恋とごめんと偉大な日




 折角、二週間以上振りの上陸だというのに、心の中には暗雲が立ち込めていた。なんなら土砂降りの雨さえ降っていた。
街行く美しき女性を反射的に目で追いながら、それでも一秒後には違う事を頭で考えている。

考えたくないのに、どうせ答えなんて出す気もないくせに、懲りずに、そればかり。

「…くそったれ」
クソ大荷物になってしまった食材とその他諸々を背負い、俺は独り言を地面に吐き捨てて歩いた。
 ウソップとはあれから、二人きりになる事はなかった。まあ元々、二人きりになる時間など食器を洗うあの時間くらいしかなかったのだが。

 …ウソップは晩飯の後、他のクルーと同じようにキッチンから出て行くようになった。
取り残されたテーブルの上の食器を見つめ、俺は馬鹿みたいに寂しい気持ちになった。

たった数日、笑いながら俺の隣にいてくれたウソップの面影が、そこら中に残っている気がして、寂しさと同じだけ腹が立って、乱暴に食器を洗った。
その弾みで昨夜は豪快に灰皿を床に落とした。灰がそこら中に飛び散った。
もう本気で腹が立って、とびきりでかい声で「くそったれ!」と叫んだら、ナミさんから、隣の部屋越しに壁を殴られ「っるっさい!!」と倍の大きさの声で怒鳴られてしまった。

 自分が悪いのだと分かりきっているからばつが悪い。そして素直に謝ればいいだけなのに、全く行動に移さない自分にもいい加減嫌気が差していた。
「ごめん」と、「あんなの嘘だ」と、たったそれだけでいいのに、クソ簡単なのに。

 …認める。ここ数日、俺の頭の中にはウソップしかいねえ。わかんねえけど、お前の笑った顔と、俺に向けた哀しい目を順番に思い出しては、息が苦しくなる。
わかんねえけど、なおんねえ。

 …わかんねえけど、わかんねえままでいいから、また隣で笑ってほしいと思うのは、ずるいのかな。




 今回の船番はナミさんが買って出た。
数週間も船の上から降りれなかったのだから、買いたいものや見たいものもあるだろうし、何より地に足を着け羽根を伸ばしたいのではと気になったが「読みたかった本が溜まってるの」と困った顔で、でも嬉しそうに笑うのを見た。

 「買いたいものがあればなんなりと」と、買出しを名乗り出たところナミさんは微塵の遠慮も見せることなく数枚つづりになったリストを俺に差し出し「お願いね!この値段で収まるよう値切ってきて!」と可愛くもありしかし威圧的にも見える極上スマイルを俺に振舞った。ん〜遠慮のないナミさんも素敵だあ。
 そんな訳で、今夜発つ予定の今回の上陸は、そのほとんどの時間を食材調達とナミさんに頼まれた買い付けに費やして終わろうとしている。
リストの品目に全て斜線が引かれる頃にはすっかり空が夕暮れに染まっていた。



「うっはあ、また買い込んだなあサンジ!全部肉か?それ」

 途中、定食屋から飛び出してきたルフィに後ろから声をかけられた。「ちげぇよ」と返事を返す暇もないままルフィは風のように走って見えなくなっていく。
いつまで経っても金を払って食事を楽しむという常識的な概念を持ち合わせてくれない船長に溜息が漏れた。
大層な額の賞金首がこんな小さな島で食い逃げって、お前はスケールがでけえのか小せえのか…。

「待てゴルァ!!!金払えええ!!」
勇ましい店主が数秒遅れで俺の横を颯爽と駆けていく。
これでは追いつけないだろう。ルフィは食べるスピードも狂人的だし、逃げ足も左に同じだ。

「…関わらないでおこう」
 懸命な答えを出した俺は、潔く二人の向かう逆方向へ踵を返した。

 ここはそれほど大きな島ではなく、一日かければ島の周りを一周できそうだ。中心にある町は数百メートルほどの商店街と、その左右それぞれの奥に家々が立ち並んでいる。暮らす住民はそんなに多くないが、良い気候と穏やかな暮らしのお陰だろうか、優しげな者が多かった。
 少し歩けば浜辺があって、鳥の声と子供達の楽しそうな声が風に運ばれ、こちらにまで聞こえてくる。過ごしやすく快適な島だった。

