそれだけを繰り返してる。
 無意味な命をぶら下げて毎晩泥のように眠る。灰色の翌日を迎える。それだけの、正真正銘のクズだ。

 俺の名前はふしみおみ。おみは漢字で「臣」と書く。どんな想いでこの名前が自身に付けられたのかは知らない。何故なら、名付けてくれた人がもうこの世にいないからだ。由来を尋ねる前にその人物はこの世からいなくなった。

 遠い昔。その人がまだ生きていた頃の話だが、その当時は多分ここまで自分のことを冷ややかに感じていなかったように思う。楽しい時には笑えたし、悲しい時はそれなりに涙も流せた。自分の感情に嘘はなく、そもそも感情に嘘を吐くとか吐かないだとか、そんなことを意識することもなく生きていた。
 人間らしかった、それなりに。今振り返るとそんなふうに思うのだ。
 一体いつから、嘘と本音の境目が消えただろう。いま俺は嘘を吐いているなとか、いま俺は本音を伝えられたなとか、自覚する機会がいつの間にか消え失せた。

 腹の底から笑うことがなくなって、それからしばらく経ってのことだ。今度は、悲しいという感情を見失った。
 親友の葬式に参列することを許されず、そいつの家の玄関先でした土下座の謝罪も受け入れてはもらえなかった。俺の喉奥から搾り出されたいくつかの言葉は、そのまま親父さんの履いていた突っ掛けに踏み潰された。一つも、拾われないままだった。胸ぐらを掴まれ、頬を叩かれ、二度とそのツラを見せるなと泣かれた。
 ご両親の涙を、言葉を、怒りを、ボロボロになってしまったその心を、その日はそのまま持ち帰り、部屋の中で途方に暮れた。人の心とはこんなにも重たく、こんなにも形容し難い形をしているのか。知らなかった。…知らなかったな。何一つ。
 俺があの日お前を誘っていなければ。俺があの時少しでも早く後方に気づけていれば。俺がお前の代わりに外側を走っていれば。俺がお前の代わりになっていれば。俺がお前と出会わなければ。
 俺が殺した。俺がお前を殺したんだ。目の前でお前の体が吹っ飛んだ。俺のせいでお前が死んだ。俺がお前を、殺したんだ。
「…死んだ方がいいか…」
カーテンの向こうをぼんやり眺めながらこぼした言葉は、まるで新聞やニュース、映画、ドラマの中の、どこかの誰かが呟いた遺言のようだった。誰にも届きはしない遺言は、そのままゴミ箱に捨てた。蓋を閉じればもう、いくら腐ろうがなんの匂いもしない。

 あの時からだったと思う。自分の感情を自分のものとして感じられなくなった。
 場面ごとに自分を俯瞰して、例えば「これは今悲しい状況なんだろうな」と察知することはできても、実際に悲しくて涙が垂れるようなことは決してない。
 何もないのだ。この、心臓の奥に。名前も知らない白黒映画を、昼間、寝ぼけながらたまたま点けたテレビで観るような、そんな感慨のなさに似ている。

 感情を見失ってからは、今の仕事がすごく楽になった。何もかもが一掃されてだだっ広くなった頭の中は、状況に適した言葉や行動を考えるのにとても向いている。
 相手の欲しい言葉が、すぐに分かった。何をしてほしくてどこに触れてほしくないかも、手に取るように分かる。
 自分の感情はわからないくせに、おかしな話だよな。…いや、だからこそなのかもしれない。まあ、そんなことはもうどうだっていいか。
 相手の望むままを差し出す俺は、いっそ機械のようだと思う。誰かに好きだと言われる度に、頭の奥で部品が軋むような音が鳴る。
 本名の漢字を、違う読み方にして源氏名とした。相手から呼ばれる度にそれを俯瞰する自分の距離が遠くなる。ノイズ混じりのラジオ、何とか聞き逃さないようにと気を付けなければ雑音にしか思えないような、そんな響きだ。
 …死んだ方がいいか。それで喜ぶ誰かがいるならさ。いっそ死んじまおうか。だって何も考えなくて済むもんな?なあ、そうだろう?お前もそう思わないか?
 返事はない。お前さえ、返事をくれる前にこの世からいなくなった。



