横恋慕に降る星 3





 その夜、新聞配達員のカモメが号外を配達しにやってきた。

 どうやら今夜のストリングシャワーは日付が変わってすぐ、午前0時20分から見え始めるらしい。
 船の上にいるから分からなかったが、各地の街では盛大に祭りを開催しているようだ。
主要な都市の賑やかな様子がいくつも新聞に載っていた。
「これもストリングシャワーの力?」と煽り文句が流れる横で、海軍と海賊が楽しそうに肩を組んでいる写真もあった。

 0時20分まで二時間くらい余裕がある事を確認する。
 夜更かしするであろうクルー達の為夜食を作ってやろうと思い立ち、風呂から上がった後もう一度キッチンへ入った。
遅い時間帯だ、相当冷えるだろうから何か温かいものがいい。アサリが余っていたのを思い出したのでクラムチャウダーを作る事にした。あとは腹が減ったと喚く船員が出てくるだろうから、サンドウィッチでも用意しよう。


 既に甲板に集まり歌って踊る連中を窓越しに見ながら、俺は早速準備にとりかかった。

 スープに投入する為に野菜を細かく切っていると、トントンと、外から扉を叩く者がいた。
返事をする前に扉を少し開け、その隙間から顔を覗かせたのは、やっぱり、お前じゃないといいなあと思うのに、お前なんだよな。

 ウソップが眉を吊り上げ、睨むようにしてこちらを見つめている。

「…さみぃから、ドアしめてくれ」
まな板に視線を戻しそう言うと、その後すぐ扉の閉まる音がした。
「サンジ」と、俺を呼びかける声がしたので、出て行ったのではなく入ってきたのだと理解する。

「甲板にいたら冷えるだろうからさ、あったけえもん作ってんだ今」
「サンジ」

 ウソップを見ないまま会話を続けようとしているのに、ウソップはそれを許してくれない。
もう一度強く俺の名前を呼んでから、迷う事無くすぐ横まで歩み寄ってきた。

「なあ」
諦めて、一度小さく深呼吸した。

 何でもねえ顔しろ、気合いれろよ俺、と自分にエールを送り、諦めてウソップの方へ顔を上げる。
やっぱり怒ったような表情で俺を見つめるウソップが、そこにいた。

「…なんだよ」
少し笑って尋ねると、ウソップは少し考えるようにしてから口を開けた。
「大丈夫かよ?お前」
来ると思っていた言葉が、予想通り、来た。

「なにが?」
「何か考えてんだろ。…っつうか、悩んでるんじゃ、ねえか」

 包丁をまな板の上に置き、軽く手を洗った。料理は一旦中断だ。こいつが隣でこんな顔している限り、いつも通りにはこの手は動かないだろう。
胸ポケットから煙草を取り出し、ウソップの問いかけに何も返さないまま火を点けた。

 慣れしたんだ香りが口の中に広がるのを待ってから、俺は瞳を閉じる。あーあ、こんな風になるなら最初から、意地でも無理して、何でもない態度を取っておくんだった。

「…まあ、お前がそう見えたんなら、そうなんだろうな、きっと」
どこか人事のように呟くと、悲しそうな顔をするウソップが見えた。
俺が簡単には口を割らない事を悟ったのだろう。

「俺でいいなら、何でも聞いてやる。お前には借りもあるしさ」

 …だからさ。お前だけには話せねえって、分かってくれよ。
お前を慰めたあの時の俺の事なんて、忘れてくれていいから。借りなんて、貸してねえから。
 俺の心情など知るわけも無いウソップは、諦めずに俺の言葉を待つ。
そんな顔じゃなくて、笑ってるお前の方が見たいんだけどな俺は。

「クソ余計な気使ってんじゃねえよ。…もう行けって、マリモが冬眠しねえように見張ってた方がいいんじゃねえか?お前は」
皮肉や嫌味を言おうとしたつもりはない。
だけどウソップは俺のその返答がすこぶる気に食わなかったらしい。「なんだよそれ!」と怒りを露にした。

「俺は今、お前の心配してんだよ!分かってんだろ!」
「分かってるよ。だから、いらねえからほっとけって言ってんだ」
「…なんだよその言い方は!」

 ウソップの一段と強く響く声を聞きながら、俺は別の事に思考を傾ける。

 ゾロを好きなくせに、俺にまで情けをかけてきて、俺の感情を雁字搦めにするこいつが、兎に角とても憎たらしい。
でもほんの少し、気にかけてくれた事に喜んでいる自分もいる。それがクソ悔しい。
情けないくらい、俺は完敗じゃねえか。ただ隣でじっと、楽しそうにしてるお前を見ているだけで、良かったのに。