「ちょっくらナンパでも…」
呟いてから、内心とても乗り気じゃない自分に驚いた。
それは荷物が重すぎるせいかもしれないし、脳裏の隅っこでやたらちょっかいを出してくるあの鼻のせいかもしれない。
…後者であってほしくねえなあ…。



 自分の背丈よりも膨れた荷物を船に置きにいくと、ナミさんがその音に気付いたのだろう、寝室から顔を出した。

「どう?この島」
「小さいですが良い場所ですよ。なんせ気候がいい」

 ナミさんは優しく微笑む。俺は当たり前のようにそれに見惚れる。
…はっ!!よく考えてみたらナミさんと二人きりなんてトンとご無沙汰…これはもしかして何か起こっちゃっても良いって感じのそういうアレなんじゃないかどうなんだ恋の神様。

「お買い物大変だったでしょ?ありがとね」
「いっ、いや〜、ナミっすわんのお願いとあらば何でも〜」
「他のみんなには会った?問題起こしてなかった?」
俺のメロリンも見慣れたのか、ナミさんはいたって普通に話しかけてくれる。あ〜流されないナミさんも素敵だあ。

「ああそういや。ルフィが勘定しないで食ってましたよ。まだ追いかけられてるんじゃないですかね」
いつもの事ですよ、と付け足して煙草に火を点けると、ナミさんは「…ねえ」と、若干声を震わせながら俺を呼んだ。

「なんですか?ナミっすわん」
「…あれよね、それ」
ナミさんの指差す方向には、こちらへ真っ直ぐ向かってくる我らが船長と、その船長を物凄い形相で追いかける、エプロン姿のさっきの店主が見えた。

「…驚いたな、あの店主随分と足がはええじゃねえか!」
感嘆の声を上げる俺の横でナミさんは何故だか身支度を整えていた。貴重品を全て無言でリュックに詰め込んでいる。触れたら凍るような無表情で。どうしたのかと尋ねる事さえ躊躇う、完璧なる無表情であった。

「俺は!昔!マラソンで新聞に載った事があるんだぞクソガキぃ!!!」

 苦しそうに紡がれた店主の叫びに俺は船の上から「頑張れ頑張れ」と煽った。ルフィは台風の目だ。それを端から見ているのはとても面白い。

「じゃ、私はこれで。後はサンジくんお願いね」
いつの間にやら船壁に片足をかけていたナミさんは片腕を目の高さまで挙げ、グッドラックのサインをしてみせた。

「…んん?」
俺がクエスチョンを投げかけるのとほぼ同時にナミさんは足を強く蹴り、船首側から向かってくるルフィ達とは逆の方向へ華麗に着地した。あ〜その振り向きもしない背中も素敵だあ。

 ルフィ達はメリー号の船体でナミさんが見えないのだろう、気付かないまま問答を始めていた。

「はぁっ…おっさん、しつっけえな…!はぁ…分かった、分かった!払うよ!」
「ったりめえだ!てめえは!はぁっ…まず謝れや!!」
「すみませんでした」

 船の上から二人の会話を聞き「払えるんなら最初から払っておけよ」と心の中でツッコミをかましていたら、ルフィの大きな「ナ〜ミ〜!!!」という声が辺りに響き渡った。
…そしてようやく俺は理解するのである。ナミさんが華麗に船を後にした理由を。
「…おいおいおい、一銭も持ってねえぞ俺は…」
短くなった煙草を海へ放り、やれやれと肩を落とす。

「あれ?返事がねえな…ナ〜ミ〜!!!!」
ルフィは構わず叫ぶ。その声はもう当の本人には聞こえていないだろう。聞こえていても、振り向かせる事すらないだろうが。

「おい何してんだ坊主。さっさと金払え」
「この船に乗ってるんだよナミが。多分金払えると思うからさあ。待っててくれ!」
ルフィと店主の会話を片耳で聞きながら、さてどうしたものかと考える。

