イギリからの話を聞き終えたカナは、先ほどまであの異空間の出口を探していた。他人の術と知りながらも、可能性の低さを理解しながらも、全てを聞いては到底動かずにはいられなかったのだ。
だが今、カナはあっさりと外に吐き出され、この橋を支える巨大な柱の上にいる。隣にはマダラ、そしてイギリ。イギリはダンゾウの姿を目に捉え、憎悪を沸々と煮えたぎらせているようだったが、それよりもカナはマダラを睨んだ。
「私に眠るとかいう"神鳥"だけじゃなく......戦闘にまで利用する気ですか?」
「......イギリに聞いたようだな。安心しろ、神鳥は尾獣じゃないからな。抜いたところでお前が死ぬことはない」
「そういう問題じゃない。アナタは最初から、」
だが会話はそこで途絶えさせられる。フー、トルネが柱の上に跳び上がり、割って入るようにクナイを振りかざしたのだ。
マダラは悠々と後ろに避け、カナもかわしつつイギリの腕を取って柱から飛び降りる。上でマダラと護衛二人の戦いが始まったようだが、下に降りた二人はもう見ることができなくなった。
その代わり、柱の下にいたダンゾウと今、真っ正面から面を付き合わせていた。
イギリは腕を掴むカナの手を振り払い、一歩前に進む。
「アンタのその姿、忘れもしない......!」
ダンゾウはちらりとイギリの表情を見たが、顔色一つ変えることはなく、淡々と腕の封を外しているだけだ。その憎たらしい老爺の顔を見るイギリのその脳裏には、過去の光景が甦っていた。
結界忍術と封印術に長けた、渦木一族が住む"露隠れ"。その里はある日突然多数の忍の襲撃を受け、火の海に包まれた。数時間後、後に残ったのは焼き崩れた家々の残骸。一度踏み込まれてしまえば、戦闘に長けないこの一族が生き残るすべは無かったのである。
しかしイギリはその日、たまたま両親に連れられ里を出ていたために難を逃れたのだ。
「あの日の夕方、里に戻ろうとしたオレたちはすぐに異変に気付いた。普段強固に張られているはずの結界が全て解かれていたからだ。そして強い煙の匂い.....オレたちは慎重に里に近づき、そこで.....お前ら木ノ葉を見た!」
「......さすが、結界術に長ける一族なだけはある。見られていたことに気付かなかったとは」
あの日、何本もの連なる煙を吐き出していた里。そこから出てきたいくつかの人影には、共通の特徴があった。
彼らが被っていた動物の顔を模した面は、木ノ葉の暗部の印。そしてその先頭を歩いていたのが、今イギリの目の前に立つこの男。その時まで顔を隠していた面を取り、露になった顔をイギリは忘れたことがない。
「アンタら木ノ葉の暗部が話していた内容もずっとこの耳に残ってる......!」
『風羽の掟とやら、うまく利用できましたね。千手に反感を抱いた一族だった渦木をようやく消すことができた』
『うむ。長・オシドリの代わりにやって来た甲斐もあったというものだ。甘っちょろいことばかり言うあのジジイと一族にだけ任せていたらまた何年経ったことやら......やっとずっと存在していた危険分子を取り除けた』
どこの国・里にも属さなかった風羽一族の掟。少数一族ゆえの外部からの干渉を危惧し、必要以上に外部と接触を取ることを許さずとしたルール。その項目の存在が風羽に渦木を殺させたのは確かだ。だが、何よりの要因は、木ノ葉からの圧力にあったのだ。
『ルールを破った風羽一族の一人を、利用しない手はなかったからな』
無感情に言っていたダンゾウの顔を、イギリはずっとその胸に残していた。
話を聞いたカナは目を見開いてイギリと同じくダンゾウを睨みつける。その腕を覆っていた輪状の封が今一つ解け、ゴトリと重い音をたてて下に落ちた。
「渦木の生き残り......か。逃していたとは失敗だった。貴様らの能力は敵にいれば厄介だったから消したのだが」
