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フラーテル広報日記7
"RE"birth"!覚醒の2012"
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2011年12月23日(金)14:28

相撲のことを考えていた

毎年初場所があるはずだけど多分来年もないだろうな。

相撲、相撲自体は好きじゃないけど相撲を取り巻く文化は好きだ、興味がある。

相撲甚句なんかは大好きで昔よく教えて貰った。
この前相撲賭博で逮捕された春日錦などは本当に甚句が上手くて。

相撲甚句は歌です。

地方巡業の時に歌うらしい。ていうことは東京の両国国技館でやるときは歌わないのか?そんなことはないよね?断髪式や結婚式や襲名披露でも歌うよね?


山車が回るときも甚句があり、あれも大好き。
日本に今も残る究極のアカペラだ。
五七五の俳諧にも通じるところがあり、なかなか聞く機会がないだけに、楽しみにしていました。

もう万歳(三河漫才)も来なくなって久しいな。正月になると家々を巡っておめでたい歌を歌って歩く。
大抵は二人組のおじさんで、恵比寿大黒みたいな服を着てやってくる。
衰退した最大の原因は第二次世界対戦で後継者となる若手をほとんど失ってしまったこと。

数年前取材したとき、これを保存しようと三河地区では小学生が何人か後継者として勉強中だと聞いたが、あれからどうなったのかな。

私は子供時代そとで遊べないことが多かったから、じいちゃんばあちゃんと過ごした時間が結構あった。

時代劇、神社仏閣、城、山車に相撲、歌舞伎、さらには御座敷小唄も歌える(笑)みんなじいちゃんばあちゃんの影響だ。

亡きひいじいちゃんが若い頃に、村の代表に選ばれて伊勢代参に行った話などをじいちゃんが話してくれたときは
本当にワクワクして続きを早く聞きたさに早起きしたこともある!

うちのじいちゃんは笛が上手くて、祭りのときなどは密かに誇らしかった。

伊勢湾台風のとき、近所の独り暮らしの年寄りを捕まえて担いで屋根裏に上げたとか
神社の神木に落雷して一夜にして森が灰になった話、戦争の時に疎開した&させた話、
一番泣いたのは戦争で南方戦線に行った話かな、じいちゃんは長い間かかって死んだ戦友の遺品を届けて回っていた。
あの頃はそれをどんな気持ちでやっていたかなんて考えもしていなくて。


ひいじいちゃんやひいばあちゃんは私の生まれる前に死んでしまった人だけど
じいちゃんばあちゃんからいろんな話を聞いていたからまるで会ったことがある人みたいに感じる。

いま、私はもう、いい大人で、じいちゃんばあちゃんは父方母方四人ともあの世に行ってしまった。

もう昔話をしてくれる人もいないしお年玉も貰えない。
餅つきもなくなった大晦日、年が明けても三河漫才も来ない。


相撲甚句も危なくなってきたな〜。
水戸黄門の最終回が終わり、再放送を除き時代劇のレギュラー番組は地球上から絶滅したし。

私の頭ん中は明治と大正と昭和と平成の文化がごちゃ混ぜに詰まっているから
余計に喪失感も大きくて寂しさを感じるのかな、うん。


世の中の変化によっていろんなものが失われていく。

でもうちらは携帯とパソコンと新幹線と飛行機を手に入れた。

きっとそういうことなんだろう。













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