 おっさん一人突っぱね返すのはクソ簡単だ。それはルフィだってそうだ。逃げるのは自分が悪いと分かっているからに違いない。
しかしルフィの常習犯ぶりには前々から困っているところもあった。あんだけの量を食われて一円も返ってこないんじゃ商売上がったりだろうと、毎度店の者には同情していたのだ。
そして今回の店主には、諦めないガッツと根性がある。ふむ。

 料理人として、無銭飲食の常習犯には痛い目見てもらおうという答えが出た。

「おっさん、その執念、恐れ入ったぜ」
船の上から二人を見下ろし、髪をかきあげてみせてから勢い良く降り立つ。
ルフィは「あれ?」と首をかしげ、店主は「これがナミか?」とルフィに尋ねた。

「よおルフィ。生憎ここにゃもうナミさんはいねえ。レディに立て替えてもらおうと考えるなんざ、お前も随分落ちぶれたじゃねえか」
俺の台詞を見事にスルーし「ナミは?」と聞くルフィを、これまた俺もスルーしてゆっくりと煙草に火を点ける。

「…ふう。いいか、それで生計立ててる者に対して金を払わず旨いものを食う。これは立派な犯罪だ」
「旨いものがそこにあったら食う。これが海賊だ!」
…違うと思う。

「じゃあその代償を美しいレディになすりつける…それもテメエにとっちゃ海賊なのか、ああ?」
ルフィは俺の言葉に少々ムッとしたようだった。
「でも俺!前の島でナミに金貸したんだぞ。次の島で二倍にして返すって約束で!」
「…」

 そう、人は自分が悪いと分かっているから逃げるのだ。それはナミさんも然り。
船からルフィが見えた瞬間に、その取り決めを思い出していたのだろう。ん〜準備が速いナミさんも素敵だあ。

「おいお前ら…さっきから何の話をしてるんだ。俺は金さえ払ってもらえりゃあいいんだ、早く店に戻りたいんだよ」
店主は横でウンザリしたように呟く。

 料理人として、この掃除機のような胃袋を持つ無銭飲食者の味方はできない(と言うか立て替えてやる金がねえし)。
しかし世界中のレディを守る使命を請け負ったラブコックである自分は、ナミさんを解決策として再提示する気もサラサラない。
とすれば、こうするしかない。

「ルフィ、ナミさんはな」
「うん?」
「あっちへ行ったんだ。いいか、あっちだ。あっちへ真っ直ぐ、走っていった」

 俺はルフィと店主両者の目をしっかりと見つめ、ナミさんが走っていった方向とは逆に、これでもかと人差し指を何度も突きたてた。

「よし!おっさん!ぜってえに捕まえるぞ!!」
ルフィは店主の腕を掴み、食後とは思えぬ速さで駆け出していった。
店主はルフィに腕の自由を奪われたまま「てめえが一人で捕まえろ!」と喚いたが足の速さに自信のある己の血が騒いでしまったのだろうか。数秒後には「女一人この俺が追い抜いてみせるわ!」と楽しそうにルフィと横並びになって駆けていった。
 …追い抜いたら、意味がねえと思うが、まあ楽しそうで何よりだ。
去った難の見送りもそこそこに、俺は食材の整理をする為、船番のいなくなった船に戻った。



 数時間後、空に星がいくつか見え始めた頃にやっと俺以外のクルーが帰ってきたのだが、何故それは彼なのだろうと思った。
それが誰かの仕業なら俺はその「誰か」に2,3発食らわせたいし、ただの偶然ならば偶然ってのはなんて胸糞が悪いものだろうと思う。

 明るい声で「ナミ帰ったぜー」と告げたのは、ウソップだったからだ。

 船内のどこかでその声だけ先に聞ければ、息を潜めて出方を考える時間くらい稼げただろうに、運悪く俺は甲板の中央で伸び伸びと眠っていた。何度も言うがこの島は気候がいいのだ。浜辺に寄せる波の音と鳥の声。この上なく心地良い。
それを今初めて恨めしく思った。気候に罪はないが、俺は心の中で舌打ちをした。

