恋は再び7


「あ〜…至福だ」
決して最高ランクとは言えないベッドだけど、足が伸ばせて寝返りがうてる。俺は天井を見上げながらそれがどれ程贅沢な事なのかを痛感した。

宿の一階奥にある食堂で久々にサンジ以外の誰かが作った飯を食べ、その後、階ごとに設けられた浴場施設で体を洗った。
どこも設備はボロくて、料理の味はイマイチだったし風呂も湯の温度の調節が難しくて手こずったけど、それでも俺は充分過ぎるほどのありがたさを感じていた。
サンジの存在を気にしなくて良いのが良い。船の上ってのがどれだけ限られた狭い空間なのか、こうして陸に上がると身にしみて分かる。

「なあなあウソップ、なんか話してくれよう!」
チョッパーが隣のベッドで寝そべり、首だけをこちらに向けてそう言った。
「面白いのと、奥深いのと、怖いのとどれがいい?」
「面白いの!」
チョッパーは腕を上げて元気に答えた。
「よーし、じゃあ特別にチョッパーだけに話してやろう。これは俺が数年前に体験した話なんだが…」
天井を見つめながら物語を紡ぐ。あ、あのシミの形が蛇に似てるな。大蛇が出てくる話にしよう。
片手を頭の後ろに差し込み、もう片方の手で簡単なジェスチャーを交えながら頭の中で繰り広げられる壮大なストーリーを語る。
チョッパーは合間合間に「うんうん」「本当か!?」「ウソップすげえ〜!」と、こちらが気持ち良くなる相槌を沢山打ってくれた。しかしその相槌が数十分のうちに急激に減ってしまうのは、よくある事だ。

「……その時その蛇が呑み込んだはずの大剣が、腹を突き破って出てきたんだよ、俺様は勿論そのチャンスを見逃さなかった……チョッパー?」
呼びかけに応じない。チラリとチョッパーの方へ目を向けると、やはりチョッパーは気持ち良さそうに寝息を立てていた。
「まだ9時前だぞ」
笑いながら突っ込んだ。ベッドから起き上がり、ずいぶん硬い生地の掛け布団をその体に掛けてやる。久々の上陸に胸を躍らせていたのは、きっとチョッパーも同じだったんだろう。
少し部屋の照明を落として、さてどうしようかと腰に手を当てた。

はっきり言ってまだ眠くない。ぼうっと外を眺めるにはこの部屋の窓は小さ過ぎる。食堂にドリンクカウンターがあったから、何か飲みながら数時間の過ごし方を決める事にしよう。
財布だけ持って、できるだけ物音を立てないようにしながら俺は部屋を出た。

一階へ降りて食堂に向かう。
積み重ねられた紙コップを上から一つ取って、ボタンを押したら自動で出てくるコーヒーをその中に注いだ。ドリンクマシンの横に置いてあるスティックシュガーとコーヒーミルクをたんまり拝借し、紙コップの中のコーヒーに溶かした。
「…は〜…」
穏やかな気持ちでコーヒーを飲めるの、いつ振りだろう。あいつが淹れてくれたコーヒーの方が100倍は旨いけれど、今はこの瞬間が100倍心地よい。

目を瞑ってゆっくり味わいながら、そうだ、絶景と謳われている海岸を今からでも見に行こうか、と思いついた。
滞在時間は一日半。予定通りなら明日の昼過ぎにはこの島を出なきゃいけないんだ、楽しみを後回しにしてしまったら、それが叶わないままタイムリミットが来てしまう可能性だって十分にある。
どんな景色なんだろう。折角だから買ったばかりの画材を持って、絵を描くのもいいかもしれないな。

考えながら紙コップの中を飲み干した。チョッパーを起こさないよう部屋に戻って、持てる分だけの画材道具を持ってくるか、と思って踵を返した瞬間だった。

「げっ」

唐突に冷水をかけられたのかと思った。…だって咥えタバコをしたサンジが、食堂の入り口を今まさに跨ごうとしているから。

「げ、とは何だテメェ」
ムッとした表情の後、舌打ちをセットでくっつける。サンジは咥えたタバコを唇だけで上下にプラプラ動かしながら、一番上の紙コップを取った。
「…いや…いえ別に……」
俯いて、食堂の古びた床を見つめる。なんだよ、せっかくお前の顔見ないで済んでたのに。やっと気持ちが凪いできてたのに。突然やってきた大時化にげんなりした。
…出くわすなよもう。お前だって別に俺の顔なんざ見たくなかっただろ?避けろよ。顔見て逃げ出すくらいの不自然さだっていいから。