「もしこんな機会があるなら、と思っていた!今は亡き父も母も、最期までお前を恨んでいた!」
「それは良いことを聞いた。つまり渦木は最早お前一人というわけだ」
「お前......!!」
この期に及んで憎まれ口を叩くダンゾウにイギリはわなわなと震える。だがやはりダンゾウは一つの乱れもなく、平常心で封を解く手を止めない。
「戦闘力にならない貴様などに睨まれても怖くはない。本当に怖いのは、結界封印もでき戦闘力もある混血のほうだった」
「......!北波を知ってるのか!」
「知ってるも何も......」
ダンゾウの目がちらりとカナを見る。「あのガキは風羽が引き取っただろう」と続け、「それに」と更に今も戦闘音がする柱の上を見上げる。
「"暁"にいたはずではなかったか?」
「!?」
「北波兄さんが......!?」
「......風羽カナ、貴様が知らぬはずはないがな......まあいい。風羽が責任持って預かると言うから殺さずにおいたのに、逃しおってからに。貴様も貴様だ、"神人"という身分で里抜けしおって」
ゴトリ、とまた一つ封が解け、それでダンゾウの腕は解放された。後はただその腕に包帯が巻いてあるだけだ。ダンゾウの目がやっとしっかりカナとイギリに向けられた。
北波の件は気になるが、今は目の前のこの人物だ。それを伝える意でカナは「イギリさん」と声をかける。分かってる、と返ってくる声は早かった。
イギリの手は素早く印を組み、バンッと橋に手を突いていた。
「結界術 包囲式!」
その声と共に、手をついた位置を軸に一気に結界が広がる。この大きな橋一帯が覆われ、ダンゾウはそれを見上げて「出入りを不自由にさせる術か」と呟いた。イギリはその顔を睨む。
「確かにオレに戦闘力はない。オレがアンタを倒せるだなんて自惚れちゃいない。だが、このオレの渦木の血に誓って、アンタはここから絶対に逃がさない!!」
「フン......誰が逃げるものか。木ノ葉に対する危険因子は、今この場で全て消す!!」
その瞬間、ダンゾウは踏み込んで前に出た。
向かう先はイギリ、イギリがその速度に対処するすべはない。だが、その横にいるカナがそれを許すはずもなく、ダンゾウを抑える形でその拳を受け止めた。ダンゾウの目が鬱陶しそうに細められる。
「貴様は里抜けしたとはいえ、木ノ葉を思っていたと聞いたがな、"神人"......」
「......今の私には何かを判断する材料がない。だから私にはアナタを殺す理由はなくても、正当な理由で恨んでるイギリさんが殺されるのだって見てられない」
「たわけが。全ては木ノ葉の為になることだった」
暗部の"根"。長年ずっと木ノ葉を裏から支えてきた男は、自らの正義で刃を振るう。
「渦木抹殺も。木ノ葉崩しも。その他全ての汚い仕事も───うちは殺しも!!」
カナは目を見開く。そして、その直後だった。
千もの鳥が一斉に鳴く。
悲鳴を上げた鳥たちは、雷の一閃となって、ダンゾウとカナの間を突っ切った。
「!!」
カナもダンゾウも瞬時に後方に下がり、そしてその出所に目を向けた。
マダラの作る渦が消えていく。そこから抜け出した少年が今、赤の瞳を光らせ、その場に立っていた。
ーーー第六十一話 刃の先
「うちはサスケか......」
ダンゾウが呟く。現れたのはサスケ、そして香燐だった。たった今この場に吐き出されたサスケは、ただただダンゾウを睨みつけている。
既にフーとトルネを片付け、平然とそこにいるマダラはカナに目配せし、橋の始めにかかる鳥居を象ったような柱の上へと飛び退く。その視線の意味にカナは気付いたが、しかしすぐには動かなかった。唾をごくりと呑み込んで、サスケに目を向ける。
「......サスケさん」
「お前らは退け。これはオレの戦いだ」
だがもう何度目のやり取りになるか、サスケはカナの言葉を聞こうとはしない。カナは唇を噛んで俯く。
だが、イギリはサスケの意に反する形で横に首を振る。
