fragola
雲雀夢/少陰夢


Since:2010/08/01
Removal:2013/04/01



闇へ誘う声


すっかり日も暮れて、夜の帳が空を覆った頃。

退出してから仮眠を取った昌浩は、つい先ほど、安倍邸を抜け出して行った。


それに六合が同行したと知る理紗は、自然と頬を緩ませた。

昌浩を知ろうと行動してくれるのが、嬉しい。


そんな風にひとり笑う理紗に、傍らにいた青龍が怪訝そうな顔を見せる。

視線でどうしたと問うてくる青龍に、理紗は「嬉しいな、と思って」と笑って返して、庭に降りた。


一つ、大きく息を吐いて、空を見上げる。


先ほどまでとは一転し、鋭い目つきで星を眺めやる。



―――やはり。


気のせいではない。星は変わってしまった。



「この所、毎晩だな。変わった星宿が気になるなら、占じればいいだろう」


「・・・だめだと思うの。きっと、私が占じても、正しい結果は出ないだろうから」



式占は、そうなればいいなどと思いながら行ってはいけないのだ。



中宮彰子。

紫式部を始め、和泉式部や赤染衛門、伊勢大輔などの後世に名を残す教養高い女房を従えていた、輝く藤壺。


一条天皇の、后。


後の後朱雀天皇を出産し、道長の出家後は藤原一門を統率し、弟達と協力して政治を支えた賢人。


それが“あの子”の知る、藤原道長が長姫、藤原彰子だ。


絶対に変わらないと思っていた星のさだめ。



だと言うのに、針一つほどの歪みが、確かに出来ているのだ。


そうなればいいと、願った。


姫と楽しそうに話す弟と、楽しそうにそれを聞く姫を見て、そうなって欲しい、と。



歪みは歪みを生むのだろうか?

この歪みの代償は何だろうか?



「・・・・・・今更ね」


「何がだ?」


「ううん・・・何でもないわ」



最も、いびつで、異質、なのは、他でもない、自分自身、だ。

もう、十年以上も経っているのに、未だに私は―――・・・・・・。










****



「土蜘蛛ねぇ・・・」



昨晩、昌浩の夜警に同行していた六合からの話に、理紗は口元に手を当てて考え込んだ。



「消えた、というのもだけれど、異邦の妖異を狩っていた、というのも気になるわね。

相当な力を持っていることは間違い無いし・・・・・・でも」



悪い感じが、しない。話に聞いただけ、直に感じたわけでも無いのに、勝手に無害だと判断している自分がいる。

と、思ったままに六合に告げる。



「理紗がそう感じたなら、それでいい」


「そう・・・かしら?いくら陰陽師の勘と言っても、実際に自分が出くわしたわけでもないし」


「考えの一つとしておくには十分すぎるくらいだ」


「考えの一つ、ね」



今夜は、私も出よう。

可能性は低いが、その土蜘蛛に会えるかもしれない。



しかし、それよりも。


ずっと胸につっかえて取れない、何か。

それが気掛かりで、早く事を片付けねばならないと、警鐘を鳴らし続けている。



「ああ、すっきりしないわ・・・・・・。一度、彰子様にお会いしてみようかしら・・・」



彼女と最後に会ったのは、彼女が昌浩のお見舞いに来た時だから、もうふた月も会っていない。

そもそも、理紗の身分では会うことは一生叶わないような人なのだが、そこは理紗。道長からも一目置かれる陰陽師である。個人的に会いたいと言っても、追い返されるどころか手放しで歓迎される。


先触れを出そうかと思っていたところ、そばにいた六合が口を開いた。



「彰子姫なら、昌浩に様子を見てくるよう、今朝晴明が言っていた」


「え、そうなの?なら・・・」



昌浩に任せる、か。



「・・・でも、やっぱり自分の目で直接視ておきたいのよね」



よし、明日にでも伺わせていただこう。



「何を気にしている?」



暗い表情の理紗の頭を撫でて、六合が問う。



「・・・わからないの。何かが気になっているのに、それが何なのか・・・。彰子様に対するものよ。

私・・・・・・何か見落としていない?」



その何かに気づいたのは、酉の刻を過ぎた頃。事が起きた後だった。










****



昌浩が帰宅し、おじい様へ報告に向かった。

二度手間で申し訳ないが、後で私も彰子様の様子を教えてもらおう。



取り入れた洗濯物をたたみ終え、運ぼうと立ち上がる。



「、っ・・・!」


「主様!!」



突如、ぐらりとふらつき膝をついた理紗に、楓牙が慌てて駆け寄った。



「・・・だい、じょうぶ・・・・・・へいき・・・」



胸を押さえて、荒い呼吸を繰り返す理紗。


大丈夫、大丈夫。まだ、大丈夫。



「主様・・・」


「・・・大丈夫よ、楓牙。だから、誰にも言わないで・・・お願い」


「・・・・・・承知、しました」


「ごめんね・・・」



耳と尾を力無く垂れ下げた楓牙を抱き寄せる。

ふるふると首を横に振る楓牙は、納得はしていないのだろうけど、絶対に私の意志を優先してくれる。


今、他に誰もいなくて良かった。

彩輝や宵藍が、いなくて良かった。



「・・・まだ、大丈夫・・・・・・」



自分に言い聞かせるように、呟いた、そのとき。



「―――っ!!?」



衝撃が駆け抜けた。


何かが砕け散る。そして、地の底から這い上がってくるように、低い唸りが生じた。次いで、それに呼応するように、大地が震動する。


理紗は座り込んだまま顔を上げ、空を仰いだ。



「瘴気・・・!!」



街のただなかから、常人には視ることのできない瘴気の渦が迸っている。


あの位置は―――



「楓牙!行って・・・!」


「ですが、主様をお一人に」


「行きなさい!急いで!」



渋る楓牙を遮って、理紗は叫ぶように命令を下した。



「瘴気は毒にしかならないわ・・・徒人には特に」


「―――御意。主様はこのまま邸にいて下さい」



普段なら、いくら命じられても絶対に理紗をひとりにすることはない。


しかし、今自分が行かねば、理紗は自身の体調を慮ることなく、東三条殿へ行ってしまう。それは許されない。



「くれぐれも」



楓牙は今一度、念を押して、風に乗って消えた。




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