父の日なので
( 2015/06/22 00:27 )

こんばんは。
もう久しぶりって言葉を禁止にした方がいいくらい使ってますが、お久しぶりでございます。

さて、日が変わりましたが、父の日ということで、毎年のことですがちょっとだけ贅沢な夕飯を作りました。
デザートのロールケーキと日本酒(かんしゃ)のオプション付です。
大変喜んでいただけました。歳の所為か、ちょっと潤んでました(笑)

さて、今回は珍しく…というか、ネットでは初めて(かな?)私の父親について語りたいと思います。
ちょっとだけ暗くなるかもしれませんので、苦手な方はブラウザバックで引き返してください。










私の父親は、割とどこにでもいる田舎育ちの九州男児です。
ただ、後天的な身体障害者でもあります。

父には、右腕のひじから先がありません。

父の家系は代々漁師で、父も父の兄も漁師の仕事を継ぐために、幼い頃から漁の手伝いをしていました。
しかし、中学3年のある日、父は船の上で右腕を網に引っかけてしまい、そのまま網を巻き取る機械に右腕を巻き込まれてしまいました。
切断するしかない…そう診断された時、父はどういう気持ちだったのでしょうか。
結果、父は漁師の道を諦めざるを得ず、一浪を経て高校・大学へ進学することになりました。
そして、現在までずっと車の販売店に勤めています。

元々利き手では無い左手で何でもしなければなりませんから、苦労したと思います。
字は汚いし、カメラはよくボケます。
背中も一部洗えないから、家族の誰かが必ず背中を流します。
お店でステーキが出てもナイフとフォークが使えないから、これまた家族の誰かが一口大に切り分けます。
キャッチボールなんてしたことがありません。
でも、相撲は取ってくれました。
車で色々なところに連れて行ってくれました。
片手でも抱っこや肩車をしてくれました。

そんな父だからこそ、私は、たまに右手の不自由を忘れてしまうことがあります。

小学1年の父の日、いつもがんばっているで賞…という賞状を書きました。
渡すとき、私は迂闊にも「ちゃんと両手で貰ってくださいね」と言ってしまいました。
習ったばかりのことを無意識に言ってしまい、ハッと気付きましたが、父の顔が見れませんでした。
しかし、父は「ありがとう」と言って、左手に短い右手を添えて賞状を受け取ってくれました。
あの時の父の笑顔が父の優しさであると共に、私には父を傷つけたという苦い思い出になってしまいました。

小学生の頃は「私のお父さん、片手だけどこんなことも出来るんだよ」といった感じで友達に自慢することが多々ありました。
しかし、小学5年の時、「私のお父さん」という作文で担任の先生から呼び出しを受けました。
「授業参観の時に作文を教室の後ろに貼るんだけど、これ貼って大丈夫かな?」
私の書いた作文は、父の右腕のことに触れていました。
別にそれを悪く言っているわけではありませんでしたが、その時に初めて考えさせられました。
「私が父の右腕について話すことを父はどう思っているのだろう?」
「子供ではなく、大人が父のことを知ったら、父はどういう目で見られるのだろう?」
作文は外してもらいました。
後日、授業参観に来ていた母に後で尋ねられ、涙ながらに理由を話したことを覚えています。

それから、友人に対してもあまり父の右腕について話さなくなりました。

別に父が障害者であることが嫌なわけではありません。
そのことについて話したくないわけでもありません。

ただ、父は右手の不自由を己の弱さにしていません。
だから、私は敢えて人に話す必要はないのだと思っています。

父は強い人です。優しい人です。
普段は、性格が似ているからかよく衝突しますが、とても感謝しています。
父を支えている母も尊敬しています。

きっと、あの事故が無かったら、父の人生は変わり、母とも結婚していなかったかもしれません。
そうしたら、私と兄も生まれていなかったかもしれませんね。

父の障害に感謝するわけではありませんが、父の障害があってこそ私の家族の形があるのだと思います。


長々とすみません。
ずっと溜まっていた「私のお父さん」を吐き出したかったんです^^

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