「お前の戦いの邪魔はしない。オレはただ結界を張っておくだけだ。それに、なるべく近くで......ソイツの最期を見たい」
「......勝手にしろ。介入はするな」
サスケはそれでもダンゾウに目が釘付けのままだ。
香燐は柱の陰に隠れている。それ以上言えることもなく、カナは目を伏せ、それからタンッと跳んでマダラの横に着地した。その位置は十分に警戒した距離を保っている。
マダラに色々言いたいことはある。だが今は何より、サスケだ。
サスケは憎しみの籠った写輪眼で、ダンゾウはその片目で、互いを見据えている。「ちょうどいい」と先に口を動かしたのはダンゾウだった。
「お前たちの写輪眼も、頂くとしよう」
サスケがそれに眉根を寄せた瞬間、両目の写輪眼は見開かれた。
ダンゾウがその右手に巻いていた包帯を取ると、異様な腕が全て露になったのだ。その、いくつもの写輪眼を埋め込んでいる腕が。誰もが息を呑み、サスケの目には更なる激情が滲み出た。
「その右腕の眼はどうした......!」
「色々あってな。話すと長い」
「......理由を聞いたところで、更に怒りが増すだけだ。もういい、お前は殺すと決めている......その前に聞いておきたいことが一つある」
底冷えするような声がその口から出る。第二の復讐に走り始めた時から、脳裏にずっと居座り続けている兄の作られた無表情が、サスケにそうさせた。
「お前を含む木ノ葉上層部の命令で、うちはイタチにオレの一族を抹殺させたのは本当か」
だが、ダンゾウはそれに応えようとしない。聞く耳持たず何らかの印を組み、サスケへと飛び出していた。
だが不意打ちも意味なくダンゾウはその体をあっさりと須佐能乎に捕まえられる。次第にダンゾウの体がミシミシと音を立て始めた。
「本当かと聞いてるんだ!!」
マダラは緊張感の欠片もなく腰をかけてそれらを見下ろし、カナはその数メートル離れた横でサスケだけを見ていた。
「......彼の......あの、憎しみは」
カナは吐き出すように言う。喪失した記憶の穴から、憶えのない辛苦がひしひしとカナを蝕んでいる。
「本当の彼を、殺してる。復讐に取り憑かれて......見失ってる」
「......今のお前は何も憶えていないはずだが?」
「ええ、そうですね。......アナタのせいで」
既に確信しているカナはマダラを横目で睨み据える。
マダラがカナとイギリを選んだことも、カナがサスケと知り合いだったことも全てただの偶然と決着づけるよりも、仕組まれていたと考えたほうが納得できる。それに、あまりにもタイミング良く我愛羅との会話を遮ったこともある。カナが記憶を失ったところから、全てがこの男の手の平の上だったという考えは、最早カナの中で揺るぎを得ないものとなった。
「......だけど」
我愛羅と交わせた多少の会話を思い出す。
『なぜお前が付いていながら、サスケがあそこまで闇に染まってしまったんだ』
その言葉。それに、他の"鷹"のメンバーたちにも聞いた、サスケとの関係性の深さ。そこから導きだせる恐らく、確実なこと。
「記憶がなくても、分かったこともある」
「......」
「私が───"何も憶えていない"この私こそが、彼に何らかの影響を与えてしまったんだって」
橋の上で今、須佐能乎に握られているダンゾウは吐血し、何とか吸い込んだ酸素で少しずつ言葉を吐き出す。
「アイツは......そんな男ではないと、思っていたが......」
この世から笑って消えた、イタチへの恨みつらみを含む、サスケの問いへの肯定の言葉。
「イタチめ......死に際に全て、喋りおったか......!やはりお前だけは、特別だった、ようだな......」
「本当、だったってことか......!!」
その瞬間、殺意で動く力が増した。骨の鎧だった須佐能乎は今 肉を成し、更なる禍々しさを放ち始めた。
