fragola
雲雀夢/少陰夢


Since:2010/08/01
Removal:2013/04/01



鏡の檻をつき破れ


十月末日。酉の刻を過ぎた頃。


晴明と理紗、昌浩は、東三条殿を訪れた。

彰子は、翌日に入内を控えている。そのための準備は全て整えられて、調度品も揃い、付き従う四十人の女房も既に定まっていた。



「彰子は飛香舎に入ることとなった。藤壷の女御というわけだ」



道長はきわめて上機嫌だった。彰子はほぼ全快している。ひと月前に執り行われた裳着も盛大に終わり、どうやら中宮定子の御子が誕生する前に入内の運びとなれそうだ。

あとの心残りといえば、彰子にかけられた異形の呪詛のみだった。


最近、晴明はほぼ毎日のように東三条殿を訪れていた。彰子の入内の件で、何か道長と重要な話があるらしい。別に理紗や昌浩が供をしなくても問題なかったのだが、道長ができれば二人もというので、やってきたのだった。


理紗は以前から、入内前に彰子に会いたいと言っていたので丁度良かったが、昌浩はやることがある。入内は明日。今夜一晩しか残されていないのだ。何としても、異邦の妖異どもと今夜中に決着をつけねばならない。



「理紗、このところ忙しなく都中を駆け回っているそうだな」


「神隠しの騒ぎで皆様たいそう憂えておられますので。少しでも心安くなられればと、不肖ながらに禁厭などをかけさせて頂いております」


「なに、お前がいてくれれば、憂いなどすぐに晴れよう。なんと言っても神の舞姫だ」



理紗のことを取り分けて気に入っている道長は事も無げに頷き、次に昌浩に話を向けた。



「昌浩は、最近休暇を願い出て、長く出仕を控えているようだが」


「あ・・・はい。・・・明日か、明後日には、参内できるかと」



そこに隠された意を読み取り、道長は破顔した。



「おお、では、今夜中には決着をつけると、そういうことか」



昌浩は無言を持って答える。と、晴明が振り返って命じた。



「理紗、昌浩。彰子さまの様子をうかがっておいで。わしは大臣様と話があるのでな」



なにか、国の大事に関わるようなことを話すのか、と当たりをつけた理紗は、昌浩とふたり、黙然と一礼すると、そのまま寝殿を後にした。





東北対屋につづく渡殿を一歩一歩と進みながら、昌浩は感慨深げに首をめぐらせた。

対屋につづくこの道程を、もう歩くこともなくなるのだ。彰子がここを去れば、退魔の結界は必要がなくなる。結界が必要なくなれば、陰陽師が訪れる理由も消える。


渡殿の途中で、物の怪は突然足を止めた。少し先まで進んでそれに気づいた昌浩は、不思議そうに振り返った。

理紗も足を止めて物の怪を顧みる。



「もっくん?どうしたんだ、ほら行くよ」


「俺は別にいい。特に話すこともないしな。ここで待ってる」


「・・・私も、後から行くわ」



腕の中にいた楓牙を撫でて、理紗も言う。



「え?」


「彰子様とは女の子同士の内緒話をする予定だから」



首を傾げている昌浩に、理紗はおどけた口振りで言葉を添えた。

前足をひょんひょんと振って、さっさと行って来いというように昌浩を促した物の怪は、その場にすとんとお座りをする。


そのまま大人しく対屋へ向かった昌浩を見送って、物の怪は口を開いた。



「俺はな、人間社会の政がどうなろうと知ったこっちゃないし、誰が出世して誰が帝に嫁いだって構わない。俺には関係ないからな」



長い尾を揺らして、物の怪は耳をそよがせた。


うん、と小さく相槌を打った理紗に、だがな、と語調を弱めて物の怪は続けた。



「・・・・・・今回ばかりは、ぶち壊してやりたくなった」


「・・・そうね」



あんな顔を、させるくらいなら。あんな想いを、させるくらいなら。

辛いの堪えて、それをひた隠しにして、何でもないような顔をして、無茶をして。


私という異端すぎる異端があるのだ、今更一つくらい、捻じ曲げても、きっとどこかで帳尻が合うのではないか。たとえいつか、歪んだ結果の代償を払わなくてはいけないとしても、それでも彼女が行ってしまわなくて済むなら。