 欲張りになっていく自分は惨めで、哀れで、格好悪いったらねえ。

「…俺は、ただ…」
 ウソップが今度は小さい声で、独り言のように、続けた。

「俺はさ、全員で笑って、ストリングシャワーを見てえんだよ。お前が一人辛そうにしてたら…俺も、辛いから」
「……」

「…お前が笑えないなら、多分俺も笑えねえ」

 その言葉に、まんまと、いとも容易く、俺の心臓は握りつぶされた。

 俺をいいように翻弄してやろうなんて、お前はそんな事微塵も考えてない。
それは純粋な優しさで、仲間を気遣う温かい気持ちだった。その優しさを、受け取らない理由なんてない。一つもないんだ。
 …独りよがりな悲しさなんかで、どうしてこいつの優しさに腹を立てたりしたんだろう。

 そうだよな。惚れた時点でもう俺は、お前に完敗してるんだった。
最初から負けているのに今更、なんでもない振りをしようとするから、こんがらがる。惨めになるんだ。

「お前はすげーよ」

 ウソップは「はあ?」と首を傾げる。

「参った、てめえの勝ちだ」
初めから決まっていた。認めて受け入れるだけだったんだ。
お前が俺を好きじゃなくても、その優しさに何度でも救われてしまう事を。

「お、おう?よくわかんねえが…お前の負けだな!」
ウソップは困惑しながらも、勝ちという言葉が嬉しかったようで、俺が見たかった笑顔をやっと見せてくれた。

「俺も悩むさそりゃあ。なんせ絶賛横恋慕中だからな」
手の内を明かしてしまえば、なんと心は軽くなる事だろう。変なプライドも意地も煙草の煙のようにすうっと消えていくのを感じた。

「おっ…!?横恋慕!?お前が!?」
「そんな驚くなよ。お前だってしてんだろうが」
バンダナ越しに軽くゲンコツをしてつっこむと、ウソップは「いてっ」と目を瞑った。

「てめえも読んだんだろ、あの本」
 頭のてっぺん辺りをさすりながら「ナミに借りたやつの事か?」とウソップは尋ねる。
「そうだ。第二章で書いてあったじゃねえか。見れば恋が叶うって。…じゃあさ、惚れてる奴が別の奴に惚れてる場合…しかもその相手も同じ場所にいるなんていう、クソみてえな状況の場合は、一体どうすりゃいいんだろうな」

「…」
言葉を失うウソップが、ただ、じっと、俺を見る。かける言葉が見当たらないのだろう。いつもあんなに、忙しなく口を動かしているくせに。

「報われねえのが分かってるからさ。…そりゃあ元気も出ねえだろ」
笑って、想いを寄せている本人へ自嘲気味に告げる。
さあてどう励ましてくれんのかね、このお人よしは。

「…ナ、ナミか?それ…」

ウソップの言葉に時が止まる。
うん?何がナミさんだって?よおく考える。つまりこいつはええと、俺の想い人がナミさんであると、そう結論付けた訳か?

「………まあ、そうなるわな…」

 ウソップの、大はずれもいいところな解答を聞いて、俺は殊更でかい溜息をついた。
 いや、いいんだ分かってた。お前が俺の気持ちなんぞ考えた事もねえってのは。
それを考慮したうえで、ナミさんの名前が出てくるってのは、普通に考えれば一番自然で、なんていうか当たり前だ。

「そうか…サンジお前…本気だったんだな…」
俺が溜息の前に漏らした言葉で、自分の予想が当たってしまったのだと勘違いしたようだ。
…ああもう、そうかじゃねえよアホかお前は。
 もう内心ボロボロだった俺に、誤解を解く元気は残っていない。本気の恋ほど上手くいかねえもんだなあと、遠巻きに自分を笑うので精一杯だ。

「お、俺…んーと、そうだな…何出来るかわかんねえけどさ!…協力できる事は何でもするぜ!その、仲間同士の、そういうの、だから…難しい事もあると思うけど…うん」
「…やっぱり、ハッキリ言わなきゃ伝わんねえもんだな」

ウソップの、しどろもどろという表現がぴったりな応援を軽く流し、俺は内心ひどく落ち込む。
だって駄目だこいつ。てんでダメダメだ。協力するとか言ってきやがる。
俺を傷つけるのがそんな楽しいか。…ふざけんなよ長っ鼻。

「は、はっきり…言うのか?…そうだな!おお、もう言っちまえ!それが男ってもんだぜサンジ!」
「多分この様子じゃあ、伝わってねえと思うんだよ、微塵も」

「うむ、確かに。お前の態度ときたら、相手が女ってだけで毎度一緒だもんな」
「100年に一度とか、恋が叶うとか、横恋慕とか…もう知ったこっちゃねえ。俺の気持ちを守ってやれんのは俺だけだ」

