暗に浮かぶ怨恨の魂
「彰子様、そこはこのように・・・」
「こう、ですか?」
「ええ。ふふっ、彰子様は器用でいらっしゃいますね。とてもお上手です」
「本当ですか?理紗様に言っていただけると嬉しいです」
ふたりは笑い合いながら繕い物をしていく。
理紗はすいすいと、彰子ゆっくりと。
手慣れた理紗と違い、彰子の手つきはぎこちなくはないが、玄人のそれではない。
結婚した後、夫の衣を縫うのは妻の仕事だ。彰子も母から手解きを受けていたが、理紗ほど早く綺麗に縫うなんて到底できない。
「理紗様は何でもお上手ですね」
縫い目の揃った見事な衣を見て、彰子が感嘆の声をもらす。
縫い物もそうだが、いつも出される食事もとても美味しい。
「私は慣れていますから。初めはひどかったのですよ。背縫いをしていたらうっかり前身頃まで一緒に縫い付けてしまったり」
「まあ・・・・・・理紗様がですか?」
「ええ。縫うよりも糸を抜く方が大変で」
理紗の話しぶりに彰子はくすくすと笑った。
「先ほども言いましたが、彰子様は器用ですから、すぐに楽に衣を一つ縫えるようになられますよ」
以前から姉妹のように仲の良かった理紗と彰子だが、同じ邸で暮らすようになってから、それはより顕著になっている。
「縫い物が終われば市へ参りましょう」
「はい!」
微笑む理紗に、彰子は嬉しそうに返事をした。
****
市から帰った理紗は、彰子が露樹から家事のあれこれを教わっている間に、六壬式盤を出し、式占を行っていた。
式盤を眺める顔は難しげで、眉根が寄せられている。
「どうした」
傍らに蒼い影が顕現した。六合は昌浩の護衛の任についているので、最近は青龍が側にいるのが常だ。
「定まらないの。・・・・・・誰かに干渉されてる」
その言葉に、青龍は顔をしかめた。
理紗は並の術者ではない。兄や父を軽く追い越し、稀代の大陰陽師と謳われる祖父と比べても何ら遜色のない、超一流の陰陽師だ。
その理紗の占を見出す、誰か。
「・・・楓牙、空へ運んでくれる?」
「勿論です」
以前までなら、このまま庭先で楓牙に本性に戻ってもらうところだが、今は彰子様が邸にいる。
楓牙の神気に気づかない彼女ではない。
少し離れた所まで行ってからにするべきか。
一拍の間に考え、理紗は立ち上がって被衣を手に取った。
「宵藍は」
「行く」
理紗が言い終えるより早く、青龍は答えた。
「天一。もし、お母様や彰子様が尋ねられたら、出掛けたことを伝えておいて」
「かしこまりました」
呼べばすぐさま現れた天一に頼み、理紗は邸を出て行った。
「やっぱり広がってる・・・」
楓牙に乗せてもらい、空から都を眺めた理紗は硬い声色で呟いた。
数日前から空にかかっていた妙な霞が、右京から左京へと、のびているのだ。
何が起きているのだろう。
「白虎や朱雀から何か連絡はあった?」
理紗は、同じように楓牙に跨がり、背後から自分を抱き締めるようにいる青龍を顧みた。
「今の所、何も無い」
「そう・・・」
「どうなされます?」
「下手に動くのは危険だわ。これはきっと、私の占に干渉している誰かの仕業でしょうし・・・・・・情報を集めてからね」
「御意」
短く答えた楓牙は、空を蹴って下へと降りて行った。
****
陰陽寮を退出した昌浩は、一路安倍邸を目指していた。
昌浩の隣を二足歩行している物の怪は、怒っていた。陰陽生の藤原敏次が昌浩にぐちぐちと嫌味を言ってくるのが原因だ。
そして自分は藤壺付きの女房に召され、女御の衣擦れを聞いただの、女房づてに礼を言われただの、自慢になるのかよくわからない自慢話を自慢気されたのだ。物の怪からしたら鬱陶しいことこの上ない。
「なにが、なぁにが、『努力次第ではこういう幸運に恵まれることもあるだろう』だっ!貴様なんぞにそんなこと言われんでも、昌浩は誰よりも努力しとるわっ!」
「いえいえ、まだまだ半人前の身ですから」
すました顔で言い返し、昌浩はやれやれと首を傾げた。
「・・・女御の君、ねぇ。別に衣擦れを聞いてみたいとか思わないけどなぁ」
かりかりと後ろ頭を掻いて片目をすがめ、昌浩はうなった。
「どうせ自慢するんだったら、扇を拝領したとか、誉め言葉を賜ったとか、誰が聞いてもそりゃーすげぇやと思えるくらいの事をしてからにしろっつーの。たかが衣擦れ、女房づての言葉、かーっ、安っぽいねっ。理紗を見習え!理紗を!」
「・・・・・・・・・」
確かに姉は扇を拝領した。神様から。
お誉めの言葉も賜った。帝から。
女房や女御の君とは、相手の格が違いすぎる。
「・・・姉上ほどは無理なんじゃないかなぁ・・・」
冷静に呟いた昌浩を、物の怪はがばっと振り仰いだ。
「お前のことだろうが、もっと怒らんかっ!」
「あははは。だって、俺が言いたいこと、全部もっくんが言ってくれるからさぁ」
「敏次の野郎、絶対にお前に勝ったと思ってるぞ、たかだか衣擦れぐらいで勝ち誇るなっつーの!たかだか衣擦れ、たかだか衣擦れだぞ、おい!」
「いやー、別に、ねぇ。
一生かかってもお目にかかれないっていうお姫様、・・・・・・うちにいるしさぁ」
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