確かに自分の手を握ってくれた温もりの余韻。
カナは包まれたほうの手を暫く呆然と眺めて佇んでいた。消えてしまう前に見えたような気がした笑みが頭を支配していた。
紫珀はイタチが消えたことによって幻術から解放される。
動けるようになったことを確認してから、黙りこくっている主人を見て眉根を寄せる。だがかけるべき言葉は見つからない。そのため、次に目を向けたのはーー主人と風貌が似ている、青年のほうだった。
銀色の髪に、深い茶色の目。右頬に走った一本傷。北波は同じように黙ってカナを眺めていた。その口が不意に動く。
「お前にとってのイタチはなんだ?」
カナはそれでも大げさには動かなかった。未だに自分の手に目を落としたままだ。再び落ちた沈黙に、カナがぽつりと言う。
「兄さん...のような人」
「......兄」
「笑ってくれた......教えてくれた。色んなことを話してくれた......そんな人が、ただの犯罪者だなんて思えない」
ーー紫珀は口内で歯を食いしばっていた。
爪が食い込むほどに拳を握りしめ、ぽつぽつと言うカナに目を送ってからーー北波を見る。北波のその表情は、ほぼ動いていないにも同然だった、だが紫珀はそこに表情の変化を"望んでいた"。今も変わらず能面のような無表情を張り付けていたとしても。
「それでもイタチも犯罪者だろ。仮に他に真実があったとしても、罪を犯したことに変わりはない。お前の大嫌いな人殺しも、」
「......私だって、自分の思いが矛盾してることは分かってます。でも、それでも私にとっての彼は......兄、なんです」
"その言葉"が出るたびに、紫珀は、北波の表情がある感情に染まりやしないかと、"期待していた"。だがーーその望みは叶わない。紫珀の希望とは別の、荒々しい色がその顔に徐々に滲んでいく。
北波の顔を見てすらいないカナが「行かなきゃ...」と呟く。どこへ、なんてそんなもの決まっている。
「お兄ちゃんのところへ......!」
「行かせると思ってんのか?」
そこで、ようやくカナはバッと北波を振り向いていた。立ちはだかろうとする人物を睨みつける。
「邪魔するんですか...」
「邪魔じゃない。それがオレの目的だ。イタチにお前を足止めしとけとか言われたが、そんなものも関係ない。もう三年も前から知ってんだろうがよ......オレの目的は他でもない、お前自身だ。姫......いや、風羽カナ」
「...! あなたの目的には、後で付き合うから!!だから今だけは、」
「"兄"のところへ、か?」
冷ややかな声がカナの耳にも、そして紫珀の耳にも届き、カナは表情を強張らせ、紫珀は顔を歪めていた。
紫珀の胸に渦巻く思いは他の誰にもわからない。後悔と憤りとで混じった思いは、けれど誰に吐き出すのも難しかった。だが、唐突に「やめえや...」と口を出したのは、他でもない紫珀だった。
カナが驚いたように振り返る。紫珀のそんな声を聴くのはカナにとって初めてだった。
「やめえや......北波。頼む、カナを行かせてやれ...!」
「......なんでオレがお前の言うことを聞かなくちゃなんねえんだ?」
「今お前がカナにイラついとる理由がオレには分かる!けど、そんなんみんなお前のせいやろ!?」
少なくともカナのせいやない、と語気を荒げて言う相棒を、カナは目を丸めて見つめていた。何を言っているのかカナには全く分からなかった。声色だけじゃない、初めて見る紫珀の表情ーー
「どういうこと......?」
ぼやくようにカナの口から漏れる。
ずきり、と頭のどこかが痛む。じくじくと蝕むように広がっていく。北波の荒々しい表情も、紫珀の痛々しい表情も、現実味のない輪郭となってぼやけていく気がする。−−−なにかが、おかしい、気がする。
紫珀がその時、バッとカナを見やる。決心したように口を大きく開けた。
「よう聞け、カナ!!北波は___!!」