「いや待てサンジ!俺も守ってやるぞ!なんたって勇敢で尚且つ心も優しい偉大なキャプテンウソップ様だからな」

「………」

 素っ頓狂な会話は続く。
俺の全力投球のストレートボールはことごとく、ウソップのミットに届かない。っていうか多分こいつが持ってんのグローブじゃなくてバットだ。彼方へ打ち返されてる気がする。

「…キャッチボールをしてくれよ…」
頭を抱える俺に「泣くなサンジ!男だろ!!」と励ますウソップを本気で蹴りたくなってしまったのは、とても自然な事だと思うんだが。どうよ。

「…時にお前、言っちまえとかクソ簡単に言うけどよ」
「おう?」
「なんて言ったら一番伝わると思う?協力してくれんなら、それ位一緒に考えてくれよ」

 多分今までの人生の中で、人の恋の悩みに耳を傾けるなんて事はほとんどなかったんだろう、心底困った顔で「あー…そうだな…ん〜…」と、唸りながら、必死で言葉を紡ごうとしている。

「…うむ、まあそれはだな、サンジ君。自分なりのオリジナルの言葉が一番、いいのではないかな」
「てめえの協力ってのはその程度か。キャプテンウソップの名が聞いて呆れるな」
潔く逃げの体勢に入ったウソップに思い切り煙草の煙を吹きかけてやれば、ゴホゴホと咳き込みながら「何をするのだ悩める少年よ!」と、変な口調で抗議を申しだされる。

「よし分かった、恋に悩める君の為にこのウソップ様が伝授してやろうとも、相手の心に響く告白の台詞を!」
「おう頼んだ」
素直に耳を傾ける俺に少々面食らいながらも、得意げな様子で「おっほん!」と、ウソップは咳払いをしてみせた。

「まず、自分の思いが真剣なものであるという事を伝えるのが始めの一歩だな」
「おう、どうすりゃいい」
「ええと、そうだな。「今から言う事をどうか笑わないで聞いてください」出だしはこれで完璧だ」
新しい煙草に火をつける前に「それから?」と俺は促した。

「それからこう繋げるんだ。「貴女にだけは言わなきゃいけない事があります」ってな!」
「おお、いいじゃねえか。それで?」
「そんで、ほら…もう後は、あれだよお前」
ネタが尽きたのだろうか、「あれあれ」と言うだけでその「あれ」が何なのかをウソップはなかなか言わない。

「その後は?ウソップ」
「えーっと…ほらだから」
「なんだよ」

「…ああも〜!思いつかねえ!最後は「貴女が好きです」でフィニッシュだ!どうだこの野郎!」

 苦手な分野の話題だったのか、早々にギブアップをするウソップに思わず笑ってしまった。
お前だって恋、してんじゃねえのかよ。何だってそんなに赤くなりながら早口で喋るんだ。
 …でも俺、多分、お前のそういう馬鹿みたいに不器用なところが、好きでたまんねえんだと思う。

「クク…ああクソ参考になったぜ、ありがとな」
慣れない事に頭使わせて悪かった、と頭をポンポン叩けば、ウソップは困惑しながら「今ので…?」と呟く。

「つうかよ…やっぱお前が自分で考えた方がいいと思うぞ俺。俺より慣れてそうだし」
そう言うウソップに、俺は小さく笑った。
分かってねえなあ。こんなに人を好きになるのは初めてだっていうのにさあ。…お前の口から出た「好き」の二文字で、笑っちまうくらい、だって心臓が煩くなるんだ。

 もうそろそろ料理を再開しないとまずい時間だ。俺は咥えていた煙草を、結局火をつけないまま灰皿に置いた。手を洗って包丁を動かす。

「連中がてめえを待ってる。先に甲板行っとけよ」
「…楽しく見れそうか?ストリングシャワー」
心配そうに尋ねるウソップに、今度はちゃんと。

「ったりめえだ。覚悟も決まったしな!」

 笑顔で返せた。

「俺は!絶対に!サンジの味方だ!幸運を祈るぞ!!」
親指でそうサインをするウソップに、もう腹は立たない。気付けよバカヤロウ、とも思わない。

 ただ、今夜。
お前の楽しそうに笑う顔を見たら、悲しくなってしまうだろう俺に、お前にまた心配かけちまうかもしれない俺にさ、一瞬でいいから夢、見させてくれよ。
お前の隣で流星群を眺めて「クソ神様」って、祈ってしまうだろう俺を、許してくれよ。
もうそれ以上は何も望まないからさ。





 俺に言われたとおり甲板へ走り出すウソップの後姿に、聞こえないよう小さな声で「好きだぜ」と呟いた。




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