fragola
雲雀夢/少陰夢


Since:2010/08/01
Removal:2013/04/01



潜む影の僅かな兆し


何処までも暗い、漆黒の闇が広がっている。


鬱蒼と茂った杉林。深い山々の頂きの狭間。


静寂が支配する闇の中に、水の音がかすかに響いている。


ちらほらと、螢が舞っている。もうじき季節は終わる。それを惜しむように、灰暗い螢火が漂う。


高地ゆえに、夏の終わりでも驚くほど涼しい。


涼しげな水のせせらぎをさかのぼって行けば、やがては螢の群舞が見えるだろう。



通年であれば。


だが、ある一定の場所から先に、螢の姿はまったく見えない。


漆を塗ったような闇が、広がっている。


さわりと、風が駆けていった。霧を含んだ、奇妙に重く肌にはりつくような、風が。


ぼうと、闇の中に、一対の小さな光が現れた。爛々ときらめく、凍てつくような鋭利な光。


それは徐々に増えて、四方に広がっていく。


その光は、生き物の双眸だった。


様々な形の生き物が、闇の中にうごめいている。

漆の色に同化しているそれらは、異形と呼び称される姿をしていた。


何十もの、何百もの双眸は、一点に据えられている。全ての異形が見ているのは、一匹の妖異。


銀と黒の縞模様が全身に浮き出た、大鷲の翼を持つ恐ろしい魔物。


太い首の付け根には、じくじくと血のにじみつづけている赤黒い陥没があり、何物かによって食いちぎられたのだということが知れる。


翼が広がって、一度ばさりと羽ばたいた。


虎の姿に、大鷲の翼。しろがね色の双眸は、月光を弾く氷刃の如く。


過日、海を隔てた大陸の奥地、神仙の住むという幻の地からこの国に舞い降りた、異邦の大妖怪。


その名を、窮奇という。



『・・・おのれ』



うめくように、窮奇が呟いた。


視線を動かし、癒えない傷を見やる。

この傷を見る度に、燃え上がるような憤怒の激情が、胸中に湧き上がってくる。



――臆したか、窮奇。無様よの・・・!



嘲笑が、窮奇の耳の奥にこびりつき、いつまでもいつまでも木霊する。


おのれ、おのれ、おのれ、おのれ・・・!


放たれる妖気にすくんで、部下である妖怪たちは息を潜めている。


そんな中、ふたつの影が窮奇の前に舞い降りた。


大きな翼を持った、二羽の妖異。身の丈は、成人男性とほぼ同じ。

闇の中に浮かび上がる陰影は、巨大な鳥。


一方は、雕のような状に黒い文があり、首は白く、喙は赤い。足の先に具わっているのは虎の爪。喙からもれる鳴き声はみさごの如く。

その名を鶚という。


そしてもう一方。


鴟のような状、赤い足でまっすぐな喙。黄色い文が全身にあり、首から上は白い。鳴き声はさながら鵠。

その名を鶉という。



ともに、以前は神仙の位にあったが、罪を犯し天帝に成敗された。

そして、その恩讐ゆえに妖異と成り果てた、恐ろしい魔物である。


大陸の現状を知るために斥候として放たれていた鶚と鶉は、自分達が留守の間に何があったのか、周囲にいた妖の一匹に訊ねる。


そして広がっていくどす黒い血だまりは、一撃で窮奇に頭をぐしゃりと潰された妖のもの。


過去の情景が映し出されていく。それは、今潰された妖のもつ記憶だった。



『主よ・・・。その傷を癒すためには、やはりこの娘御たちが必要かと』



鶉が同意を示す。



『まさに、まさに。主に相応しき贄たちなれば、我らがさらって参りましょうほどに。

片方は小癪な護衛が付いておりますので、まずはこの娘から』



血だまりに映っているのは、この国最高の権力者、藤原道長の長女、彰子。


その者を見下ろしながら笑う鶉と鶚。

その笑声は、闇に呑まれていった。




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