 ふと、目が覚めた。肩や背中が軋むように痛い。布団ではなくフローリングに身を投げ出して眠ったせいだ。
 テーブルの向こうに横たわる誰かの体、それから、赤い髪が見える。たいちも俺と同じように床に伏せ寝てしまったんだろう。
「…おはよう」
ぐっすり眠る彼へ、届かないだろう一言を送った。
 起きたら誰かがいる。それがなんだか嬉しかった。どうしてだろう、少しの温もりと安心を感じる。一人きりであることの寂しさとは、一人でいる時よりむしろ、慣れきった毎日の中にそっと誰かがいてくれた時にこそ強く感じてしまうのかもしれない。

 時刻は14時を過ぎたところだった。ずいぶん長いこと寝ていたんだろう、体はあちこち痛かったが頭はスッキリとしている。昨夜のアルコールの残骸を感じない起床は、ずいぶん心地が良いものだった。
 さて、出勤は16時。あまり悠長にしてはいられない。風呂に入ったらすぐに飯を作らなくては。
 立ち上がり、テーブルの上の空き缶や吸い殻を捨てる。一向に目を覚ましそうにないたいちにブランケットをかけてやり、俺は風呂場へ移動した。

 シャワーを浴びながら、遅めの昼食は何を作ろうかと考える。ああ、しくじった。たいちの食の好みを聞いておけば良かった。
 自分には誇れるものなど何一つないが、唯一、たった一つだけ、好きだと嘘なく言える趣味がある。それが料理だ。せっかくの機会だったのだから、どうせなら彼の好きなメニューを振る舞ってやりたかったのにな。
 仕事から帰ったら、もうたいちはここにいないかもしれない。これを最後に今後二度と会わないかもしれない。日を跨いだ後の暗い部屋、もぬけの殻になったこの部屋のことを想像する。
 …どうしてだろうな。それがこれまでと同じ日常なのに。少しだけ名残惜しく思う自分が不思議だった。

 風呂から上がった後、冷蔵庫の中を確認しながら三つくらい候補を考える。その中で一番万人ウケしそうなメニューを選択し、食材を作業台の上に置いた。
 先日、少し値の張るソーセージを買ったのだ。これを使って、ホットドッグを作ろう。
「…くぅだらねえとぉ、つぅぶやいてぇ…」
熟睡できたのが良かったのか、今日はやけに気分がいい。普段は絶対こぼれない鼻唄なんか鳴らして野菜を水洗いする。たいちの歌声を思い描きながらなぞるように歌うが、自分が奏でるメロディーがあまりに正しい道を逸れるから笑ってしまった。そう、俺は歌が下手なのだ。
「俺もまたぁ輝くだろおぅ、今宵の月のようにい…」
下手だな本当に。あんまり下手でおかしい。自分の歌に自分で笑ってしまうなんて、生まれて初めてかもしれない。

 15時過ぎ、二人分のホットドッグをテーブルの上に並べ、まだ起きそうにないたいちの寝顔を見下ろした。
 よく寝てる。穏やかな寝息はリズムを崩すことがなく、音楽に携わる者とは呼吸さえ規則正しい拍を刻むのだろうか、とぼんやり考えた。
「…ふ」
二口目を飲み込んだ時、笑いが勝手にこぼれた。この居心地の良さはなんだろう。ずっと昔から、まるで、たいちと暮らしてきたみたいだ。
 彼の持って生まれたものだろう、一緒にいる相手に安らぎと温もりを不思議と与えてしまう。もしかしたら借り暮らしは、この青年にとてもよく似合った生き方なのかもしれない。