「…チョッパーは?もう寝てんのか?」
背中を向けたサンジが、コーヒーが注がれるのを待ちながら俺に尋ねる。黙って小さく頷いた後、バカこいつ背中向けてんだから頷いたって見えないだろと自分にツッコんだ。

「…そうだよ」
言い方がぶっきらぼうになる。体が勝手に、コイツから距離を取ろうとする。…なんか磁石みてぇだな。他所ごとのように俺はそんなことをぼんやり思った。

コーヒーが注がれきってしまう前に、ここから立ち去ってしまおうか。うん、その方がいい。コイツだって俺と居合せちまって内心「げ」と思ったのかもしれないし、だけどそういう態度を取るとまた俺が傷つくからとか考えて、無理して堪えてるだけかもしれないし。
そうだよ、そうに決まってる。今すぐここから立ち去るのは俺にとってもコイツにとっても最善に違いない。よし行こう。「じゃあな」と言って切り上げるなら今がベストタイミングだ。

「よぉ、お前よ」
そして最初の一歩を踏み出した瞬間、出鼻を挫かれたように声を掛けられてしまった。サンジの手元の紙コップにはもう一杯分のコーヒーが注がれている。
ああバカ、このタイミング逃したらこの後早々好機には恵まれない。お前も、声なんか掛けんなよ。黙って行かせろよアホ眉毛。

「……なんだよ」
また、さっきより顕著な言い方になった。サンジもそれに気付いたのかちょっとだけ眉をひそめる。
咄嗟に心の中で「ごめん」と謝って、だけどそれからすぐにかぶりを振った。なにが「ごめん」だ。別にいいんだよ俺、謝んなくたって。
これ以上無駄に傷つきたくねえもん。もう、傷ついたりムカついたり、その次の瞬間にごめんって思ったりすんの、疲れんだもん。
コイツから距離を取るのは、だから、全然不思議なことじゃない。

「見た?これ」
サンジが壁に貼ってある一枚のポスターを顎でしゃくって指し示した。
ポスターには「世界・絶景百選認定!」と煽り文句が印刷されていて、全面に大きく地図とその場所までの道順が載っていた。手書きの赤い丸印がこの宿なんだろう。どうやらここからだと、さほど遠くないらしい。
「今日、魚市場のオッサンに勧められてよ。この島出る前に一度は見とけって」
「…へえ」
相槌を打ちながら、どうか頼むこの後に続く言葉が俺の予想しているものじゃありませんようにと願った。
「お前もう見た?」
「…いや…」
いやいやまさかそんな。バカだな、予想している言葉が続くわきゃない。こんだけ態度で示してんだからさすがにそれはねえだろハッハッハ。
そうだよ、デンと構えてりゃいいんだ。なんだコイツやっぱ絡みづれぇなって、やっぱやーめたって、そのうち相手も飽きて放置してくれるだろうからさ。

「じゃあ、今から一緒に行かねえか?」

それで、俺はサンジの言葉に後頭部を思いっきり殴られた。冷水ぶっかけられた次は頭を大岩でぶん殴られたってか?…あのなぁ。

「いやなんで!?」
目の前にいるこの男の思考回路がマジで分からない。意味不明だ、解読不可能だ。なに、なんなのコイツ?宇宙人か?俺はいま未確認生物と宇宙を隔てた交信でもしてんのか!?

信じられんと思ってサンジの顔を見たら、同じような顔で「なんでってなんだよ」と返された。いやなんでって、なんでってなんだよってなんだよ!俺のセリフだよ!

「暇なんだろ?俺も暇でよ。部屋いても汗臭えマリモと肉肉うるせえゴムがいるから抜けてきたんだ。部屋で鼻と耳塞いでるくらいならお前とここ行った方が少しは有意義じゃねえか」
「……」
いや、いやいやいや。俺は全然有意義じゃねえよ。ご遠慮願いてえよ。
久しぶりの上陸でどれだけ俺が安心したと思ってる?これで一日半の間だけはサンジの近くにいなくても済むって、心底胸を撫で下ろしたって言うのに。
なあ、俺がそう思うのも、ちょっと考えりゃ分かるだろ?え、なに、分かんないわけ?もしかして伝わってねえわけ?なんにも?…え、なんで?