柱の陰に隠れる香燐は震え、より近くで見るイギリはただダンゾウを睨みつけている。
「自己犠牲......それが忍だ......!イタチだけではない、多くの忍が、そうやって死んできた.....!」
須佐能乎に苦しめられながらもダンゾウは語る。それはこの男なりの忍の生き方、平和の築き方。その正否は誰にも分からない。
「そういう者たちのおかげで、平和は維持されてきたのだ......イタチの遺志を、はき違えたお前には分からぬだろうが......だがお前に秘密を明かしたイタチは、木ノ葉に対する裏切───」
そしてサスケは、それを分かろうとする気もない。
サスケにとって今対峙しているその男はただ、兄を苦しめた憎しみの対象でしかないのだから。
「それ以上、イタチを語るな」
何か破裂するような音がして、血飛沫が飛んだ。その赤い液体がビッとサスケの肌に飛ぶ。
須佐能乎の握りこぶしから垂れる足に血が伝い、ボトボトと下に落ちている。
あっさり終幕か───だが息つく間もない、サスケはすぐに背後に気配を感じていた。
「そうだな。次は眼で語る戦いにしよう」
無傷のダンゾウがそこに現れ、クナイを振りかざしていた。
サスケは無論それを須佐能乎でガードする。しかし、影分身でも幻術体でもないはずのダンゾウが、サスケからの致命的な攻撃を受けるたびに復活するというやり取りが何度も続いた。須佐能乎の攻撃、天照。両者の激闘でこの橋のあちこちが破壊され地上が揺れる。
カナはそれでも、今は第一にマダラを睨んでいた。対してサスケから目を離さないマダラが言う。
「戦いの行方が気にならないのか?」
「......本当の敵は、アナタじゃないの?」
押し殺したようなカナの声。マダラは暫し閉口した。カナが続ける。
「さぞや愉快だったんでしょうね......何も知らないでアナタの話を聞いてた私は」
「......もう嘘は通用しないか。まあ、否定はしない。記憶を失くしたお前はもう十分役目を果たしてくれたよ。サスケを闇に落とすカナメとなる役目をな」
既に予想づいていたとはいえ、はっきり言葉に出され、大きな動揺をカナは受ける。サスケの瞳のある底無しの暗さを思い出す。『忘れたくて忘れたんじゃないのか。辛いことも重いことも、オレのことも全て』───あの夜の会話。今ならはっきり分かる、サスケは確かにカナを責めていたのだ。
「私の......せいで」
「そうだな。お前のおかげだ」
嫌味を言うマダラを、カナは刺し殺すような目で睨む。だがやはり面の下の口は平然と言う。
「お前がオレを憎んだところでどうにもならない。"神鳥"の存在自体も忘れ、力の使い方も覚えていない今、お前はどう足掻こうとオレには傷一つ付けられまい。今更記憶を戻してやることもできないしな......」
人の記憶を操る道具、"刻鈴"はあの時既に壊された。
「それに"今のお前"が何を言おうと、最早サスケは"こちら側"だぞ」
全て正論だ。カナはぐっと堪えるように歯を噛み締める。その上、その時状況が変化し、カナも橋上の戦いを見ざるを得なくなった。
砂煙の中、ダンゾウに突っ込んだサスケがその首をぐっと掴まれたのだ。
「!!」
「待て、カナ」
カナは反射的に動き出しそうになったが、マダラの声で一瞬止められた。
その間にサスケの剣が容赦なくダンゾウの体に斬撃を繰り出す。斬られた右腕がぼとりと地面に落ちた。
「......!」
だが確実に致命傷を喰らったであろうダンゾウは、柱の上にまたも無傷で姿を現していた。
「......あれって」
「一見すればサスケが押しているようだがな。よく見ておけ......実際は違う。ダンゾウの術を暴かない限り、いずれサスケが負ける」
影分身でも、幻術でもない。ようやく戦場にしっかりと目を落としたカナは何か違和感を得て、ある一点を注視した。先ほど落ちたダンゾウの腕だ。それはゆっくりと輪郭を失くしていくが、その前に不可思議な点に辿り着く。その腕に埋め込まれている大量の写輪眼。戦闘開始時は全て開いていたはずが、今はいくつかが閉じていた。