「…ああ、わりぃ、起こしたか」
ナミさんしかいないと思い込んで疑わなかったのだろう、その顔は予想を裏切られた驚きを、隠せないでいる。

 確かに毎度、出航のたびに連れ戻されるまで帰ってこないクルーがほとんどだ。
ゾロは迷子であるし、ルフィは何者かに常に追い回されている。俺はといえば上陸した島の全ての女性を口説くまで戻らんと宣言してフラフラし続けるのが常だ。
唯一言いつけを素直に聞く確率が高いチョッパーも、そういえば今回は島に着いてから一度も見ていない。
ウソップの中で「俺が既に戻っている」という可能性は1パーセントにも満たなかったのだと思う。

「…別に、わるかねえよ」

 よお、くらい言えばいいものを、ぶっきらぼうに返してしまったお陰で会話を続けるのが非常に困難になってしまった。自分の口を呪ったのはこれで何度目だろうか。
 しかしウソップは数秒後、何かを吹っ切ったかのように表情をいつもの陽気な笑顔に戻した。

「ここ、気持ちいいもんなあ。俺も一人だったら寝ちまうわ」
笑顔のまま俺の横を通り過ぎる。
上体を起こしてまず煙草に手を伸ばす俺の様子を気に留める事もないまま、ウソップは男部屋に続く天板を当たり前のように開けた。

「それじゃまた後でな」

 それきり、だった。
ウソップは気まずさや居心地の悪さを感じさせる事もないまま男部屋に潜った。俺の「そうだな」という、何気ない相槌を待つ事もしないで、本当に、とても、素っ気無く。

「…なんだ、そりゃ」
俺のこの呟きも聞こえる筈がない。何故ならしっかりと、ウソップは天板も閉めていったからだ。
俺が追いかけてくる事もないと分かっていて、まして共に甲板の上で会話の一つなどする気などないだろ?と同意を求めるように。

 閉められた天板を見て俺が最初に感じたのは信じられないくらいの怒りだった。
何食わぬウソップの様子と、信じがたいよそよそしさを発信する一連の動作に、震える程腹が立った。
 そしてその数秒後、起こした上体をまた元に戻してしまうほど悲しくなった。
俺はウソップがこんなに誰かを、笑顔のまま拒絶するのを見た事がない。

「…また後で、ってなんだよ、クソっ鼻」

 いっそ自分の顔を見た途端逃げ出してくれればいいものを、と思う。逃げてくれたら追いかけられる。多分。今なら迷わず追いかけられる気がした。
 捕まえて、逃げないように腕を掴んで、わめくウソップを落ち着かせて、「悪かった」と、なだめるように言えるのに。
 しかしそれは不自然な考えだった。何故なら人は、自分が悪いと分かっているから逃げるのだ。
ウソップは、だって、欠片も悪くない。

「…クソッ」
もう、ああだこうだと言ってられないなと分かった。
人のいいウソップがここまで扉を閉めるのだ、あからさまに拒否するのだ。
それは面と向かって怒鳴られるより、顔を見るなり逃げられる、なんてものより、よっぽど威力がある。
 他の誰かが帰ってきてしまえばもう、俺は罪悪感に気付かない振りをして、普通に振舞い続けてしまうだろう。
「もういっか」と諦めて、自分の最低なあの発言をウソップと同じく無かった事にしてしまう。

 本当は時間的に、急いで夕飯の準備を始めなくてはいけない頃合だった。
しかし俺はキッチンのドアではなく男部屋へ続く天板を乱暴に開ける。乱暴にでもしないと勢いが続かない。怒ってるわけじゃねえ、許せ。
 はしごを使わずそのまま大きな音を立てて着地した俺にあわせて、いくつかのハンモックが揺れた。
そのハンモックの向こう、丁度部屋の一番奥で自分の荷物を整理しているウソップは、驚いてこちらを振り返る。

「…どうした、何か忘れ物か」
自分の思っていたシナリオと違ったのがよほど意外なのだろう、ウソップの平静を装った表情が僅かに崩れるのを、ハンモック越しにしっかり見た。

