横恋慕に降る星 2




 ナミさんの予報はやはり百発百中で、本日午後のティータイム用にホットティーをカップに注ぐ頃、空は既に青く晴れ渡っていた。

「クソ野郎共!茶菓子だ!」

 キッチンのドアを蹴り勢い良く叫ぶと「茶〜〜!」とこだまのように声が帰ってきた。
マストの上から空を見ていた様子のルフィはキッチンドア前の手すりに腕を伸ばし、弾丸のように俺のすぐ傍まで飛んでくる。

「クソ熱くしといたから火傷に気をつけろ。以上だ」
目の前でゴクゴクと紅茶を飲み干すルフィに告げたが、俺が言い終わる前にルフィは既に舌を大いに火傷していた。

「あっっっぢいいいいぃぃ!!!!」
船上のあちこちにまだ残る雪めがけて突進し、舌の上にこんもりと雪を乗せて悶絶している。
…うむ。元気そうだ。舌を冷ましているルフィにシュークリームを二つ投げ、他のクルーの元へ向かった。

「なあなあサンジ、相手してくれよう」
 俺の足元にしがみつき、そうせがむのはチョッパーだった。
クソ珍しい。チョッパーの遊び相手といやあ、ルフィかウソップ、この二人が捕まらない時はゾロが担う筈なのに。

「?鼻野郎かマリモは空いてねえのか?」
「二人とも寝ちゃって、俺、つまんねんだよう」

 ゾロが寝ているのは常日頃の事だから置いておいて、ウソップが昼間に眠るなんて初めてじゃねえか?少なくとも俺が知る限りは、太陽が見えるうちに眠っているウソップなんて見た記憶がない。
 階段を降りながら甲板を見渡した。
そして俺は、もう本当に、信じられねえ程にショックを受けた。凹んだ。傷付いた。
…泣きたくなった。

 日当たりの一番良い場所で、ゾロが壁に寄りかかり胡坐をかいて寝ている。そこまでは至っていつも通りだ。
その隣、並んで座り込み、体のほとんどをゾロに預けるようにして…ウソップが、クソ気持ち良さそうに眠っていた。

「………」

「二人とも全然起きねえんだよ!なあサンジー遊ぼうー」
「…あの、マフラーは………なんなんだ、一体」
「ナミが寒そうだからって巻いてた。一つしかないからって。…でもナミ、巻いた後笑ってたぞ。マヌケねーって」

 ウソップとゾロはその首に、一つの長いマフラーを一緒に巻きつけていた。赤と白のボーダー柄のマフラーは少し子供っぽく、大の男が二人一緒に首に巻いているという光景は奇妙で異様だった。
端から見れば確かに「マヌケ」で微笑ましいのかもしれない。
…俺の目にもそう見えてくれたら、どんなに良かっただろう。

 少し上を向きながら口を大きく開け、これでもかといびきをかくゾロとは対照的に、ウソップは下を向き、静かに寝息を立てている。
長い睫毛がたまに太陽に照らされて光る。クセの強い黒髪がふわふわと揺れて、ウソップが感じているであろう居心地の良さが、静かに語られてくるようだった。

「…クソつれえ…どうしよう…」
「サンジ?辛いのか?大丈夫か!?医者呼ぶか!?」
無意識の内に声を漏らしてしまう程、心が盛大に軋んでいる。

 嗚呼俺は忘れてたんだ。本当に馬鹿だ。
一番重要で、目を背けてはいけない事柄から…いや忘れていたんじゃない。忘れた振りをして逃げていた。
忘れ続けていればその事実はいつか、ゆっくりと、消滅してくれるんじゃねえかとさえ、都合よく考えていた。

 そうだった。そうだったじゃねえか。ウソップはゾロを、好きだったんだ。

「サンジ…!しっかりしろぉ…」
足元で、涙声になりながらチョッパーが訴える。俺はその声を聞いてやっと、今自分が思っていた事を声に出してしまっていたんだと気付いた。

「ああ…おう、大丈夫だ、何でもねえ」
チョッパーの帽子をポンポンと叩き、笑顔を向ける。けどその笑顔がひきつっていなかった自信は、ない。

「夜更かしするからよ、あんなに言ったのに。ばかねえ」
みかん畑から聞こえた声はナミさんのものだった。どうやら日課の水撒きをしていたようだ。
「あ〜寒い」と両手に息を吹きかけながら、厚手のコートの袖を揺らしこちらへ歩み寄ってくる。

