毒とプライド (sirius ALL) 裏




いつも通りの夜。

その日は、ハヤテさんが不寝番だった。

短いシャワーを済ませ、寝る前に食堂に寄ってナギさんからコーヒーを貰う。

毎夜の日課。

丁度同じようにコーヒーを飲んでいたシンさんにもおやすみなさい、と挨拶をして、寝床として借りている医務室へ向かう。

いつも通りの、夜。

サイドテーブルにコーヒーを置いた丁度その時、カンカンカーン!と突然鐘が鳴り響き、すぐさまバタバタと船室を行き交う複数の足音。

「贔屓っ!敵船だ!ちゃんと隠れてろよっ!!」

慌ただしく捲し立て、狭いベッドの下に潜り込む私を確認してからカーテンを引いて端を止め金にかけると、ナギさんはドアを閉めて甲板へ向かった。

いつも通りの夜だった。

大丈夫。

ハヤテさんは目がいいから、きっと遠くの敵船を見付けたはず。相手が甲板に上がってくる前に迎え撃つ体勢に入れたはず。

きっとみんな大丈夫。

きっといつも通り... 

ドキドキする胸を宥めるように、震える手で服の胸元をギュッと握りしめて丸くなった、その時。

ギィィ...ガタ...

窓から!息を潜めて、そんなことをしたって自分が消える訳じゃないのについ目を瞑る。

「こーこーかーなー?」

ベッドの上を渡る音に押し潰されそうな錯覚を覚えて息苦しくなる。

ガタ...ギシッ、ギシッ...タンッ

「イヒヒッヒービンゴー!こーんなところにカワイイ子猫ちゃんはっけーん!」

見付かった!

目を開けると、ニタニタしながら間延びした言葉を吐き出す男。ひょろっとしてるけど、ベッドの下を覗くためにうんと屈めた体から、その背の高さが窺える。

ヤバい。コレはヤバいでしょ。

コイツはイっちゃってる。目が血走ってるもん。

... 怖いって!

ガタガタ震えながらも、なるべく長くここに居られるように、出来るだけ小さくなってベッドの脚を掴む。

しかし男は物凄い力で片足首を引っ張って、ベッドの下から引きずり出した。

「くっ...」

「んーお嬢ちゃん海賊ぅ?それともこの船の娼婦ー?どっちかなー」

足が竦んで動けないけど、ガタガタ震えたまんまだけど、またみんなに迷惑かけるのが申し訳なくて情けなくて、とにかく私は精一杯男を睨んだ。

「アハハー、なにそれぇ。睨んでるつもりぃ?ヒヒヒー」

悔しい!

悔しい悔しい悔しい!!

護身用に持たされていた短剣を一本太股から抜いて、うまく力の入らない手で、男の足に目一杯突き刺した。

「は?んーまーこんじょーだけは認める、かなー」

男は痛くも痒くもないといった態で、脹ら脛に刺さったナイフを引き抜いてシュッと投げ、ストンと壁に突き立ったナイフを一瞥すると、こっちに向き直った。

「そんなカワイコちゃんに、ぷぷプレゼントー!」

しゃがみこむと、左手に持った狩猟剣のような鉈を私の首筋にグ、と当てる。鎖骨に伝わる自分の生暖かい血の感触に、ブルッと震えた。

それからニィーッと口角を上げたかと思うと、サッと懐に右手を潜らせ、ゴソゴソと何かをまさぐってから滑るように抜き出した拳には、注、射器...

「な... に... 」

器用に針先のキャップを飛ばして、親指でピストンを軽く下げる、手慣れた仕草。

針の先から少しだけ液体が飛び出す。

いや... 

「ぃやっ!!」

「むーだ」

「ヒ、────ッ...!」

ズルズルと這うように後ろ手で下がると、また首筋から新しく血が流れた。それに気を取られている隙に、体内に冷たい液体を入れられた。

「かんりょー」

痺れるように重くなる手足。座り込んだままの腰からは力が抜けて、支えを失くした上半身は糸の切れた糸繰り人形のようにドサッと横倒しになった。視線の先にははためくカーテン。

「さぁいこー。よっ、と。かっるいねー!」

イカレ男はまず私を窓から出して自分も続いた。それから荷物みたいに肩に担いで、側に括ってあった小舟にひょいと飛び乗ると、らしからぬ丁寧な仕草で横たわらせ、慣れた様子で櫂を漕ぎ始めた。

ぐんぐん遠くなるシリウス号。

去り際、甲板からは沢山の怒号と剣の交わる音、銃声と砲声が聞こえた。随分大勢で押し掛けてきたらしい。敵の船が見えないということは、船に連れて行くつもりがないということか。

私は、鼻唄混じりに櫂を漕ぐ男をチラリと見て、指先を動かしてみた。

僅かなら、自分の意思で動かせるらしい。意識して力を込めるとピク、ピク、と指先や手首、肘も動く。脚も同じ。ただ、それは申し訳程度でしかなくて、時間をかけて丸めた拳に物を掴む握力がないことは明白だった。

意識もあるし、呼吸も出来る。少し動悸がするけれど、苦しいほどではない。

覚醒剤とかの類いじゃなさそうなことがせめてもの救い。ああでもこの後はどうか分からないか。どうなるか。

月明かりのせいか薬のせいか、なんとなく眩しい気がする。ぼやけてはいないものの些か焦点の合わない視界は、あまり気持ちの良いものではない。

でも可能な限りことの成り行きを見ていたくて、閉じたがる瞼を必死に開けた。

「気丈だねぇ。諦めちゃえば?」

「うる、さいっ」

喋り辛いけど、なんとか声も出せる。

「そぉ?だけど言ったでしょー、ムダだってぇ。ボク、あの船襲ってる奴らとはムカンケーだからさーイヒヒ」

え...無関係?

一瞬にして頭が真っ白になった。

「いいねぇそのぜつぼーてきな顔ー」

そう言えば前に船長が言ってた。

襲撃に紛れ込んでお宝を盗む姑息な集団がいるって。コイツは短絡的に、宝を盗むよりすぐ見付けられた女を売るほうが手っ取り早いとでも思ったのかな。

海軍は勿論、海賊からも忌み嫌われているらしいその集団は、掟も仲間意識も何もなく、無法地帯に根付いた犯罪組織に属していて、ありとあらゆる裏のルートに精通しているとか。

海軍よりも厄介な連中だな、と苦々しく笑った船長の顔が脳裏に浮かぶ。

コイツが今シリウスに乗り込んでいる奴らの仲間じゃないなら、どんなにみんなが一生懸命探してくれたとしても、私の行方なんて分からないだろう。

ああ、でももうこれで、みんなの足枷にならずに済む。

頭の片隅にふとそんな考えが過った。

私なんかが居なくなったことで、優しい彼らが自分を責めなければいいんだけど。そうだな、どうせなら早く忘れて欲しい。贔屓はあの混乱の最中に自分の意思で船から逃げ出した、そう思ってくれるといい。ああそれは無理か。なんらかの痕跡は残ってんだろうなぁ。私はいつも足を引っ張って、守られてばかりで、なんの取り柄もない、大きなお荷物...






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