「ああ、忘れた」
俺はそれだけ答え、ずんずんとウソップの方へ歩を進める。

 がま口鞄の前でしゃがみ込むウソップと同じく、俺もその鞄の前でしゃがみ込んだ。荷物を整理していた筈のウソップの手は、鞄に突っ込まれたまま止まっていた。

 こんな距離でこいつをまじまじと見るのは初めてかもしれない。
オーバーオールの肩の金具の形状を見ながら、ああそういう形をしていたのかとどうでもいい事を思う。

今この船の中は、俺とこいつの二人きりなのだ。
その事実に気付くと数時間前ナミさんと二人きりだった時よりも心拍数が上がる気がした。
が、それを自分が自覚してしまうとまた事態はこんがらがると予想がついたので、気付かない振りをした。
もう、そんなんはいいんだ。いい加減にしろと思う。

「…てめえ、俺に何か言う事は」
俺は目の前の男に問う。ウソップにもう一度、馬鹿野郎と、言ってほしかったのだ。
まだ怒っていると、まだ、俺のあの言葉を忘れられないでいると、お前のあの言葉で傷付いたと、はっきり言ってほしかった。
でも我ながら、今から謝ろうとしている人間の態度じゃねえよこれはと、自分に呆れた。

「…別に、ねえよ」
そう返ってくるだろうなと分かっていた俺は、さてどうしようと思う。怒るか泣くか、してくれねえかなあと願う。
本当、謝るとか、柄じゃねえんだって。柄じゃねえ事をここまでやってやってんだろ分かれよ。いつも誰より気遣いが上手いくせに、俺には今気を遣ってくれねえのか。
…とんだ調子のいい思考回路が顔を出す。慌ててかぶりを振った。

「俺はお前に言いたい事があるぞ、山のように」
「それ、後じゃ駄目か?今、俺忙しいんだよ」
全く忙しそうに見えないウソップがそう告げる。
これは相当こたえた。はっきり言って傷付いた。ちょっと泣きそうになっちまった。

「駄目だ。今だ。今言いたい事がある」

 ―――俺はこの光景を、後になって思い返す。そして未来の俺は何度も胸を撫で下ろすのだ、この時の自分に。
「自分の気持ちに気付いてなくて、本当に良かったな」と。

 薄暗い部屋、二人きり、こんな距離で。
この時の俺だから、俺は、正気を保ったまま、いつもより煩い己の心臓に対して「うるせえな」と思う余裕があったのだ。
…それは後から分かる事だけど。


「こっち向け」
いつの間にかがま口の中身へ目をやっているウソップに強く言った。ウソップはいう事を聞かないまま「早く言えよ、なんだよ」と面倒くさそうに答えた。

「こっち向かねえなら言わねえ」
「なんだそれ」
ウソップは俯いたまま笑う。でもその笑いは優しさを感じるものでなく「いい加減にしてくれよ」というニュアンスがたっぷり込められたものだった。

「……その笑い方、全然似合わねえ」
「本題を言えよ、忙しいって言ったろ」
「そういう言い方やめろ、お前に似合ってねえんだよ」
「…だからさあ、サンジ」

 溜息を吐きながらやっと俺の方を向いた、まあ睨む為にだったのだろうが、それでもようやく目線を持ち上げてくれたウソップを、俺は真っ直ぐと見つめた。

「クソ悲しくなるからやめろ」

 …。
 何でこんなに傷付いているのだろう俺は。はなはだ疑問だ。
でもしょうがねえ。それよりも、傷ついて意地を張るのに疲れたお陰で、自分の口が思うように動きだした事に喜ぶべきだ。

 違う国の言葉を聞いたかのように、ウソップは「あ?」と聞き返した。
意味を汲み取りたいのではなく反射的に言ってしまったのだろう。

「すげえ傷付くから、やめてくれって言ったんだ」
だってもう実際、俺は情けない事に泣きそうだ。
こいつに冷たくされる事がこんなに応えるなんて思ってもいなかった。

 …やっと分かった。
謝って誤解を解きたかったんじゃない。俺はとにかくこいつに「許してほしかった」んだ、一秒でも早く。

「悪かった。すげぇ嫌な事言った」

今までが嘘のように、するりと出た。
こんな簡単な言葉の為に俺は何日もイライラしていたのかと思うと、怒りを通り越して笑えてくるほどだ。

「…お、お…」
ウソップは「いいよ」と言わない代わりに「許さない」とも言わない。ただ口をモゴモゴさせている。
その様子を「何か可愛いなぁ」と感じる自分に、もう慌てふためかなくたって、いいよな?面倒くせえしさ。

「ごめんなウソップ。思ってねえからあんな事。…本当にごめん」
立て続けに俺の口から放たれる謝罪の言葉にウソップは完全に逃げ場を失ったようだった。
がま口の鞄の中にあった手はいつの間にか、ウソップの頭の方にあった。バンダナの上から乱暴に頭をかいている。

「…なんか…お前、ずるいなぁ」
「そうか、よくわかんねえけどごめん」

 数秒の沈黙が通り過ぎた後、今度は勢い良く笑われた。
びっくりしたが、俺は何も言わず、笑っているウソップの次に紡がれる言葉を待った。その笑顔が、腹が立つようなものじゃなくて、ずっと見たかったいつもの楽しそうなやつだったからだ。

「なんなんだお前は!泣きそうな顔で謝ってきやがって!」

 張り詰めていた何かがぶつんと切れたのか、ウソップは今まで我慢していたのではと思う程たっぷり笑った。
おまけに俺の肩をバシバシ叩いてみせた。さっきまでがま口鞄の中でびくとも動かなかった、拒絶を体現していたかのような、あの手でだ。

「くっそ、仕方ねえ、許してやろう。まさかサンジがこんな奴だったなんてなあ…あ〜笑った」
一体どんな奴と思われたのだろうか。
まあいいや、とりあえず俺の耳には「許してやろう」が一番強くこびりついてしまったので、その疑問は放っておく事にする。

「くっくっく…サンジお前、ずうっと謝れなくてイライラしてたのか?自分が勢いで言っちまった言葉のせいでよお」
「…だったらなんだよクソっ鼻」

 まだ笑いを抑えられない様子のウソップが容易に答えを当ててみせるので、狙撃手とはこういうところでも的当てが得意なのだろうかと考えながら素直に認める。
するとまた笑い声が大きくなる。

「たっはっはっは!なんだそれお前!めんどくせえええ!あははは!」

 何がそんなに可笑しいのか分からないまま、段々と馬鹿にされているような気がしてきたので睨んでやった。しかし、すっかりいつもの様子に戻った目の前の男は、先ほどまでバシバシ乱暴に肩を叩いていた手を、今度は俺の頭に移動させた。

「くっそー、してやられた。可愛い奴め」

とびきり優しい顔で、クソ穏やかな手つきで髪の毛を撫でられ、そんな事を言われたもんだから…いよいよ俺は、自分の気持ちに直面する羽目になる。

 よくもまあここまで、自覚しないでいられたなと感心する。
それは意地のせいもあっただろうし、恥ずかしさもあっただろうし、認めてしまった後どうすればいいか分からないという不安のせいでもあっただろう。
でももう、無理だ。畜生無理だ。
可愛いのはてめえだクソ野郎。

 …このままでいたいと思う。
がま口鞄一つ分の距離で、二人きり、とびきりの笑顔を見ながらこのまま。

しかし俺の願いも虚しく、他の仲間が帰ってくる足音がドタドタとそこら中に響くのだった。

「ルフィあんた本当に金輪際食い逃げなんて考えないことね!百歩譲ってしてもいいわ、だけど絶対に私を巻き込まないで!」
「ルフィがナミ探せって言うから何かと思ったぞ俺…もうヘロヘロだ、疲れた…」
「いや〜あのおっさん、面白かったなあ!俺と一緒にナミに土下座してたしよお」
「あんたも万年無一文で腹立つわ!頼りにならないわね!賞金狩りして稼いだ金を酒に使わないで私に預けなさいよ!」
「預けたら帰ってこねえだろうが」

