思い想われ
安倍邸にたどり着いた頃には、東の空は白みかけていた。
元気なつもりだった昌浩だが、やはりいろいろな意味で衝撃は大きかったらしく、時々ふらつきながら塀をよじ登ってなんとか自室に入り込んだ。
「もっくんもちゃんと休んで・・・もっくん?」
傍にいない。
おや、と首をかしげて部屋を出ると、やけに不機嫌そうに廊下をいく物の怪の姿があった。
どうしたのだろう。
不審に思って物の怪の後を追うと、物の怪は晴明の部屋にずかずかと入っていく。
「えっ、ちょっと待てもっくんっ、じい様寝てるんじゃ・・・・・・」
どうするべきか悩む昌浩の耳に、突然怒気をはらんだ物の怪の叫びが突き刺さった。
「晴明っ、なぜあんな無茶をする!」
昌浩は固まった。
――え?
妻戸の隙間から恐る恐る中を覗くと、脇息に寄りかかってうとうとしている風の晴明の前で、物の怪が憤激していた。
怒っている。
額の模様が紅く揺れ、大きな目がぎらぎらと輝いているから、あれは相当怒っている。
だが、いったい何をだ。
「――ほら、やっぱりおじい様のほうが私より先に白虎にお説教してもらうべきではありません?
ねぇ?紅蓮」
「・・・・・・理紗、お前そうやってわしが説教を受けている間にどこぞへでも逃げるつもりだろう」
恨めしげに見やる晴明に、理紗は、まあ!と大げさに驚いたふりをした。
「なんと人聞きの悪い。そんなつもりありませんよ?
ただまあ、急に用事が入ってしまって、仕方なくどこぞへと行っていることはあるかもしれませんけれど」
薄く笑って、扇で口元を隠す様は大変優雅で美しいのだが、晴明に負けず劣らずのたぬきっぷりを垣間見せる理紗に、傍に控えていた神将たちは何とも言えない微妙な顔をした。
ああ、そんな所は似て欲しくなかった。
全員一致で溜め息をついた神将たちに気付いた理紗が、わざとらしく咳払いを一つした。
「・・・それより、天一」
理紗が何やら名前を呼んだかと思うと、昌浩が考え事をしながら寄りかかっていた妻戸が、急に開いたので、昌浩は飛び上がった。
「わぁっ、わぁっ」
そろそろ振り返ると、見たこともない出で立ちの女性が、無言で昌浩を手招きしている。
発される気配で、彼女が人間ではないことがわかった。
晴明のもとにいるということは、これはおそらく式神の、十二神将のひとりだろう。
「昌浩、入ってらっしゃい」
姉に呼ばれたので観念して部屋に入ると、晴明は好好爺然とした顔で笑った。
「おうおう、昌浩や。危なかったのぅ。
だからちゃんと修行をせいと日々言っておるではないか」
「おじい様・・・・・・何も小言から始めなくともよろしいではありませんか。
昌浩、お帰りなさい。無事で良かったわ」
同じ笑みでも、晴明だと胡散臭く感じ、理紗だと素直に綺麗な笑みだと感じるのはなぜだろうか。
どちらも負けず劣らずのたぬきなのに。
それは実は自分たちが無意識で理紗を贔屓しているからだということに気づいている者はいない。
「いや、ここはしっかりと言っておかねばならん。
いいか、昌浩や。
じい様はな、何もお前が憎くて言っているわけではない。
ただ、あのような場面で捨て身でしか対応できないようでは、じい様はいつまでたっても安心して引退できないではないか」
「は?」
思わず聞き返す昌浩に、晴明はさらに続けた。
「こんなことではいかんと思いつつ、可愛いお前のためにじい様は無理をしてなぁ」
なんとなく、いやな予感がする。
昌浩はじりじりと眉間にしわを寄せながら、それでも平常心を保ちつつ、祖父に聞いた。
「じい様、それ、どういう意味ですか」
「・・・ようするに、こういうことよ」
隣に視線を向ける理紗と、手にした扇で昌浩の後ろをついと指し示す晴明。
姉の横に顕現した鳶色の髪の青年を確認し、まさか、と、さらに肩越しに省みて、昌浩はびきっと音を立てて固まった。
彼らはつい先ほど遭遇した・・・・・・
「・・・・・・神将・・・?」
茫然とつぶやいて、のろのろと晴明と理紗を見やる。
まさか。
晴明はにやりと笑って、答えない。
理紗もにこりと笑むだけだ。
そこに、憤激した物の怪の怒号が響いた。
「だからっ!どうして魂魄を飛ばす!へたをすると身体を傷つけられて終わりだぞ!」
「そんなへまはせんよ。青龍と勾陣を残しておいた、心配はない」
「そういう問題じゃない、年を考えろ!」
物の怪はまだ怒りも覚めやらぬ、という風情で吠え立てている。
「あら、どうやらおじい様は白虎にお説教をされる前に紅蓮にもお説教をされるようですね?」
「お前も白虎の前に六合にされるだろう?」
「・・・うっ・・・・・・」
言い合う祖父と姉を背景に、昌浩はくらくらする額を押さえて、情報を整理することにした。
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