「「紫珀!!」」
紫珀が全てを言い切る前に、怒鳴ったのは、悲鳴をあげたのは、北波とカナ同時だった。
泥の塊が形を成していた。唐突に地面から起き上がり、竜のような大口を開けていた。それがーー紫珀に向かっていた。
紫珀はそれに動けない。目を見開いて、急接近してくる牙を待ち受ける。
カナはすぐさま印を組んだーー
ドシャ、と崩れたのは、土のほうだった。紫珀の目の前で、竜は頭から吹っ飛んだ。
肩で息をしているのは紫珀ではなく、カナのほうだ。唐突に跳ね上がった心音がうるさいくらいに鳴っているのを聴きながら、カナは紫珀の無事を確認した。風遁・風繭が、土の竜を跳ね返した後もまだ形を残して留まっている。
紫珀がその中で何かを言っているのが分かるが、風繭の風音に遮られてカナの耳には届かない。聞くために術を解くことも今はできない。北波が刺さるような視線を紫珀に向けている限り。
「風繭で護ったか...」
「...紫珀には手を出させません。大体、なんで...紫珀には戦うすべなんてないのに...!」
紫珀の言葉は聴こえない。先ほどの言いかけたものも、結局意味をなさないまま。
眉根を寄せて批難を口にするカナに、北波は皮肉気に笑っていた。−−何度も見る、感情がごちゃまぜになった顔だった。
「つきあってもらうぜ......今度こそ、最後だ」
一度ぼやけたカナの視界は、またはっきりとした輪郭を取り戻していた。
ーーー第四十六話 現実の境界線
二対の写輪眼が睨み合う。特殊な血継限界を持つ者同士だからこその戦いが二人の中で繰り広げられている。うちはの瞳力のぶつかり合いは他者が踏み込めるものではない。三つ巴同士の幻術の掛け合いはしばらく続いていた。
だが、不意に兄は、すぅっとその目の文様を変える。
「万華鏡写輪眼......この眼は特別」
サスケは眉をひそめる。イタチは説くように続けた。万華鏡写輪眼、その瞳力の代償、失明。それが第一の万華鏡の秘密であり、さらにもう一つの秘密は、うちはマダラが暴いたものであると。
マダラ。サスケにとっての"三人目のうちは"であり、復讐すべき次の相手。サスケがその詳細を問うとイタチは応えていた。
その瞳力で九尾を手懐けた最初の男であり、今もなお生きているという不滅の男。うちはマダラにも弟がいた。戦乱の時代の中、仲の良かった兄弟が一族のためにと力をつける、その先に開眼したのが万華鏡写輪眼。それが初めての万華鏡の出現となった。だが、力あるものには反動がある。マダラの万華鏡は次第に光を失っていった。
それを打破するために、マダラは弟の目に手を伸ばしたというーーー
永遠の万華鏡写輪眼。
一族間の瞳のやり取りにより、マダラに宿った弟の万華鏡はそれ以降、光を失うことはなかった。そればかりか更なる能力を手に入れ、マダラ率いるうちは一族は戦乱の世に名を売り始めた。特に、初代火影の一族である千手一族との激しい争いは酷いものだった。
ーーだがある時、ある一族による申し出により、争いは鎮火される。
「......ある一族?」
「カナの一族。風羽だ」
「!」
「平和を謳った風羽一族はうちはと千手、双方に話を持ち出した。結果的に二つの一族はそれを受け入れ、互いに手を組み、出来上がったのが今の木ノ葉隠れ...だが」
その平和も一時。初代火影の政権争いに敗れた当時のマダラは里から姿を消した。それから十数年の時を経て、まだ生き永らえてきたマダラが起こしたのが十六年前の九尾の事件。それも四代目火影によって阻止され、以来自ら組織した犯罪組織"暁"の影に身を潜めている。
つまり、とイタチは締めくくる。
「今のマダラは負け犬だ...うちはの本当の高みを手にするのはヤツじゃない。あの男、マダラを超え、本当の高みへと近づくのはこのオレだ。そして今!オレは、マダラを超える力をようやく手にできる!!」
サスケはハッと目を見開くーーイタチの万華鏡に呑まれる。
