鋼鉄の唇



 花道のことが好きだ。もう、ずっと前から。
 中学の頃に出会ってそれから今日まで毎日、飽きるくらい一緒につるんできたってのに、飽きるどころかもっといたい、もっと見ていたいという気持ちで、俺の内側は支配されていく。
 誰かをここまで好きになるのは初めてだった。止めどなく湧いてくるこの思いはなんだ?この思いの根は一体どこまで深い?
 心の底から何でもしてやりたいと思う。俺が出来ることならなんだって。何をしても、いくらしても枯れることはない。もう自分でも手のつけようがない。花道が生きている限りきっとこれは、無限に湧いてくるんだろう。
 花道、好きだよ。本当に、笑っちまうくらいお前のことが好きだ。お前がなににも邪魔されず迷わされることもなく、好きなことを好きなようにいつだってやり続けていてほしいと願ってる。
 だから花道。俺は自分の気持ちを絶対にお前の目に触れさせたりしない。お前に気付かせてしまうことを、他の誰がいいと言おうと俺だけは絶対に許さない。例えば花道、お前がいいと言っても。
 好きだと思う度に意思は固まる。この口は鋼鉄のように閉ざされる。お前のことが好きだから、本当に他の何より大事だから、お前の視界を曇らすモンは全部蹴散らす。一つ残らず排除する。それは勿論自分自身の感情だって対象だ。誰に説明してもきっと変な顔をされるだろうな。…俺も自分で、笑っちまうよ。

 花道、好きだよ。好きだ。本当にそればっかりで、それしかなくて、もうまるで、それだけでこの体ができてるみたいに。



 その日もバイトが終わった後、もう一度学校まで戻って体育館を覗きに行った。バッシュの底と床が擦れる音、ボールが弾む音がまだ響いてる。
 脇にバイクを止めて体育館入口の扉へ回る。半開きのその隙間の向こうに見慣れた赤い頭が見えた。
 花道は練習に夢中で俺に気づく様子はない。声をかけないまま、俺は入口を潜って扉前の床に座り込んだ。
 バイトで若干へばった前髪を適当に直しながら、花道の姿をぼんやり見つめる。今日の部活中に見つかった課題点でもあったのか、花道はさっきから何度も同じ流れを繰り返し練習しているようだった。
 退院してから数週間。花道はまるで取り憑かれたように毎日バスケをしている。勘を取り戻したいとかやれなかった期間を埋め合わせるようにとか、そういう焦りも少なからずあるのだろうが、それ以上に何より、楽しくて仕方がない様子だった。
 数週間前のことだ、数ヶ月ぶりにバッシュを履いて体育館の床を踏んだ瞬間、花道はその大きな体を身震いさせていた。ひやかしついでにと付いていった俺たちはその後ろ姿を見つめ、一瞬かける言葉をなくした。花道の背中が震えるのを見た瞬間、俺の体にも微かに電気が走ったような気がした。花道の五感はいつも真っ直ぐで、まるでこちらにまで流れ込んでくるようだ。大好きで仕方のないバスケットが、やっとできる。言葉には尽くせないほどの感情が溢れたことだろう。その瞬間の全てがダイレクトに伝わってきて、どうしてかあの時、俺まで鳥肌が立った。
 あいつは言葉や思考より直感を軸にして生きてる。俺は花道のそういう部分にいつも目を奪われてしまうのだ。剥き出しで、粗くて、目がくらむくらい眩しいと思う。