 ナミさんは随分ヒステリックなご様子だ。
恐らくこの後俺の元にも烈火のごとく降るだろう。ぶるりと肩が震える。

「なあサンジ」
ウソップは俺の頭から手をどけると「飯の準備してんのか?」と聞いた。
「…やべえ!」

 俺は急いで立ち上がる。
調理どころか下ごしらえも何もしていない。
先刻までの甘くてくすぐったい、夢の中を漂うような気持ちを端へ押しやり、急いで思考を日常へ戻した。
はしごを登ろうと足をかけたら、そこでウソップが後ろから声をかけてきた。

「今回は許すが!次はねえと思え!同じ手には乗らねえからな!」
振り返れば、台詞の内容の割には楽しそうに、どこか悪戯っぽく笑うウソップの笑顔がそこにあった。

「お前にあんな事言われて俺様は大いに傷付いた!今後は気をつけるように!」
「…傷付いたのか?」
「ったりめえだ。ちょっと泣いたんだぞあの後」
「……マジ?」
「大マジだ馬鹿たれ」
「…」

 片足をはしごにかけたまま俺は止まる。戸惑っているからだ。
泣かせるほど傷つけてしまったという後悔よりも、俺の言葉でウソップの感情をそこまで動かす事ができるのだ、という優越感が勝ってしまったから。

 にやける口元を気付かれないよう俯いていたら、ウソップは慌てて「まあ、あれだ、うん」と続けた。
「本心じゃねえんだろ、あれは。うん、ならいい。それで充分だ」

言葉通り本当にウソップはそう思っているようだった。
それだけで充分と思ってしまうウソップの器のでかさに、その我が侭一つ言いそうにない優しさに、ちょっと物足りなさを感じる俺がどこかにいたが。
 許してもらっただけ、今は充分だと、俺もウソップを見習って思う事にした。

「泣きたくなったら俺のところに来いっつった本人に泣かされるしよ。どうしようかと思ったぜ。参った参った」
最後にそれだけ言って、物語が無事に終わったかのように安心して息を吐く。
せめてもの思いで俺に文句を言ったつもりなのだろうが、ウソップのその台詞は全然文句に聞こえなかった。

何故か俺は嬉しさを噛み殺すのでやっとだ。
ウソップの、どうしようもなくなった時の「拠り所」に、俺はなりかけていたのかもしれない。

「もう、絶対泣かさねえ」
「…お前は…ちょいちょい、女に使う用の言葉を俺で練習するよな…」
「次からは胸も貸してやる。だから…ちゃんと俺のところに来いよ」
 …泣きたくなったら、を付け加えなかったのは、意図的だった。
自分の台詞を音で聞いて、改めて心臓が鳴る。その台詞は、いつか俺がウソップに違う意味で告げてしまうだろう台詞と…音だけなら、丸被りだ。

 ウソップは予想通りケラケラと楽しそうに笑い「おう!胸あけて待っとけ!」と、冗談と分かっていても嬉しい答えを返してくれた。



 天板から頭を出したら、ナミさんがにっこり笑って俺を待っていた。

「サンジくん?私あの後捕まっちゃったのよ〜ルフィに。これって誰のせいなのかしら」
青筋を立てるナミさんに胸倉を掴まれる。
それを楽しそうにルフィとウソップが横から眺めていた。

 冷や汗をかきながらも、俺は違う事を考える。

 ああ早く飯の支度をしねえと。
そういえば飯の準備を忘れるなんてコック人生初めてだなあ。

全くもって信じられない事ばかり起こる。
欲しかったものは、認めたくなかったものは、いつから俺の中でくすぶっていたのだろう。

 信じたくもねえが、それはいとも簡単に俺を慌てさせた。泣きそうにも、幸せにもさせるのだ。俺が俺を操縦するよりも滑らかに。
 何でそれを、許そうと思ってしまうかなあ、今日の俺は。
…無理もねえか、だって。



 今日は、お前を好きだと気付いてしまった、偉大な日だ。





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