「サスケェ!!お前はオレにとっての新たな光だ!お前はオレのスペアだ!!」
始めて見る兄の表情を気にする間もなく、その背後に異様な像を見る。四ツ目の般若、だがそのうち二つは新たな光を呑み込まんとばかりに待ち受け、唐突に伸びてきた舌にサスケは絡めとられた。
「さあ来い、弟よ!!オレはお前を殺して一族の宿命から解放され、本当の変化を手にする!制約を抜け己の器から己を解き放つ!オレたちは互いのスペアだ!!それこそがうちはの兄弟のーー」
巻き付いてきた舌から枝分かれした触手がサスケの目に伸びていた。しかしそれでもサスケは冷静だった。兄の声もどこか他人事のように遠くに聴こえていた。視界がぶれるーー現実味が失せていく。
気づいた時、変化はなにもなかった。
「どうやら、心の中のオレがちゃんと見えたようだな」
「全てはこの為か......」
あの夜、サスケをわざわざ生かしたイタチ。生き永らえ、万華鏡を手に入れてから、再び自分の前に来いと言った。その理由は今分かった。全ては、"永遠の光"を手に入れるために、この男はーーーこの殺戮者は。
「やっと......辿り着いた」
迷うことはない。頭の隅で揺れていた銀色の思いは消えた。この復讐心は、幻術じゃない。
■
「カナ、術を解け!!オレの話を聞きィ!!」
風繭の中で、紫珀は怒鳴っていた。術を解けーー北波と戦うな。何度そう繰り返しても、風繭の中では風音に邪魔され、声を発している自分でさえ聞き取れない。頭に血が上った紫珀は風に手を伸ばそうとして、高密度のチャクラに弾かれる。「痛っ...」まだ触れてすらいないのに指先が赤くなっていた。
「戦うな......頼むから......!」
紫珀は今、カナに護られている状態だった。先ほど北波に術を仕掛けられ、そのまま。
これを解かれてしまえば紫珀はまた攻撃を喰らうかもしれない。それでも、五秒もなくていい、カナに伝えたいことがあったーーーこれまでは決心がつかなかった事実を、今は伝えなければならないのだ。
今でなくてはならないのに。
風繭の外で睨み合っている二人が見える。紫珀はギリっと歯ぎしりし、無力な自分の手を見た。紫珀は戦闘タイプではない。風繭を吹き飛ばしてしまうだけの力は持っていない。できることといえばーー。
「(...!)」
紫珀はハッとして、足元の地面を見た。
カナはそっと自分で生み出した風繭から目を離した。目の前に立つ北波と視線を合わせる。
こうしていると三年前を思い出す。北波と初めて会ったのは中忍試験、一次試験会場。あの時から何故か北波はカナを知っていた。二度目は三次試験、予選。北波は自らカナの憎悪を引き出した。そして三度目は木ノ葉崩し、だがその時は"神鳥"朱雀が場を制圧して終わったに過ぎない。
二度目の決着はあやふやだった。三度目もカナが戦ったわけではない。風影・我愛羅の事件の時に成長してから初めて遭遇したが、そこでも大した戦闘は起こらずーーーそしてここで。北波は、最後だと言った。
「最後......これを最後にしてくれるんですか」
イタチのところへ行きたい。サスケの憎悪が何らかの結果を出す前に止めたい。いくらカナがそう思えど、北波は絶対に許さないだろう。
北波はカナの言葉を受け止めてから、ゆっくりと歩きだす。先ほどイタチのクナイを弾く時に使った短刀を木の幹から抜き、すっとその刀身を撫でた。「ああ...最後だ」と言い、静かな瞳をカナに向ける。
「その意味、分かるだろ?」
「...あなたの憎しみが、私を殺す、ということですか」
「......それで半分だ」
その一言は呟きのようなものだった。カナは怪訝気に眉根を寄せる。だが北波はもう、短刀の切っ先をカナに向けていた。
「構えろ」
煩わしい全てを無理矢理振り切るように、北波は走り出した。