「サンジくん、これ貰っていい?冷えちゃって」
片手に掲げたトレイの上をナミさんは指差す。
正直、茶菓子を持っていた事すら忘れていた。俺は慌てて「どうぞ」と渡した。

「ウソップね、多分昨夜貸した本、ほとんど寝ずに読んだんじゃないかしら」
スヤスヤと眠る二人を顎で確認し、やれやれとナミさんは溜息をつく。

 しゃがんでチョッパーにシュークリームと紅茶を渡した後、チョッパーはそれを「ありがとう」と受け取り器用に蹄でカップを支えた。

「何の本だ?」
ちびちびと飲みながらチョッパーがナミさんに尋ねる。
「例のストリングシャワーについて書いてある本よ。久しぶりに読み返してたら、ウソップが貸してくれって言うから」
 ま、日が出てるうちは寝かしといてあげましょうとナミさんは優しく笑い、そのまま気にも留めぬ様子で女性部屋へと戻ろうとした。

「ナミさん」
「なあに?」

 振り返るナミさんに、俺は一つ頼みごとをした。
「その本、俺にも貸してくれねえかな」





 遊べとダダをこねるチョッパーを言い聞かすのは大変だったが、お前も今夜に備えて昼寝でもしておけとあやした。
ついでに、ウソップとゾロの間に潜り込め、あったけえぞと提案も。
 チョッパーは「俺寒いの平気だぞ?」と言いながら、それでも数分後には言われたとおり二人の間で寝てくれていた。
しかも上手い事、触れ合っていた二人の肩の間へ、阻むようにして自分の場所を陣取った。
クソグッジョブだぜ青っ鼻。

「男部屋にあるんじゃない?返してもらってないから」

 ナミさんの言葉を思い出しながら男部屋に吊るされたいくつかのハンモックを見た。
確かにウソップの寝床には表紙のしっかりした重厚な本が置かれている。背表紙に「ストリングシャワー、その輝きと実態」と書かれていた。

 その本を携えキッチンまで移動した。
折角の晴れた昼下がりに薄暗い男部屋で読書するのは、自分が落ち込んでいる事を自覚するみたいで嫌だったのだ。まあ実際泣く手前まで来てるけどな。

 煙草に火を点けてページを捲る。
本を読むなんざレシピ本以外で考えたらいつ振りだろう。この船の一味になってからは一度もない。

 目次の前に載っていた前書きを読む。

『それを見られる者は幸福だ。神は百年に一度しかその奇跡を見るチャンスを我らに与えてくれなかった。なかなかに意地悪だ。』と、筆者である天文学者は綴る。

 …誰かに起こされた時、もしくは自然とその瞼が開く時、ウソップはきっと驚いてその場から離れるだろう。
多分クソ慌てふためいて。ついでにその顔面を真っ赤に染めて。
それを決して見ない為の口実に、俺は読書にふける、という行動に、没頭するしかなかった。
見てしまったら多分、ちょっと、泣けてしまうだろうから。

「ええと、なになに」
わざとらしく独り言を呟く。誰にも届かない声が、誰にも知られずに消えていくので、嗚呼呟くんじゃなかったと少し後悔した。

 第一章では、そのメカニズムを図解付きで紹介していた。
難しい事は分からないので本分はそこそこに、俺はストリングシャワーの構造図や百年前にそれを見た者の手によって描かれた絵を、ゆっくりと眺める事にした。

 たくさんの光の糸が描かれたストリングシャワーは、まるで夢の中の景色のようだ。
流星群というよりは、何万と言う数の鳥が夜空を切る程の速さで、ある一方向へ、一心不乱に向かっていく一瞬のようにも見える。
星の軌道のそれぞれは短いが、そのいくつもが重なり大きなアーチを描いている。
幻想的で、何だか心ごと吸い込まれてしまいそうな絵だった。

 第二章ではストリングシャワーの歴史と、その言い伝えや伝承、昔話などが時代ごとに細かく書かれていた。
人間とはいつの時も夢を見る生き物だ。それを見た者は野望が叶うだとか見た星の数だけ財宝が手に入るだとか、子供が聞いたら胸が躍るような内容ばかりである。
…その言い伝えの中の一つを読んで、俺のページを捲る手は止まった。

