ただ、知りたいんです。







「ちょっ、ま、待ってってばー!!名前ちゃんやめてよー!!」



『待ちません。そしてやめません君がある程度仕事をこなせるまで。』




「お、お願いだから手裏剣を投げるのをやめてぇぇぇぇぇ!!」











今日も今日とて、遠くからどたばたと騒がしい追いかけっこが始まっていた。



事務員である小松田さんの悲鳴を耳にしながら、「あぁ、またか」

なんて、悠長なことを考えながらお茶をすすった。






「・・・小松田さん。また何かミスしたみたいだな・・・・」







僕の隣で同じくお茶をすすっていた留三郎は苦虫を噛み潰したような表情をうかべる。





「あはは、・・・新しい事務員さんがはいってから毎日これだもんね。」

















そう、ことの始まりは今から一ヶ月ほどさかのぼる。




小松田さんのほかにもう一人、事務員さんが新しくこの学園に来た。


確か苗字とか言う名前だったと思う。


僕はまだ話したこともないし、遠めにしか見たことがないのだけれど、


怒ると恐ろしく怖い女性なのだと小平太が言っていた。



怒ればみんな怖いのはあたりまえだと思うのだけれどなぁ・・・


そんなことをこぼすと、「いさっくんは何もわかってない!!。」

と小平太に怒鳴られたのはまだ記憶に新しい。




まぁ、つまりは新しい事務員さんは小松田さんの仕事の出来なさに



毎日ああして説教をしているのだ。



「伊作、あれは説教とは言わない。アレは狩と言う。」



確か仙蔵はそんなことを言ってた気もする。





最初こそ驚きはしたものの、あの事務員さんが来て、早一ヶ月近くになるのだ。


小松田さんにとっては命がけの鬼ごっこも


僕たちにとってはいつもの鬼ごっこがまた始まった・・・


という認識程度にしかならなくなった。









小さく苦笑いを浮かべてから、僕はもう一度お茶をすすった。












「・・・あ、静かになった。」





ふいに、留三郎が小さくつぶやいた。


確かに、今まであんなに騒がしかったのに。


いまは小鳥のさえずりさえ聞こえてくるほど静かになった。




かわりに、ズルズルと何かを引きずるような小さな音が

こっちに向かってきているのが分かった。








『おや、食満君に善法寺伊作君じゃないか。』






外を見渡すようにあけていた部屋の障子から姿を見せたのは

小松田さんをズルズルと廊下で引きずりながら歩く新しい事務員さんだった。



おそらく走っていて廊下でころんだのだろう。

小松田さんのおでこには大きなたんこぶが出来ていた。




「こんにちは苗字さん。今日もいそがしそうですね。」



留三郎は苦笑い気味に彼女にそうこぼした。



『まったくだよ。彼の頭にはいったい何がつまっているのか見てみたいもんだ。』




しれっと、真顔でそんなことを言ってみせる彼女は本当にやってしまいそうだから恐ろしい・・・



少し、小平太が顔を青くして怒鳴った理由が分かった気がした。







『それにしても伊作君。いやー久しぶりだね。君に会いたかったんだよ。』



『忙しくてなかなか会いにいけなかったんだ。』彼女はそう言って小さく微笑んだ。




「え、」




彼女の表情とは対照的に、僕は一瞬口元を引きつらせた。




「おい、伊作。苗字さんと知り合いだったのか?」




『ずいぶんと大きくなったね〜見違えたよ。』嬉しそうに口をひらく彼女、苗字の様子を見て

留三郎は首をかしげた。











だけど、



正直僕も首を傾げたかった。




「えっ、えと・・・・」




しどろもどろになり、あいまいに意味もなく声を漏らすと

留三郎はいっそう首をかしげた。






僕は彼女と話したことがないと思っていたのだけれど

違っていたのだろうか?




いや、彼女の口ぶりからして僕が彼女に会ったのはずいぶんと昔のようだ。






どうしよう、まるで記憶になかった。



自分は昔彼女のような人物にあったことがあるだろうか?



どれだけ記憶の引き出しを探ってみても答えはでない。


困ったな・・・




僕はポリポリと、気まずげに頬をかいた。



「あの、僕たちどこかで会ったことありましたっけ・・・・?」








『おやまぁ・・・・』








どこか聞き覚えのある、そんな呟きが彼女の口先からとびだした。









面食らったように、そのままピクリとも動かなくなった苗字さんに、僕は焦ったように留三郎に目線を合わせた。




『・・・まぁ、君はまだ十にも満たないくらいに幼かったからね・・・覚えてないのも無理ないか・・・』




そう小さめにつぶやいた苗字さんは、『変なことを言ってすまなかったね。』

と、再び小松田さんを引きずったまま歩いていった。





「・・・伊作・・・・。」



苦笑いを浮べる留三郎。





僕は、ただ廊下の先を歩いていった彼女の後姿を呆然と見ていた。




彼女の、酷く悲しそうな笑みが頭から離れなかった。
















あれから数日、例のごとく僕は四年い組み『天才トラパー』こと綾部喜八郎の蛸壺に、まんまとはまってしまっていた。





そこだけ切り取られたように見える青い空を遠くに見上げ、息を吐いた。


今回はまぁなんとも深い蛸壺だ。



つくづく働くことをやめない僕の不運に小さく頭を抱えた。



すると、ヒョコリ





と、穴を覗き込むような人影が一つ。




『おや』




第一声はいつもの人物と酷似していたが

風貌はまるで違う。


新しい事務員さん。苗字名前さんだった。





彼女のあの顔をいまだに忘れられないでいる僕は少し気まずげに視線をそらした。




『綾部君もこまったものだね。いま縄梯子を持ってくるよ。』


表情ひとつ変えずにそう言った苗字さんを

僕は慌てて呼び止めた。




「待って!・・・ください!。」




『何だい?』


無表情ではあるが、しっかりと首を傾げて見せた彼女に僕は続けて口をひらいた。




「あの、この前はごめんなさい。・・・僕、あなたのこと・・・」




『かまわないよ。この前も言っただろ?君は幼かったんだ。覚えてなくて当たり前だよ。』




「でも・・・・」




あんなにも悲しそうに、寂しそうな顔のあなたが


頭から離れないんです。




今だってホラ、顔にはでていないけれど


彼女はやっぱり傷ついているのかもしれない。




だから、






「あなたが、僕のことを知っているのに、僕があなたのことを知らないのは・・・とても、寂しいことだと思うから、」




少し目頭が熱くなるのがわかった。



かのじょのことを思うと胸が締め付けられるように痛んだ。


僕が忘れているその記憶は、彼女にとってとても大切だったものかもしれないのに・・・





「だから、僕に、あなたの・・・苗字名前さんのこと、もっと教えてください!。」








苗字さんは一瞬、目を丸くしてから


ゆっくり、



とても綺麗な笑みを浮べた。












『それは、告白と受け取ってもいいのかい?』














「ち、ちがいますよ!!」
















だ、知りたいんです。


(ただそれだけ。今は・・・・ね?)

[ 2/4 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -