2011年12月19日(月)21:39
2011年が終わった。
今日はゆっくり起きた。
うん、気分はまずまずだ!
昨夜はOBも来てくれて久しぶりに会って本当に楽しかった。
この日まで飲むまいと思って人生初の禁酒を今年の5月、日本リーグの初戦の日に決断し、その日を迎えた。
で、飲んじゃったわけですが!(笑)
負けた試合について語るのはフラーテルらしくないのだ、多分。
試合が終わって表彰式が始まったとき、あーこれ見たことがある、と思った。
四年前、五輪予選を控えた全日本選手権で私たちは天理大学に敗れた。
「間もなく北京五輪予選だというのに日本代表が学生に負けるとはなんたるだらしなさだ!」
あの日スピーカーから流れてきたその厳しい叱咤の言葉を聞いたとき、本当に辛かった。
応援団も泣いていた。
4年が過ぎ、そして今回
また五輪予選の前の全日本選手権、同じスタジアム。
国内最後の公式戦、年明けて次の公式戦はもう五輪予選の初戦になるのだ。
勝たせてあげたかった、本当に。
また4年前のような厳しいお叱りを表彰式で受けることを誰も望んでいなかっただろうから。
でも負けて、やはり同じように厳しいお叱りを受けました。
だからこの試合だけは勝たせてあげたかったな。
いろんな意味で。
全国から応援に来てくれた皆さんがこう言う。
「自分が来ると負けるから、大事な試合には来ない方がいいでしょうか?」
違います違います(苦笑)
殆どの大会でフラーテルは決勝進出を果たしており、単純計算で言えば年間4回の決勝戦を戦っていることになる。
4回の決勝戦、全て勝てば4冠だ。日本リーグ、国体、社会人選手権、全日本選手権の4冠。
この4冠達成こそ、まさしくフラーテル唯一最大のチーム目標なのです。
しかしこの目標を達成できたのはフラーテル最初の1年目だけで、以降5年間は3冠ないしは2冠に甘んじています。
選手も殆どが4冠経験がない顔ぶれに変わった。
4冠を知る最後の代はカユ(粥川)、勇太(福代)、タカ(高瀬)。
これ以降に入部した選手は4冠を知らない。
今年も終わりかー
タイトルは2冠に終わって、今年は一層厳しい結果になった。
山口国体以外、残りの3大会全ての決勝戦は岐阜県グリーンスタジアムでの開催。
(名古屋に近いけど、決してホームじゃない。寧ろシビアなアウェイだ。)
フラーテルはまだ6年生だ。私も6年生。
たくさんの選手が卒業していった。選手だけでなく監督も。
ふあ〜眠い。
OBとしか話せない話題も時にはあるさっ!
ありがとうびっちゃん!ありがとう克!
また会いましょう。
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