 一区切りついたのか花道は手を止め、練習着で汗を拭った。リングボードから振り返りこちらを見た瞬間、奴の顔が綻ぶ。
「洋平!来てたのか」
「おう。お疲れ」
軽く片手を上げると、花道は「待ってろ!」と言ってボールを仕舞いに倉庫へ向かった。
「ゆっくりでいいぞー」
言い終わる前に花道はもう倉庫からこちらへ戻ってきてしまった。笑って見上げ、もう一度「おつかれ」と言うと、花道も笑って「おう」と言った。
「さっきバイト終わってさ。まだやってるかなと思って覗きに来た」
「そーか!」
「一緒に帰るか。後ろ乗っけてってやるよ」
「おう!」
それから外に停めたバイクの傍らで待っていると、Tシャツと制服のスラックスに着替えた花道が現れた。水飲み場で頭に水をぶっかけてきたんだろう、坊主頭にはいくつも水滴がついている。
「ちゃんと拭いてから来いよ」
笑いながら花道の首にかけてあったタオルに手を伸ばして、うなじ辺りを拭いてやる。花道がごく自然に頭を下げるので俺も当たり前のように髪全体を拭いた。
「どうだよ、天才の最近の調子は」
「絶好調だ。ブランクを感じさせないあたり、やはり天才だな」
「そりゃ良かった」
水滴を全部拭きとって「はい終わり」と言うと、花道が頭を上げて「ん!」と言って笑った。相変わらず可愛い顔をして笑うもんだなぁとぼんやり考える。この顔を見るだけでバイトの疲れも吹っ飛ぶ気がするんだから、好きな相手の力ってのは絶大だ。
「乗んなよ。お前メット被りな」
花道にメットを渡してバイクに跨る。花道がメットを被って後ろに乗ったことを確認してから、俺はバイクのエンジンをかけた。
 花道を後ろに乗せて走るのが好きだ。運転手になって、自分より図体のでかい花道を運んでやれるってのがいい。俺の肩に置かれる花道の手の感触も好きだ。天才バスケットマンの手は、その時だけはボールじゃなくて俺の体に触れている。
 学校から花道の家までなんて10分もせずに着く。この時間をもう少しだけ長く味わいたいと思わなくもないが、だけど一瞬で終わってしまうからこそ、かけがえのない時間だと感じるのかもしれない。…運転してると変に詩的な感情に襲われるからこっ恥ずかしいな。
 以前こうしている時、練習で体力を使い果たした花道が眠りこけたことがあった。定期的に後ろを振り向いてちゃんと起きているかを確認する。うん、今日は大丈夫みたいだ。前に向き直ると花道が「なんだよ洋平!」と聞いてきたので「おねむじゃねーかなと思ってよ!」と返してやった。
 あの交差点を曲がれば花道の家はすぐそこだ。束の間の時間を一人密やかに反芻しながら、俺は最後の右折をした。
 花道の家の前でバイクを停め、花道が降りたことを確認してから自分も一旦降りる。一個しかないメットはここでバトンタッチだ。花道から受け取って、今度は自分の頭にそれを被せる。
「じゃあまた明日な」
「…」
「花道?」
返事をしない花道が気になり声をかけると、やけに真剣な表情で見つめられた。
「…洋平、あのな」
「…ん?」
まじめな声色に一瞬驚きながら、なんでもないフリをして相槌を打つ。こいつは口数が少ない方だ。行動じゃなく、こうやって改まって、言葉で伝えようとしてくるのは稀である。
 大事なことを言うんだろう。きっと今から。
「…その」
「うん」
俺が笑うと、花道は人差し指で頬をかきながら視線を泳がせた。こいつが言葉を声にするまでの間、たっぷり与えられた時間を使って俺は予想する。バスケットに関する悩みかなんかか、それともハルコちゃん関連か。…でも、俺の予想は二つとも外れた。
「…いつもありがとな」
花道が眉毛を凛々しく立てて真っ直ぐ俺を見る。俺は直線みたいなその眼差しに刺されて、一瞬動けなくなった。
「入院してる時、いっぱい差し入れ持ってきてくれただろ」
「…ああ、うん…?」
「リハビリの後も、あいつらと一緒に何回も来てくれただろ。面会時間過ぎてんのに来て、その度に怒られて」
「…あー、うん。…そうだっけ」
「…今日みたいなのも」
「…」
「ありがとうってちゃんと言ったことなかった。ありがとな」
だってそれは全部、俺の中から勝手に溢れてくるものだから。お前がいる限り、無限に湧いてくるもんなんだから。だからいいんだ花道、ありがとうなんて。そんな言葉はなくたっていいんだよ馬鹿だな。俺がしたくてやってることだよ。お前はいつもみたいに天才らしくふんぞり返って、あますことなく全部受け取って、ただ、笑っててよ。
 …なんでそんなこと言うんだ。言うなよ。どうしていいか分かんなくなるじゃねえか。
 はぐらかす隙間もないくらい、花道が真っ直ぐな言葉でそう言ったので俺は俯いて緩く笑うしかなかった。今言葉を吐いたら、きっと何かが漏れてしまう。
「……洋平泣いてんのか?」
花道が俺の顔を覗き込んでそう訪ねる。俺は更に下を向いて「うん」と言った。すぐさま「え」と驚いた様子の声が聞こえたので、ゆっくり顔を持ち上げて「うっそ」と笑いながら言ってやる。
「どういたしまして。急に何言い出すのかと思ったぜ。明日は雪だな」
「礼節をも重んじる天才だからな」
「そっかそっか。はは、ありがとな」
「おう」
ニッと歯を見せて笑う花道の笑顔に心を奪われながら、俺も笑顔を貼り付けて笑い返す。バイクに跨ってグリップを握り、エンジンをかける。人気のない夜の街に、その音は随分大きく響いた。
「また明日な」
「おう!」
花道が右腕を高く上げて手を振る。その姿を焼き付けるみたいに見つめて数秒、俺はもと来た道をバイクで走った。
 脳内で花道がまた「泣いてんのか?」と俺に尋ねる。ああ泣きそうだったよ。さすが天才の言葉は人の心を打つなあ。次からはもうあんなこと言わないでくれ、頼むよ花道。

「好きだよ」
呟いた言葉はエンジンの音に消える。消えてしまうことに安心しながら俺はもう一度だけ、花道だけへ向けられた四文字を呟く。

 鋼鉄の扉は今日も開かない。きっとこれからも開くことはない。鍵をかけたのはお前で、でも、その鍵を持っているのも花道、お前だけだ。
 開けないでよ、ずっと。
 開けないままでいてよ。



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