・・・決まったさだめを捻じ曲げることは許されないと、わかってはいるけれど。それでも。



「針一本でもいい、髪一筋でもいい。無理やりにでも捻じ曲げて、あいつのためにさだめを変えてやりたいと、俺は初めて思ったよ・・・」


「うん・・・・・・私も」















昌浩と入れ替わって彰子の部屋へ訪れた理紗は、蔀戸の前で膝を折り、御簾越しに彰子の様子をうかがった。

以前なら彰子本人の希望もあり直接対面することが叶ったが、成人を迎えた今、それも帝に嫁す姫に、そんなことは許されない。


人払いはされているようで女房はいない。楓牙も、理紗の言った女の子同士の、という言葉に配慮して少し離れた場所で待機しているので、理紗と彰子の二人きりだった。



「理紗様、お久しぶりです」



弱々しい声は、呪詛にかかっているためだけではないだろう。涙を含んだ声音だった。



「―――彰子様、実は私、こう見えても結構すごい陰陽師なんです」



挨拶も何もをすっ飛ばしての理紗の唐突な発言に、彰子は一瞬呆気にとられたが、戸惑いながらも頷いた。



「ええ、存じていますが・・・」



数年前、父である道長から理紗を紹介された彰子は、道長から幾度となく理紗の話を聞かされていたので、関節的にではあるが実力のほども知っている。何より、物心ついた頃からそばにいてくれた理紗は、彰子にとって頼りになる姉のような存在で、全幅の信頼を寄せていた。



「今上帝であられる一条天皇陛下とは、実は季節の文などを交わす間柄でして」



御簾でよく見えないが、困惑気味とわかる彰子に、理紗は笑った。



「いざとなれば、采女にでもなってみせます。絶対に会いに参りますよ」



丁度いいことに、貴族間では有名だと自負している。これが下手に位の高い家柄となれば反発も多いだろうが、安倍家は下級も下級。今更娘一人、宮仕えしようが政には影響はない。

それに、いくら陰陽師とはいえ年頃の娘を見知らぬ殿方と対面させることに、良い印象を持っている貴族は多くない。後宮に、それなりに使える女の陰陽師がいることは、宮仕えしている他の女房たちにも、娘を入内させている貴族たちにも、悪い話ではないはずだ。まあ、それでも反発があれば、何をしてでも捻じ伏せるまでだが。



「っ・・・理紗、さま・・・」



瞳からあふれ出る雫に彰子は両手で顔を覆った。


ああ、こんなにも想われている。

一言望めば、本当にどんな手を使ってでも宮仕えをしてくれるだろう。そんなことになれば、彼女だって家族と離れることになるだろうに。

それでも、自分が寂しくないようにと。


静まり返ったその場には、押し殺された嗚咽だけが小さくこぼれた。















****



宵の頃、東三条殿をあとにした理紗たちは、帰途の半ば二条大路で立ち別れた。


昌浩は、かぶっていた烏帽子を取り、髷を解いて手櫛で梳くと、首の後ろでひとつにくくる。

理紗は烏帽子を受け取って、強い眼をした弟を見つめた。



「じい様、姉上、俺、行ってきます」



どこにかは、昌浩は言わなかった。晴明も理紗もそれを問いただすこともなく、黙然と頷いて、邸に戻る。


振り返ることはしない。無理して呪詛の形代を引き受けた昌浩が、いかに心配でも。



「・・・・・・意地っ張りなんだから」



少しくらい、力を貸せと言っても誰も咎めないのに。

拗ねたように小さな声で呟いた理紗の頭を、晴明は薄く笑って、ぽんと撫でた。




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