 食後のコーヒーと煙草を済ませてもなお、たいちは起きる様子がなかった。15時半。そろそろ出かけなければいけない。
 起こすのは、気が引けた。昨夜俺の話を静かに聴き優しく弾き語ってくれたから、俺も同じような優しさを返したいと思った。
 連絡先を交換していなかったと気付き、彼の分のホットドッグにラップをかけたあと書き置きをした。

『昨夜はありがとう。昼食(夜食?)、良かったら。
なにかあったら080-◯◯◯◯-◯◯◯◯』

 仕事用のスーツを着て、別に拘りがあるわけでも何でもない香水をうなじと手首にふりかけて、俺は部屋を出る。
 …皿が空になってくれているといい。きみの姿が例え帰ってきたその時なくても、それはそれで構わないから。
 交互に進んでゆく自分のつま先を見下ろしながら、また少しだけ笑った。野良猫に餌付けする心持ちとは、こんな感じなのかもしれないな。



 その日は太客が友人を連れて店に来た。ヘルプと一緒に四人でテーブルを囲んでいたが、彼女がなかなかトイレから戻らないので俺も席を立ち確認しに行く。
 客は、トイレ前の狭い通路の端にしゃがみ込んでいた。
「大丈夫?立てるか?」
「ん〜…ジンー…?」
「うん」
「…ひぃっく…ふふ、酔っちゃったどうしよう」
「うん、酔ってるな」
「立てないなぁー…ふふ」
煩わしいな。胸の内でだけ溜息を吐いて、客の前に膝をつく。顔を覗き込むと締まりのない緩んだ笑顔がそこにあった。
「…あのねー…」
「ん?」
「ジンだいすき」
「…うん。ありがとう」
手を差し伸べて「戻ろう」と誘うと、その客は両腕を俺の首に絡めてだらしない笑い声を漏らした。
「へへぇ、ジン〜」
「ん?」
「あのねぇチューしてくれたら立てるかもしれない」
「……」
嗚呼、面倒だなぁ。本当の溜息がこぼれてしまわないよう、笑顔を念入りに貼り付ける。
「…はは。ここで?」
「うん。さっき被りにガン飛ばされた。ショックで立てない」
「本当に?どの子?」
「D卓でスマホいじってる奴。ほら、あの短足の」
「ああ、そっか。…やだったな、ごめんな」
「ね、チューして?そしたら元気になるよ」
顔を傾けて、ゆっくり目を閉じて、感情のないキスをする。客の後頭部に手を添えて舌を突き出せば、たやすく相手の口から声が漏れる。もう少し。あと十秒ほど続ければ、カフェパリをもう一本くらい入れてくれるかもしれない。
「……元気になったか?」
「…うん…えーヤバかった〜いま…」
「どうして?」
「超ドキドキした…」
「はは。…うん。俺もしたよ」
嘘の上に嘘を塗りたくる。口の中が泥まみれのように感じた。
 なあ、きみは知らないだろ?俺は人を殺してる。親友を殺して、人の人生を丸ごと奪っておいて、なのにこうしてのうのうと生きてる。きみは殺人を犯した人間にキスをせがんで、舌を繋いで、胸を高鳴らせて、金を注ぎ込んでるんだ。知らなかっただろ?信じられないだろ?
 …反吐が出そうだった。だから俺はいつだって酒を煽る。飲んで、その度に注がれて、何度だって飲み干して、明日に泥を引き連れないようにと、それだけに意識を向けて今日を終わらせるのだ。

 頼むから、カフェパリをあと二本入れてほしい。そうしたら来週は一日だけ、出勤日を減らせるかもしれない。きみに会わなくて済む日を増やしたい。
 だから唇を優しく掬って、舌の先で舐めて、耳を触って、それから笑った。
 ほら、まただ。名前も知らない白黒映画が始まる。









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