「先に言っておくぞ」
「......何ですか」
「先ほどのようにサスケがピンチに陥っても、出て行こうとしないほうがいい」
だが、まるでマダラのその言葉を待っていたようなタイミングだった。
サスケの写輪眼の幻術により、ダンゾウはその背後にイタチの幻術を見ていた。「死ね」と言われた瞬間 イタチの右目から血涙が流れ落ち、ダンゾウは黒炎に包まれる。
その機を狙わないはずがなく、サスケは柱の上に飛び上がり、刃でダンゾウを狙った。
しかしその体が止まったのだ。否、止められた。
「......!!」
先ほど触られた首から這うように現れたのは、縄の紋様のような呪印。
「ワシに幻術をかけたのは褒めてやろう。が、幻術時間を自在に操ったイタチの"月読"とは天地の差だな」
今のサスケは無防備すぎる。目を見開いたカナは、憶えのない記憶の穴が怒鳴っているのを感じた。何を考える間もなく、飛び出す初動に入る。
「もう一度言う。行かないほうがいい」
マダラの声が耳に届く。だが今度こそカナはサスケから目を離さない。
今 先に香燐が動き、ダンゾウに飛びかかったが難なく蹴られて飛ばされた。身動きができないサスケのそばで、ダンゾウは何らかの解印をした。それが何なのかカナは知らないが、つまり今のサスケは敵ではないと言われたようなものだ。
マダラのセリフの重みなどどうでもいい。カナは動き出した。
サスケの手から悠々と草薙の剣を奪ったダンゾウは溜め息をつく。
「何故......こんなゴミの命など、残す必要があったというのだ......イタチ」
写輪眼は憎々し気に相手を見るが、体は僅かに震えるばかりで全く抵抗を示せない。
「見てみろ......このザマを」
ダンゾウはその口からイタチへと語りかける。切っ先をサスケへと向けた。
「コイツはお前の唯一の......失敗そのものではないか」
一閃がサスケの首へ。
香燐の悲鳴が上がり、イギリは目を細める。そしてハッと上空を見上げた。
舞った銀色は、上空から飛び降りながら印を組んでいた。素早い風が空気を裂き、ダンゾウの刃を止める。
ギィン、と弾かれた音。
身動きが取れないサスケは視線だけで見上げる。ダンゾウは眉根を寄せて後方に下がり、そこに出来た隙間にカナは飛び込んでいた。
「邪魔をしおって......」
「当然でしょう。守りたい人が、殺されそうになってるんだから」
カナはダンゾウを警戒しつつも、ちらりと振り返った。サスケは口も動かせないのか、同じように見返してくるだけだ。万華鏡写輪眼はカナの心の奥を見透かすようだった。
そこでダンゾウが「木ノ葉を」と切り出し、カナはまた前を向く。
「木ノ葉を裏切るつもりか?ヒルゼンがあの世で泣いてるぞ」
カナは唇を噛むだけで反応できない。
「イタチの真実を知ったサスケはワシだけでなく、今度は木ノ葉も狙う......そうだろう。風羽カナ、貴様がサスケに固執する理由は知らんが、今ここで一時の感情に流されサスケを守れば、いずれ木ノ葉は」
「もっと詳しく聞きたいところですけど」
カナはダンゾウの声を遮り、冷淡な声を出した。
当然だ。"今のカナ"は木ノ葉のことを憶えていない。もしこんな状況でなければ、カナは自分の手がかりを追うためにもっと知ろうとしたかもしれない。しかし状況が状況、相手が相手だった。つまりダンゾウが持ちかけている話の結論は明らかだからだ。
ここで木ノ葉隠れの話を聞いても、カナは引き下がれない。何故なら、天秤にかけられているのはサスケの命だから。
「"今の私"に、その里は分からない」
怪訝そうに顔を歪めたのはダンゾウ。───目を細めたのはサスケ。
カナはそれに気付かなかった。
「今は、ただサスケさんを───」