ぐっと歯を食いしばったカナは、それでも同じように動き出す。カナから放たれた数枚の手裏剣、それは弧を描くようにして確実に北波を狙ったが全て叩き落され、北波の短刀はギラリとカナに迫った。−−カナが抜いたクナイと耳障りな音をたてる。
ヂリヂリ、と火花すら出そうな勢い。目前に迫った互いの顔を睨みあう。その間一秒、カナは一気にチャクラを練ってクナイに送り込んだ。北波の短刀のほうが弾かれ、北波も共に後方に飛ばされかけたが、北波は未練なく短刀を手放し更に突っ込んだ。
背丈が北波のほうが高ければ、腕の長さも北波が勝つ。カナが反応する前に北波の手刀がカナの手首に届き、カナのクナイもまた弾かれた。瞬時に対抗したカナと北波の腕、足が何度もぶつかり合う。北波の足払いにも素早く反応し跳んで避けたカナだが、不意に手首を掴まれ力任せに宙へと投げられた。
「土遁 地柱(じばしら)!」
無防備となったカナに打ち身を狙った術が放たれる。
一発目は体をひねって避けたが、さらに二発目三発目と術は続き、カナは印を組んだ。
「風遁 風鎌!」
鋭い風は襲ってきた柱を次々と真っ二つに縦割りにし、その土煙の中にカナは紛れた。見えなくなった相手の姿に北波はギラリと視線を周囲に流す、が、気配は一切ない。土煙は次第に晴れていく。北波はちらりとある一点に視線を向けた。
紫珀はいる。風繭も健在だ。ならば、紫珀をほうって逃げたということはないだろう。
ーーーどこかで水音がする。
「(...水...?)」
北波は目をすがめて地面を見た。コポコポーーコポコポと。
ようやく危機を察したのは、不意に木ノ葉崩しでの戦いが思い返された時だった。カナは風羽一族でありながら、風遁だけでなく水遁も使えるーー!
「水遁 大瀑布の術!」
どこからかその声が降ってきた途端、地面が割れた。地下水脈から湧き上がってきた水が津波のように降りかかる。近場に水があったからこその威力だろう。「(運のいいヤツ...!)」水に呑まれて数秒、北波は抵抗を示しながら水中の中で印を組む。
「(土遁 地波の術!)」
すると、今度は土が水の底から這いあがる。巻き戻しのように今度は土が津波のように、水を全て吸い尽くしながら覆い尽くすーーだが。
そうして水から解放された瞬間、その一瞬隙ができることは明白だった。髪から水を滴らせた北波が息つく暇もなく振り返れば、目前に迫った刃がある。間一髪で避けるも隙の大きさは歴然。
その一瞬、北波と視線が交差する。カナは北波の目の前で再び印を組んだ。
「水遁 水牢!!」
ぬかるんでいた地面からまた水が噴きあがるーーー。
沈黙が滞った。
修行を重ねたとはいえ、大の得意でない性質を使ったこともあるし、何より大瀑布はチャクラ消費量が激しいのもある。息つく間もない数十秒に神経が磨り減ったのもあったかもしれない。カナは肩で息をしながら、目の前の水牢を睨んでいた。
その中にいる青年は、静かに目を閉じている。銀色の髪が水中で揺れていた。
「行かせて、もらいます......最後になんてさせない。私はまだ死ねない。勝負はまたいずれ、しますから...」
一歩後ろに下がったカナは、若干感じる未練を振り払って、踵を返した。
紫珀も連れていかなければ。紫珀の背に乗って、空から目で探しながら、風に乗るチャクラを探せば、きっとまだ間に合ってくれるはずだーーー。
「ふざけるな」
水中の中からでもはっきりと聞こえた声があった。カナが振り向く間もなかった。
ーーー音が、聴こえた。キンと頭に響くような、耳に馴染むようで、耳障りな音が脳に反響した。その途端、視界に何かがぶれる。ぶれるように、見えてくる。
「な、なに...っ」
カナは立ちくらみを覚えて膝をついていた。頭を抑えて、抱え込む。
何かが見えるーー炎だ。戦火の炎が見えてくる。場所は森の中ーーカナがよく知っている森の中。平和だった森がどんどん燃やされ焼けていく。現れた大蛇が森を壊していく。集落が、風羽が、死んでいく。