 『現在まで色濃く語り継がれる言い伝え、まあ簡単に言ってしまえば「おまじない」の類であるが、人々は今でもこれを信じる事をやめられない。「愛する者と共にこれを見れば、二人は永遠に結ばれる。」−恋心と星、とは、大昔から深く繋がっているのである。』

 俺は静かに本を閉じ、新しい煙草に火を点けた。
立ち上る煙の行き先を見つめながら、馬鹿みたいに感傷的な気持ちになる。

 夜通し本を読み漁ったのであれば、ウソップだってきっとこのページを見た筈だろう。
読んだ後少しだけ嬉しくなって、今夜ゾロの隣で流星群を見る自分を想像して、胸を高鳴らせたに違いない。
そんなウソップの、百年に一度しかやってこない瞬間を、俺は同じ船の上から見る事になる。

 …なる程確かに、神様はクソ意地悪だ。

「横恋慕の場合はどうすりゃいいのか、書いといてくれよくそったれ…」

さぞ美しいだろう、きっと胸打たれるような光景なのだろう。
そして星は容赦なく俺の心を何度も、何度も、貫いていくに違いない。俺の心情など見向きもしないで。



 全てを考えなくていいように夕飯の支度に全力を注いでいたら、いつもより随分と手の込んだメニューになってしまった。
意図しないところだったが、他の奴等は「今夜にぴったりのご馳走だ!」と嬉しそうに騒ぎ立てた。
都合のいい誤解だったのでそのまま仲間の台詞を受け取り「百年に一度だからな、クソうめえぞ」と笑ってみせた。

「サンジ食えよ!これなんか天下一品だぞ!」
給仕に徹していた俺をウソップが呼び止める。
まるで自分が作ったかのような口ぶりで小皿に俺の分を取り分け、ずいと腕をこちらに伸ばし「ほら」と笑った。

「…おお、サンキュ」
皿を受け取り、ウソップの隣の席に腰掛けた。全然腹が減らねえのはおおよそてめえのせいだがな、と内心悪態をつきながら。

「ナミいっ!何時くらいから見れるんだ不思議空!」
「食べ物飲み込んでから喋んなさいよ!ちょうど日付が変わるくらいの時間かしら、多分ね」
「俺!昼寝したからまだまだ眠くねえぞ!エッエッエ」
「…俺もだ」
「てめえはいつもの事だろう」

 クルー達が楽しそうに会話をしながら皿の上を消費していくのを、俺は箸を止めぼうっとしながら眺めていた。ウソップがそんな俺に気付いて「おい手止まってんぞ」と肘でつついてきた。

「なんだお前テンション低いなあ、楽しみじゃねえのかよ」
ウソップは誰にも奪われぬよう自分の分を皿にてんこ盛りによそい、伸びてくる腕に備えてルフィに背中を向けた。必然的に体ごと俺の方へ向く事になる。

 なんだって、お前にだけは言えねえのにさあ。…お前だけがすぐ気付くんだろうな。いっそ知らん顔していてくれりゃあ余計な苦労もねえのにさ。

「…そう見えるか」
 力なく笑うとウソップはいよいよ本格的に心配顔になった。
「な、なんだよどうした?疲れてんのか?」
しっかりと口と手を動かしながらも、俺の顔を覗きこむようにして見つめる。
嗚呼だから、やめてくれよ。全部気付いてほしくなっちまうじゃねえか。

 なんでもねえよと笑う元気はなくて、でも、誤魔化せるような言い訳も見当たらず、仕方なく「内緒だクソ野郎」となけなしの悪態をついてやった。

「内緒って…。ふう。いいから、このウソップ様だけに話してみたらどうだ。ん?」
「ウソップ様だけには話したくねえな」
「なっ!?」

 折角心配してやったのに、と続けるウソップの皿をルフィが背後から素早く盗んだので、それきり俺達の会話は終わってしまった。
ウソップは体の向きを180度反対にして皿の上を吸い込み続けるルフィに必死で抗議している。

 結局俺は、ウソップがよそってくれた皿の上を平らげるので精一杯だった。
 テーブルの向こう側、俺の正面でひたすら酒を飲み干す緑頭をちらと盗み見しながら、今夜だけ、こいつと体入れ替わったりしねえかなあ…なんて、馬鹿にも程がある考えが脳裏をよぎるもんだから、笑ってしまった。



 神様は本当、俺にだけやたらと意地悪だ。




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