しかし次のセリフを言い切る前に、気付いた。それは、背後から忍び寄る冷気だった。
ダンゾウが真っ先に顔を上げて瞠目する。カナの反応はそれより遅れる。
再び香燐の悲鳴が上がった。だが今度のそれはサスケを心配するものではない。
「カナ!!!」
その瞬間、カナの体は吹っ飛ばされた。
受け身を取る間もなく瓦礫に突っ込む。ガラガラと崩れるような音がする。
体の内側でどこかが折れるような軋みを聞く。込み上げてきたものを吐けば、血の色をしていた。
「うっ......」
朦朧としている意識で、カナの目が先ほどまでいた場所を辿れば、そこにはもう何度か見た須佐能乎の姿。
これまでより肉付き禍々しさも増した巨人がサスケを包んでいた。
サスケの咆哮が響く。その体から呪印が消えていく。
真っ先にカナを吹っ飛ばした須佐能乎は、次にダンゾウを狙う。事態に目を見開いていたダンゾウは一瞬遅れて飛び退いたが、須佐能乎はその手に飛び道具を持っていた。巨大かつ神速の矢が逃げようとする獲物を狙う。
逃げ切ることを諦めたダンゾウは、その身から千手の木遁を生やして軌道を逸らしていた。
「......仲間割れに戸惑って反応が遅れてしまったな」
独り言を呟いたダンゾウは瓦礫に埋もれているカナに視線を投げる。
そちらには今、焦った香燐が駆けつけているところだった。「カナ!」と何度目かしれない声で呼びかける。
「おい、大丈夫か......サスケのヤツ、なんで!」
カナの傍に膝をついた香燐は動揺が隠しきれていない。
何とか意識を保っているカナは、口に残る血の味を無視して、「それより、サスケさん、を」と精一杯声を出した。表情を歪めた香燐だが、状況が状況だ。
「チッ。後でサスケ問いつめてやる......。今はダンゾウの術の正体が掴めそうなんだ。これさえ分かれば」
「今 ダンゾウは、わざわざ術を使って、矢を逸らさなかった......?」
「......! そうか!」
これまではいくら致命傷を受けたところで生き返ったというのに、今回に限ってはわざわざ。香燐はその事に辿り着いて、ハッとして顔を上げてサスケに叫んだ。
「サスケェ!!そのダンゾウは本物だ、今ならやれる!!」
だがその時にはダンゾウは印を組み始めていた。須佐能乎の矢の第二撃がダンゾウの体の中心を貫くも、遅い。すぐに香燐が「ダメだ......」とぼやく。死んだダンゾウの体が透け始めたのだ。
努めてゆっくり息をしようとしながら、カナはなんとか上体を起こした。口に溜まっていた血を全部吐ききる。体の内部があちこち痛くて、動くべきではないことを察する。瓦礫の山に体をもたれかけさせ、カナはとりあえず状況確認をした。
再び現れたダンゾウ、須佐能乎の中で対峙するサスケ。イギリは相変わらず戦闘を間近で見ているが、自分に害が及ばないよう小さな結界を張っている。香燐はカナのすぐ傍でダンゾウの術を解くための綻び探しを。
そしてその全てを掌握しているマダラは今、カナの後方に降りたっていた。
「だから言っただろう。行かないほうがいい、と」
香燐が焦って振り向く。だがカナはそんな香燐に首を振った。
「大丈夫です。香燐さんは、ダンゾウを見てて......」
「あ、ああ」
「自分には攻撃してこないだろうとタカをくくってたか?」
カナは視線を前に向けたままマダラの言葉を聞いていた。視線の先はサスケの背中だった。
何が発端でサスケがカナに力を振るったのかは全く分からない。サスケは決して振り返ることはない。サスケは好んで"今のカナ"を見たりしないのだから。
「......いいえ」
それでもカナは、こうして痛みを感じていても尚、恨みや怒りなど一切湧いてこない自分を感じていた。
「自惚れてなんか無い......。過去はどうあれ......"今の私"を、彼がどう思ってるかなんてもう分かってる」
須佐能乎による矢の攻撃がまたダンゾウを狙う。その力の源泉は、間違いなくただ一つの激情。