過去の記憶、それが、脳内にぶれる。現実の光景と過去の光景とが同時に見える。なんとか背後を振り返れば、水牢が土遁に打ち破られていた。
水を滴らせた北波の眼光がゆらりとカナに刺さる。その手に持っているのはーー"時を刻む鈴"。
「刻、鈴...」
かろうじてカナの口から声が漏れる。
刻鈴。あの第三の試験・予選でもカナに使われた忍具。カナはあれでカナさえも知らなかった過去を見せられ、結果、暴走することとなった。それが今、再び北波の手に握られている。
「ふざけるな......って言ってんだよ、オレは」
「わ......私はなにもふざけてなんて、ただ、私はお兄ちゃんのところへ、」
「その目はなんだ......なんで全力で来ない。なんで"神鳥"の力を使わない!!」
ーー北波が睨む先、その瞳の中で、カナの目の色は依然として元の色のまま。"神鳥"朱雀の力を引き出している証拠である金色はカケラも滲んでいなかった。目の裏に見える風羽の森に翻弄されながらも、カナは現実を見据えて顔を歪める。
意識的に、カナは朱雀の力を引き出していない。それは事実だった。だがそれでも。
「......全力です。これが、私の全力」
一気にチャクラを引き出して息切れをしたほどには。北波を足止めするために、慣れない水遁術も駆使しようとしたほどには。
「決めてたんです。北波さん、あなたとまた戦う時があったなら、今度は朱雀に頼らないって...」
「...情けのつもりか?木ノ葉崩しの時にソイツの力にやられたオレに対する...!」
「違う!ただ私が、」
北波の持つ刻鈴が音を奏で続けている。無残な記憶が強く脳裏に響き、カナはまた頭を抑えた。だがもう、あの時のように涙は出ない。三年前と同じではない。−−ゆっくりと立ち上がり、改めて北波に向き直った。
「朱雀じゃない......私が、あなたの敵なんでしょう?」
「...!」
「だから今度は、私が受け止める...私がなんとかするって決めてた。私の力で、私の本気で、進んでみせる。お兄ちゃんやサスケのところにも行く...!私の、全力で!!」
「......それがふざけてんのかって話だ......甘いこと言ってんじゃねえって、言ってんだよ......!!」
水に濡れた前髪を掻き上げ、水たまりをぽちゃりと歩く北波ーーその瞳の色は混沌としている、それでも、北波の中に蔓延る苛立ちだけは確かだった。
構えをとるカナを目の前にして、刻鈴を握りしめる。
■
アンタの現実は、死だーーサスケがそう言った次の瞬間、兄弟は同時に動き出した。
手裏剣の雨がお互いに降り注がれ降り注ぎ続ける、間一髪で避けながら弾き返しながら新たなる刃を放ち続ける、赤い写輪眼は互いを離すことなく見据え続ける数秒、唐突に剣とクナイで刃を交差させる、それも一瞬。
イタチの背後から二人目のイタチが出現し、クナイを放つ。手を抑えられているサスケは呪印から蛇を出現させ対抗し、更に間合いを取って新たに風魔手裏剣を投げつけた。影分身のイタチが立ち向かうも打ち負け、無数のカラスが空間を飛び立つーー。
その一瞬の視界の邪魔が、サスケの隙となった。ハッとした時には腹を蹴られ、無防備に壁に激突する。千鳥を発動しようとするも更にその上から片腕を押さえつけられる。再び腹を殴られサスケは咳きこんだ。
動けない、その数秒。イタチの手がサスケの顔に伸びる。
「許せサスケ...」
指が目に向けられた。
「これがオレの現実だ。光をもらう」
ーーサスケの絶叫がアジト内に響いた。目の奥から引っ張られるような感覚、ぶちぶちと何かが切れたような音。自由にできる片手で目を抑えるーーーイタチの手が何かを持っていた。
「だから言ったのだ...万華鏡を持たないお前が、この眼を持つオレに敵うはずがないと」
サスケの左目は、既に空洞だった。
もう片方も貰うぞ。
