白紙の便箋 1





 もう三日も経つのに、俺はまだ出だしの一行さえ書ききれない。いつもならスラスラと、踊るようにペンが動いてくれるのに。

綺麗な字で書かれた二枚の便箋を読み返し「早く返事を書かなきゃ」と、気持ちだけが焦る。
 カヤからの手紙をまた封筒に入れ直し、漏れる溜息にまた溜息が出そうになってしまった。

 船は冬島の海域を抜けて春のように暖かくなった。この前のストリングシャワーの夜、白くなっていた息が嘘みたいだ。

 惜しみなく降り注ぐ星を思い出し、そして、それとセットで必ず思い出してしまうあの出来事に、もう何度もこうやって一人赤面する。ビックリする位ドキドキする。
 信じられなくて「本当かよ」と、記憶を丁寧になぞり、言われた台詞と、あの真剣な目と、握られた手の感触が全部一気にフラッシュバックして、また一層ドキドキした。何回こうやって一人で慌ててるんだろう。

 生まれて初めて、誰かに告白をされた。そしてその人は、同じ船の上にいる。

 ナミは航海日誌を書くとかで女部屋へ篭っていた。
そして今、パラソルとテーブル、折りたたみ式のイスを借りて、俺は甲板の片隅でペンを握っている。
 ルフィとチョッパーの背中が船壁沿い、横に並んでいる。釣りを開始して数時間経っているだろうに、二人の間にあるバケツは空みたいだ。

「チョッパー、お前がエサになったらでっけえの釣れるかもしんねえな」
「いいい!!?や、やめろルフィ!俺はエサじゃなくて医者だぞ!!」
ルフィの物騒な発言にチョッパーが身を震わせながら首を横に振っている。

 …あいつら、本気で魚釣る気ねえんだろうなあ…だって釣竿の先にぶら下げてるのが、ルフィの草履だもんな…。

「一文字も進んでねえな」

背後から声がしたかと思えば、その瞬間に紅茶のいい香りが鼻先を掠めた。そして数秒後には嗅ぎ慣れた煙草の匂いが、ゆっくりと混ざる。
振り向かなくたって、その人物が誰かだなんて、すぐに分かった。

「かかか勝手に見るな!」
 俺はカヤへ送る為の便箋を上半身で覆い隠した。別に、隠さなくたってこいつの言う通り、一文字も書いてないんだから意味ねえんだけどさ。

 サンジはテーブルの上にカップを置き、少し高い位置からポットの中の紅茶を注いだ。一滴も毀れる事無く、紅茶は真っ直ぐカップへと落ちていく。

「おーおー冷たいねえ、こっちを見てもくれねえのかよ」
煙草の煙が視界中に広がる。目一杯吹きかけられたのだと分かった。

「うえっほ!何すんだよ、目がいてえ」
「俺、今日機嫌わりいんだよ。誰かさんが一回も喋りかけてくんねえからさあ」
からかうような口調に反省の色がない事を知る。じろっと睨みつけてやったら「やっとこっち見た」と、無邪気な顔で微笑まれてしまった。

 心臓が勝手に動悸を倍くらいの速さで打ち始める。俺がもしお年寄りだったら、ショック死という理由でポックリいってるぞこれ。

「あからさまに避けてんだろお前。やめろよ、傷付くから」
サンジはしゃがみ、顎をテーブルの上にこつんと乗せた。むくれながら俺を見つめるもんだから、こいつ本当は年齢偽って生きてんじゃねえのかなと思ってしまう。

 サンジは俺が思っていたより随分と気分屋で、我がままで、煙草を吸う仕草に全く似合わないような子供っぽい表情ばかりする。
それはここ数日で初めて気付く一面だった。

「避けて、いるわけ、ない、ですがな」
「何だその喋り方」
むくれたかと思えば今度は楽しそうに笑う。
めまぐるしく変わるその態度に、俺はまるで追いつけない。
普通にしようと思うけど、普通ってどんなだっけと、考えてしまうのだ。考えている間にサンジはまた表情を変えた。

「お前が避けるからメチャクチャ落ち込んでんだぞ俺ぁ。どうにかしろよこれ」
いつの間にか自分の足元に置いていた灰皿にとんとんと灰を落としながら、サンジはそう言った。
ど、どうにかって、どうすりゃいいんだよ一体。

「…さ、避けてねえってば」
顔が勝手に熱くなる。
分かってる、サンジは俺をからかっているだけだ。分かってるんだから俺も軽く交わせばいいものを、何だか喉に石が詰まったみたいに言葉が出てこない。

 いつもの俺が、サンジの前だと影を潜めてしまう。どうにかしろって、それ俺の台詞なんだけど。

「…わり、困らせた」
サンジは灰皿を持ち立ち上がった。

 謝らせるつもりなんかなかったし、そう言わせてしまった自分が凄く後ろめたくて、慌ててサンジの方へ顔を上げた。
本気で傷つけてしまったかと思ったのだ。

「…邪魔した。紅茶冷めねえうちに飲んどけ長っ鼻」
見慣れた、大人びた表情だった。
そう、この顔が、俺の知ってるサンジの筈だったんだ。

「…あー、うん、いや、邪魔されてねえけどな。うん」
サンジがこの場を離れようとしたので、俺は内心ほっとした。やっと心臓を落ち着かせる事が出来る。
こっちの心情などお構いなしだもんな、こいつの言動ときたら。

 ペンを放し、カップの取っ手をつまんだ瞬間、俺の全身は石膏化したように動かなくなった。
何故って、だってお前、取っ手をつまんだ手にサンジの手が覆いかぶさってきたんだぞ。前触れもクソもない一大事に、今度こそショック死という言葉が現実味を帯びて脳内に浮かんだ。