カナは血の痕が残る口元を僅かに上げて言った。
「彼は私を、憎んでる」
万華鏡写輪眼で蝕まれ始めているサスケの、憎悪で吐き出されたような雄叫びが再び響き渡った。
矢が空気を裂いてダンゾウに刺さる。だがその姿は何度も霧のように掻き消え、違う場所に現れた。風遁の印を組んだダンゾウの口から風の弾が吐き出され、サスケに襲いかかる。須佐能乎は全ての攻撃を弾くが、須佐能乎を保ち続けるサスケの疲労はどんどん溜まっている。
その右腕にある、十個の写輪眼を利用した"自らにかける幻術"・イザナギの狙いはそれだ。
一定時間の間、術者の都合の悪いことは夢にでき、好都合なものは全て現実へ。術の最後に一生光を失うことを条件に、イザナギは時間の限り術者を幻術にかけ続ける。
残り僅かの写輪眼。それが全て閉じるか、それともそれまでにサスケの体力が尽きるか。
「(......サスケさん)」
荒々しい戦いは終盤にさしかかっていた。ダンゾウの持つ残りの写輪眼がタイムリミットを示している。
ダンゾウの術の仕組みに気付いたサスケは攻撃の手を止めない。止めてしまえばイザナギが解除され、更に戦闘時間が伸びてしまう。ここまで来たら体力方面で不利なのはサスケだ。長引けば長引くほど勝敗はダンゾウに傾いてしまう。
写輪眼が一つずつ光を失っていく。いつしかサスケの須佐能乎にも限界が来た。ダンゾウの腕の写輪眼はあと一つ。ちらりとその目が残りの数を確認する。サスケも身一つ、残りのチャクラを全て振り絞る勢いで千鳥の刀を作った。
「......決着の時だな」
マダラがぼやき、カナはきゅっと拳を結んだ。
ダンゾウはクナイに風遁のチャクラ刀を。サスケは千もの鳥たちの悲鳴をその手に。
「その右腕を手に入れるために、何人のうちはを手にかけた!!」
「フン。その手を下したのはイタチだ!」
両者が足を踏み込む。最後まで減らず口を叩くダンゾウに、サスケは吠えるように怒鳴った。
「お前がそうさせた!!」
刃が体を貫く。それは、同時だった。
刺し違えたように、両者とも血反吐を零す。だがその実、そうではない。
ダンゾウはサスケを刺す自らの右腕に目を向け、ニヤリと笑った。
「早過ぎたな......まだ眼は開いている。イタチのところへ行って、説教でもされてくると良い......ワシの勝ちだ」
カナの視界から二人の状況を全ては掴めない。ゆえに焦りそうになったが、その前に香燐の制止の声を聞いた。「違うはずだ......今のダンゾウは」とぼやく香燐。
マダラはゆるりと目と閉じる。イギリは怪訝そうにダンゾウを見ていた。
何故なら、幻術にかかっているのはダンゾウただ一人。
「!!?」
改めて吐血したダンゾウは目を見開いた。
「ど......ういう、ことだ......!!?」
───その視界がぶれる。開いていたはずの一つ目が、ようやく本来の姿を取り戻した。すなわち、その眼はとっくに閉じていたのだ。
サスケは刺し違える前、万華鏡による幻術を発動させていた。たった一瞬の効果でも、有用な場面で使えば十分以上の機能を果たす。
「イタチに会うのは、貴様のほうだ......」
サスケも確かに一撃を受けている。だが、ダメージが深かったのはダンゾウのほうだった。
千鳥の鳴き声が消え、ダンゾウの体が落ちていく。地面に転がったダンゾウに、もうそれを幻術にする力はない。
「これが眼で語る戦いだ。うちはを......なめるな」
倒れ込んだ憎悪の対象を見下ろし、一族を背負う復讐者は言った。
それを遠目で見るカナは唇を結ぶ。憎悪一点に染まった赤色の瞳を直視することが叶わず、目を伏せた。
「どうした?良かったな、サスケが勝って」
マダラが意味深な声色で言うも、カナはそれに頷けない。
その間にサスケ自身も膝を折り、ハッとした香燐が駆けて行った。体力を極限まで消費したサスケにその能力を以てチャクラを分け与える。