「……いや、いいです。俺は」
頭を抱えながら断った。言葉で一から十まで懇切丁寧に説明してやる余力が、もうだめだ。これっぽっちもない。
「なんだよ、やけに元気ねえな」
不思議そうに首を傾げるその仕草に、ちょっと本気でうんざりした。
キョトンって言葉がお前の後ろにくっきり浮かんでやがるから、その文字を黒マジックで乱暴に塗りつぶしてやりたい思いにかられた。

「……あのさ、こんなこと何回も言いたくねえんだけど」
「あ?なに」
「俺、言ったよな?ほっといてくんねえかなって」
「……」

サンジが数回瞬きをする。面食らってるんだろう。いやでもお前の言動に面食らったのは俺も一緒だからな?
「ほっといてほしいんだよできれば。同情も気遣いもホントに要らねえから。頼んでねえから」
「……」
「俺だって別に、もう慣れてきてるし。お前のこと責める気もねえし。…だから、ホントに…あの、構わないでほしい」
「……」

オブラートに包んでちゃ、きっと伝わらない。だから決死の覚悟で、はっきり言った。いい加減伝わったかな、伝わったよな?さすがに伝わってくれ頼む。

「……そうかよ…」
そこでいっそ、舌打ちでもして俺に腹を立ててくれりゃあ良かったのに。
なのにお前ときたら口をすぼませて眉尻をこれでもかと下げて、感情丸出しの傷ついた顔を、そのまま晒してきやがる。その瞬間俺の心臓はギュッと音を立ててきつく絞られた。
…なんて顔だよもう、小さいこどもじゃねえんだからさ。

「……俺といるのがそんなに嫌とは知らなかった。…いいよ、わかった」
そんなことないよ、とは言えない。だけど「やっとわかってくれたか」と追い討ちをかけるような言葉も言えなかった。なんだかあまりに可哀想で、気が引けたのだ。

肩をガックリ落として、サンジは短く重たいため息を吐き出した後「邪魔したな」とだけ言った。
紙コップのコーヒーを片手に、サンジがトロトロと食堂を出て行く。進むたび右に左に揺れる上半身はまるで亡霊だ。

「……」
落ち込むなよ。これじゃ俺が悪いみたいじゃねぇか。物分かりよく撤退すんなよ。俺が器の小せえ奴みたいじゃねえか。
理不尽に怒れよ。意味わかんねえこと言い返せよ。逆ギレして人のこと振り回して、いつもみたいにワガママな振る舞いしろよもう。…もう。……もう!

「っだー!!」

あからさまに落ち込む後ろ姿を、もう黙って見送ることができなかった。慌てて追いかけて腕を掴んだらサンジの持ってたコーヒーが数滴、床に溢れてしまった。
「……なに」
振り返ったサンジが小さい声で言う。しょんぼりの中にほんのちょっとだけ嬉しさを滲ませるから、もうホントやだコイツと思った。

「悪かった!俺が悪かったから落ち込むのをやめろ!」
「……」
力任せに掴んでた腕を離して、俯きながら「ごめん言い過ぎた」と謝った。いやホントは言い過ぎてないんだけど。全部丸ごとそのまま俺の本音だったんだけど。

「…でも行きたくねえんだろ、俺とは」
「……いや、それは…」
それはまあ、そうなんだけど。…だからその捨てられた犬みてぇな顔をやめろ。

「いいよ。俺ぁ一人で行く。お前は明日ゾロとかルフィとかと行けよ」
なんでそういう言い方をするんだよいちいち、かまってちゃんかお前は。
…あーそうだ、そうだった。かまってちゃんだったコイツ。忘れてた。

「俺だけお前のこと忘れてんだもんな。俺だけハブられんのは、そりゃあクソ当然だ。いいよ、俺が知らねえ思い出話に花でも咲かせろよ」
自分だけハブられてんのは俺の方だろうが。俺のことだけ脳内からハブって傷つけまくってんのは、俺じゃなくて!お前だろうが!!
でも、喉元まで出かかったその言葉を無理やり飲み込んで、その代わりに息を吐いた。吐くしかなかった。…ダメだもう、コイツはホントに。

俺の記憶だけ丸ごとなくしたお前は、だけどそれ以外の全部がお前のままなのだ。
参るよなぁ、メチャクチャ面倒クセェ。この状況もお前の性格も、ダブルコンボで面倒クセェ。

「……行くよお前と。今から行こう」

溜息を通路に垂れ流しながら、俺はサンジを追い越して歩いた。
後ろからお前の足音が聞こえる。ちょっとだけホッとする。機嫌直してくれたんなら良かったという気持ちと、なんで俺はこんなこと言っちゃうかなという気持ちが同じ大きさで胸の中を巣食うから、溜息はますます長くなった。

あーあ、自分のこういう性分もほとほと面倒クセェな。ダブルじゃなくてトリプルコンボだ。




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