招かれざる来訪者
平安の都には、無数の異形がうごめいている。
彼らは驚くほど静かに生きている。
ときたま、人を襲い動物を襲い、結果陰陽師や僧侶によって退治られることもあるが、そういうものはごくまれだ。
闇にまぎれて、彼らは人間と共存している。
日の光が差しているうちは、都は人間たちのものだ。
だが、ひとたび闇の帳が下りたとき、この地は化生の闊歩する魔都に姿を変える。
異形のものたちは、特別なことがない限りひっそりと息づいている。
が。
――コワイ
かたかたと、凍りついた声が風にとける。
――コワイ
――コワイ
音にならない、怯えて萎縮する妖のささやき。
長い、長い間。彼らは人間と共存することだけを考えていればよかった。
闇にまぎれて昼が終わるのを待って、夜の中で安穏に生きてきた。
だが、その平穏は、失われた。
ぬるい風が、ぴたりと凪いだ。
――オソロシイ
息を殺し、気配を殺し、異形のものたちは、震えながら身を硬くした。
漆をとかしたような闇の中に、それより更に暗く重い影がある。
都中の妖は、息を殺し気配を殺す。見つからないように。
先日、人間どもの大事にしている建物が燃えた。
漆の闇に捕らえられた仲間が、懸命に逃げ出して、しかしあの場でとどめを刺され、最期の力でそのことを教えてくれた。
燃え上がった炎は、妖たちの心に冷たい刃をつきたてた。
隠れていても、だめなのだ。
どんなに巧妙に姿を隠しても、闇より暗く恐ろしい影は、必ず自分たちを見つけ出し、嬲り殺すのだ。
古来より、この地に生きてきた魔物を一掃し。
彼らの居場所を、得るために。
****
火事から十日ほどが過ぎた。
あの日から数日、懐仁様から正式に文が届き、大内裏への殿上は不問に処された。
帝から直々に届いた文にお父様が目を見張り、許可を得ずに内裏へ行ったと言うと、何とも言えないようなため息をつかれた。
・・・お父様には心配をかけて本当に申し訳ないと思っている。
これからはその心労を慮って、それなりに行動を慎もう。
そんなことを思った理紗は自室で六壬式盤を眺めていた。
いや、その鋭い眼差しは睨んでいる、と言った方が正しいだろう。
「西方より来る招かれざるもの。禍となりて人々に降りかかる・・・」
いつになく硬い声音で、慎重に占術の結果を確かめる。
数日かけてじっくりと星を読み、身の潔斎をして行った占術。
この都に。
いまだかつてない化け物が、やってきた。
「どうする?」
顕現した六合が理紗に問うた。
「・・・今夜、出るわ。一緒に来てくれる?」
「当然だ」
間をあけずに答えた六合に、理紗の緊張していた表情が和らぐ。
「ありがとう、彩輝。・・・・・・ついでに今から一緒に肉体労働なんてどうかしら?」
「五巻が無いっ!」
理紗は山積みになった書物の中を泳ぐように動き回っていた。
塗籠に入ってから、かれこれ半時・・・。
六合と楓牙と自分のふたりと一匹で、書物の山から見事“山海経”を発掘していたのだが、あと一冊が見つからない。
「急がないと昌浩が帰ってきてしまうわ!」
うわーん、と嘆く理紗には普段は見られない子どもっぽさがあり、非常時だということはわかっているが、不謹慎にも可愛いと思ってしまう。
「・・・・・・六合、笑い事じゃないわ・・・」
つい口元が緩んでいたらしい。
恨めしげにこちらを見やる理紗から目を逸らし、山海経を探す。
「こうなったら・・・・・・楓牙」
ちょいちょいと手招きをして、楓牙の前に山海経を一冊、突き出す。
「これと同じ匂いよ、わかる?」
「・・・・・・・・・・・・・・・あ、あの、主様・・・・・・我は犬では・・・・・・ない・・・のですが・・・」
真剣な表情の理紗に楓牙は言いにくそうに、弱々しく反論する。
「大丈夫、知ってるわ。でも、狼は犬の親戚みたいなものでしょう?」
「・・・・・・・・・・・・主様」
犬ではなくあくまでも狼だ。
毎度毎度、白い物の怪に子犬と言われ、違うと訂正しているのだから、ここで引き下がってはいけない。
いくら最愛の主が相手であろうと!
楓牙が断固拒否、と目で訴えてみると、理紗は残念そうに山海経を引っ込めた。
「・・・・・・そう・・・・・・なら仕方ないわね・・・・・・宵藍!」
理紗が呼ぶと、すぐに傍らに蒼い影が現れた。
「山海経を探すの手伝ってくれないかしら?」
「断る」
即答した青龍の目は、なぜ自分が昌浩の為に・・・と語っているかのようだった。
「なぜ俺があの子どものために動かねばならん」
・・・よう、ではなくはっきりと言ってしまった。
「そう言わずに・・・あと一冊だけなの。・・・・・・だめ?」
身長差から生まれる必然的な上目遣いに、悲しそうな表情で小首を傾げた理紗に青龍は、うっ、と言葉に詰まった。
「お願い!時間も人手も足りないの・・・・・・もう宵藍しか・・・・・・」
両手を合わせ、さらに一押し。
「・・・・・・・・・・・・」
十二神将の主は安倍晴明だ。本来なら彼以外が神将たちを使うことなどないし、神将たちも従うことはない。
・・・・・・ない、のだが。
しかし相手はそう、他でもない理紗である。
お願い、と自分を頼ってきた彼女を、無碍に扱えるか。否。
つまり青龍が断れるはずもなく、ため息を一つついてから、大人しく書物の山に手を伸ばした。
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