だが、カナはやはりその場に行けない。鞭打てば体は動くだろうが、その勇気を持てない。
「一度攻撃されて怖じ気づいたか」
「......」
「まあ、妥当だろうな。どうせお前はもうサスケの光にはなれない」
鼻で笑ったマダラはカナから離れていった。その足がイギリのほうへ向かう。自分に結界を張っていたイギリはそれを解いて、ダンゾウのほうへ近づいていた。
「もう橋を覆う結界も解いていい。体力のないお前にこの範囲はキツかっただろう」
「大きなお世話だ」
その通りイギリの額には汗が浮き出ていたが、ダンゾウの死を確認するまではイギリに結界を解く気はなかった。
直後、ダンゾウの死を否定する現象も起きる。なんとか起き上がろうとしたダンゾウの右腕が大樹に侵食されていったのだ。
誰もがその光景を見上げる。
元はといえば初代火影・千手柱間のチャクラは、一介の忍如きにコントロールできるようなものではない。大量の写輪眼を操るために取り入れた力は、術者の体力が落ちた途端 術者自身を蝕み始める。
「ぐっ......!!」
ダンゾウはなんとかその右腕を切り離し、木遁の侵食を食い止めた。
ぜえぜえと息をしながら、ダンゾウは気力で体を動かしているようなものだった。隠していた右目の包帯を引きちぎり、残り一つの写輪眼で場を睨みつける。
「まだ、だ......これからが、眼で語る、戦いだ......!」
ぐっと唇を噛んだのは、ダンゾウに対する復讐心の欠片もないカナだった。
「(もう、やめて)」
カナの歪められた瞳が、ダンゾウを、そしてサスケを映す。香燐の能力で幾ばくか回復していたサスケは、当然再びその手に千鳥を灯していた。
復讐心だけに染まっているその目が、また刃を剥いた。
カナはそれを目に歯を噛み締める。
走り出したサスケ。ダンゾウはそれを迎え撃つように地を蹴った。しかし実際にはダンゾウの足の方向は逸れ、千鳥は獲物を逃す。ダンゾウが狙ったのは、サスケではなかったのだ。
悲鳴を上げたのは香燐。柱を背後に、ダンゾウは左腕で香燐の首に手をかけていた。
「サスケぇ......!」
か細い声が香燐の口から漏れる。サスケの暗い瞳がそれを見た。
「自己犠牲を語ったお前が......人質とはな」
「自分の、命が惜しいわけでは、ない......!木ノ葉のため、忍の世のため、ワシはこんなところで死ぬワケにはいかんのだ......!」
揺るぎのないサスケの声とは対象的に、ダンゾウは熱の籠った声を吐く。
「どんな手を使っても生き残る......ワシは、この忍の......世を変える、唯一の改革者となる者......!この女は、そのための犠牲だ!」
ダンゾウにとっての正義。だがそれが正しいかどうかではなく、香燐にとっては恐怖の対象でしかない。何度も何度もサスケの名を呼ぶ香燐。───やはりサスケは、動揺しなかった。
動くな、香燐。
その口がそう紡ぐ。香燐は僅かに安堵した目を見せた。だが───
再び舞っていたのは、銀色だった。
「(怖じ気づいてなんかない)」
ダンゾウは目を見開く。サスケは暗い目をやはり一つも動揺させなかった。
今の今までダンゾウの警戒域に入っていなかったカナは、あっさりとその域を突破し、香燐を突き飛ばす。
追うようにダンゾウの腕も引かれたが、それをカナは捻り上げ、ダンゾウの体を背後の柱に押し付けていた。
「"神人"、貴様」
だがダンゾウは憎々し気な声を続けられなかった。
目の前にあるカナの顔が今、ゆっくりと笑みを見せていたから。
「(憎まれるべきなのは、)」
地面に転がった香燐。イギリは目を見開いていた。マダラは面の下の表情を歪ませる。カナは未練なさげに笑ったまま。
サスケは、無表情を保ったまま。
千鳥がつんざく。
雷遁の刃は、サスケからダンゾウに届いた。
カナごと貫いて。
笑ったその口から今、血が流れていった。
「(この私だから)」