地獄の宣告をするような声がサスケの耳に届く。だが、いつまでも放心していない。サスケの顔に伝い始めたのは呪印。部分変化で右翼だけが現れ、抑えつけていたイタチを弾き飛ばす。左目だけの写輪眼でなんとか状況を打破しようとする。
それすらも、背後からの声が潰す。
「これが力の差だ。お前とオレの瞳力の差だ」
背後から伸びた、二人目のイタチの腕がサスケを羽交い絞めにする。再び近づいてきたイタチの手が、ゆっくりと右目に伸びていた。サスケは目を見開いてそれを待ち受ける。その間にも呪印が疼くようにして目の中に侵入してきたーー
ーー呪印、第二形態がやっと完成した。
ぶれる。
目を見開いたイタチが身を引く。
視界が割れるようにして、サスケの脳裏がぶれていく。悲惨な光景が、悲惨な視界が、悲惨な成り行きが、全てーーそれはただ、全て頭の中で起こった出来事。サスケは息切れを上げていた。
だが、不意に顔を上げた時、その左目は健在していた。
万華鏡写輪眼、その瞳力、月読。サスケの持つただの写輪眼では決して太刀打ちできるものではないもの。
しかしそれでも、膝をついたサスケの口元には笑みが浮かんでいた。目の前には、同じように膝をついている兄の姿があった。
「お前...オレの月読を...!」
「...言ったはずだ...アンタがその眼をいくら使おうが、このオレの憎しみで幻は現実になると...」
息を荒げている両者は、それでも二人ともゆっくりと立ち上がる。
「......幻は現実になる、か」
「......」
「それこそそのセリフ、そのまま返しておこう...。今の月読で己の眼がもがれる幻は見ただろう。ならばそれを現実にしてやる」
イタチはすっと印を組んだ。再び二人の攻防が始まる。忍具を駆使し、体を駆使し、幻術を駆使し、そして忍術を駆使する。たった数秒の後、アジトの屋外に燃え上がったのは、二つの巨大な火の塊だった。黒炎が舞い上がる。
■
脳内で悲鳴が聴こえている。恐怖に怯えて叫ぶ声。初めは顕著だった敵へと怒鳴る声も、時間が経つたびに消えていく。圧倒的強者への恐れが、声に出て、動きに出て、そして逃げ惑ってーー血飛沫を上げる。毒々しい赤色が地面を、何度も何度も染め上げる、その光景をカナは過去に確かに見て、そして今も見せられていた。
ぐわり、と頭が揺れる。刻鈴の鳴き声が耳に侵入する。そのたび、カナの動きは鈍る。
「土遁 土蛇!」
唱えられた忍術に対抗して印を組むも、チャクラを練り上げる前に刻鈴に呑まれ、思い切り術を喰らっていた。
序盤は拮抗していた二人の能力。それが、どんどん"暁"の色に浸食されていた。他のメンバーのような特異な体を持っているわけでも秘術を持っているわけでもない。だがそれでも北波は"暁"であり、生きた年数が長ければ戦闘経験も多いーーー戦いの場に身を置くことを覚悟した年齢も、カナよりずっと低かった。
軽い体はあっさりと飛ばされて血反吐を吐く。木々にぶつかる前に風を使って勢いを殺すが、それでもダメージは強かった。吐いた血を手の甲で拭い、かろうじて"S級犯罪者"を睨む。
「(刻鈴をなんとかしないと......集中しきれない)」
泣いてばかりいた三年前とは違う。けれどそれでも意識を奪われる光景が、ずっと脳裏に巡っている。
北波は先ほどからもう一つも無駄口を叩いていなかった。瞳の色がずっと暗いまま、まるで機械的にカナへと攻撃をし続けていた。今もゆっくりと向かってくるその姿を見て、カナは唇を噛む。
ーーー相変わらず北波の憎しみの理由をカナは知らない。風羽が憎いとその口で言うから、そうなのだろうとしか思えない。だが、たびたび感じる違和感は三年前と変わっていなかった。北波の真意は、ずっと読めないまま。
紫珀は地面に向かって何度も何度も爪を引っ掻いていた。
爪に土が入るどころか血が染み出ていようが関係なかった。
風繭の中でできること。紫珀にならできること。紫珀にしかできないことを為すために。