「………っ………」
う、動けねえ。一切。なんだこれは。
こいつは人を石にする能力でも持っているのかいや持っているに違いないそうじゃなきゃもう説明がつかねえぞこの俺の固まりようは。

「……充電、させてくれ」
サンジの小さな声が頭上から聞こえる。
その声が少し震えていたように聞こえたので、俺は気付かれないようサンジの顔を盗み見た。
…んで、盗み見した事を心底後悔した。
体は固まって動かないのに、それに加えて心臓が、耳を当てなくても分かる程脈を打ち始めてしまったからだ。

 サンジは、茹でたタコみたいに顔を赤くさせていた。

 俺の手を包むサンジの手が、どんどん熱くなる。
…いやいやいやいやいや、ちょっと、待って、待てよ、なんだこれは。お、俺の手が溶ける。

 多分、結構長い時間そうしてたと思う。
長い時間っていうのは体感時間だから正確には分かんねえが、少なく見積もっても、10秒くらいか。いや10秒って長いぞ意外と。嘘だと思うなら数えてみろ今。マジで長いから。

「…よし終わり」
サンジはそう言うとパッと手を離し、慌てた様子で背中を向けた。
タコみたいな顔が、今どうなっているか、俺には見えなかった。

「今ので、今日避けられた分はチャラにしてやるよ。ありがたく思えクソっ鼻」
捨て台詞のように後姿のまま言い放ち、サンジは結局、一回も振り返る事のないままキッチンへ戻っていった。

 カップの中の紅茶に視線を落とし、俺は気付く。嗚呼この紅茶、俺に話しかける為の口実だったんだ。

 熱くて、飲めたもんじゃない。紅茶も、俺の顔の温度も。


 あの夜、サンジに「好きです」と告白された。
嘘みてえな星が降る中、俺は寒さでいつの間にか寝てしまっているんじゃねえかと、自分の頬を軽くつねったのだ。

 俺はサンジの好きな人がナミだと思っていたから、夢じゃない事を確認した後すぐに「こいつまた俺で練習してやがる」と思った。
でもそれにしちゃあ不自然な点がいっぱいあったんだ。
だってさ、練習で人の手握るか?そんでその手を震わすか?練習で、顔って、赤くなるもんか?

 状況が半分も飲み込めない俺に、サンジは短く「返事いらねえから」と言った。「分かってるから」とも。
俺は何が何だかよく分からないまま「ナミが好きなんじゃねえのかよ」とだけ聞いた。
だってほらサンジあの時、肯定してみせたじゃねえか。
 サンジは少し黙った後「お前の的外れな考えが予想通りだっただけだ」と言った。
少し強い口調で「俺が好きなのはお前だから」と、もう一度釘を刺すように、はっきり告げられた。

 もう、本当に何も言えなくなって、こんな事は生まれて初めてだったから。
目も動かないし、握られた手もどうしていいものやら、瞬きさえするのが恐かった。何で恐かったのかよく分からない。だけどできなくて、お陰で目がシパシパした事を覚えている。

 サンジは「何もいらねえから、頼む」と頭を下げた。
「今まで通りでいよう。…いてくれ。それだけでいいんだ」

 それに似た台詞を、何処かで聞いたなあと思った。
ああそうだ、俺が以前、ゾロとの事をお前に聞かれて言ったんだった。このままがいい、それだけでいい。ってさ。

 俺の言葉を待つ様子もなくサンジは甲板へ向かう為立ち上がる。
サンジの、遠ざかる靴音を聞きながら、俺は「あ」と気付いた。

 あいつ俺様の考えた台詞をそのまま使いやがった。
なんて奴だ。全く、恥ずかしくないのかよ。アドバイスしてくれた張本人に早速言ってのけるとは。全く…

「お前が好きです」

 サンジの声が頭の中で何回も鳴り響いた。本当に何回も。
 サンジが、俺を、好きだって、言った。言葉をなぞる度、息が出来なくなる程鼓動が速くなった。



 サンジ、俺さあ、どうしよう。お前が頭下げてまで頼んだってのに、全然、駄目そうで。本当ごめんな…どうしよう。



 あれからサンジと二人きりにならないよう俺は注意に注意を重ねた。
飯を食い終わるのもビリにならないよういつもの三倍速でかきこんだし、風呂も、便所も、サンジが利用しなさそうな時間を見計らい、全て上手い事かわしてきた。
一番心休まる場所は甲板だった。他の誰かがその場にいてくれれば、何とか平静を保つ事が出来たからだ。

 皿洗いを手伝わなくなったけど、サンジは何も言わなかった。
俺はそれに心底安堵したんだけど、本当はちゃんと分かってる。サンジから何か言えるわけねえだろう。って事を。

 俺は自分の臆病さをよく知ってる。
二人きりになって、どうしていいか分からなくなった時、サンジの気持ちもお構いなしで逃げ出すに決まってる。決まってるんだ。嫌な気持ちにさせるのが目に見えてる。

 紅茶を一気に飲み干して、俺は自分の事しか考えてねえなあと思った。勇敢の欠片もねえし、戦士なんて聞いて呆れるぜ。

 もう、だって、逃げ出してるじゃねえか。既にサンジを、嫌な気持ちにさせてるじゃねえか。
なのにサンジはさ、きっと勇気を振り絞ってここまで紅茶運びに来たんだろ。
なあ俺さあ、こんな旨い紅茶淹れてもらって、ありがとうも言わねえでさ…何してんだよ。

サンジがキッチンへ戻る姿を見てほっとしてる場合じゃ、ねえだろ。…馬鹿野郎。




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